八
俺は夜の闇が好きだ。
暗闇は俺を曖昧にしてくれる。
悩みも、弱さも、全部溶かして吐き出せる。
家の近所の河川敷、街灯の光が届かない暗い道と畑の境目がわからないほどの闇。
目が慣れると、頭上に広がる星空がぼんやりと輝き始める。
冷たい夜風が頰を刺し、耳元でヒュウと低い音を立てる。
土と枯れ草の湿った匂いが鼻をくすぐり、足元の草が靴底にざらざらと擦れる感触が伝わる。
まるで、俺の心の荒野を歩いているみたいだ。
ギターケースを下ろすと、革の冷たい感触が指に残る。
ケースを開け、アコースティックギターを取り出す。
弦が月光を反射して薄く光り、指で軽く弾くと、低く掠れた音が闇に溶ける。
俺は座り込み、弦を強く弾いた。
カーン、という鋭い音が胸に響き、指先が痛むほど力を入れる。
映画のシーンが頭に浮かぶ。
あのスクリーンの中の登場人物たちは、簡単に人を信じ、愛し、傷つきながらも前に進む。
俺にはないものだと突きつけられる。
胸の奥がズキズキと疼き、喉が締まって息が苦しい。
「なんで俺だけ……」
と、呟きが漏れる。
「っ、う……うう……うあぁ……っ!」
乱暴な泣き声が漏れる。
涙が頰を伝い、塩辛い味が唇に触れる。
ギターの音が感情に連動し、激しく鳴っていた弦が、次第に繊細で途切れそうな音に変わる。
弦が指に食い込み、血の匂いが微かに混じる。
俺はただ、愛に飢えていた。
愛して欲しい。
褒めて欲しい。
でもそんな欲求が、嫉妬と憎しみと混じって頭の中をぐちゃぐちゃに絡める。
ギターを強く抱きしめ、弦を爪で引っ掻く。
金属の冷たい感触と、震える指の熱さが混じり、闇の中で俺は一人、声をあげて震えた。
まるで、闇が俺の叫びを飲み込んでくれるように。
翌朝、学校の教室。
朝の陽光が窓から差し込み、机の表面を白く照らす。
俺の目は昨夜の涙で腫れ、瞼が重く熱い。
鏡を見なくても、触れるだけで腫れた皮膚の熱さが伝わる。
「おい、幹也。目めっちゃ腫れてるやん。どうした?」
明の声が近くで響く。
いつもの爽やかなシャンプーの匂いが混じり、俺の鼻を抜ける。
「まぁ、昨日な……」
俺は無理に笑顔を作り、頰の筋肉が引きつる感触を感じる。
「昨日って確かデートって言ってたような? まさか振られたか?」
明がニヤニヤしながら肩を突く。
肘の感触が少し痛い。
「違う。映画見て泣いてさ。号泣よ号泣」
「感動したんか?」
「感動したというより……悔しくて泣いた」
俺の声が少し掠れる。
喉の奥にまだ昨夜の塩辛さが残っている気がする。
明の表情が真剣になる。
「なるほどねぇ。今日放課後、生徒会室に来い」
「は? 理由は?」
「理由も全てその時に話す。いいから来いよ」
明が颯爽と去る。
背中が風を切るような足音が廊下に響き、疾風が去ったかのような空気が残る。
まるで、俺の心に風穴が開いたみたいだ。
放課後、生徒会室。
重厚な木製のドアを開けると、革張りの椅子の匂いと、コーヒーの香ばしい香りが鼻をくすぐる。
部屋は私立高校らしく豪華で、高価そうな机と棚が並び、絨毯が足音を吸収する。
「いつ見ても、豪華すぎるな……」
俺は呟き、明が淹れたコーヒーを受け取る。
カップが熱く、手のひらをじんわり温める。
一口飲むと、苦味が舌に広がり、喉を滑る温かさが体に染みる。
明は会長席のような椅子に座り、俺を見据える。
「お前、まだあの時のことで人を信用してないだろ」
俺の胸がズキンと痛む。
コーヒーの苦味が急に重く感じる。
「上辺だけで人付き合いしてても辛いだろう。そんなんで人前で弾き語り出来ると思うか?」
「……確かになぁ」
俺の声が情けなくぼやける。
指がカップを握りしめ、熱さが掌に染みる。
「お前、赤松陽菜に対して失礼だと思わないか? 彼女はどんな熱量で取り組んでいて、お前にアドバイスもらいたいってお願いしているのか」
陽菜の顔が浮かぶ。
彼女の歌声が耳に蘇り、息遣いの温かさが思い出される。
彼女は純粋に歌が好きで、上手いだけじゃ駄目だと感じて、俺にアドバイスを求めた。
でも、なぜ俺なんだ?
顧問や先生に聞けばいいのに……。
置き手紙の
「惚れちゃいました♡」
が頭に浮かび、胸が熱くなる。
ああ、そうか。
彼女は俺に好意を持っているからだ。
明が俺の顔を見て、静かに言う。
「何かに気づいたようだなその顔は。お前はどうしたい?」
俺の胸が熱く疼く。
どうしたいのかは、決まっていた。
陽菜に会いたい。
話したい。
自分の過去を全て明かしたい。
蓋を弾き飛ばすような恋の感情が溢れ、手が震える。
コーヒーカップがカチャンと小さく音を立てる。
「明、俺やること出来た」
俺の声が少し震え、でも力強い。
明が微笑む。
「それは良かった。なら俺は溜まってた仕事でも片付けることにしよう。また今度焼肉でも行こう」
明がわざわざ生徒会室に連れてきて、2人きりで話すことにした理由がわかった。
俺を励まそうとしてくれていたんだ。
「すまんな。時間使わせて、またお礼させて!!」
「あぁ、わかった」
俺は立ち上がり、部屋を駆け出す。
ドアの重い開閉音が背後に響き、廊下の冷たい空気が頰を撫でる。
昨日とは違う気持ちで、足が軽い。
胸の奥が温かく、昨夜の闇が少し遠く感じる。
俺は陽菜に会いに行く。
まるで、光に向かって走るみたいだ。




