人形になっても、やっぱり娘は娘。
今日は大雨である。
これでは大事なボディが濡れてしまうではないか------。
《ダレカ…タスケテ》
「おはよう、ゼウス…って、え?!何それ」
居間に置かれたソファの上には、見知らぬ人間が目を閉ざして横たわっている。
「だっ、誰よそれ!女を家に連れ込むなんて!!」
「ちっ…違う!家の前で拾ったんだよ!」
焦って必死に弁解をしている夫ゼウス。余計怪しく感じる。人間を家の前で拾った?馬鹿馬鹿しい。
「あなた、寝ぼけてるの?昨日酔った勢いで女を連れ込んだんでしょう?…いい加減にしてよ、もう。私がいるのに」
「だから…!」
責めれば責めるほど、ゼウスは焦る。ついには冷や汗まで出ているではないか。やはり、何かうしろめたいことがあるに違いない。
私は腕を組んで、女の前で跪いている夫を見下ろす。
「なぁに?ずっとその子の顔眺めて。そうよね、その子、いかにもあなた好みの顔付きしてるものね。安らかな顔して眠ってるじゃない?」
「だから違うんだって!これは人形なんだ!」
またもや、わけのわからないことを言う夫を訝しげに睨むと、ゼウスはすっと機敏に立ち上がる。
「人形?馬鹿なことを言わないで。あなたどうしたの?」
「昨日の大雨でずぶ濡れになってたから、家に持って帰ってきたんだ。外見は人間そのものだけど…多分人形。体温だってないし…」
ゼウスの言葉で私は息を飲んだ。
「ねぇ、それ死体じゃないでしょうね?」
顔が青ざめていくのがわかった。
ゼウスも同じようで、瞳孔を激しく開いている。
「ちっ…違うよ!そんなはずないだろ?!」
「でもわからないわよ。ほら、昨日あの大雨で気温もすごく低かったし…そんな薄着で外にいたんじゃ凍死するわよ」
女は肌着とも言えるほどに薄い生地のノースリーブのワンピースを着ているだけだった。
一層空気は冷たくなった。
「それが本当に死体だったらどうするの!?私たちどうやって責任取るのよ!」
すると、隣で何かが動いたのを感じた。
《静かにしてくださいよ。寝ている人の隣で大声で騒がないでください》
むくっと起き上がった女は目を瞬かせてこちらをじっと見ている。
《あなた方は誰ですか?私の知っている人ですか?すみません、記憶が飛んでしまったようで》
「なっ…なに?」
先ほどまで死体の疑いがかかっていた女を目にして驚きを隠せないでいる私たちだが、それでも冷静に問うことにした。
「あなたは何者なの?どこから来たの?」
女は私をじっと見つめたまま、おもむろに口を開いた。
《…私は博士によって作り出されたからくり人形。しかし博士の研究所は何者かによって占拠されました。…博士は私を逃がしてくれたのです。ですが、博士はまだ研究所に》
女はからくりらしく、表情一つ変えずに淡々と語っている。
「お名前は?」
《名前…私には名前がありません。私は博士によって最初に作り出され零号と言われていました》
「でも零号って呼ぶのはちょっとアレね…あ!クレアなんてどう?可愛いんじゃない?」
ゼウスは隣で呆れ顔を見せる。
「君の好みで決めるんじゃないよ。命名っていうのはとても大切なことなんだぞ!」
また言い争いが始まるかと思ったその時、隣に座る女は私を見て言った。
《クレア…とてもいい名前だと思います》
私はとても驚いた。からくりであるはずの女が微笑んだのだ。感情など持ち合わせていないはずのからくりが。
私とゼウスは目を瞬いた。
「じゃあ、クレア。これからあなたの面倒は私たちが見ることにするわ。私はヘラ、こっちはゼウスよ」
「って!いきなりなんだよ。気が変わったのか?」
「うるさいわね。だって記憶がないんでしょう?何か思い出すまででも…」
《私はおそらく研究所から出て来たときに、何らかの衝撃で記憶が消失したと思われます。いつ回復するかわかりませんし、メモリーカード自体を抜き取られている可能性も否定できません》
「大丈夫よ。あなたの生みの親の博士、絶対見つけ出しましょう。絶対助け出して見せるわ」
《しかし、事件があったのは昨日。もう一夜経過してしまいました。博士が今でも生きているという保証はありません》
尚も淡々と語るクレアだが、やはり、クレアには…。
「あなた、からくりなのに感情があるみたいね。それは一体どうして?」
クレアは微かに驚いた表情を見せたが、姿勢を正して私たちに向き直った。
