93 いずれ迎える終末
「エルぅ、識世、終わっちゃうんだって~」
「他人事か」
少々、いや随分と、いいや大変、非常に、極めて衝撃的で深刻な事態を告げられたにも拘らず、関心の薄そうなエムの反応。
まさか意味を理解出来ていないわけでもなかろうに、そう思われても仕方のない彼女の間緩い口調に、表情を失ったエルがツッコミを入れる。
「てぇか、そうならないようにするためのブレインだろうが」
「いやー、面目ない」
続いてエルはブレインへ呆れ気味に苦情を入れるが、当人は後頭部をかいて笑っている。一応詫びを入れてはいるが、明かした内容の重さに反してどうにも態度が軽く、本気で反省しているようにはとても見えない。
「終末の世界って、何か感傷的な情緒があるよな」
「しかしそうなると、私はダンスが踊れなくなってしまう。一大事ではないか」
「…………」
「危機感ねえな、お前ら……」
ケイの所感は呑気なもので、エヌの懸念は本質から大きくズレている。そしてエフに至っては、一時止まった食事の手を何事もなかったようにもう再開させていた。
焦りがないのは結構なことだが、皆揃ってこの問題意識の薄さにはいい加減頭が痛くなってくる。
「そういうエルこそ、落ち着いたもんじゃないか。あんまり慌ててるようには見えないぞ」
「ここで俺だけ一人泡食ってたら、何か馬鹿みてえだろうが」
「同調性バイアスは怖いよ~、エル。物事の判断がまともな感覚で出来なくなっちゃうから」
「だぁれのせいだ」
ケイの指摘を鼻を鳴らしてあしらうエルに、ブレインが茶化すように口を挟んでくる。
言ってることは正しくとも、自分達の発言や態度を棚上げした人を食った言いように、エルは顰め面をして吐き捨てる。これ以上真っ当にこいつらの相手をしていたら、いい加減ツッコミ疲れてしまう。
「何、ブレインのことだ、推すにその確定したという文言には、何かしら前提なり条件なりがつくのだろう?」
気持ちよくボケを拾ってくれるエルに甘えるフェーズは一旦終え、エヌが会話の舵を取って話を一つ先へ進めさせる。
この場の誰一人として狼狽えていない理由に、話の肝や問題の解決策を伝えることをもったいぶるブレインの気質がある。皆、どうせ今回もそうなのだろうという思いが働いていたわけだ。同調性ならぬ、正常性バイアスである。しかしながら。
「いんや? 前提も条件も何も、確定は確定さ。識世は終末を迎える」
「何?」
「マジなのか」
「…………」
ブレインから予想に反した答えを返され、軽口で戯れていた空気にはじめて微かな緊張が生じる。
もしかしたら、冗談で笑い飛ばせるような話ではないのかもしれない。そうエル達が真面目に話題に向き合おうかと意識を切り替える中、一人変わらず緩い表情のエムが料理を頬張りながら。
「ま~でもそうだね~、ずう~っと終わらないまま続いてくものなんて無いし、いつかはそんな日が来るよね~」
「あ、ちょ、エム――」
「それがいつになるかはわかんないけど」
他意なく特に何の気もなしに口にした言葉に、ブレインがタネをバラされた手品師のように気まずそうに「たはは……」と苦笑い。どうやら言葉遊びの核をついたようだ。
「あー、まあ、そんなところだろうとは思った」
「ったぁく馬鹿らしい、真面目に聞いて損したぜ」
「ふ、危うくブレインの掌の上で踊らされるところだったな」
安堵と拍子抜けが三対七ほどの割合でこの場に放り込まれ、一瞬にして食卓の空気が残念に和む。そうしてこれまでの話の流れがご破算となりかけるところ、ブレインが「いやいや待って待って」と慌てて場を仕切り直しにかかった。
「そりゃ確かに今すぐってわけじゃないけども、今のままじゃまずい方向にどんどん流れて行っちゃうんだって」
「だぁから、何がどうしてまずくなるんだって話だろうが」
「ブレインの言い回しに具体性が欠けるのは今に始まったことじゃないだろ。いちいち付き合ってたらストレスで禿げるぞ」
「え~、エルの頭、禿げちゃうの?」
