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十七

 放課後の校舎裏。

 コンクリートの壁に寄りかかっていると、夕陽の長い影が地面に落ちる。

 三人で立っているのに、私の影だけがなんだか小さく見えて、胸がざわつく。

 空は淡い橙に染まり始め、遠くの校庭から部活動の掛け声が風に乗って届く。


 野球部のバットの音、バスケ部のボールのリズム、サッカー部の足音が、低く響いてくる。

 あの音が静かなここに少しの活気を運んでくれるけど、私の心には届かない。

 風が乾いた土の匂いを運び、鼻をくすぐるように埃っぽくて、喉の奥がざらつく。

 スカートが軽く揺れ、冷えた空気が素肌に触れると、腕に鳥肌が立つ。


 足元の雑草が風に揺れて葉の擦れる音が耳に絡み、砂利が靴底に食い込む感触が足に伝わる。

 壁に背を預け、制服の袖を指先でいじくりながら下を向いている。

 髪が風に乱れて、シャンプーの甘い香りが一瞬漂うけど、その下に汗の塩辛い臭いが混じっている。

 唇を軽く噛むと、口の中に血の鉄のような味が広がり、顔が歪む。


 下腹部の鈍い痛みが波のように襲ってきて、腰を少し曲げてしまう。

 息を浅く吐き、地面の小さな石に視線を固定する。

 石が夕陽に照らされてきらめき、目がちかちかする。

 心臓の鼓動が速く、胸の奥で息苦しさが募る。


 風が頰を撫で、冷たい指先みたいに肌を刺すと、涙の予感が湧いてくる。



「……みんなに……話したくないの。迷惑かけたくない。真奈ちゃんは泣いちゃうし、明くんは心配しすぎて、自分のこと蔑ろにしてまで幹也くんと私のことを助けようとするでしょ……。私、一人で大丈夫だから。みんなの日常を壊したくないの。私のせいで、みんなの笑顔が曇るの、見たくない……。毎日の学校生活、みんなと笑って過ごす時間が、私の宝物なのに。それを、病気の影で汚したくないの。治療の話なんかしたら、みんなの目が私を『患者』みたいに見ちゃうんじゃないかって、怖くて……。ステージ4の現実を、みんなに背負わせたくないよ。妊孕性が失われるかもって、未来の夢が潰える痛みを、一人で抱えていたい……」



 声は小さく、風に溶け込むように震えている。

 喉が乾いて、言葉の端が掠れる。

 瞳の奥に孤独の影が揺らめき、涙の膜が薄く張っている。

 胸の奥で



「なんでなの?」



 という叫びが渦巻き、息苦しさが募る。


 治療の告知を受けた日のショックが蘇り、部屋の消毒薬の匂い、医師の冷たい声、告知書のざらついた感触がフラッシュバックのように体を襲う。

 未来の喪失という言葉が心に棘のように刺さり、先が暗いことが恐怖を煽る。

 指先が冷たく、壁の粗い感触が掌に痛く食い込み、地面の冷えが足の裏からじわじわ体に染み込んでくる。


 遠くの校鐘の余韻が低く振動するように耳に残り、時間の流れを強調する。

 体全体が重く、息を吸うたび肺に土の埃が入り込むような息苦しさが募る。


 純也くんは壁から少し離れて、態度が悪いような姿勢で腕を組み、鼻を鳴らす。

 指の関節がぱきっと鳴る音が静かな空気に響く。

 革靴が地面を軽く蹴り、土埃が舞い上がる。

 鼻を突く。


 純也くんの目は鋭く、私を捉え、夕陽がその瞳に赤く反射して熱く燃えるように見える。



「……おい、陽菜。迷惑かけたくないってよ。だからって、真奈や明に隠したままにするのか? それじゃあ、もっと迷惑かけてんじゃねぇか。お前が一人で抱え込んで、急に悪化したりしたらよ? みんなが後悔すんだぞ。俺たちだって、知らねぇまま見てる方がよっぽど辛ぇ。隠すってのは、俺たちを信じてねぇってことだろ? お前は強いけどよ、一人で限界あんだよ。俺が昔、家庭のゴタゴタでグレてた時も、隠してたせいで幹也と絶交しちまった。あの時の後悔、味わいたくねぇよ。俺の家庭の臭い、血の味、全部隠してたせいで、失ったもんが多すぎんだ。お前も同じ道歩くなよ。みんなで支え合えば、ステージ4だって乗り越えられる。身体のことも、未来のことも、一人で背負うんじゃねぇ。俺たちがいるんだよ」