《私は博士にとって唯一の実験体でした。博士は今では名の知れたからくり技師へと成長されました。私に何度も手を施しては新しいからくりを幾度となく生み出し、失敗したものは躊躇いなく捨てました。私は1番博士との付き合いが長い。それ故私は、病で亡くした博士の娘として扱われてきました。娘としての自覚を持ち始めた私は、いつの間にか人間特有の感情というものが芽生え始めたのです》
私とゼウスは相槌を打つ。
クレアの秘密を知り、ますますクレアをほっとけまいと思い、匿うことにした。
そして感情を持つからくり人形との奇妙な生活が幕を開けた。
「おはよう、クレア、ゼウス」
《おはようございます。奥様》
クレアとの生活が始まり、早半年。
博士はどうしたって?クレアの話によると研究所は隣町にあるそうなのだが、工事で道が閉鎖されている上に研究所では何か大事な実験をしているとかで通れないらしい。工事中の道路は研究所へ向かう唯一の道路であるのに。何かおかしい。偶然にしては出来すぎている。
クレアは家事全般をこなすメイドとして家においている。本当に人間のようだ。
《はい、コーヒーです》
「あぁ、ありがとう」
私はカップを手にして、テレビのスイッチを入れる。
ニュースが放送されている。
「あはは!何これー。ふんどしの再ブームだってー。ってゆーか、ブームしてた時期なんてあった?」
朝食を準備していたクレアは、作業の手を止めてテレビを凝視している。
《ふんどし…?》
「ん?あぁ、ふんどしっていうのはね、腰巻のことよ。なんか日本人らしくていいわよね」
クレアはそうか、と軽く相槌を打った。あまり興味はなさそう。
「そうだ、ヘラ。さっき公園に行ったら綺麗な梅の花が咲いてたよ」
朝早く起きて散歩するのはゼウスの日課だ。
「もうそんな時期ね」
《梅…?》
「うん。バラ科の白い花。とても綺麗よ。そうだ、折角だから見に行きましょうか」
そう言って私とクレアは近所の公園へと足を運んだ。
そこには満開の白色や淡紅色の梅の花が咲いていた。
《綺麗……》
「でしょ?もう少ししたら、桜も咲いてくるわ。こっちもとても綺麗よ」
クレアの時々見せる笑顔はとても愛らしかった。こうやってクレアの知らないことを教えていくのは私としてもとても楽しい。
家に戻るとゼウスがコーヒーを飲みながらテレビを見ていた。
「このタレント、すげぇ綺麗な顎してるよな。髭が一本もなくてさ」
私とクレアは顔を見合わせて吹き出した。
「えっ、何だよ。笑うなよ」
この生活にも慣れてきて、クレアがいるのが当たり前みたいになって家族のように思っている。しかし、この生活が長くは続かないと分かっていた。いくら心が通い合っていたとしても所詮は人間と人形。どう足掻いても一緒になることは叶わないのだ。
「おはよう」
《おはようございます、奥様、旦那様》
コーヒーをお持ちします、と言って台所へと姿を消し、すぐに戻ってきた。
《はい、どうぞ》
「ありがとう。桜ももう散っちゃって初夏の陽気を感じるわ」
《そうですね、とても綺麗でした》
私はカップを手にして、テレビのスイッチを入れる。
ニュースが放送されている。しかし、そこに映っていたのは…。
『あの事件から早半年が経過しました。○○研究所が占拠された事件です。つい先日、カメラでの撮影の許可を頂き、中に入ることを許されました。その映像を流します』
カメラとアナウンサーは辺りを見渡しながら、研究所の中に入っていく。
『なんか異様な匂いがしますね…』
『あぁ、すみません。特別な薬品を使っているので』
案内されて行き着いた場所、そこには…。
『これが実験体。この研究所を創設したアドルフ博士です』
アドルフと思われる男は、何らかの液体に漬けられている。おそらくこれが匂いの正体。
『博士が自ら実験体になられたのですね。これは、我が国に関わる重大な実験だとお聞きしましたが』
『えぇ、この研究所では主にからくり人形を作っていますが、今回もその類です。博士は非常に豊富な知識を身につけている。博士のようなからくり人形が出回れば、この世の中もきっと大きく変わるだろう!』
「何よ…これ。どういうことなの?!」
《博士……》
クレアは頭を抱えたまま硬直している。
コーヒー片手に震えているゼウスは、途端に立ち上がり玄関へと向かった。
「どこ行くの?!」
「…研究所に決まってるだろ。クレア、悔しいとは思わないか?博士のあんな姿を公表されて…恥だぜ?」
私とクレアは、闊歩するゼウスのあとに続いた。
例の工事中の道路に辿り着くや否や、ゼウスは現場にいる人に掴みかかろうとする。
しかし、クレアはそれを止めた。
《博士の秘書である零号です。ここを通しなさい》
「おや、これはこれは。秘書様が直々にこんような場所へ出向くとは。しかしね…」
