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市役所の「異界対策課」は、本日も定時退庁を希望します。 〜ドラゴンが住民票を求めて窓口に来ていますが、書類不備ですのでお帰りください〜

作者: おーあい

 

市役所の窓口において、午後四時五十五分という時刻は「魔の時間帯」と呼ばれる。

 定時退庁まであと五分。パソコンの電源を落とし、机の上の書類を片付け、心の中で「お疲れ様でした(フライング)」を唱え始める、聖なるアイドリング・タイム。

 そんな時に駆け込みでやってくる市民ほど、罪深い存在はこの世にいない。


 ましてや、それが「人間以外」であれば尚更だ。


「グルルルル……! 人間どもよ、ひれ伏せ! 我は古の封印より目覚めし赤竜、イグニール! この庁舎を我が新たな巣とすることを宣言する!」


 ギュイィィン、と悲鳴を上げる自動ドアを無理やりこじ開け(センサーが反応しなかったらしい)、巨体を揺らしてロビーに入ってきたのは、全長三メートルほどのレッドドラゴンだった。

 ルビーのように赤い鱗、天井を擦る角、そして口からは絶えず煙を吐いている。どう見てもファンタジー映画ならラスボス級の風格だ。


 だが、ここは異世界ではない。

 異界と地球がゲートで繋がって早三十年。魔物や亜人の来訪が日常茶飯事となった、日本の地方都市である。


「うわ、またかよ」

「ちょっと、尻尾が邪魔なんだけど」

「ママ見てー、トカゲー」


 ロビーにいた一般市民たちは、悲鳴を上げるどころか、露骨に嫌そうな顔をして遠巻きにするだけだった。慣れとは恐ろしいものである。

 そして、その対応を押し付けられるのが、我々窓口職員の宿命だ。


「……はぁ」


 私は深いため息をつき、愛用の腕時計(セイコーの安物)を睨みつけた。あと三分で定時だったのに。

 私はカウンターに置かれた『窓口休止中』の札を、恨めしげに裏返した。


「はい、いらっしゃいませー。整理券番号42番のお客様ー。一番窓口へどうぞー」


 私は営業用スマイル、通称「公務員バリヤー」を展開し、手招きをした。


「ぬ? 貴様、我を恐れぬのか?」


 ドラゴンが怪訝そうに首を傾げる。

 長い首がカウンターのアクリル板を越え、私の目の前まで迫った。鼻息と共に、強烈な硫黄の臭いが漂ってくる。温泉地かここは。


「恐れるも何も、今月でドラゴンのお客様は三件目ですので。マニュアル通り対応させていただきます」


 私は淡々と答え、パソコンのキーボードを叩いた。


「それで、ご用件は『庁舎の占拠』……行政用語で言いますと『行政財産の目的外使用』ということでよろしいですか?」


「せ、占有? まあ、そうだ。我はこの堅牢な城(※市役所)を支配し、人間どもから貢物を巻き上げ、恐怖の圧政を……」


「はい、ストップ。貢物については『贈与税』および『雑所得』の対象になりますので、まずは税務署に行ってください。うちは場所の貸し出しだけです」


 私は引き出しからA4の書類を取り出し、ドラゴンの鼻先に突きつけた。


「まずこちら、『行政財産使用許可申請書』です。太枠の中に、お名前、住所、連絡先、それから使用目的を具体的に記入してください。あ、『世界征服の拠点』とか書くと『公序良俗に反する』として審査で落ちますので、『一時的な休息所』とか書いておくのが無難ですよ」


「な、なに……?」


 ドラゴンの爬虫類特有の縦長の瞳が、丸く見開かれている。

 無理もない。三〇〇年の眠りから覚めたら、人間社会が高度な法治国家になっていたのだから。


「き、貴様、我に紙切れ一枚で指図する気か! 我は破壊の化身ぞ! 我のブレスでこの程度の建物、灰にすることなど容易いのだぞ!」


 ドラゴンが大きく息を吸い込んだ。

 喉の奥で紅蓮の炎が渦巻く。室温が一気に上昇し、火災報知器が作動する一歩手前だ。

 私はすかさず、別のラミネート加工された紙を提示した。


「お客様! 庁舎内は『全面禁煙』および『火気厳禁』です! 消防法第3条に基づき、ブレスを吐いた時点でスプリンクラーが作動、さらに危険物取扱法違反および放火未遂で現行犯逮捕となりますが、よろしいですか!?」


