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翌日。予定より少し早めて昼前に着替え、リリアは屋敷を出た。いつものようにシンシアを連れて、今回はアリサも共に行きたいと願ったために同行させる。寮とは違い部屋に誰かを残しておく必要はない。
シンシアに案内されて向かった先には、すでに先客がいた。
「遅いぞ! リリア!」
「家族で買い物なんて久しぶりね」
「今日は鍛冶士はいないが、掘り出し物があるかもな……」
「お姉様、お待ちしておりました!」
アルディス家の面々が並んでいた。さすがに予想などしておらず、リリアは絶句する。アリサは目を瞠り、すぐに苦笑した。そしてシンシアは、そっとその場を離れようとしていた。
「待ちなさい」
シンシアの腕を掴む。ひっ、とシンシアの口から可愛らしい悲鳴が漏れた。
「シンシア。これはどういうことかしら?」
「あ、あのですね……。これには深い理由が……。いえ、深くはないですが、その……」
シンシアが視線を泳がせる。どうにかしてリリアから逃げようとしているとすぐに分かる態度だ。リリアはゆっくりと微笑み、そっとシンシアの肩に手を置いた。
「シンシア。私に隠し事をするの? 貴方は、私の密偵ではなかったのかしら?」
「うう……。はい、その通りです……」
観念したようにシンシアは肩を落として項垂れた。
シンシアが言うには、最初はリリアが一人で巡りたいと分かっていたのでこっそりと馬車を手配しようとしたらしい。だが運悪く馬車を頼んだ直後に父が訪れ、シンシアが馬車を手配しようとしていることを知ってしまった。当然のように父がシンシアを問い詰めた。
シンシアにとって主はリリアだ。だが自分を雇っている、金を出しているのは当然ながらアルディス公爵になる。さすがに雇い主を騙すことはできず、明日の予定を話したそうだ。それを聞いたアルディス公爵は納得したように頷き、何も言わずに立ち去ったらしい。そのためにシンシアも安心してしまったようだ。
シンシアもこの事態に気づいたのはリリアと同じ時、つまりは先ほどらしい。前日のうちに気づかなかったのかと思えば、どうやらシンシアの家族たち、つまりは他の密偵がシンシアに情報が届かないように本気で動いていたそうだ。
――何その無駄な労力。仕事しろ。
――しているじゃない。とてもくだらない仕事だけど。
リリアはため息をつき、家族へと視線を向ける。服装を見てみれば、いつの間に用意したのかいつもより簡素なものだった。リリアが今着ているものと同程度の質のものだ。リリアの意図もしっかりと察しているらしい。そこまでしてくれるなら、まず一緒に来るという選択肢をとって欲しくはないものだが。
――諦めるしかないね。
さくらの苦笑しつつの言葉に、リリアは肩を落としてため息をついた。
馬車を専用の敷地に留め、リリアは家族と共に商店が並ぶ区画に入った。家族は雑談をしながらリリアの後に続く。どうやらずっとリリアと行動を共にするつもりらしい。リリアは面倒くさそうに、すぐ後ろに控えるアリサとシンシアに言った。
「どうにかして」
「申し訳ありません」
眉尻を下げた笑顔で二人が言う。リリアはため息をつき、正面へと向き直り、こちらを凝視している男と目が合った。男はリリアを見て、その家族を見て、大きく目を見開く。何かを叫ぼうとした口を慌てて手で塞ぎ、そそくさとその場を走り去っていった。
――変装の意味ないよね、これ。
さくらの呟きに、リリアは重々しく頷いた。
――リリア、気にせずに行こうよ。諦めた方がいいよ。
さくらの言葉に同意する。気にするだけ無駄だろう。リリアが振り返り家族を一瞥すると、誰もが笑顔でリリアを見ていた。リリアはため息をつき、歩き出す。目的の料理を提供してくれる店を誰かに聞こうかと思ったところで、ふと思い出した。
「お父様」
振り返り、父へと声をかけると父は嬉しそうに破顔して先を促してくる。
「お父様はお忍びで来たことがありますよね?」
「さて。知らないな」
そう言うが、父は楽しげな笑顔だ。まず間違いなく来たことがあると見ていいだろう。
「かれーらいす、という料理を食べたいのですけど、場所を知りませんか?」
「ああ……。ついてきなさい」
どうやら知っているらしく、父が先導を始める。探す手間が省けたことに安堵しつつ、リリアはその後に続いた。
父に案内された先は、他と比べると少し大きめの建物だった。看板を見ると、宿と酒を提供している店らしい。リリアが眉をひそめると、父は楽しげな笑みを浮かべた。
「ここの店が美味い。そうだろう? クロス」
「仰るとおりです、父上」
二人が視線を交わし、同時に笑う。この店を選んだ理由を察してしまい、リリアは頬を引きつらせた。何故か寒気を感じてそっと振り返ってみると、母が無表情に父と兄を見ていた。冷たい眼差しを見ると、それを向けられていないリリアですら寒気を覚えてしまう。気づかないのか、と父と兄を見ると、二人は意気揚々と建物へと入っていった。
「行きましょうか、リリア、テオ」
「はい!」
テオは何も気づいていないようで、無邪気な笑顔だ。リリアは無理矢理に笑顔を貼り付けた。
――さくら。私はどうすればいいの?
――どうなってもあの二人の自業自得なので、料理を楽しみましょう。カレーライスを!
さくらは真面目に考えるつもりはないらしい。だがさくらの言うことも正しいだろう。我関せずを貫こうと心に決めて、建物の中に入った。
酒場、というものをリリアは知らない。ここが初めてだ。広い部屋にはいくつもテーブルが並び、昼前だというのに大勢の人が酒を飲んでいた。仕事はどうしたのか、と思えば、聞こえてくる声から判断すると今日は休みの者たちらしい。
――だからといって昼から飲むな酒臭いなあ!
さくらの愚痴に全面的に同意する。美味しい料理を出されても心から楽しめないかもしれない。少しばかり気落ちしながらも、父が座ったテーブルにリリアたちも腰を下ろした。すぐに従業員らしき若い女が注文を取りに来る。
「アーシャ。何がいい?」
「リリアはカレーライスを食べたいのでしょう? 私もそれで構いません」
父は頷くと、女に注文を言う。その中には、やはりと言うべきか酒の名称らしきものも含まれていた。
「ケルビン? クロス?」
母が二人に冷めた目を向ける。二人はびくりと体を震わせると、一杯だけだ、と二人して叫んだ。
やがて、さほど待たずに先ほどの女が料理を運んできた。リリアの目の前に湯気の立つ皿が置かれる。ご飯にとろみのある液体がかけられた料理だった。
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ではでは。




