六
俺には仲間という言葉が分からない。
信頼という言葉もだ。
信じるってのは、自分の期待通りに行かなければ裏切りになるのだろうか?
胸の奥が、いつも重く沈むような気がする。
事情を聞いて欲しいのに、裏切られたという考えだけで俺は悪者扱いだった。
仲間というのは助け合うものじゃないのか?
どうして?
なんで?
俺がおかしいのか?
と、嘆くしかなかった。
喉の奥が苦く締まり、息を吸うたび、冷たい空気が肺を刺す。
まるで、心の棘が抜けない痛みのように。
信用という殻に俺は閉じこもっているのかもしれない。
信頼関係など蜘蛛の糸のように細く、容易く切れるものだと思ってしまう。
指先で触れただけで千切れそうな、冷たい糸の感触が今でも体に残っている。
皮膚の下で、ざわざわと這うような不快感。
風が吹くだけで、ぷつりと切れそうな脆さ。
カキン、という乾いた金属音が響く。
俺は今、バッティングセンターのケージの中に立っていた。
バットのグリップが掌に食い込み、汗で少し滑る。
ゴムのようなグリップの感触が、指にべっとりと張り付く。
振るたびに腕にビリビリと振動が伝わり、肩が重く軋む。
ボールがマシンから飛んでくるシュッという風切り音が耳に刺さるが、タイミングが合わず、空振りするたび、バットが空を切る音だけが虚しく響く。
空気の抵抗がバットを震わせ、腕の筋肉が熱く痺れる。
まるで、俺の人生の空振りを繰り返しているみたいだ。
横では陽菜が立っている。
彼女の息遣いが近くで聞こえ、汗の匂いが微かに混じる。
少し塩辛く、でも甘いシャンプーの残り香が絡んだ匂い。
彼女の存在が、ケージの狭い空間をさらに熱くする。
「なぁ、これ楽しい? 全然打てないけど」
俺はバットを地面に立てかけ、息を吐く。
額の汗が目に入り、しょっぱい味が唇に触れる。
ケージの照明が眩しく、視界が少し白くかすむ。
網目のフェンス越しに、外の風が微かに肌を撫でる。
「そうですね! とても! 楽しいですよ!!」
陽菜はバットをまるで自分の身体のように扱い、楽しそうに振る。
バットがボールに当たるカキーンという鋭い音が連続し、金属の反響が耳に心地いい。
振動が空気を震わせ、俺の胸まで響いてくる。
彼女の髪が汗で額に張り付き、頬が上気して赤く染まっている。
息が少し上がっているのに、笑顔が輝いていて、俺の胸がざわつく。
彼女の動き一つ一つが、軽やかで、でもどこか必死に見える。
「ふぅ、疲れたぁ」
俺はもう限界で、ベンチの背にもたれかかる。
金属のベンチが背中に冷たく、当たった部分がじんわりと冷える。
空を見上げると、屋根の隙間から青い空が覗き、遠くでカラスの鳴き声が聞こえる。
風が運ぶ、外の土埃の臭いが鼻をくすぐる。
「お疲れ様です。幹也先輩」
陽菜が隣に座り、水筒を差し出す。
水の冷たい感触が指に伝わり、飲むと喉を滑る冷たさが心地よい。
プラスチックの水筒が、少し湿って掌に張り付く。
「絶対明日筋肉痛になるパターンだ。これは」
腕を回すと、筋肉が引きつるような痛みが走る。
冬だが汗が背中を伝い、シャツが肌にベタベタと張り付く不快感。
息を吐くたび、白い息が空気に溶ける。
「で? この後どーする? 腹減りすぎてランチ行かない?」
既に腹と背中がくっつきそうで、今すぐにでもがつきたい気分だった。
お腹がグゥ~と鳴り、恥ずかしくて腹を押さえる。
空腹の痛みが、胃の奥を鋭く締めつける。
「もう少し打ちたかったですけど、ランチ行きますか?」
「うん、ランチ行こ。まじでもう死ぬ」