「禿げてたまるかぁ!」
逆立てた茶髪に気の毒そうな視線を送ってくるエムの心配を、余計な世話だとエルが唾を飛ばして撥ねつける。
その様子を横目に、エヌがクスリと笑みを漏らした。
「何とも騒がしく愉快なものだな。いつも静かなこの家が、こうも祭りのように華やぐとは。道中の光景が目に浮かんでくるようだ」
「魔法で跳んだ方が早いのは当たり前なんだけど、それを言うのは野暮だよな。わざわざ時間をかけて船と馬車を乗り継いでここまで来たのは、お前達が好きでそうしたわけだし」
KAのエージェントとして抜擢される人材ならば、大陸を隔てた場所であろうと空間転移の魔法で一瞬で行き来可能だ。
そうでありながら、三人があえて海路と陸路を使ってはるばるやってきた理由は、ひとえにその旅路そのものを楽しむために他ならない。
「俺はちげえぞ。エムの奴がそうしたがったから、仕方なく付き合ってやっただけだ」
「え~? じゃあ本当は私と一緒に来るの、嫌だったの? エル」
「べぇつに、嫌だなんて一言も言ってねえだろうが」
悲しそうに眉尻を下げて上目遣いに尋ねてくるエムに、エルが面倒臭そうに顔を顰めて否定する。
そんな二人のやり取りに、ケイが何てことないとエムに向け。
「心配ない。本当に嫌だったら、エルはシーやイー辺りにその役を押し付けてる」
「そうだな。むしろ普段ロイスコットから動こうとしないエルが、こうしてケントチャーチルまで来ていること自体、エムへの情愛の深さの証左といえる」
エルは各地にあるKAの拠点の中でもロイスコットのそれが特別居心地がいいらしくお気に入りで、他所へ移ることを極端に嫌う節がある。
なので、エムの誘いに同居人を代役に立てなかった時点で、エル自身がこの旅路に前向きだったことは明白なのである。
「そう? よかった~」
「お前ら、勝手なこと抜かしてんじゃねえ」
安堵して表情が緩むエム。対してエルは、適当に人の心情を推し測るなと不服そうに口をひん曲げた。
「ブレイン」
そうした中、一人ずっと黙々と料理を口に運んでいたエフが声を上げる。
極端に口数が少なく寡黙なこの男だが、その理由は奥ゆかしいわけでも気難しいわけでもなく、ただ発声するのが億劫なだけという処置無しのものぐさである。
またその分声を発した際には身内が気を留めやすく、今回も多分に漏れず皆の注目を集めることとなった。
「続きを」
「あれえ? 聞く気あったんだ、エフ」
簡潔に話の続きを促してきたエフに、ブレインが驚いて目を丸くする。
エフ自身はもうそれ以上口を開く気は無いらしく、瞳で同様の訴えを続けるだけだ。
「逆に、何で無いと思うんだよ。いいからさっさと説明しろ」
「お、何だ何だエル、そうかそんなに気になるか~」
「話す気あんのかてめえ」
性懲りもなく茶化しておどけてくるブレインに、流石にくどいとエルが僅かだが本気の苛立ちを見せる。
その空気の変化に、ブレインはいつも浮かべている胡散臭い薄ら笑いを、スッと表情から消し去った。
「そうだね。実を言うとこの問題、今この場で詳細まで語るつもりはないんだ」
「あ? だったら、さっきの流れで打ちきっときゃいいだけだろうが」
「いや~だって、ちょっと悔しいじゃん。あんなふうに雑に扱われちゃあさ」
「あれはどうあがいてもブレインの自業自得だろ」
普段の自身の言動が元で受けた扱いすら意趣返しの対象となってしまえば、いよいよ戦争も避けられなくなってくる。
そうケイから呆れ顔でツッコミを貰った当のブレインは、この短い時間でもう真面目な顔がもたなくなったのか、早くも胡散臭い雰囲気を再び醸し出し始めていた。
締まった空気の維持が何秒も続かない彼らを横目に、エヌが「ふむ」と顎に手を添え先のブレインの言への解釈を口にする。
「それは言い換えれば、その『終末へ至る問題』の表層ならば語るつもりがある、とも受け取れるな」
「ん、まあおおよそのところは、たぶん皆も気づいてることだろうしねえ」
「てぇことは……」
