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リリアは眉をひそめながら、クリスの言葉の続きを待つ。クリスはじっとリリアを見つめながら、淡く微笑んだ。
「私は今でも、貴方が殿下と共にあることこそが最良だと思っております」
リリアが大きく目を見開き、クリスはおかしそうにくすくすと笑う。
「そんなことを考えていたの?」
どうにかしてそれだけを絞り出すと、クリスは頷いて肯定する。
「この国にとってはそれが最良かと」
――ああ、なるほど。クリスはこういう子か……。
さくらの納得したような声。
――どういうことよ。
――多分、だけどね。クリスの考えは……。
さくらの言葉をそのままクリスへの問いにした。
「クリス。貴方は国を第一に考えているのね。個人の感情などは考慮せず、ただ国の未来だけを考えている」
クリスが目を瞠る。その表情が、今の言葉が正解であることを物語っていた。
「さすがですね、貴方ならすぐに理解してしまうと思っておりました」
頬が引きつってしまいそうになるのを堪え、リリアはどうにか笑顔を作り直す。気づいたのはさくらなので、どうにも心苦しい。
――ぐさっときたわ。
――あ、あはは……。
「他の方がどうかは存じません。ですが私にとって、考慮すべきはこの国の未来です。個人の感情といった些事など、はっきりと言ってしまえばどうでもいいことです」
極端な考えだ、とは思う。だがある意味では最も貴族らしい考え方なのだろう。ただただこの国の未来のために。そのためなら、全てを利用する。それがクリスの考え方だ。
「ですから、私はこの件に関してリリアーヌ様に協力はできません。これで殿下の気が変わり、リリアーヌ様も考えを改め、二人が共に歩んでくだされば、最良の結果と言えましょう」
クリスは以前のリリアとは正反対だ。以前のリリアは自分のために周囲を振り回し、そしてクリスは国のために周囲を利用する。だが不思議と、不快には思わなかった。疑問に思うところがあるがために。
「クリス。聞きたいのだけど」
「はい。何でしょうか」
「国のためなら私も利用しそうなことを言っているけれど、実際には違うわね。それならもっと方法があるでしょう。今も、殿下はティナのことを把握していないみたいじゃない。貴方から言う機会なんていくらでもあるでしょうに」
そう指摘すると、クリスは力無く微笑んだ。
「そうですね。本来ならそうすべきでしょうね」
「それなら、何故?」
「分かるでしょ」
クリスが表情を緩めた。学園の外で見る、二人きりの時のクリスの表情。縛るものがなくなった時に見せるクリスの素顔がそこにあった。
「私の考え方が今の貴族社会では浮いていることぐらい、私が一番よく分かっているのよ。だから人に無理強いはしない。だから私は、誰かに協力するか、放置するかしかしないのよ」
それに、とクリスは楽しげに笑った。
「友人まで利用しようだなんて思わない。望まない婚姻をリリアにさせるつもりはない。今まで言ったのは、私が最良と思うだけで実際にそこまで動こうとは思わないわ」
つまりは国の未来よりも友人の感情を優先するということか。リリアは安堵しつつ表情を和らげ、言った。
「ありがとう、クリス」
「別にあんたのためじゃない。私が後悔したくないだけよ」
それでも、それだけでも十分だ。クリスは味方ではないかもしれない。だが決して敵にはならない。それだけで素直に嬉しく思える。
「とにかく! そういうことだから、あんたに協力はしない。自分でがんばりなさい」
「そうね。貴方はティナが嫌いみたいだし」
「なんで分かるのよ」
「見ていれば分かるわよ」
クリスはしばらくリリアを睨み付けていたが、やがて視線を逸らしてため息をついた。
「あの子まで友人にしてしまったら、私はもう何もできなくなる。だから、認めない」
それに、とクリスが続ける。
「あの子と殿下が仮に結ばれたとして。この国の未来は真っ暗になるわよ。宿を経営する男爵家の令嬢が正妃だなんてどうするのよ。国を潰すつもりなの?」
そこまで言うか、と思いそうになるが、実際にそれほどのことだ。おそらくティナもそれが分かっているからこそ、王子への対応に困っているのだろう。
「なら貴方が婚約でもすれば?」
軽口のつもりでリリアがそう言うと、
「あら。知っていたの?」
「え?」
――え?
クリスの意外そうな声に、リリアの思考が停止し、さくらも間抜けな声を発した。さくらがこの場にいれば顔を見合わせたかもしれない。その反応からリリアが軽口のつもりだったことに気づいたのか、余計なことを言ってしまったとクリスは渋い表情を浮かべた。
「正式決定、というわけではないけどね。そんな話が出ているのよ」
「貴方はそれでいいの?」
「言ったでしょう。国の未来のためなら、個人の感情なんてどうでもいいと。自分の感情は大事にするなんて身勝手なことは言わない」
唖然とするリリアに、クリスは妖艶に笑った。
「ねえ、リリア。人の上に立って、人よりも贅沢して。そんな私たちが人並みの幸せを得ようだなんて、無責任だとは思わない?」
それが、クリスの考えの根底にあるものか。リリアは眩しそうに目を細めた。
「すごいわね。私はそこまで割り切れないわ」
「別にいい。これは私の考え方だから、リリアに押しつけるつもりはない。でもまあ、こんな考え方もある、程度には覚えておいてくれると嬉しいかな」
照れくさそうに笑い、そして次の瞬間には表情を引き締めていた。
「大変失礼致しました、リリアーヌ様」
そう言って、頭を下げてくる。リリアは寂しげにため息をつき、構わないわと手を振った。
国のために己すらも利用する。クリスがそんな考えを持っていたとは今まで気づかなかった。
――この国に暮らす人には支持されるかもね。でも私はリリアにはそうなってほしくないかな。
――そうなの?
――ちゃんと自分を大事にしてほしい。だから真似なんてしなくていいからね。
さくらの言葉に、リリアは頷いた。もっとも、最初から真似できるとは思っていない。さすがにクリスのような考え方は自分にはできるとは思えない。
――ところでリリア。そろそろ来るよ。
さくらの声に、リリアはそう言えばそうだったと我に返った。クリスとの会話で忘れそうになっていたが、そろそろアリサが戻ってくる頃合いだろう。クリスへと視線を投げると、クリスは頷いて、しかし動こうとはしなかった。
「私もご一緒させていただきます。もちろん邪魔なんてしませんよ。貴方を敵に回そうとは思っていませんから」
怪訝そうに眉をひそめながらも、まあいいでしょう、と頷いた。
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ではでは。




