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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

カツラトモヒデの心情を答えよ

作者: 金川明

「トモヒデ、トモヒデ! 何時だと思ってるの!?」

 リビングから、母さんの金切り声が聞こえた。

 返事はせず、僕はただ無言で、布団の中からむくりと起き上がる。

 カーテンの隙間から漏れ出す日差しが目に痛い。

 今日もまた、長い長い一日が始まってしまったのだと思うと、体がどっと重くなった。それでもなんとか立ち上がり、眠たい目をこすって、廊下を歩き出す。

 リビングからは母さんの愚痴が一言一句もこぼれないほどはっきりと聞こえてきた。

 今日は右隣に住む角野さんちの悪口を永遠垂れ流しているらしかった。僕の悪口じゃないだけマシだが、それでも、居心地が悪いことに変わりはない。

 僕はハムと目玉焼きが乗ったトーストを口に頬張り、さっさと食べ終えると、すぐに自室へ戻った。母さんの愚痴は二枚の扉をへだててもはっきりと聞こえてくる。その話題の中には、当然のように僕の悪口も混じっていた。

 スヌーズ機能で再び鳴り出した目覚まし時計を叩いて黙らせる。

 七時四十六分だった。

 そろそろ支度をしなくちゃいけない。わかっていても、とてもそんな気には慣れなかった。

 クローゼットから制服を取り出して着替え、ネクタイで首をしめる。校則では第一ボタンまで閉めるのが決まりだが、息がつまりそうで、僕は嫌いだった。

 たとえそのせいで、生徒指導室に呼ばれるとしても、だ。

 学校用の鞄を肩にかけ、今日もしぶしぶ家を出る。学校なんて行きたくなかったが、家で壁越しに悪口を聞かされるよりはマシだ。


「おはよう」

 校門に担任の先生が立っていた。今日は当番らしい。

「おはようございます」

 気づかれる前に、さりげなく第一ボタンを閉めながら会釈する。僕は普段、真面目な優等生だと思われている。

 教室に入ると、クラスメイトから一斉に視線を浴びた。

 原因はすぐにわかった。僕の席の上に、菊の花をさした花瓶が置かれていたのだ。

 死ねとか、うざいとか、ありきたりな暴言も添えてあった。

 いつものことだ。

 黒板の脇にたむろする川村たちが、僕を見て笑っていた。

「なんだ、まだ生きてたのかよ」

 示し合わせたように、取り巻きがどっと笑う。

「早く死ねよ」

 言いながら、川村は僕の目の前まで歩いてきたかと思うと、耳元でささやいた。

「今日も、放課後三階の男子トイレな?」

 僕の肩にポンと手を置き、川村は取り巻きたちの方へ戻っていった。



 始業のベルが鳴る。

 担任の先生が教壇に上がり、朝のHRが始まった。

 頭がはげ上がった丸メガネのこの先生は、いじめを黙認している。先生だけじゃない。僕が殴られても、財布を取られても、机につっぷして泣きじゃくっていても、誰も、何も言わない。

川村たちの復讐が怖いのか、それとも面倒臭いのか、どちらにせよ、僕に味方はいない。

 授業の合間の十分放課のたびに、川村たちは黒板右側付近の一角に陣取って僕の悪口大会を始める。

 これも、いつものことだ。



 授業が終わって、放課後になった。

 呼び出された、いつもの男子トイレに一人で行くと、川村たちが待ち構えていた。

「よぉ、遅かったじゃん」

「今日もたっぷり遊んであげるからね、ト・モ・ヒ・デくん」

 耳元でそうささやかれたかと思うと、いきなり突き飛ばされた。 

 個室の扉がバンと開き、僕はトイレの便器に後頭部をぶつけた。

「ちょうどいいや。飲めよ」

 川村が、便器を指差す。取り巻きたちはまた猿みたいにゲラゲラ笑い出した。

 一瞬、なんのことだかわからず、固まってしまう。

「飲めっつってんだろっ」

 トイレの床に尻餅をついたままの僕の腹に、川村の蹴りが入る。よろよろ立ち上がり、僕は取り巻きたちに振り向かされた。

 そのまま無理やりお辞儀をさせられ、便器の中に顔を突っ込まされた。

「ハハハハハハハッ!!」

 鼻先が水についたかと思うと、あっという間に耳元まで水に浸かる。

 息ができない。

 川村の笑い声が、歪に反響して聞こえた。

 殺される。

 僕は今日、ここで。

 悟りかけた時、不意に暴れて振りあげた右手の指が、僕を押さえつけていた取り巻きの一人に当たった。

 ぎゃあと短い悲鳴を上げ、床でのたうちまわる石原。

 川村たちはすぐに異変に気づき、僕は解放された。

 咳き込む僕を放置して、川村たちは石原を取り囲んでなにやら声をかけている。

 そのとき、どうしてか、はらわたがカッと熱を帯びた。

「アアアアァァァァーーーーーーーーーーッッ!!」

 石原を取り囲む集団を押し除け、僕は石原の上に馬乗りになった。少し迷ったあと、僕は目を丸くする石原のほほを殴った。

 鈍い音がして、殴りつけたほうの拳が痛む。

 続け様に反対の拳でもう一度殴りつける。

 もう一度。もう一度。もう一度。

 手の甲の皮がすりむけるまで、僕は一心不乱に殴りつつけた。

「僕のっ」

 石原の鼻から、血が出る。

「僕の気持ちがわかるかっ!?」

 僕は、無様に泣きじゃくっていた。

「家では母さんに悪口を言われて、口答えしたら怒鳴られて!!」

 振り上げた拳が、焼けるように熱い。

「学校では無視されて、イジめられて!!」

 鼻水を垂れ流し、しゃくり上げながら、それでも僕は手を止めない。

「便器に顔を押し付けられて死にかけて!!」

 もはや、僕自身では止めることができなかった。

「僕のっ、僕の気持ちがわかるかぁ!?」

 手の皮がすりむけて、石原の血と入り混じって汚れた。殴る感触が、だんだんやわらかくなっていく。石原の顔面が、どんどん、腐ったトマトみたいにぐずぐずになっていく。

「お前なんかに、わかるのかよっ!?」

 文化祭のとき、準備をサボった僕に、担任の先生は言った。

『お前はもっと、真面目なんだと思ってたよ』

「ーーーーお前らなんかに、何がわかるんだよ!?」

 しばらく唖然として見ていた取り巻きが、今更のように止めに入ってきたが、僕はその手を振り払って石原の胸ぐらを掴んだ。

「死ねだって? 消えろだって? 意味わかって言ってんのかよ!!」

 胸ぐらを掴んだまま上半身を引っ張り上げ、前後に揺さぶる。

「そりゃ僕だって死にたいよ!! 消えちまいたいよ! でもできないんだよっ!! お前らだってできないくせに、どうして僕にできると思うんだよ!!」

 喉仏が、焼けるように痛い。声ももう、ほとんどガラガラだった。

「なんだよ、何マジになってんだよ。遊びじゃん。ちょっとからかってやっただけじゃん。お前、おかしいよ……」

 川村が、言いながら一歩身を引く。

 川村だけじゃない。他の取り巻きたちも、みんな血だらけの僕を見て、引いているようだった。

 手を放すと、石原は壊れた操り人形みたいにぶっ倒れた。

 カラカラになった喉で、僕は茫然とつぶやく。



「……僕が、悪いのか?」

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