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「陛下。何故ここまでしていただけたのですか? 陛下に利することなどないでしょう」
リリアが問うと、王の視線がわずかに揺れた。父を見て、王子を見て、そしてリリアへと戻ってくる。薄く苦笑しつつ、答えた。
「アルディス公爵の依頼、というのもあるが、それ以上に、息子の依頼でもある」
リリアが目を見開き、王子へと振り返る。王子はばつが悪そうに目を逸らした。王が続ける。
「そして、私の意志でもある」
リリアが視線を王へと戻す。王はすでに笑顔を消し、真剣な表情でリリアを見つめていた。
「リリアーヌ・アルディス」
王がリリアの名前を呼ぶ。リリアは、はい、と姿勢を正した。
「お前には多大な迷惑をかけた。王として、父として、謝罪する。すまなかった」
王が頭を下げる。それも小さくではなく、深く、申し訳なさそうに。それを見たリリアの方が慌ててしまう。
「お止め下さい、陛下! 王家の方が頭を下げるなど!」
「言っただろう、ここは非公式の場だ。他の連中も今はいない。故に、今のうちに謝意を示したかったのだ」
「十分です!」
そうか、と王は頭を下げる。申し訳なさそうに眉尻を下げたまま、父へと言った。
「アルディス。お前の娘は変わったな。これほど簡単に許しを与えてくれるとは思わなかった」
「あまり言いたくないが、お前は時々馬鹿だな。王に謝罪されてふんぞり返るやつなどいないだろう」
「そういうものか?」
「そういうものだ」
不思議そうに首を傾げる王に、父はため息をつき、ジニアス公爵は肩をすくめた。
――王子の時折の馬鹿って血筋?
――失礼よ。それにしても、貴方はずいぶんと静かだったわね。
――さすがにあの真面目な空気を茶化したりはできないです。途中までだったけど。
さくらも気を遣うことはできたらしい。少し驚いた。
――さらっとひどい。
リリアは改めて王へと視線を戻し、口を開く。
「陛下。謝罪をされましたが、何に対する謝罪でしょうか。私にはそれが分かりません」
王が、何を言っているのだと目を瞬いた。王子へと一瞬だけ視線を向けてから、言う。
「婚約破棄の件についてだ。リリアーヌには辛い立場を強いてしまった」
「失礼ですが、私はその件については謝罪されることはないと思いますよ」
リリアが言うと、王が目を丸くした。理由を聞こう、と言う王へと、リリアは続ける。
「今でこそ言えますが、あの時の私は自分でも愚かなことをしていたと自覚しております。多くの方の人生を狂わせたことも、分かっております。その度に、陛下やお父様に助けていただいていたことも、聞いております」
王が目を瞠り、父へと視線を向ける。父も驚いているようで、王へと首を振っていた。
「ですから、あの時の殿下の言葉は、間違っているとは思いません。正直に言えば、もう少し言い方ややり方を考慮してほしかったとは思いますが」
王子を見ると、王子は言葉に詰まり、視線を彷徨わせ、深く頭を下げた。
「私も、自分の言葉を否定するつもりはない。だが、確かにあのような場で言うべきことではなかった。その点については、私も謝罪する。すまなかった」
「いえ。ご理解いただけたのならいいのです。先ほども申し上げた通り、破棄そのものは私が招いたことだと自覚しております」
リリアは微笑むと、王子へと笑いかけた。
「貴方の言葉のおかげで、私は目を覚ますことができました。あの件がなければ、私は今も愚かな行いを続けていたでしょう。感謝致します、殿下」
王子はリリアの笑顔を見て、苦虫を噛み潰したような表情になった。それがおかしくて、リリアは笑みを零す。
――もちろん、貴方がいてこそでもあるわよ。さくら。
――うむうむ。ありがたがれ!
――ええ。本当にありがとう。これからもよろしくね。
――え? あ、うん……。なんか照れる……。えっと、任せろ?
何故疑問系なのかとリリアは苦笑しつつも、王へと向き直った。
「本当に、変わったな……」
王が感慨深く言って、どこか悲しげに眉尻を下げた。
「できれば、婚約の話をもう一度……」
「お断り致します」
笑顔ではっきりと告げると、そうだろうな、と王は笑った。無論、王の命令となれば受け入れるしかないとは思うが、リリアとしては今更王子と共になるなど絶対に避けたいことだ。
「こちらから破棄を言い渡したのだ。無理強いなどしないから安心しなさい」
「ありがとうございます」
王の言葉に、リリアは安堵のため息をついた。
「ふむ。では今日はここまでとしておこう。学園からここまで来させてすまなかったな」
「いえ。こちらこそ、本当にありがとうございます。これで気兼ねなく南側に行けますから」
「はは。そこまで気に入っているのか。私も一度行ってみるとするか」
それを聞いた父とジニアス公爵が揃って渋い表情になった。まるで、また面倒事が増える、とでも言いたげだ。冗談の類いだと思うのだが、どういうことなのだろうか。
その後はメイドたちに案内されて、王子とレイと共に馬車に乗り込み、学園へと向かう。レイはとても楽しそうにしており、王子は頭痛を堪えるかのように額を押さえていた。
「ところでレイ。貴方が出てくる必要はあったの?」
リリアの問いに、レイは首を傾げた。
「もちろん、あるよ」
「そうなの?」
「うん。あんな面白い場面、見過ごせないじゃないか!」
リリアの頬が引きつり、王子が頭を抱えた。実はこの王子、苦労人ではないだろうか。
それに、とレイが続ける。
「他国の、とはいえ王族の僕がすでに出入りしている事実は、結構大きいと思うよ」
「それはそうかもしれないけれど……。良かったの? 素性を明かして」
「あの部屋にいたのは上級貴族の本人たちばかりだからね。問題ない、と思う。でも、あっても後悔はないよ。少しでもリリアの助けになれたなら」
レイが笑顔で言う。リリアはなるほど、と頷いて、
「物好きね」
「え? あ、うん……。それだけ?」
「そうね。ありがとう」
「うん……。どういたしまして?」
レイは肩を落とすと、王子へと恨みがましい目を向けた。小声で何かを言い合う二人に、リリアは少しばかり呆れた目を向ける。何をしているのだろうかと。
――がんばれ、レイ。
――どうしたの?
――いや、何でも無いよ。少し同情しただけ。
さくらの言葉に、リリアはただただ首を傾げるばかりだった。
・・・・・
そんな三人を見つめながら。
さくらは嬉しそうに微笑んでいた。
今まで『上』の様子が分からなかったので心配していたのだが、どうやら予想以上に王は今のリリアを評価しているらしい。父だけでなく、ジニアス公爵からも一定の評価があると見ていいだろう。上級貴族、公爵家以上が一枚岩だとは無論思ってはいない。それでも、王とアルディス公爵が認めてくれているのなら、一先ずは安心していいだろう。
あとは、『下』だ。あのメイドの言葉のせいで、リリアの評価は地に落ちている可能性もある。店のあの二人に無理矢理とも言える謝罪をさせたのだ。何も知らずに見れば、リリアがさせているとしか思えない光景だったのだから、心証は間違いなく悪くなっているだろう。
どうしようかな、とさくらは考える。まだ、時間はある。焦ることはない。
微睡み始めたリリアを微笑ましく見守りながら、さくらは考え始める。
・・・・・
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ではでは。