 純也くんの声は荒っぽいけど、底に温かさが滲んでいる。

 風が髪を乱し、汗の匂いが混じった体臭が微かに漂う。

 純也くんの言葉が胸に刺さり、昔の自分の影が重なるような気がする。

 私は顔を上げ、純也くんの目をまっすぐ見つめる。


 瞳に夕陽の光が反射し、涙が一筋頰を伝う。

 冷たい軌跡が肌を刺し、塩辛い味が唇に触れる。



「……純也くん、わかってる。でも、怖いの。みんなに知られたら、私の目を見るのが変わっちゃうんじゃないかって。『可哀想』って思われて、普通に話せなくなるんじゃないかって。ステージ4だって言ったら、みんなの心に重い石を置くみたいで……。私、みんなを励ましたいのに、自分がみんなの負担になるなんて、嫌だよ。みんなの記憶に、元気な私を残したい。子宮頸がんって言葉、言っただけで重くなるでしょ? みんなの毎日に、そんな影を落としたくない……。でも、君たちの目を見てるだけで、心が揺らぐよ。信じてるよ、みんなのこと。でも、怖くて、言葉が出ないの……。もし話したら、みんなの反応が怖いよ。拒絶されたらどうしようって、胸が痛むの。でも、君たちの声が、温かくて……少し、勇気が出るかも。純也くんの過去の話、幹也くんの光って言葉、それらが私の心の壁を溶かしてるよ。……本当に、一人で抱えきれないのかも」



 声が途切れ、三人の間に沈黙が訪れる。

 風が強く吹き、葉のざわめきが耳を満たす。

 胸で葛藤が渦を巻く。

 孤独の誘惑と、絆の温もり。


 純也くんの荒い息遣い、幹也くんの掌の熱さが肌を通じて伝わり、心のバランスを崩す。

 涙が頰を伝い、塩辛い味が唇に染みる。

 夕陽の光が柔らかく私を包み、決意の瞬間を照らす。

 ゆっくり息を吸い、喉の乾きを飲み込み、顔を上げる。


 瞳に決意の光が宿り、声が少し強く響く。



「……わかった。話すよ。みんなに。純也くん、幹也くん、ありがとう。私の闇を、照らしてくれて……。この夕陽みたいに、みんなの温もりが、心を溶かしてくれるよ。一緒に、河川敷に行こう。みんなを待たせてるよね。明くんと真奈ちゃんに、ちゃんと打ち明ける。ステージ4の現実、妊孕性の喪失、全部話して、みんなの力を借りるよ。怖いけど、君たちがいるから、決意できるの」



