二品目 犬も食わない〜麻婆豆腐
「♫仕事♫楽しい♫めっちゃめちゃ♫楽しい♫」
俺は今日もご機嫌で、鼻歌を歌いながらチェックの仕事をこなしていた。
「…なんだそんな変な歌は」
隣の席の程々並男は、俺の歌に呆れて横目で見てくる。
「仕事って、楽しくね?」
「…俺は程々かな」
並男は、パソコン脇のアイドルの写真を見る。
「俺は、推しの為に生きてるの」
「まぁ、人生人それぞれだし」
その時だった。
「ジリジリジリジリジリジリ…」
耳をつんざくような警戒音。その後に、
「緊急事態発生! 緊急事態発生! 秀美様が、弊社にお越しになられます。従業員の皆様は、速やかに体制を整えてください」
「やべっ!」
並男は、デスクに散らかした書類を片付け、アイドルの写真を、大事そうにファイルに仕舞い、鍵のかかるキャビネットに入れた。
…他の従業員も、あたふたしている。俺は、直ぐに社長のところに駆け込んだ。
「社長!」
社長は、自分のデスクで青くなっていた。
「…麗二君…」
「…今度はどうしたんですか?」
「秀美に、今人気のアイスクリーム、ピンクベアーとピンクペアーを間違えたのがバレた」
「…よく似てますからね。何個発注間違いしたんです?」
「…千個…」
「…」
秀美様とは、社長人好好夫の奥様で、経理を担当している。
スキル「スパコン」の持ち主で、恐ろしいくらい頭がいい。大学院時代は、「秀美の脳をモデルにAIを作ったら、最高の物ができる!」と言われ、今でもその「秀美プロジェクト」にたまに参加しているらしい。「シンギュラリティは、とっくの昔に終わっている」と言われる今、「秀美プロジェクト」では、未だにAIが、秀美様を超えられていないとか…。
経理の仕事が二時間くらいで終わってしまうからと、普段は在宅勤務である。
★★
「カツーン、カツーン」
…高いヒールの音が綺麗に掃除された廊下に響く。従業員の皆は、死刑台で首切りを待つ死刑囚のよう…。
ガチャ。社長室の扉が開いた。
「麗二、来てちょうだい」
「え? 何故俺なんですか?」
「良いから来て」
俺は、何故か秀美様に会議室に連れて行かれた。
金髪、緑の目のものすごい美女。シャロン・◯トーンみたいに冷たい感じのする美女である。今日は、赤いドレスをお召になって、サングラスを掛けている。靴は、黒のピンヒール。よくお似合いである。
「…何故、連れて来られたか分かる?」
「…いいえ」
「とぼけないで、麗二。麗二は、いつもそう。頭の悪い振りをして面倒くさいことから逃げようとしている」
「…」
秀美様は、何でもお見通しだ。俺は、何故呼ばれたか本当は知っている。
「アイスクリームの発注間違いのことですね?」
「麗二。それを確認しに社長室にいたんでしょ。ってか、貴方がきちんと好夫の仕事の分もチェックしていれば、こんなことにはならないはずなの」
「…」
ご尤もすぎて言葉が出ない。俺は、社長の発注の仕事にミスが多いと知りながら、わざとチェックしないでいた。発注ミスの商品は、従業員で山分けになるからだ。
「…麗二、月に一度くらいなら、貴方達従業員に商品が山分けされたって、私はそれくらい福利厚生の一部かなと目を瞑るわ。だけど、週一は、会社の経営に関わるわ」
「…」
「貴方、自分が何をすべきか分かっているわね」
「…ミスが、月一まで減るように、社長の発注業務をチェックします」
「よろしくね。麗二。貴方なら、本当はゼロにすることも容易いはずだけど、それで手を打つわ」
そこまで話すと、秀美様は、お腹を摩った。
「私、妊活してるの」
「!」
「好夫には、たまに離婚よ! って脅してしまうけど、本当は別れたくないし、会社が傾くのは以ての外よ。私は、産休取ったくらいで、潰れるような会社では困るのよ」
「…何か俺が作りましょうか?」
「そうね。麻婆豆腐がいいわ。私達に子供ができること、会社の安泰、夫婦仲も願って」
「…欲張りですね」
★★
後日、社長宅で俺が麻婆豆腐を作ることになった。材料はもちろん魔法の冷蔵庫から。魔法のフライパンも持って俺は、社長宅を訪れた。
「麗二君…秀美がぁ。秀美がぁ。このままでは離婚だって…」
「…はいはい」
俺は、麻婆豆腐に取り掛かった。
これは、クックパッ◯の、大阪◯堂のレシピが一番旨い。
生姜とニンニクネギを炒めて豆板醤を入れる。◯美屋とかは、絶対NGだ。
挽肉を加えて炒めたら、鶏ガラスープ、酒、醤油、味噌、砂糖などを加える。
ここで、甜麺醤ではなく、味噌と砂糖なのがポイントだ。甜麺醤は、あまり日本人に馴染みがない。
煮立ってきたら、豆腐を崩しながら加える。包丁で切らない方が、味の染み込みがいい。
最後に水溶き片栗粉を加えてとろみをつけたら、ごま油を加えてネギを散らす。
「…どうぞ」
「いただきます!」
皆で食していると、秀美様がおかしくなってきた。顔が上気してきたようである。
「…麗二。麻婆豆腐美味しいわ。ありがとう。後片付けはいいから、今日はもうお暇してくれると助かるわ」
「…はい」
ナニかが始まるようである。俺は、帰る振りをしながら、そっと社長のペット、黒のパグ犬のパトラッシュを鞄にいれた。
「…では」
帰りの挨拶をしようとしたが、もう返事は無かった。社長の顔は、期待に打ち震え、秀美様は、体のラインを強調する青のドレスに着替え、鞭を持っている。
「好夫! 今日は朝まで寝かさないわよ! まず「秀美の微笑」シャロン◯トーンバージョンごっこと、その後、ピンヒールで顔踏みと、鞭打の刑よ!」
「…秀美…なんというご褒美…」
社長は、ドMで、秀美様はドSである。こんなに似合いの夫婦もそうそういまい。
夫婦喧嘩は、犬も食わない。今回、俺損な役回りだから、ペットのパトラッシュ借りちゃおう。
俺は、転移魔法で帰った。
その後、「パトラッシュを返せ!」と、社長から怒りの電話がきたが、それは翌日昼過ぎのことである…。