プロローグ
陽菜の葬式は、春の夕暮れに静かに執り行われた。
参列者たちは黒い服に身を包み、控えめな声で故人を偲ぶ言葉を交わしていた。
風が墓地の桜の木々を揺らし、舞い落ちる花びらの柔らかな音が地面を優しく撫でる中、遠くから聞こえる小鳥のさえずりが、まるで追悼の歌のように響いていた。
俺――佐藤幹也は、式場の外れにあるベンチに座り、ギターを爪弾いていた。
弦の振動が指先に伝わり、静かなメロディーが風に溶けていく。
金属の弦が皮膚を軽く切り込むような痛みが、俺の心の麻痺を呼び覚ます。
夕陽が沈み始め、夜空に星が一つ、特別に明るく輝いていた。
一等星。
あの星達を見上げるたび、胸が締めつけられる。
空気の穏やかな温かさが肺に染み込み、息を吸うたび、桜の甘い香りが喉に絡む。
人間には誰にだって、明日が来るはずだ。
約束されるべきものだと、誰もが無意識に信じている。
おっちょこちょいだけど、いつも星のように明るくて元気が取り柄だった陽菜も、そう思っていたに違いない。
「ああ、明日、一緒に桜を見に行こうよ!」
彼女が笑いながら言った言葉が、耳元で反響する。
あの時の彼女の声は、風鈴のように軽やかで、俺の心を優しく揺らしたのに。
明日が来ないなんて、想像すらしなかっただろう。
人間は、考えているよりもずっと脆い。
現実に突きつけられる。
墓石の冷たい石肌に触れた時のような、永遠の別れの重みが、俺の肩にのしかかる。
陽菜の笑顔が、脳裏に浮かぶ。
彼女の細い指がギターを触る姿。
透き通る歌声が、耳に残る。
出会ったあの日から、すべてが変わった。
中学時代の純也との絶交以来、俺は誰にも心を開かなかった。
心臓が石のように固く、重く、息をするのも億劫だった。
ギターだけが、唯一の逃げ場だったのに、陽菜はそれを溶かした。
文化祭の準備、歌詞を一緒に作った夜、互いの秘密を共有した時間。
あの温もりが、今も体に残っている。
彼女の指が俺の手に触れた時の柔らかさ、シャンプーの甘い香りが混じった息遣い、すべてが鮮やかに蘇る。
でも、今、陽菜はいない。
彼女の影が、遠くに感じられる。
痛みや孤独を隠して、いつも明るく振る舞っていた陽菜。
「私、みんなを励ましたいんだよ!」
彼女が言った時、瞳に宿る強がりが、俺を揺さぶった。
あの言葉の裏に、どんな想いが隠れていたのか。
彼女の声が、風に運ばれて消えていくように、今はもう聞こえない。
俺にはまだ、君と行きたい場所がたくさんあった。
話したいことが山ほどあった。
一緒に酒を飲んで、くだらないことで笑い合いたかった。
もう一度、君に触れたかった。
彼女の唇の柔らかさ、息を合わせた時の鼓動の同期、そんな瞬間をもう味わえないなんて、胸が裂けそうだ。
なのに、もう何もかもが叶わなくなってしまった。
それでも生きている俺には、明日が来る。
「君の分まで頑張る」
とか
「背負っていく」
なんて、ちょっとカッコつけすぎで自惚れているのかもしれない。
だって俺にだって、いつまで明日が続くかなんて分からないのだから。
風が墓地の花びらを散らし、俺の心をさらに散らばらせる。
ギターの音が、止まる。
胸に込み上げる喪失感。
なぜこんなに苦しい?
陽菜の声が、幻のように聞こえる。
「幹也くん……好きだよ」。
その言葉が、耳の奥で永遠に反響する。
ただ、君は本当に好きなことのために生きていた。
その姿を間近で見て、俺はそれがどれだけ尊いかを初めて知った。
だから俺も、好きなことをして、胸を張れる人生にしたい。
彼女の生き様が、俺の背中を押すように感じる。
いつか君に会えたなら、自慢げにこう言いたい。
「俺、やり切ったよ。羨ましいだろ?」
そして、こう付け加える。
「俺は君がずっと、これまでも、これからも、好きだ。ありがとう」
俺は空を見上げる。
一等星が、静かに瞬く。
“一等星”みたいに、眩しくて暖かくて、俺を導いてくれた彼女に対して、感謝と愛情以外の言葉なんて浮かばない。
星の光が、俺の瞳に刺さるように鋭く、でも優しく。
今でも、この言葉が一番だと思っている。
好きだった。
学んだ。
忘れない。
それが、俺の全部だ。
陽菜の光を胸に、俺は歩き出す。
たとえ、どんな影が待っていても。
足元に落ちた花びらが、俺の足音に舞い上がり、優しい音を立てる。




