三
「あの人が陽菜の好きなギターの人?」
真奈が食べてる手を止めて、食堂の向こう側を顎で指す。
肩にかかる金髪が照明の白い光を反射してキラキラ光り、耳のピアスが小さく揺れる。
彼女の手には半分かじられたサンドイッチが握られ、パンの耳が少し乾いてカリッとした匂いが漂ってくる。
「そうだよ。真奈ちゃん、かっこいいよね。」
私はくまさんの形をした大好物のハンバーグカレーをスプーンですくう。
ルゥが熱くて舌を火傷しそうになり、甘辛いスパイスの香りが鼻腔を満たす。
ハンバーグの表面がカリッと焼けていて、噛むと肉汁がじゅわっと広がり、ジューシーな旨味と玉ねぎの甘みが口いっぱいに弾ける。
「なんか冴えない感じだけどね。私は全然タイプじゃないかな」
真奈が無理無理と手を振る。
派手なネイルが光を反射してチカチカする。
彼女の声は少し高めで、食堂の喧騒を軽く切り裂く。
「えっそうかな。私から見ればギター弾いてる時と弾いてない時のギャップがすごく素敵だと思うけど」
私は彼の方をチラッと見る。
遠くのテーブルで一人で弁当を広げている姿が、夕陽の差し込む窓から柔らかいオレンジの光に包まれている。
心臓が少し速く鳴り、頰が熱くなるのを感じる。
「恋は盲目ってのはこういう事ね」
真奈がからかうように笑う。
彼女の息が近く、ミントガムの爽やかな匂いが混じる。
「恋というよりは憧れに近いところもあるし分からないけどね」
「そういえば惚れたきっかけはなんなの?」
「はぁ、言ってなかったね。陽菜は相変わらず気持ちが先行することあるよね、そこがいい所なのかもしれないけどさぁ。私からすれば急に好きになりましたぁって感じ」
真奈が大げさにため息をつく。
息が私の頰にかかり、温かくて少し湿っている。
褒められているのか貶されているのかわからない。
「急には好きにならないよぉ、一目惚れは間違ってないかもだけど……」
その記憶が今でも鮮明に蘇る。
胸がキュッと締まり、喉の奥が熱くなる。
「へぇぇ、一目惚れなんだ。恋せよ乙女だねぇ」
「もう、揶揄わないでよ。ある動画でね、中学三年生の時かな、私ね、受験には将来の夢がないといけないって考えて、追い込まれて塞ぎ込んじゃったんだ」
「意外!?元気が取り柄の陽菜なのに」
真奈が目を丸くして口を抑える。
驚きの声が少し高くなり、周りの生徒の視線が一瞬こちらに集まる。
「そんなに驚く?まぁ今の私を見たらそうかも、その時に出会ったのがこの動画なの」
スマホをポケットから取り出す。
指先が少し震え、画面が冷たくてひんやりする。
狐の仮面をかぶった少年が歌っている動画を再生。
スピーカーから低く掠れた歌声が漏れ、ギターの弦が擦れる金属音と、息遣いの微かな吐息が混じる。
決して上手いとは言えないのに、心に染み入る温かさ。
動画を見ているだけで、当時のベッドのシーツの湿った感触や、部屋の埃っぽい匂いが蘇る。
「私はこの動画に救われたの。他の動画も見ていくうちに最初は下手だったところも上手くなっていって、手はもうボロボロでも、それでも弾き続けて、なのに自分は、何もしてないのに受験が嫌だってベッドでゴロゴロ過ごす。それがみっともなくてでも頑張ればいいんだ。そう言われた気もして、心のどこかに今の状況を変えたいって自分が居たのかも。それを後押ししてくれた気がしたんだ」
動画をスワイプするたび、指が画面に滑る感触。
狐の仮面の下の汗ばんだ肌、手の豆が赤く腫れたアップの写真。
見ているだけで胸が熱くなり、目頭がじんわりする。
「いい話じゃん、それで今の陽菜があるんだもんね」
真奈がうんうんと頷き、目が少し潤んでいる。
彼女の声が柔らかく、感情がこもっている。
「だから私のヒーロー的な存在かな」