屈強な男は、クレアの首を鷲掴みにして投げ飛ばした。
「たとえ秘書様とはいえ、ここをお通しするわけにはいきませんなぁ。なぜならもうあの場所は…アドルフ博士のものではないのだからね」
工事現場にいる人間たちは声をあげて笑った。
「クレア、どうする?…クレア?」
先程までと雰囲気が明らかに違った。すごく怖い目付きをしている。
クレアはおもむろに身体を起こし、投げ飛ばした男に近寄るや否や、細い手のひらで男の顔を鷲掴みにし、それを握りつぶしたのだ。
鮮血が辺りに飛び散り、その場にいた者は皆顔面蒼白になった。
周りにいたその他の屈強な男たちは、それを見て腰を抜かしてその場にしゃがみこんだ。
クレアは何事もなかったかのように、闊歩して道路を進んだ。無論、私たちもあとに続いた。
研究所が近付くにつれ、異臭が漂ってきた。
「何なの、これ」
クレアは何も感じていないように先を急いでいるだけだ。
着いた研究所は、古びていて誰かが住んでいるとは思えないほどだった。
クレアは進める足を止めず、躊躇いもなく研究所の中に足を踏み入れた。
「…どこ行くの?クレア。ねぇってば」
もはや、私たちの声も聞こえていないようだった。
大人しくクレアのあとについて行くと、頑丈に施錠された扉が見えてきた。
クレアは慣れた手つきでロックナンバーを入力した。すると、ややこしく絡んでいた鎖は嘘のように外れ落ちた。
見るからに重そうな扉をクレアは片手でいとも簡単に開けた。
部屋の真ん中には透明の容器の中で薬品に浸されているアドルフの姿があった。
《…来ると思っていたよ。父上を助けにね》
アドルフの前に立つ男は、今朝ニュースに出ていた男そのものだった。
《生みの親を実験体にするとは、あなたも腐りましたね、アレス》
「え?どういうこと?」
《この男は、博士が最後に作ったからくり人形。彼も優秀な人形だったのですが…。まさか、父上にあたる方を自らの手に掛けるなんて》
クレアはアレスを睨みつけた。
《…なぜこのような惨いことを!》
《まだ死んではいない。…博士は少し研究をし過ぎたようだ。おかげで俺には人形を作り出す知識まで埋め込まれている。この俺こそが完成形なのだ!博士が本当に作りたかったものなのだ!》
《その知識があることを利用して、こんなことをしたのですか。残念です、アレス》
《俺は今新しい計画を練っている。ニュースでも話したようにこの世界を変えてやるのさ。征服だよ…この世界を我が物にしたい。そのために博士の知識が必要なんだよ。なぁ、零号…俺とこの計画を遂行しないか?》
《断ります。…本当に残念だ、我が同胞だと思っていたのに。博士は返してもらいますよ》
クレアは足元に落ちていた鉄パイプを、アレスは背中に担いでいた大剣を手にした。
《一撃で決めさせてもらいます。あなたには罰を与える必要があるようですね》
クレアは床を蹴ってパイプを大きく振りかざし、アレスも同じく大剣を振りかざした。
アレスの胴体は裂け、その場に倒れこんだ。
しかし、クレアは何も言わずにパイプを持って博士の入った容器に近寄り、パイプを振りかざすと、ガラスの破片は辺りに飛び散り中の薬品も勢い良く流れ出た。その匂いが鼻を突き、私は立つこともままならなかった。
《博士!!》
クレアはアドルフを抱きかかえる。アドルフはおもむろに目を開け、クレアの姿が確認できるとふっと微笑んだ。
《博士!しっかりしてください。博士…》
クレアは、弱っているアドルフを見て涙を流した。それを見てアドルフは些か驚いたようだったがすぐに微笑んだ。
「人間らしくなってきたじゃないか…私の娘と本当にそっくりだよ」
アドルフはクレアの頬を撫でる。
すると、地響きを感じたと思いきや、研究所の屋根が崩れ落ちている。
「この研究所も古い。ガラスが割れた勢いで崩れたのだろう。私はどのみち長くはないし、この身体じゃ動けまい。その方達を連れて逃げなさい」
《嫌です!私もここに残ります!あなたとともに死なせてください》
「…本当に娘そっくりだ」
クレアは私たちに目で、早くここを出るよう指示を仰いだ。
私たちに出来る事はもうない、と思い研究所を後にした。
「そうだ…これをお前にやる」
そう言ってアドルフがクレアに手渡したのは、一つのペンダントであった。
《これは…》
「母の形見だ…ぜひお前に渡してほしいと言われてな。それに今日は子供の日だからな」
クレアの頬は一層暖かいもので濡れている。そして、アドルフの肩をきつく抱き寄せた。
《もう…また私のこと、子供扱いして…父上》
それが親子の、最後に交わした言葉であった。