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――必要なのね?
――いや別に。ただ、王子と二人きりで勉強よりはいいかなって。
それを聞いて、リリアはようやくそれに思い至った。確かに、このままでは王子と二人きりで勉強をすることになる。使用人はいるだろうが、それでも精神的に辛いものがあるというのが本音だ。リリアは納得して頷くと、クリスへと言った。
「いいわよ。王子と一緒で良ければ、教えてあげるわ」
それを聞いたクリスが安堵のため息をついた。
「助かる。よろしく、リリア」
「ええ。こちらこそよろしく。ただし、例の話に私は巻き込まないように」
先に念を押すように言っておくと、分かっていますと苦笑しつつクリスは頷いた。
翌日。王子との約束は昼食の後ということになっている。王城から迎えが来ることになっており、昼食を終えた今はそれを待っている。クリスは直接王城に向かうらしく、後ほど用意された部屋で会うことになっていた。
――お城で昼ご飯ももらえば良かったのに。
さくらが残念そうにそう言う。さくらは城の食事に興味があったらしく、王子と相談していた時から残念そうだった。
――いやよ。息が詰まるわ。
――まあ……。否定はしない。
王城の内部では誰がどこで見ているか分かったものではない。一瞬たりとも気が抜けず、あの城にいるだけで精神的に疲れてしまう。以前、引き籠もる前はそれほど意識しなかったが、今ではどうしても気になってしまう。
自室でため息をついていると、扉がノックされた。側に控えていたアリサがすぐに扉へと向かう。外にいる者と言葉を交わし、リリアへと振り返った。
「リリア様。迎えの馬車がいらっしゃいました」
「そう……。分かったわ」
とても嫌そうに表情を歪めたが、すぐに気を引き締めた。立ち上がり、扉へと向かう。メイドに案内されて屋敷の外に出ると、小さな馬車が留まっていた。王家所有の馬車とは思えない質素な造りだ。
「まさか、この馬車、ですか?」
信じられないとでも言いたげにアリサが言う。メイドが頷き、少し不安そうにリリアを見てくる。リリアは特に気にもせず、馬車へと向かう。
「殿下への要望通りよ。気にしなくていいわ」
リリアの言葉にアリサが眉をひそめたが、それならばと黙ってリリアに続く。馬車の側には執事が控えており、恭しく一礼した。
「殿下より私室までご案内するよう仰せつかっております、グスタフと申します。私が責任を持って、リリアーヌ様をご案内させて頂きます」
「グスタフですね。よろしくお願い致します」
笑顔の仮面を貼り付け、リリアが言う。グスタフに促され、リリアは馬車に乗り込んだ。
「私のメイドも一人連れて行きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「はい。どうぞお乗り下さい」
アリサも馬車に乗ったところで、戸が閉められた。グスタフはそのまま御者台に向かう。そしてゆっくりと走り始めた。
「リリア様。殿下への要望通りとのことですが、どういった要望だったのですか?」
アリサがどこか落ち着かない様子で聞いてくる。
「できるだけ目立たず、静かに。それが私の要望よ。つまりは非公式にしてほしいと言ったのよ。ただでさえ殿下へ教えるのは面倒なのに、その上息が詰まる場所にしてほしくはないわ」
「そういうことですか。ですが……」
「まあ、あまり意味はないでしょうね」
この後は使用人たちが使う裏口から入ることになっているが、それでもやはり警護の兵士はいる。当然ながら人も多く、自然と話は広まるだろう。それでも、王子が用意した部屋にさえ入れば、あとはそこまで気にしなくても大丈夫のはずだ。帰りはさすがに通用しないだろうが。
アリサと会話をしているうちに、馬車はゆっくりと速度を落とす。王城の前の門で兵士がグスタフと何かを話し、少し驚いている兵士がこちらを見て目を剥いた。すぐに蒼白になり、慌てて頭を下げて下がっていく。馬車はそのまま門の中へと入っていった。
そうしてたどり着いたのは、王城の正門の真裏にある裏口だ。使用人や料理人、商人など、貴族以外が利用する扉で、リリアもこういった扉があるとは聞いていたが見るのは初めてのものだ。
「グスタフ様、どうしてこちらへ?」
裏口を使う者に目を光らせていた兵士の一人がこちらへと歩いてくる。グスタフは御者台から降りると、馬車の戸を開けた。アリサが先に降りて周囲を確認して、どうぞ、と場所を譲る。リリアは頷くと、馬車から降りた。
「え……? リリアーヌ、様……?」
兵士が大きく目を見開き、そしてすぐに慌てたように走り出そうとしたところでグスタフに肩を掴まれた。戸惑う兵士にグスタフが言う。
「私はリリアーヌ様を殿下の部屋までご案内しなければなりません。馬車をお願い致します」
「は……? あ、はい! 畏まりました!」
兵士が勢いよく敬礼をして、馬車へと駆けていく。グスタフは満足そうに頷くと、リリアへと一礼した。
「お待たせ致しました。こちらへどうぞ」
グスタフに先導され、リリアは裏口から城の中へと入る。周囲は不思議なものを見るようにこちらを見て、リリアの姿を認めてすぐに凍り付いていた。気づいたものから、慌てたようにその場に跪いていく。リリアはそれを見て、わずかに頬を引きつらせた。
――さすがお城だね。昔のリリアならすごく喜んでいたところだね。感想は?
――気分のいいものではないわね。どうして喜んでいたのかしら。
――あはは。
さくらの楽しげな笑い声に小さくため息をつく。それを聞いた数人がびくりと体を震わせた。少し申し訳なく思い、声を掛けようかと思うが、しかしすぐに口を閉ざした。リリアはここを通り過ぎるだけだ。アルディス家の屋敷ならともかく、人の、しかも王城で口を出すわけにもいかない。
リリアは少しだけ歩調を早め、その場を後にした。
「こちらです」
グスタフに案内された部屋は、二階の王子の私室だった。王子の部屋を使うことになるとは思わず、リリアはわずかに眉根を寄せる。それに気づいたグスタフが、苦笑しつつ頭を下げた。
「申し訳ありません。殿下も他の部屋を用意しようとはしておられたのですが、そうなるとどうしても人目につくことになってしまいます。殿下の私室ならば用がないもの以外は勝手に入ることはまずありませんので、この部屋になりました」
「まあ……。構わないわ」
ありがとうございます、とグスタフが頭を下げ、ノックする。すぐにメイドが一人顔を出した。グスタフとリリアーヌを認めて、一度扉を閉じる。そしてすぐに大きく開かれた。
「どうぞ」
メイドに促され、中に入る。王子の部屋はとても広く、しかし調度品は少ない部屋だった。部屋の中央にテーブルが用意されており、王子はそこに一人で読書をしていた。
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ではでは。




