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そしてその日の週末。
私たちはイスラフィールの街に来ていた。
「この街はにぎやかだな……」
「そうですね、アンドラスは来たことがないのですか?」
「ああ……。幼少期から、王宮から出してもらえたことはなかったからな。こうやって外の世界を見れるのは、嬉しいよ」
私たちの住む村の隣にあるあまり大きくはない街だが、それでも旅芸人やカフェ、劇場といった娯楽は比べ物にならないほど充実している。
近くの広場では奇術師が鳩を出しており、それを見たアンドラスは感嘆の声を上げていた。
「む……あれは……すごいな、転移魔法じゃないのか?」
「ええ。手品と言って、魔法を使わずに超常現象を見せる技術ですよ」
「へえ……。こんな世界があったことは……知らなかったな」
そういわれて、私は胸がチクリと痛んだ。
アンドラスのことを独り占めしたい……というより、休日は家で二人で過ごしたいという私のエゴのため、外に連れ出してやれなかったのだから。
「だったら、これからあちこち行きましょう。アンドラスの行きたいところ、色々教えてください」
「いいのか?」
「勿論です」
……やはり、サロメのことが頭から離れない。
正直、彼女は相貌だけはクラス内の誰よりも優れている。加えて、あの歌声の美しさだ。嫌いな相手でも聞きほれてしまうほどのあの声を聴いて、焦らないわけがない。
(やっぱり、また催眠をかけなきゃ……)
だからこそ、王子のことは念入りに洗脳しておかないと。
そう思った私はまた催眠アプリを取り出した。
『これからも、アンドラスと二人だけの思い出を一緒に作りたいと思いますので、アンドラスも協力してください』
「……分かった、勿論だ」
これでよし。
……催眠が切れるのがいつになるのかはわからないが、それでも気休めにはなる。
そう思いながら私達は目的地である学校に向かった。
ーーーーーーーーーー
私たちが来たのは、私立のナハス学校に来ていた。
ここはあまり大きな学校ではないが、声楽科があるこの辺では少し珍しい特徴がある。
「お久しぶりです、学長殿」
私はアンドラス王子を利用して、ここの学長にアポイントを取り付けた。
彼は年齢は70代程だろうか。長いひげを蓄えて、そして厳格ではあるがいかにも若者が好きなタイプに感じられる。
「ふむ……懐かしいな、アンドラス殿。元気にしておったか?」
「ええ。学長とお会いするのは7年ぶりですね」
「はっは! もうそんなになるか。そなたほど聡明で私の話を理解できるものなど、いなかったのをよく覚えておるよ。うちの学生にも見習わせたいほどにな」
アンドラスは幼少期から優秀だったのだな。オルニアス王子が疎むわけだ。
だが、相変わらず王子は少し恐縮するように恥ずかしそうに縮こまる。まったく、もっと自信を持ってほしいものだ。
「いえ、そんな私なんて……」
「まったく、気弱なところは変わらずだな……。オルニアス殿が生まれてから、会わせてもらえなくなったが、ずっと心配しておったのだぞ?」
「……そうだったんですね……」
アンドラス王子のことを疎んでいたのはオルニアス第二王子だけではない。当然だが、正妃も聡明な彼を疎ましく思っており、彼を権力者に合わせることを酷く嫌っていた。
まあ、高々中堅の私立学校の学長ごときに合わせないのは、了見が狭いとは思うが。
「それにしても……君は確か風の噂では、王宮を脱走したと話を聴いていたが……」
あれ、そんな話になっているのか。
実際には私が彼を洗脳して誘拐したのだ。……無論、彼は今催眠をかけて私の婚約者だと思い込んでいることは、誰も知らないのだろうが。
「はい……。故合って、私は今彼女と共に暮らしています」
「そうか。……まあ、大体理由はつくがの……」
そう、学長は少し同情するような表情を見せた。
まあオルニアス第二王子の横暴っぷりは目に余るものがあったのは誰もが知っているところだ。だからこそ、深く聞こうとはしないのだろう。
「それで、今日はどのようなようかのう?」
「はい。……実は……御校に特待生として推薦したい生徒がいるんです」
そう王子は頭を下げた。
この学校はさほど偏差値は高くないが、優秀な生徒に対して※奨学金を出す特待生精度がある。
学長とアンドラスが知り合いというだけでなく、それもまたこの学校に来た理由だ。
……この学校に彼女を転校させてしまえば、もうテレーズたちはいじめに悩まなくて済むはずだ。
「ほう?」
「名はサロメといいます。……下級貴族の三女なのですが……学長殿はご存じですか?」
「いや……。済まぬが、聞いたことはないのう……」
まあ、それは当然だろう。
彼女の家は学費もまともに払えないような弱小貴族だ。
「これが彼女の肖像画です」
「ふむ……確かに美しいが……」
この肖像画は、理由を説明してゼパル君に描いてもらった。
ミリアムに頼んでもよかったが、写実的な絵は彼のほうが得意だからだ。その整った容姿の少女を見ながら学長は少し驚いた表情を見せた。
「だが……肖像画などいくらでも美化できる。それに、歌のほうはどうなのだ?」
「はい。……天使の歌のような声です。恐らくですが、この街の声楽家にも劣らないでしょう」
「ふむ……」
そういうと、学長は少し悩むような表情を見せた。
……やっぱり、ダメか。だが、私には強い味方がある。
「学長、私からもお願いします」
「君は……」
「ミーナと申します。アンドラスの婚約……いえ、大切な友人です」
そう思った私は催眠アプリを取り出した。
『ほんの10分でもいいのです。彼女の歌を聴いてみてください。時間を費やす程度の価値は絶対にあると私が保障しますので、お願いします!』
「ふむ……」
よし、催眠が効いたか。
勿論この気持ちには嘘はない。彼女の声楽の才能は素人の私が聴いてもあるのが分かる。
また、私の今の言動も迫真のものに見えただろう。……本音は彼女を『学校から排除するため』に本気であるだけなのだが。
「なるほど、分かった。……では、後日伝書鳩を送ってくれるか?」
「え? それでは……」
「うむ。アンドラス殿。そなたと、そなたほどの男が選んだ女性のいうことであれば、話を聴く価値はあるだろう」
「え、いや……」
正直、そういわれると罪悪感がある。
私は催眠アプリというズルを使って、彼の隣に居させてもらっているだけなのだから。
……だが、そういわれて悪い気はしない。
「はっは! ……ミーナ殿を見ていると、妻の若いころを思い出すな。それでは、また改めて連絡を送ってくれ」
「はい!」
とりあえず、これでうまくいった。
そう思いながら、私たちは学校を後にした。




