2-6
「けがはないか、ルチアさん?」
「え? ……ら、ランドさん? それに、あなたはミーナちゃん……」
どうやら私たちが誰だったのか確かめる余裕がなかったのだろう。
ルチアはそう驚いたように私たちを見て表情を変えた。
「どうして、二人はここに……?」
「ゼパル君の家がここから近くてね。私とミーナは彼の様子を見に行った帰りだったんだ」
「それより、ルチアのほうこそどうしてこんなスラム街に居たの?」
「その、それは……」
そういうと、少しためらうような様子を見せた後に
「実は弟が病気で……そのための薬を買いに来たんです……」
「病気か……街で売っている薬は効かなかったのか?」
「うん。けど、このスラム街の先にある薬屋さんならいいものがあるって、クラスの子に聞いたから……」
そういうことか、と私は思った。
この世界で一般に流通している薬は『咳止め』『頭痛薬』など特定の症状に対して効果がある物が多く、街でもそのような薬品が多く売られている。
だが、頭痛一つとっても原因は違う。
そこで現在は、症状そのものではなく『その症状が発生した原因』に目を向けて治療を行おうとする医学も近年転移者から持ち込まれている。
ただそのような思想があまりこの国では浸透していないこともあり、貧民街のようなところでしか店を構えらえていない。
それを聞くなり、王子は頷いた。
「そうだったのか……。よし、じゃあ私もそこまで同行しよう」
「え、いいんですか?」
「ああ。いったいどういう薬があるのか、私も気になるからね」
「あ、ありがとうございます……」
そういうと、王子は私に笑みを浮かべる。
「ミーナ。君は先に帰っていてくれ。あまり治安が良くないからな、ここは」
「え? それは……」
正直、もう少しアンドラスと一緒に居たい。
……けど、あえてここは先に帰って夕食の支度をしてあげるほうがいいか。どうせ、一緒に帰ったらアンドラスがやりだそうとするから。
「分かりました、ではアンドラスもお気をつけて」
そういって、私はアンドラスと別れた。
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そして、その夜。
「……すごいな、今日は……」
「どうですか、アンドラス? いつもより頑張りました」
アンドラスはグラタンやローストチキンなど、オーブンを用いた料理を好む傾向がある。
これは、恐らく王宮では時間のかかる料理を食べさせてもらえなかったためだろう。私はアンドラスが帰ってくるまでの時間を使って腕によりをかけて、料理を作った。
私たちは、一緒に椅子に座って食事を取り始めた。
「美味しいよ、ミーナ。ありがとう」
「フフフ、どういたしまして。……ところで、ルチアの件はどうなりました?」
「ああ、薬屋はあそこから近かったからな。見たところ正規の品を売っていたから問題はなさそうだったよ」
「正規の品?」
「ああ。スラムの薬屋と聞いて、おかしな商品を置いているかと思ったが……きちんと商会の手続きをとった商品を売っていたのを確認したかったんだ」
「そう……じゃあ、弟さんも良くなるといいですね」
「だな」
そういいながら、王子は楽しそうにグラタンをほおばる。
だが、その様子を見て少し私は不安になった。
「ところで……。ルチアは、その……どんなことを言っていました?」
「ああ、嬉しそうに喜んでくれたよ。助けてくれたことも合わせてお礼を貰ったからな」
「そ、それで?」
「盗賊に取られた分の弁償も兼ねて、お礼によかったらと食事に誘われたな」
ガシャン。
その瞬間、思わず私は食器を取り落としてしまった。
(ざっけんな! アンドラスは私のものなのに、手え出すんじゃねえ!)
