第1話:没入の誘い
「国木なぎささん、こちらへどうぞ」
受付の女性に案内され、私は施設の中に足を踏み入れた。施設は想像以上に豪華だった。ガラス張りの近代的な建物は、まるで高級リゾートホテルのようだ。
「すごい...」
思わず呟くと、隣にいた若い女性が同意するように頷いた。
「本当ですね。私、桜井美咲です。よろしくお願いします」
「国木なぎさです。よろしく」
軽く会釈を交わす。周りを見回すと、参加者たちが続々と集まってきていた。年齢層はバラバラだ。二十代から五十代まで、男女比もほぼ半々。全部で五十人ほどだろうか。
「皆さん、お集まりいただきありがとうございます」
白衣を着た研究員が、ステージに上がった。四十代ぐらいの男性で、穏やかな笑みを浮かべている。
「私は研究主任の高橋と申します。この度は、我々の実験にご参加いただき、誠にありがとうございます」
高橋と名乗った研究員は、プロジェクターを操作しながら説明を始めた。
「今回の実験は、最新の痛覚フィードバックシステムを搭載した、没入型ホラーゲームの体験です。このシステムは、脳波と触覚を直接リンクさせる技術を用いており、ゲーム内で受けたダメージを、実際の痛みの十分の一程度に変換します」
スクリーンに、システムの図解が映し出される。
「安全性については十分に検証済みです。痛みは軽度で、実際の怪我をすることはありません。また、いつでも中断することが可能です」
説明が終わると、私たちは各自の部屋に案内された。
部屋は驚くほど快適だった。ホテルのスイートルームのような広さで、ベッド、デスク、ソファ、そして大型テレビまで完備されている。
「これで三日間か...悪くないな」
荷物を置いて、ベッドに腰掛ける。デスクの上には、タブレットとスケジュールが置かれていた。三日間で合計五回のセッションがあるらしい。
オリエンテーションの時間まで少しあったので、施設内を軽く見て回ることにした。食堂、ラウンジ、図書室、そして大浴場。本当にリゾート施設のような充実ぶりだ。
「いいところだよな」
声をかけられて振り返ると、三十代ぐらいの男性が立っていた。眼鏡をかけた、理知的な雰囲気の人だ。
「あ、はい。思っていたよりずっと快適で」
「俺は佐藤。エンジニアやってる」
「国木です。同じくIT関係で」
「おお、同業か。じゃあ、技術的な話も分かるかな。このシステム、かなり興味深いんだよ」
佐藤さんは目を輝かせて言った。
「脳波と触覚のリンクって、理論的には可能だけど、実用化されてるなんて聞いたことない」
話しているうちに、オリエンテーションの時間が近づいてきた。
オリエンテーションルームには、すでに大半の参加者が集まっていた。前方のテーブルには、見慣れないデバイスが並べられている。
VRヘッドセットよりも薄型で、まるでサングラスのような形状だ。
「皆さん、これが今回使用するデバイスです」
高橋研究員が、デバイスを手に取って説明を始めた。実演を見せながら、研究員がデバイスを装着する。
「それでは、まず動作確認を行います。デバイスを装着してください」
指示に従い、デバイスを装着する。こめかみの部分に、ひんやりとした感触。そして――
視界が変わった。
目の前には、シンプルな白い部屋が広がっている。しかし、これは現実ではない。完全に仮想空間だ。
「すごい...」
没入感が、これまで体験したどんなVRよりも圧倒的だ。視界に違和感がまったくない。まるで本当にそこにいるかのようだ。
触覚テスト、痛覚テストと続き、デバイスを外す。参加者たちは、興奮した様子で話し合っている。
休憩を挟んで、第一回の実験セッションに移った。
デバイスを装着すると、私は薄暗い廊下に立っていた。
廃墟と化した病院。壁は剥がれ落ち、床には瓦礫が散乱している。遠くから、不気味な機械音が聞こえてくる。
心臓が激しく鼓動する。これは、本物の恐怖だ。
角を曲がった瞬間、何かが襲いかかってきた。咄嗟に腕を上げて防御する。鋭い爪が腕をかすめ――痛い。
本当に、痛かった。
ゲームオーバーの文字が表示され、視界が元に戻る。デバイスを外すと、他の参加者たちも同じように驚きの表情を浮かべていた。
しかし、その夜。
大浴場で身体を洗っているとき、私は気づいた。腕に、赤い線が走っている。ミミズ腫れだ。ゲームの中で爪に引っかかれた、まさにその場所に。
気のせいだろうか。
不安が、じわじわと心に広がっていった。




