令嬢のため息
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「ご苦労なこと」
きらびやかなホールに溢れるきらびやかな人々。美しいドレスで身を飾る花々と、花を求めて戯れる男たち。それが真剣なお相手探しか一夜のアバンチュールかは知らないが、とにかく各々恋の駆け引きにはしっている。夜会では常に見られる景色である。
音に合わせてステップを踏む人、グラスを片手に談笑する人、こっそりベランダへと抜ける人。見慣れたそんな景色を冷めた目で見つめる御令嬢が、二人。
「毎度毎度よく飽きないな」
「この上もなく同感ね」
彼女たちもまた美しいドレスを身に纏い場を華やげる花であったが、如何せん花は花でも壁の花であった。顔にはたおやかな微笑を浮かべ、扇で口元を隠しながら小さく交わされる言葉は辛辣である。
壁の花のうち一輪——名をシレーヌという——は、いっそ感心すらしていた。
シレーヌは、夜会というものが好きではなかった。まず人込みが嫌いだ。人の集まる空間に行きたくない。デビュタントを迎える前の数ヶ月など、その日を指折り数えてため息をついていたほどには嫌いだ。しかし「行きたくない…」と毎日のようにつぶやく私に親友の母は言ったのだ。
『シレーヌ、そんな顔しないの。夜会ってとっても楽しくて素敵なものよ』
『………本当?』
『もちろん——と言いたいところだけどね』
びっくりするほどあっさり言を翻して、夫人は言った。
『いい?夜会は競技なの。どれだけ上品に嫌みを言うかを競い、どれだけ自分が優れているかのお家自慢をして競い、どれだけいい相手を捕まえるかの駆け引きで競い…この上もなく非生産的に思えるでしょう?』
でもね、と夫人は続けた。
『利用しなさい。非生産的なものを生産的に。人脈を広げ情報を入手し相手に自分を刻み付ける。存在一目置かれるように立ち回りなさい。誰よりも綺麗に笑って敵を作らず間抜けを転がすの』
さすがこの子にしてこの母ありの過激な発言だった。でも夫人のこの言葉があって嫌いな夜会にも参加するようになったのだから、感謝している。……今思うと、とても夜会をいやがる子供に聞かせる話ではなかったが。本当にいろんな意味で強くたくましい人である。
まあとにかく、そういうわけでエスコート役の男性と一曲踊り、立場を考慮して他数名の男性と踊り、女性陣の口さがないおしゃべりと近況報告お家自慢に耳を傾け、突っかかってくるものには優雅に釘を刺し、男性からの熱のこもった誘いを軽やかに躱し、やっとのことで壁の花に至るのである。夫人の『うまく立ち回りなさい』という言葉を完璧に実行した後に完全に壁の花を決め込むのがシレーヌの、いやシレーヌとその親友ミリアの夜会の常である。
* * *
夜会は嫌いだ。が、親友とのこのひと時は好きだ。嫌いな夜会の中だから余計に。こうやって隅で隠れるようにお茶を飲んで談笑する時間は、まさに至福の一時。
「そういえば、今日も来てるらしいわよ?」
「げ、最悪」
「まったくね」
この、おおよそ貴族の令嬢には似つかわしくない言葉遣いの親友が、私は大好きだ。夜会で交わされる表面上だけの実のない会話と違い、率直で飾らないその言葉遣いは欠点ではなくむしろ美点だと私は思う。そうミリアの母である夫人に言ったら「あんたはあの子に対してはいっそ清々しいほど甘いわね」と言われた。自覚はある。
「それにしてもミリア。さっきの潰れたカエルみたいな声、どうやって出したの?」
「・・・ほほう、潰れたカエルとな」
「風邪を引いたカラスのような声とも言うわね」
「あたしの美声に嫉妬したからって僻むなよ」
「素晴らしく前向きな思考ね。真似できないわ」
「精進しなさい」
・・・ああ、やっぱりミリアとの時間は楽しい。こんな軽口をたたける貴族令嬢なんて他にいないだろう。遠回しな嫌みよりもよほどすっきりする。
私は確かにミリアに甘い自覚はあるが、別に日頃からミリアにべったり引っ付いてるだとかミリアの言うことなら何でも肯定するとかそういうわけじゃない。むしろ顔を合わせれば笑顔で嫌みの応酬を楽しむ仲だ。室内に引きこもって本を読むのが好きな私と、外を駆け回って体を動かすのが好きなミリア。正反対のようだけど、物事の考え方や貴族社会の泳ぎ方、芸術の趣味はそっくりで、一緒にいると心地いい。論文について心から語り合える貴重な友達でもある。
口に出しては絶対に言わないし、そこまで態度に出す訳でもない。そんな素直な性格はしていないけれど、それでも私がミリアを大好きなのは間違いようのない事実だ。
—————なのに。
そんなミリアとの至福の時間に、最近邪魔者が入る。