「やっぱりそうか」
ブレインの返しに、エルとケイが揃って結論の察しをつける。
またそれは呟きを漏らした二人だけでなく、エヌもエフもエムですらも同じ心当たりがあるようで、一様に皆瞳に理解の色を濃く浮かべていた。
彼らの瞳を一つずつ見返したブレインが「うん」と頷いて、答えを告げる。
「晩春に現出したプレイヤー、シン・グラリットによる影響だ」
今ブレイン達が認識しているこの世界――識世は、現実世界で一時期流行したとあるゲームの舞台とシステムが色濃く反映された世界だ。そのゲーム内のプレイヤーが度々現世から転移してくる現象を指して、一部の界隈では『現出』と呼んでいる。
「件の『特異』だな」
「現出して早々、二つ名がつけられる活躍ぶり。精力的なことだ」
「自重の出来ねえ野郎だ」
ブライトリス王国の交易都市エプスノームを襲った『竜騒動』の一件で、その男は紫竜を撃退するという鮮烈なパフォーマンスを示した。
派手に飾った登場で瞬く間に特異という異名を世に広めた男に、ケイが皮肉を利かせ、エルはなおざりに悪態をつく。
「そう言ってやるなよ。本人だって、目立ちたくて目立ったわけじゃないだろうに」
ケイとエルの冷ややかな物言いに、ブレインが同情的な口調で窘める。
ブレインは当時の事の成り行きと主要な関係者それぞれの思惑を、ある程度まで把握している。因果関係はどうあれ、それがシンの本意ではなかったことも。
「あ~、それでブレイン、特異の行くところ先回りして様子見ようとしてるんだね~」
「ん? あ、そうそう、そういうこと。エムは本当に良くわかってくれてる」
これまでの立ち回りを都合よく前向きに解釈してくれるエムに、これ幸いと顔をほころばせて頷くブレイン。そのわざとらしい反応に「ハ」と鼻を鳴らしたエルが、皮肉げに顎をしゃくって腐してくる。
「この野郎がそんな仕事熱心なわけねえだろ。覚えてるぜ、確かあん時お前、気分がどうこう言ってたよな」
「何だ、ただの気まぐれか」
「ふ、いかにもブレインらしい」
「あれえ!? 何か凄く不本意な理由つけて勝手に納得してる!?」
エルの指摘へのケイとエヌのあんまりな反応に、愕然としたブレインが声を裏返らせる。ただこれに関しては、普段の思わせぶりでとぼけた言動のツケが回ってきただけなのだが。
「振り回されるこっちの身にもなれ、マジで。レパード海底神殿とか抜かし始めた時は、いい加減見切りつけるとこだったぞ」
「いやだからさ、そこは見送ったじゃんか」
人里から遠く離れた海の底に沈むその古代遺跡は、恐ろしいモンスターの蔓延る危険なダンジョンとして有名だ。訪れれば当然、呑気に寛いでなどいられない。エルからしてみれば、そんな場所はかったるいだけだ。
「海底神殿? そこが、特異の次のターゲットか?」
「次って言うか、今まさに、だね」
「何かね、ブライトリスの冒険者が集まって、探索しに行ってるらしいよ~」
ケイのふと口をついて出た問いに、ブレインとエムが答える。
ブライトリス王国内ではそれなりに話題になっている合同探索だが、流石に海を隔てた先の諸外国ではリアルタイムで情報を追っている人間は多くない。
しかしながらその少数の一人であるエヌが、そこで「ああ」と何かに気づいたように声を上げた。
「そういえば、参加しているらしいよ、ケイ。その合同探索に」
「? 誰がだ?」
主語の欠けた言い回しに、聞き返したケイだけでなくエフも同様に疑問符を浮かべてエヌに視線を送っている。いや、どうやら二人だけではなく、ブレイン達三人も似たような反応で候補を特定出来ないようだ。
ケイが名前を把握している冒険者はそれなりに多いが、エヌの口ぶりからすると、こちらが一方的に知っているだけの有名人というわけでもなさそうだ。となれば、思い当たる人物は限られる。
「ほら、あの、一時君がアベセダリウムの候補として挙げていた――」
中でも特に、ケイが個人的に目をつけた、特殊な背景を持つ者が。
「――例の混血児さ」