空腹感が限界だった俺は、近くのファミレスを見つけるとすぐ寄った。
店内はエアコンの暖かい風が吹き、汗が急速に冷えて肌がぞわぞわする。
席に着くと、メニューから漂う油とチーズの匂いが鼻を刺激し、胃が鳴る。
店内のBGMが低く流れ、フォークとナイフの音があちこちでカチャカチャと響く。
俺が頼んだのはベーコンピザとチキンとドリア。
まさにジャンキーである。
運ばれてきたピザの表面のチーズが溶け、熱々の湯気が立ち上り、ベーコンのスモーキーな香りが広がる。
皿の熱がテーブルを通じて指先に伝わる。
「そんなに食べれるんですか?」
陽菜が目を丸くする。
彼女の注文はカロリー控えめなサラダとシーフードパスタ。
パスタの海老がピンクに輝き、ガーリックの香ばしい匂いが漂う。
サラダの葉が新鮮に輝き、ドレッシングの酸っぱい香りが混じる。
「動いたあとだから大丈夫よ」
俺はこれでもかと狼のように右手、左手に食べ物を持って口に運び入れる。
ピザのチーズが熱く伸び、口の中でとろりと溶け、塩気とベーコンの脂が舌を刺激する。
熱さが喉を焼き、満足感が体全体に広がる。
チキンは衣がカリッとしていて、噛むと肉汁がじゅわっと広がる。
ドリアの表面のチーズがこんがり焼け、フォークを入れると熱いクリームが溢れ、クリーミーな味わいが喉を滑る。
口の中が油っぽく満たされ、息が少し熱くなる。
「にしてもすごい勢いですね」
陽菜がふふっと微笑む。
彼女はフォークとスプーンを上手に使い、パスタを巻き取る。
海老のプリプリした食感と、トマトソースの酸味が口に広がっているのだろう。
彼女の唇が少し輝き、ソースの赤が残る。
綺麗な所作で食べ、唇に少しソースがついて、彼女がお手拭きで違和感なく拭く仕草に俺は見とれる。
指先の動きが優雅で、紙の擦れる音が小さく聞こえる。
「へ? あ、ありがとうございます。親が食事のマナーに厳しいので」
「なるほどなぁ、親に感謝しないとね」
上品な振る舞いが多く見える彼女。
でも年相応の話し方や笑顔は親しみやすい。
彼女の瞳がキラキラと輝き、俺の視線を捉える瞬間、胸が少し熱くなる。
「飯の後どうしようか? 行きたいところとかある?」
「食べたら映画館行きませんか? 近くにあるみたいなので」
「映画館か。なに見る?」
「これです。最近流行りらしくて見に行きたかったんですよね」
彼女がスマホを見せてくる。
画面に映るのは最近話題のアニメ映画。
ポスターの色が鮮やかで、恋愛!青春!仲間!という文字が躍る。
画面の光が彼女の顔を照らし、瞳をさらに輝かせる。
信頼という言葉がテーマのようで、俺の胸が少し重くなる。
所詮フィクションだと思うのに、心のどこかがざわつく。
蜘蛛の糸のような脆さが、喉の奥に甦る。
「了解。食べて少しゆっくりしてから行こ」
「そうですね。あ、このトマト美味しい」
彼女がサラダのトマトをフォークで刺し、口に運ぶ。
トマトの赤い果肉が弾け、甘酸っぱい汁が唇に残る。
彼女の唇が少し濡れ、笑顔が広がる。
「トマトよく食べられるな。俺苦手……」
「え? 美味しいじゃないですか!? まだまだ子供ですね? 幹也先輩」
小馬鹿にしたような笑顔に、少し腹が立った。
彼女の目がキラキラ輝き、頬が少し膨らむ。
俺はピザを一口かじり、チーズの伸びる感触と塩気を味わいながら、苦笑いするしかなかった。
彼女の笑い声が、店内に軽く響き、俺の胸を優しく揺らす。
まるで、この瞬間が、俺の心の殻を少しずつ剥がしていくみたいだ。