 純也くんが鼻を掻き、軽く肩を叩く感触が伝わる。

 三人の息が混じり、風の冷たさが肌を刺す中、私はゆっくり頷く。

 口の中に広がる涙の塩味が決意を固める。

 校舎の影が長く伸び、冷えた空気が体を包む。


 葛藤が少しずつ溶けていくのが、息の深さから感じ取れる。

 純也くんの荒い息、幹也くんの温かい手、それらが私の闇を照らし始める。

 河川敷への道が夕陽に照らされて続く中、私たちはゆっくり歩き出す。

 足音が砂利を踏む音が響き、風が葉を散らし、予感めいた冷たさを運ぶけど、この瞬間、絆の温もりが勝っている。


 夕陽の最後の光が私たちの背中を優しく包み、明日の不安を少しだけ遠ざける。

 心に決意の火が灯り、明くんと真奈ちゃんへの打ち明けを固く誓う。








 私はベンチに座り、沈みゆく夕陽をじっと見つめている。

 空が橙から深い紫に変わっていく様子が、水面にゆらゆらと映り、まるで私の心の中の揺らぎみたい。

 冷たい風が頰を刺すように吹き抜け、制服のスカートが軽くめくれそうになる。

 足元に落ちた枯れ葉が風に舞い、私の靴に絡みつく感触が現実を思い出させる。


 みんなが隣に並んでいる。

 明くんは少し離れて腕を組み、真奈ちゃんは私の隣に座って心配げに私の顔を覗き込んでいる。

 幹也くんは私の前に立ち、純也くんはベンチの端に腰掛けて、みんなの視線が私に集まる。

 河川敷の草が風にざわめき、水面の波紋が夕陽を砕いてきらめく。


 心臓の鼓動が耳に響き、喉が乾いて言葉が詰まる。

 下腹部の痛みがまた波のように来て、腰を軽く押さえる。

 息を深く吸い、みんなの顔を見回す。

 真奈ちゃんの優しい目、明くんのクールだけど心配そうな視線、純也くんの荒いけど温かい表情、幹也くんの支えてくれる手。


 涙がにじみ、声が震える。



「……みんな、ごめんね。急に集まってもらって……。実は、私……大事な話があるの」



 真奈ちゃんが私の手を握り、



「陽菜、どうしたの? 顔色悪いよ……何かあった?」



 と小声で尋ねる。

 明くんが少し身を乗り出し、純也くんが鼻を鳴らして視線を鋭くする。

 幹也くんは私の隣に座り、肩に手を置く。

 その温もりが、勇気をくれる。


 息を吸い、言葉を絞り出す。



「私……子宮頸がんなの。ステージ4で……膀胱と腸に浸潤してて、遠隔転移の可能性もあるって。治療は化学療法と放射線で……でも、妊孕性は……失うかもって言われた。子供を産めなくなるかもしれないの……」



 言葉が部屋に落ち、沈黙が広がる。

 風の音だけが耳に響き、水面の波紋が広がるように、みんなの表情が凍りつく。

 真奈ちゃんの目から涙が溢れ、手を強く握り返す。



「陽菜……うそ……なんで……」



 声が震え、嗚咽が漏れる。

 明くんが目を伏せ、拳を握りしめる。

 純也くんが立ち上がり、悔しげに地面を蹴る。

 土埃が舞い、鼻を突く。

 幹也くんが私の肩を抱き、声を低くする。



「陽菜……なんで一人で……俺たちに、早く言ってくれれば……」



 みんなの反応が、胸を締めつける。

 怖かったことが、現実になる。

 でも、拒絶じゃなく、温もりだけが伝わってくる。


 涙が止まらず、声が震える。



「ごめんね……みんなに負担かけたくなくて……一人で抱え込んでた。でも、もう限界で……みんなに、助けてほしいの……」



 真奈ちゃんが私を抱きしめ、涙を流しながら



「陽菜のバカ……一人で抱え込まないでよ! 私たち、家族みたいなもんだよ! 絶対一緒に闘うから……!」



 と叫ぶ。

 明くんが静かに近づき、私の頭を優しく撫でる。



「陽菜……よく話してくれた。俺たちで、治療のこと調べるよ。絶対に、諦めない」



 純也くんが拳を握り、声を荒げて



「陽菜……お前、強ぇよ。でも、一人じゃねぇんだよ。俺たちで、ぶっ潰してやるよ、この病気を」



 幹也くんが私の手を強く握り、



「陽菜……愛してる。一緒に、乗り越えよう。俺が、ずっとそばにいる」



 みんなの言葉が、風に混じって心に染み込む。

 涙が止まらず、でも胸の奥が温かくなる。

 孤独の影が、少しずつ溶けていく。


 夕陽が完全に沈み、夜の帳が下りる。

 河川敷の空気に、みんなの息遣いが混じり、絆の温もりが体を包む。

 私はみんなに囲まれ、初めて本当の支えを感じる。

 怖かった闇が、みんなの光で照らされる。


 この瞬間、未来が少しだけ明るく見えた。

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