ヒーロー。
この言葉が胸にしっくりくるのに、心の片隅で否定したくなる。
目を逸らすと、食堂の喧騒が遠くに聞こえる。
「なるほどねぇ。でもさ、なんでその人だってわかったの? 普通わかんなくね?」
「後ろに制服かけてあるでしょ。ってことはこの学校の人だって考えて、実際に会ってありがとうって言いたかったんだ。あとはこれかな?ギターケースのキーホルダー、手の豆とかかな」
私は彼の方を指さす。
遠くからでも、手の甲に赤い豆がいくつか見える。
弦を弾き続けた証拠。
見ているだけで指先が疼くような気がする。
「ほんとだ。でもすごいね行動力。少しひいちゃうぐらいにはね」
「なんでよ!?自分の人生の分岐点だよ?歌が好きになったきっかけでもあるしよくない? 確信を得たのは屋上で弾いてるところを偶然見たことだけど……」
異議ありと声を張る。
喉が少し乾き、唾を飲み込むとカレーの残り香が口に残る。
「私からすれば、一歩踏み外せば犯罪だよ?まぁそれが良いか悪いかはどうでもよくて、だから文化祭で歌うの?」
「そうだね、あの人に伝えたいってのもあるし好きなことを文化祭でしたいなってのもあるし。あとは、去年はクラスの出し物で忙しくてできなかったからリベンジってのもあるけどね」
感謝を伝える場として文化祭を使うのは違うかもしれない。
でも、歌で伝える機会はここしかないと思う。
胸が熱くなり、手のひらが汗ばむ。
「いいんじゃない?好きなことやるって一生懸命な所も陽菜のいい所だし」
真奈が私の頭を撫でてくる。
手のひらが温かく、髪を優しく梳く感触が心地いい。
でも高校生の私には恥ずかしくて、頰がカッと熱くなる。
「恥ずかしいよ!もう真奈ったら!」
「あの人と一緒にはしないの?ギター弾けて歌うことができるなら、デュエットとかもありじゃない?」
「そうだけど、あの人一緒に歌うことよりも、まず弾けること自体隠してる感じなんだよね」
幹也先輩のクラスメイトに聞いてみたけど、ギターを弾けること自体知らないらしい。
なので私から聞いた事は内緒にしてもらった。
「なんで?」
「それは分からない。単純に恥ずかしいのかもしれないし、何かあるのかもしれない。まぁ放課後さりげなく聞いてみるよ」
真奈が双眼鏡で覗くような仕草をし、両手を丸めて目を当てる。
彼女の笑い声が小さく響く。
「恥ずかしいだけでしょ多分」
「そうだといいけど……」
もしそうだとしたら、応援演説の堂々とした姿と矛盾している気がする。
でも友達に無理やりやらされたと言っていたから、本当に恥ずかしいだけかもしれない。
「というかぁ、告白はしないの?」
「し、しないよぉ!?まだそんなに話したことないのに」
ギャルという生き物は何故こんなにも思ったことをすぐ、口に出して行動できるのか。
不思議に思う。
でもこれが彼女のいい所だと思う。
私の心臓は槍で突かれたみたいにザクッと音がする。
「この高校に来るぐらい好きなのに?」
「それはお礼を言いたかったから!それだけ!」
頰を膨らます。
顔が赤く染まり、耳まで熱い。
真奈の視線がからかうように刺さる。
「まぁ当たって砕けろの精神よ!」
「なんで振られる前提なの!?」
「冗談よ、冗談。でもまぁ、陽菜を振ったら私が容赦しないけどねぇ」
真奈が指をポキポキ鳴らす。
関節の音が小さく響き、彼女の笑顔が悪戯っぽい。
いい友達だと思いながらも、暴力はダメと心の中で呟く。
カレーの皿が冷めてきて、ルーの表面に膜が張り始め、甘辛い匂いが少し弱まる。
食堂の喧騒の中で、私はスマホを握りしめた。
画面に残る狐の仮面の動画が、まだ心を温かくする。
あの歌声が、耳の奥で反響し、
「これが私の運命を変えたんだ」
と、改めて実感する。