思わずそんな風に思ってしまった。
絶対にその誘いは断らせたい。そう思いながら催眠アプリを取り出そうとした。
だが、
「おっと、誤解しないでくれ。ちゃんと断ったから」
「そ、そうなんですか?」
「ああ。私との時間より、弟が治ることを大事にしてほしいと伝えたよ。それと……」
「それと?」
「ミーナと一緒でいいのなら喜んで誘われるとも伝えておいたから」
「……そう、ですか……」
それなら少し安心した。
よかった、流石催眠アプリだ。私を婚約者だと思い込んでくれているおかげで、そういう誘いを断ってくれているのだろう。
……だが、私を不愉快にさせた罪は重い。
折角盗賊から守ってもらった恩を仇で返すようで申し訳ないとは思うが、食後にたっぷりと搾取してやる。
そう思いながら、私は食事を進めた。
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「ふう、美味しかったな。ありがとう、ミーナ」
「喜んでくれたようで何よりです」
アンドラスは、食事を終えると私の分まで食器を必ず洗ってくれる。
その後姿は、到底一国の王子とは思えない。だが、私は彼が剣を振り回す姿より、今のその姿のほうがずっと可愛らしくて好きだ。
だが、楽しむのはこれからだ。
そう思いながら私は催眠アプリを取り出す。
『食器洗いを終えたら、私の寝室に来てください』
「え? ……ああ、分かった」
そういうと、私はベッドを整えテーブルの上に色々と必要なものを並べた。
(これでよし、と……)
後はアンドラスを待つだけだ。
そう考えてしばらくすると、アンドラスがやってきた。
「すまない、待たせたな」
「よく来てくれましたね、アンドラス。……今日はタップリ、私の相手をしてもらいますから……」
そういって私は催眠アプリを取り出して、命令した。
『アンドラス、あなたが本当に愛している女性の姿を思い浮かべてください』
「あ、ああ……」
『そして、その女性を私だと思って、今夜は私に接してください』
「…………」
どうせ、催眠アプリを使わなければアンドラスは私以外の女を好きになっているに決まっている。だからこそ、それを逆手にとって『アンドラスが本当に心から愛している人』に私がなり替わってやる。
そういうよこしまな思いとともに私が催眠をかけると、王子は優しそうな笑みを浮かべて私をそっと抱きしめてくれた。
「わかった……。愛しているよ……」
「……フフ……それでいいです……私を『本当の婚約者』だと思って、愛してくださいね?」
「勿論だ……」
うん、催眠はしっかり効いているようだ。
王子は私に甘えるような表情を見せながら、抱きしめる手を強くする。
気弱な癖に人前では気丈に振舞う王子がこうやって甘える姿を見てやりたいと思っていた私には、たまらないご褒美だ。
(本当に、催眠アプリは凄いよなあ……)
ただの平民である私に対してこんなに甘えてくれるのは、催眠アプリで自我を奪っているからだ。……だが、そんなかりそめの関係なのは分かっているが、それでも私にとってこの時間は大切にしたいと思っていた。
(けど……王子が本当に心から好きな人ってどんな人かな……まさか……サロメじゃないよね?)
サロメはアンドラスとも遠縁の関係にあり、没落しているとはいえ貴族の爵位を持っている。そのため、サロメの父親はアンドラスの出自を知れば真っ先に婚約をしようとしてくるだろう。
……だが、そんなことはさせたくない。
(サロメは……性格はカスだけど滅茶苦茶可愛いから……。もし、あの子が王子を好きになったら……私じゃ勝てない……)
そんなのはいやだ。
だけど、催眠アプリを失った私がサロメに勝てるとは思えない。
だったら私に出来ることは一つしかない。
そう思いながら私は王子を椅子に座らせる。
「それじゃあアンドラス。今夜は朝まで楽しみましょう?」
「ああ、勿論だ。今夜は寝かせるつもりはないからな」
「ならよかったです。……どっちが先に行きますか?」
「では、私から行こう。いつもミーナからだと不公平だからな」
「フフフ、まあそうですね」
……そういいながら私は椅子に座る。
そして……。
「う……これは……!」
「どうです、こんな体験、したことないんじゃないですか?」
「く……! まさかここまで上達しているとは……」
「でしょう? けど、まだまだこれからですよ?」
そういいながら、私はポーンを手に取り、盤上にたたきつけるように置いた。
王子と私は、休前日は必ず徹夜でチェスをやるからだ。
(そうだ……。いつか王子がいなくなるなら、せめて今だけでも思いっきり楽しんでやる。催眠アプリが解ける瞬間まで、絶対に今の時間を忘れないように……)
アンドラスの心はきっと、私の心を離れるだろう。
けど、私は催眠アプリで作ったかりそめの関係でも、少しでもアンドラスとの思い出を残しておきたい。
それが私に出来ることだからだ。




