さくら4
黒。黒。見るもの全ては黒のみであり、感じるものは何もない。認識できるものは自分という存在だけであり、それすらもすぐに曖昧になり自分の存在そのものを疑ってしまう。
闇。闇。何もない。時間の流れなど分かるはずもなく、心だけが静かに壊れていく。
それが、リリアが眠りに落ちた後のさくらの全てだ。リリアが目を覚ますまで、さくらは眠ることもできず、忘れることもできず、ただただ耐えるしかない時間。リリアにはできるだけ長く起きていてほしいと思うこともあるが、同時に無理をしてほしくないとも思う。
リリアが目を覚ます直前、ようやくさくらの世界に色がつく。気が付けば桜の木の前に立っており、少し待てばリリアが目を覚ます。堪え忍ぶ時間があるからこそ、この瞬間にさくらはとても嬉しくなる。だからついつい、いつもよりも大きな声を出してしまうのだ。
「リリアー! おはよう!」
――はいはい、おはよう。朝から元気ね……。
この時のリリアは当然ながら寝起きのために、元気がない。人の目がないために、普段なら耐える欠伸も遠慮なくしている。さくらは笑顔で言う。
「まだ眠い?」
――そうね……。もう少しだけ……。
「だめ!」
思わず強く言ってしまう。リリアはいつも怪訝そうにするが、それでも何も言わずに起きてくれる。安心してため息をついてしまった。
さくらは休日であろうとも、リリアがもう一度眠ることを許さない。リリアはそれに意味があるのだと思っているようだが、当然ながらただのさくらの我が儘だ。せっかく色が戻ったというのに、またあの闇の中に戻りたくはない。
「リリアリリア」
――何? 苺大福なら昨日食べたでしょう。
「違うよ!? リリアの中で私はどんな扱いになってるの!?」
――犬。
「人間ですらなかった!」
そこまで言って、さくらは笑い出す。リリアも忍び笑いを漏らし、アリサを呼んだ。
――それで?
「あ、うん。呼んでみただけ」
――ごめんなさい、犬以下だったわね。
「ひどい!」
そう言いつつも、さくらの表情は常に明るい。話しかけて、返事がある。ただそれだけのことだ。それだけのことが、とても素晴らしいことだと思える。
――授業までまだ時間があるわね。さくら、何か面白い話はない?
「あるよ! いっぱいあるよ! じゃあ今日はね……」
さくらは満面の笑顔で話し始めた。
最初の頃を思えば、リリアは本当に変わった。
誰に対しても優しい、というわけではない。厳しさがなくなったわけでもない。ただそれでも、リリアは人のことを考えるようにはなった。今ではさくらが何かを指示することはほとんどなく、時折助言を与えるだけだ。
助言、と考えて、さくらは自嘲気味に笑った。実際に生きた年数ではリリアよりも短い自分が、助言などおこがましい。だがそれでも、さくらは言葉を紡ぐ。リリアのために、リリアのためだけに。リリアもさくらの言葉に従ってくれる。
周囲の人が少しずつリリアの変化に気づき、認めていってくれる。それを見ることが、いつの間にか自分のことのように嬉しくなっていた。
夜になり、リリアがベッドに入ってからは二人だけでゆっくりと話ができる。もっとも、リリアが眠るまでの短い時間だけだ。リリアをこちら側に呼べばもう少し長く話はできるのだが、負担にしかならないと分かっているため最初の約束を守り、基本的には呼ぶことはない。
「今日もお疲れ様でした」
さくらが言って、リリアは笑みを零した。
――さくらもお疲れ様。今日もありがとう。
「私は何もしてないよ?」
さくらがしていることは、ただ言葉を伝えるだけだ。実際に行動しているリリアの疲れはさくらの比ではないだろう。それでもリリアは言ってくれる。ありがとう、とお礼の言葉を。
――明日は何をしましょうか。
「お買い物!」
――貴方はそればかりね。
くすくすと、リリアが楽しげに笑う。さくらも釣られて笑い、じゃあ、と続ける。
「勉強する? まだまだ教えたいことはたくさんあるよ」
――そうね。それもいいわね……。
「うんうん。その後はティナと一緒にご飯を食べようよ。でもピーマンはいらない!」
――ええ。もちろん、分かっているわ……。
「それからそれから! ……それから……」
気づいている。さくらの世界から色が失われつつあることに。リリアが眠りに落ちようとしていることに。リリアは寝付きがいいので、本当に短い時間しかない。この後は、長い黒の時間が始まるだけだ。自然と震えてくる体を押さえ込み、さくらは明るく言った。
「おやすみ、リリア。また明日」
――ん……。おやすみなさい、さくら……。
そうして、全ては黒になる。何も見えず、聞こえず、感じられない世界。さくらは目を閉じ、一日を振り返る。できるだけ長く、黒いものを見ないように。
そうして孤独に狂いそうになると、また、色が戻ってくる。その繰り返しだ。
後悔と罪悪感に潰されそうな、長い時間を耐えて。
リリアと語らう楽しい、短い時間を過ごし、
そうしてまた長い時間がやってくる。
その、繰り返しだ。
これは罰なのだろう。自分を信じてくれるものを裏切ろうとしている自分への罰だ。だがそれも残り少し。約束の日は近い。
リリアとの別れの日は、近い。
「嫌だ……」
殺したくはない。死にたくもない。どうすることが正解なのか。叶うなら、リリアが寿命を全うするまで、彼女の人生を見守りたい。叶うはずのない願いだ。
さくらは黒の世界に揺られながら、答えのない自問自答を繰り返す。
それが、さくらの日常だ。
最後のさくら視点。今までと違い、さくらの『今』です。
うん。そう。最後です。
というわけで。次回から三学年。約束の日はもうすぐそこです。
二人の選択を見届けてほしいと思いつつ。
壁|w・)先に日常エンジョイだ!
誤字脱字の報告、感想などいただければ嬉しいです。
ではでは。