「えっ、た、逮捕?」


「ええ。あと、ブレスで壁を焦がしたら『器物損壊』で修繕費を請求します。今の相場だと、耐火壁の張り替えで……ざっと金貨五〇〇枚ってところですね」


「ご、ごひゃく……!?」


 ドラゴンの顔が引きつった。

 野生のドラゴンに貯金などあるはずがない。彼らにとって一番怖いのは、勇者でも聖剣でもなく、「損害賠償請求書」なのだ。

 現代において、力なき正義は無力だが、金なき暴力もまた無力なのである。


「……わ、わかった。吐かん。吐けばいいのだろう」


 ドラゴンはシュンと萎縮し、口を閉じた。

 よし、制圧完了。

 私は百円ショップで買ったボールペンを差し出した。


「では、ここに記入を。あ、筆記用具はお持ちですか?」

「……鋭い爪ならあるが」

「爪で紙を破いたら再提出になりますよ。貸しますから、爪を引っ込めて器用に書いてください」


 ドラゴンは震える前足でボールペンを握りしめ、プルプルと震えながらミミズの這うような字を書き始めた。

 その姿は、初めて確定申告に来た個人事業主のように哀愁漂うものだった。


 ドラゴンが「住所:北の洞窟(未登記)」と記入し終えた頃だった。

 自動ドアが再び開き、今度はけたたましい足音がロビーに響き渡った。


「見つけたぞ、邪竜イグニール! 今日こそ貴様を討ち滅ぼし、世界に平和をもたらしてやる!」


 現れたのは、金髪の青い目をした青年だった。

 全身を煌びやかなミスリルの鎧で固め、背中には身の丈ほどもある大剣を背負っている。

 いわゆる「勇者」だ。この世界では、魔物退治を生業とするフリーランスの冒険者をそう呼ぶ。


「げっ、勇者……!」

 ドラゴンがビクリと肩を震わせ、私の背後(カウンターの中)に隠れようとする。図体はデカいくせに。


 私はこめかみを指で揉んだ。

 定時を過ぎて五分。残業確定フラグが建築されつつある。


「そこな魔物! 神妙にしろ! 我が聖剣エクスカリバーの錆にしてくれるわ!」


 勇者がロビーの真ん中で大剣を抜き放った。

 周囲の市民が「キャー」と棒読みの悲鳴を上げて避難する。

 私はカウンターから身を乗り出し、ドスの効いた声で叫んだ。


「おいコラ43番! 整理券を取れ整理券を!」


「は?」


 勇者がポカンと口を開けた。


「ここは市役所だ! ダンジョンじゃない! 順番抜かしは許さんぞ。用があるなら整理券を取って大人しく座ってろ!」


「い、いや、俺は手続きに来たんじゃない! そこのドラゴンを討伐しに……」


「討伐だろうが陳情だろうが、順番は守れ。それが市民のルールだ」


 私の剣幕に押され、勇者はすごすごと発券機に向かい、紙切れを取って戻ってきた。


「はい、43番の方ー。窓口へどうぞー」


 私は事務的に呼びつけた。

 勇者は大剣を引きずりながら、ドラゴンの隣の席に座った。

 ドラゴンと勇者が、市役所の窓口で肩を並べて座る。シュールすぎる光景だが、異界対策課ではよくあることだ。


「で、ご用件は『害獣駆除』ですか? それとも『騒音トラブル』?」


「ち、違う! 正義の執行だ! 俺は選ばれし勇者、アレン・ブレイブ! この邪竜は三〇〇年前、村を焼き払った大罪人だぞ!」


「三〇〇年前……。時効ですね」


「はあ!? 時効!?」


「刑事訴訟法における公訴時効は、殺人罪などを除き一定期間で成立します。まあ、三〇〇年前となると当時の王朝も滅んでますし、現行法で裁くのは難しいですねぇ」


「そんな馬鹿な! 罪は罪だろ!」


 勇者がバンとカウンターを叩く。

 私は冷静に、彼が背負っている大剣を指差した。


「それよりアレンさん。その剣、登録証はお持ちですか?」


「……へ?」


「銃刀法違反ですよ。刃渡り六センチを超える刃物の携帯は、正当な理由がない限り禁止されています」


「せ、正当な理由ならある! 魔物退治だ!」


「ここは市街地です。市役所の中に魔物はいません(あ、イグニールさんは今『申請者』なのでノーカンです)。公共の場で凶器を振り回すのは、立派な犯罪ですよ」


「ぐぬぬ……! し、しかし、俺は勇者ギルドの認定証を持って……」


「ギルドはただの任意団体でしょう? 国家資格じゃありません。あ、ちなみに住所は?」


「……世界中を旅しているから、不定だが」


「住所不定、無職、凶器所持。……あーあ、警察呼びます?」


 私が受話器に手を伸ばすと、勇者の顔色が蒼白になった。