「こんばんは、美しいお嬢様方。ご一緒してもいいかな?」
断じてよくない、即刻去れ。そう声に出して言えたらどれほどすっきりするだろう。
『そう言えば、今日も来てるらしいわよ?』
『げ、最悪』
『まったくね』
この人こそ、私とミリアが最悪と評する邪魔者であり———そしてこの国の王太子でもある。
「まあ、殿下。ご機嫌よう」
はがれかけていた仮面を即座につけ直して私もミリアも完璧な笑みを浮かべる。手に挨拶のキスを落とすため殿下が目を伏せた瞬間を見逃さずギッと睨みつけ、そして顔を上げる頃にはまた完璧な笑みを浮かべるという器用な真似もお手の物。その笑みのままミリアがすかさず「なぜこのような場所に?殿下にはホールの中心がよく似合っておいででしてよ」と言う。要するに、何でこっちくんだよとっととあっち行け、である。
「ああ、先ほどまでそうしていたのだが、こちらに美しい二輪の華を見つけてしまってね。思わず体が吸い寄せられてしまった」
そんなミリアの嫌みにこれまた完璧な笑顔で返す王子。ちっとも応えてない辺り腹立たしいことこの上ない。何を隠そうこの王子、とんでもなく優秀なのである。辛口なミリアが気持ち悪いくらい頭の切れる奴だと顔を顰めるくらいには。舌打ちするのをこらえて、あくまで嬉しそうにはにかみながら私も言い返す。
「あら、お上手ですこと」
美しいだなんて、と。あくまで嬉しそうに笑いながらだ。なんと言ってもここ最近夜会に出るたびにこの王子は邪魔しにやってくるのである。おかげでミリアとの時間が減り、私の鬱憤は溜まる一方だ。今日こそは追い返してみせる。
「ですが殿下、美しい花ならそこかしこに咲いておりますわ」
要するに、とっとと去れ、である。そんな私たちからの拒絶をさわやかな笑顔で受け流し、
「つれないな。私がいてはお邪魔だろうか?」
私たちには決して使えない権力というものを行使してくださった。そう言われたら私とミリア肯定できるはずないというのに。
嗚呼、また今日もミリアとの時間が減ってしまった。胸の中で王子への罵詈雑言を並べ立てながら、骨の髄までしみ込んだ令嬢の精神で笑顔を浮かべ「ご一緒できて光栄です」と心にもないことを言ったのだった。
* * *
この邪魔者——もとい王太子殿下。お忙しい身の上のはずがここ最近は夜会や集会に顔を出すことが増えたという。婚約者選定のためだろうともっぱらの噂だ。実際そうらしい。
この王太子殿下、見目よし頭よし性格も(表面上)よしの三拍子そろった何とも胡散臭い人物である。涼やかな面は観賞用にはもってこいだけれど、別に男の顔をじっくり眺める趣味もなし、ましてやそこいらの御令嬢方よりよっぽど綺麗な顔した男の隣に並ぶなんて冗談でもお断り、というのが私とミリアの総意だ。馬鹿よりましだが過ぎたるは猶及ばざるが如しとはよく言ったもので、会話のペースをさらりと握ってしまう嫌な奴というのが私の認識。仮にも自国の王太子に対していささか辛辣な評価であるという自覚はあるが、それにもきちんとした理由がある。
この男、ミリアに惚れているのだ。
それはまあいい。恋愛は個人の自由ですから、おおいに結構。ミリアは教養も家柄もあって美人で気だてもいいしなによりこの馬鹿らしい貴族社会でもすれてない、頭も良くてまさに王太子妃にはもってこい人材だ。彼女が王太子妃になったらこの国はますます繁栄するだろう理想の女性。さすが私の親友。王太子妃になったら会える機会が減ってしまうのが難点ね・・・というかその前に本人は全くもって乗り気じゃないのだけれども。
とにかくミリアは私の自慢の親友にして幼なじみだ。そんな私たちの絆に割り込もうなんて百年早い——と言いたいところだが、腹立たしいことになんとこの男もミリアの幼なじみ——すなわち、私の幼なじみでもあるのだ。
幼い頃はミリアの屋敷で一緒になってよく遊んだものだ。王太子殿下はときにミリアと馬を走らせ庭を駆け回り———ちなみに私は運動が苦手なのでもっぱら傍観に徹していた。元気ねーと思いながら木陰で読書に勤しんでいた記憶がある———ときに私と戦術パズルや政策に付いて議論を交わし。その頃から私は王太子殿下に嫌味を投げかけては返ってきた嫌味をまた倍にして返すというやり取りをしていたものだ。懐かしい。
何が言いたいかというとつまりこの男、幼い頃から私とミリアを巡って言い争っていた謂わば天敵である。
そのうちに彼が立場上忙しく一緒に遊ぶこともなくなり、晴れてミリアと私の邪魔をするものがいなくなったと思って毎日それはそれは楽しく過ごしていたというのに。この男は、再び私たちの前に現れたかと思ったら最悪の形で邪魔してきたのだ。そう———王太子妃の座という厄介な形で。