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「何をしているのよ、クリス」
「紅茶を飲んでおりますが」
「自分の部屋で飲みなさいよ……」
アリサに先に行くように言うと、少し悩んでいたようだったが、すぐに一礼して去って行った。それを見送ってから、リリアはクリスの対面に座った。
「ご一緒していただけるのですか? 光栄です」
「そうね。部屋にいても勉強しかやることはないし、たまには貴方と二人で過ごすのも悪くはないでしょう」
「ありがとうございます。少々お待ちくださいね」
クリスが手を叩くと、どこからかメイドが一人現れた。そしてリリアの目の前に湯気の立つ紅茶で満たされたカップを置いていく。そのまま静かに離れていった。
――密偵みたいなメイドだね。
――さすがに少し驚いたわね。
クリスを見ると、クリスは微苦笑を浮かべていた。
「おもしろい子でしょう。去年まで当家の密偵の見習いだったのですけど、どうしてかメイドになりたいと願い出てきまして、採用してみました」
「へえ……。多少なら密偵の真似事ができるということね。いいわね」
「アリサさんと交換でいかがでしょう」
「…………。アリサは私のものよ」
――ねえ、今悩まなかった?
――気のせいよ。
それは残念です、と笑顔でクリスが言った。リリアが応じないと分かっていて言っていたのだろう。まるで試されたかのように感じるが、気にしても仕方がないことでもある。
「ところでクリス、一つ聞きたいことがあるのだけど、いいかしら」
「私にでしょうか。構いませんが」
クリスが表情にわずかにだが警戒の色を滲ませる。クリス個人に関してのことではないのでそれほど警戒されても困るのだが、聞いてしまえば同じだろう。
「フリジア・レスターについて聞きたいのだけど」
クリスが眉をひそめた。目を閉じ、しばらく何事かを考え、そして思い出したように、ああ、と呟いた。
「なるほど、ティナさんのご実家はレスター伯爵領にあったのですね」
「まあ、そういうことね。それで、何か知っているの?」
「そうですね……。できれば、関わり合いにならないことをお勧めいたします」
クリスの言葉にリリアが驚きで目を瞠る。クリスは無表情の仮面を被り、
「あの子は一見大人しそうに見えますが、何を考えているのか私にも分かりません。学園では私の側にいますが、あの子と会話をすることなんてほとんどありませんから」
なるほど、とリリアは頷いた。クリスが警戒をするのも理解できる。取り巻きの多くはリリアたちに良い印象を持ってもらおうと積極的に話しかけてくることが多い。そういった行動がないにも関わらず側にいるというのは、それだけで警戒してしまうものだ。
「ですが、リリアーヌ様の話にはいつも耳を傾けていました。ですからリリアーヌ様側の子だと思っていたのですが、違うのですね」
「ええ。つい最近まで忘れていたわ」
「そ、そうですか」
クリスの頬がわずかに引きつった。リリアは誤魔化すように咳払いをすると、席を立った。
「ありがとう。参考になったわ」
「いえ。私の方からも少し調べてみましょう」
リリアは軽く手を振ると、その場を離れて自室へと向かう。
フリジアはどうやらリリアのことを知りたいらしい。だがリリアには思い当たる接点はない。もっとも、貴族社会ではリリアは立場上名が知られているので、不思議に思うほどのものでもない。だがそれならそれで、直接リリアに話しかけてくればいいだろうに。
――今は気にしても仕方ないよ。
――それもそうね。私は何かされたわけでもないし、忘れましょう。
ただ、それでもやはり気になることがある。フリジアがクリスの取り巻きになったのは最近ではなかったはずだ。記憶を漁れば、少なくともこの学園に入学した当初からクリスの取り巻きにいた気がする。もしかすると、その時からリリアのことを見ていたのかもしれない。
以前のリリアのことを。
フリジアは今のリリアを見てどう思っているのだろうか。気にはなるが、考えても答えが出るはずもなく、リリアは頭を振って考えるのを止めた。
翌日。学期の初日は教室で教師から話を聞くだけの日であり、授業は特にない。上級貴族に限ってはこの日は出席すら自由となっている。重要な連絡事項の多くが寮で働く使用人を通じて事前に連絡されるために、改めて聞くような話はない。
これらの理由から、上級貴族の多くがこの初日の日に寮に戻ってくる。リリアやクリスのように前日に戻ってくる方が稀であり、昨日は結局クリス以外の上級貴族を見かけることはなかった。リリア自身、以前までは初日の夜に寮に戻ったものだ。
ただ今回も、前日に戻ったとはいえ教室に行くつもりはない。ただ当日に慌てて準備をするということがないようにした結果、前日に到着してしまっただけだ。特に何をするでもなく、リリアはのんびりと紅茶を飲んでいた。
そうしてそろそろ昼食の時間かと思い始めた頃、部屋の扉がノックされた。すぐにアリサが扉へと向かい、少し開け、そして驚いたように目を丸くした。
「少々お待ちください」
アリサが言って、リリアへと振り返ってくる。どうしたのかと眉をひそめると、
「リリア様。殿下です」
「ああ……。そう。シンシア、こっそりと部屋から出るための通路はあるかしら」
「あるにはありますけど……」
天井へと問うと、リリアがようやく聞き取れるほどの声が落ちてきた。本当にあるのか、とリリアは素直に驚きを顔に出した。
――リリア……。
さくらのどこか非難がましい声に、リリアは、冗談よ、と苦笑した。ため息をつきながら、アリサへと頷く。アリサは小さく安堵の吐息を漏らし、また扉を開けた。
アリサに案内されて王子が入ってくる。リリアは席を立つと、笑顔で言った。
「ご無沙汰しております、殿下。お元気そうで……。残念です」
「おい」
王子が苦笑して、しかしすぐに表情を引き締めた。
「リリアーヌ。聞きたいことがある」
「何でしょうか」
「ティナの様子がおかしいのだが、何か知っているか?」
リリアの目が不機嫌そうに細められ、王子は慌てたように言った。
「待て! ティナに直接会ったわけではない! 遠くから見て、少し元気がなさそうだと思っただけだ!」
「そうですか。体調でも悪いのかもしれませんね」
「いや、それはないな」
王子の断言に、リリアは少し薄ら寒いものを覚え、一歩下がった。
――気持ちは分かるけど、落ち着いて。ティナは今まで無欠席というわけでもないはずだから、体調が悪い時は休むはずだよ。それを言ってるんだと思う。
――ああ、そうなの。ついに殿下がストーカーに目覚めたのかと思ったわ。
王子はリリアの様子に不思議そうに首を傾げていた。リリアは誤魔化すように咳払いをして、言う。
「実は少し喧嘩、のようなものをしてしまいまして。それの影響かもしれませんね」
「喧嘩? お前とティナが、か?」
壁|w・)顔見せ中。
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ではでは。