 現代日本において、「住所不定無職」の肩書きは、どんな呪いよりも重いデバフとなる。


「ま、待ってくれ! 俺はただ、世界を救いたくて……!」


「世界を救う前に、自分の社会的信用を救ってください。まずはハローワークに行って定職に就くこと。話はそれからです」


 勇者が項垂れる横で、ドラゴンが「カッカッカ!」と高笑いした。


「見たか小僧! 今の人間社会は、貴様のような暴力装置を必要としておらんのだ! ここは法と秩序の城! 書類こそが最強の剣なのだ!」


 ドラゴンはすっかりこちらの味方気取りである。

 私は冷ややかな視線をドラゴンに戻した。


「イグニールさん、笑ってる場合じゃないですよ。書類の確認が終わりました」


「うむ。これで我が、この城の主となるのだな?」


「いえ。お帰りください」


「なに!?」


 私はボールペンの先で、書類の不備を指摘した。


「まず、印鑑が押してありません。拇印でもいいですけど、朱肉で指が汚れますよ?」

「ぬぐぐ……」

「次に、住所。洞窟にお住まいとのことですが、固定資産税は払ってますか?」


「こ、こていしさんぜい……?」


 その単語を聞いた瞬間、ドラゴンの顔色がドス黒く変色した。

 どこの世界の生き物でも、税の取り立てほど恐ろしいものはないらしい。


「300年お住まいなら、延滞税も含めて莫大な金額になりますね。あと、洞窟に財宝を溜め込んでいるという噂ですが、それらも『埋蔵文化財』か『一時所得』として申告が必要です」


「ざ、財宝は我が血と汗の結晶……!」


「脱税ですね。わかりました、国税局の『査察部』に通報しておきます。あそこの取り立ては、勇者パーティよりもしつこいですよ? 地の果てまで追いかけてきます」


「ひぃっ!!」


 ドラゴンが悲鳴を上げた。

 国税局。その名は、異界の魔王軍でさえ「黒い服の死神」と恐れる最強の組織だ。


「も、もうよい! こんな狭苦しい人間の巣など、くれてやるわ! 我は山へ帰る!」


 ドラゴンは脱兎のごとく(ドラゴンだが)踵を返し、自動ドアをこじ開けて外へと逃げ出した。

 捨て台詞の割には、非常に逃げ腰な背中だった。


「あ、逃げた! 待て邪竜!」


 勇者も慌てて立ち上がる。

 私はその背中に声をかけた。


「アレンさん! ロビーで剣を抜いた件、始末書書いてもらいますからね! あとで出頭してください!」


「くそっ、今の世の中は世知辛すぎる!」


 勇者は涙目で叫び、ドラゴンの後を追って走り去っていった。

 やれやれ、どっちもどっちだ。


「ありがとうございましたー。出口はあちらでーす。自動ドアは修理費請求しておきまーす」


 私は手を振り、遠ざかる二つの背中を見送った。


 ロビーに静寂が戻る。

 私はふう、と大きく息を吐き、ネクタイを緩めた。


「佐々木係長、さすがです! ドラゴンと勇者を同時に撃退するなんて!」


 後ろのデスクの下で震えていた新人の田中くんが、目を輝かせて這い出してきた。


「撃退じゃないよ、田中くん。これは『窓口対応』だ」


 私は壁の時計を見た。

 午後五時二十分。

 二十分の残業だ。ドラゴンと勇者を相手にしてこれなら、まあ軽傷と言えるだろう。


「いいか、覚えておけ。どんなに強大な魔物でも、どんなに偉大な勇者でも、この国においては等しく『一市民』に過ぎない。ルールを守れない奴には、行政の鉄槌(却下)を下すのみだ」


「か、かっこいいっす……! 僕もいつか、係長みたいにデュラハンの首を『本人確認ができない』って理由で送り返せるようになります!」


「うん、頑張ってくれたまえ。じゃ、お先に」


 私はカバンを手に取り、タイムカードを切った。

 庁舎の外に出ると、夕焼け空に、先ほどのドラゴンと、それを追いかける勇者の豆粒のような影が見えた。

 彼らの戦いはこれからも続くだろう。だが、私の管轄外だ。


「……ビールが美味そうだ」


 明日は、ケルベロスが「狂犬病予防注射」の集団接種会場で暴れる予定だとか、グリフォンが「飛行禁止空域違反」で出頭してくるとか、面倒な予定が山積みだ。

 英気を養わねばならない。


 私は赤提灯の暖簾をくぐり、異界よりもカオスで、しかし心地よい「サラリーマンの聖域(居酒屋)」へと消えていった。

 本日も、日本の平和は書類とハンコによって守られたのである。



読んでいただきありがとうございます。


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