92 討伐難度の相対性
静かに呼吸を整えて、ユティアは得物の柄を手に馴染ませる。
パルチザン。長柄武器の一つだが比較的機動力を落とさずに振るえ、幅広の刃が刺突と斬撃に優れた扱い易い槍だ。
下方の海面近くでは、セイラの援護を受けたニーナが巨大な魔海獣ケートスへ果敢に挑みかかり、その注意を引き付けている。
「〈筋力強化〉」
「〈体力低下〉」
ユティアの隣では、双子の姉妹による魔法の詠唱が幾度も空に響いていく。
妹のフィーネが強化魔法でユティアにバフを、姉のリンが弱化魔法でケートスにデバフをかけ、着々と攻略態勢を整えている最中だ。
出来ることなら自身もそれに加わりたいところだが、二人に比べ魔導力に劣るユティアでは効果が薄いので、その時間は精神を研ぎ澄ませることに使った方が有意義だ。
「!」
そんな中、注視する戦闘の状況に変化が生じた。ケートスが海中へ潜ったのだ。
逃げていったわけではない。あの執念深いケートスが一度標的と見定めた相手を見逃すなど、そうそう考えられない。
それを理解し先の展開を見据え、身構えるニーナと警戒するセイラ。次にケートスが姿を現した時が、勝負だ。それまでに自分も――
「いいわ、ユティ」
「準備出来たよっ」
タイミングよく、まるでユティアの心を見透かしたかのように、双子から声がかけられる。
ユティアは振り返って二人に頷きかけると、直下の海面を見据えその瞬間が訪れるのを静かに待つ。
身体が震える。自分がこの戦いを決着させる要だ、緊張はしている。しかしこの震えはそれが理由ではない。重要な局面を前に勇み立つ心気が表出した、武者震いだ。
「来る」
海の一点に集中し、凝らした瞳が予兆を捉える。黒い小さな影だ。
たちまち影は大きく広がると、海面を激しく波立たせ、凄まじい勢いを伴って魔海獣ケートスが海上にその巨体を現した。
「〈突風〉」
直後、フィーネの魔法を背中に受けたユティアが、爆発的な加速をつけて降下していく。
「〈高重力〉」
次いで、リンの魔法の作用で構えたパルチザンの重みが増す。
魔導力の平均値が高い飛翼の中でも、まともに扱えるのが彼女だけという高難度の魔法だ。
ニーナとセイラの無事を信じ、標的だけに意識を集中させ、ユティアは高速落下の中で狙いを絞る。真向に迫る怪物の頭部――その、目と目の間だ。
「てゃぁぁああああ!!」
気合を乗せ、闘志を剥き出しにした哮りと共に、ユティアは思い切りパルチザンを怪物の急所へ突き立てた。
穂先が硬い頭蓋を貫き、その奥の生体機能を司る中枢までを穿ったことが、手応えとして伝わってくる。
「――――」
ユティアの渾身の一撃を受けたケートスの全身が強張り、硬直する。
その一拍の停止を挟んだ後、ケートスの瞳から光が失われ、悲鳴もなくゆっくりと大木が根元から折れるように。
――ザッバーーン。
事切れた魔海獣の巨体は海へ倒れ、最期に遺した緩く大きな波と引き換えに、深く深く沈んでいった。
「……やった」
強敵を討った一撃の余韻を槍を握る手の中に味わい、ケートスの亡骸が沈みゆく海を見つめるユティア。その視界の端にこちらへ近寄ってくるニーナとセイラの姿が映り込み、二人が無事だったことに安堵する。
「ユティ、イエィ!」
「イエィ!」
笑顔で飛んできたニーナとパンッとハイタッチ。緊張から解き放たれたユティアはニーナと両手を組んで、きゃいきゃいと二人勝利を喜んではしゃぐ。
「よくやったわ、ユティ」
「にしし、さっすが私」
労いの言葉はその様子を横で見ていたセイラから。姉代わりの彼女の口から滅多に出て来ない誉め言葉に、自尊心を満たされたユティアが嬉々として調子に乗る。
あまり良いとは言えない傾向だが、なした仕事は実際評価に値する。この場での小言は控えてあげてもいいかと、セイラは軽く鼻から息を抜いて仕方なさそうに笑った。
「もっちろん、私の魔法のおかげよね」
「私達の、ね」
更には上空から下りてきた双子が勝利の輪に加わってくる。得意げに胸を張るフィーネと、彼女の自賛を冷静に修正するリンだ。
「大丈夫大丈夫、ちゃんと二人のことだって忘れてないから」
「ほんとにぃ~?」
「ほんとだって!」
疑わしげなフィーネに、ユティアが慌てて言い返す。
とはいえフィーネも本気で疑っているわけでなく、慌てるユティアの可愛らしい姿を愛でていたいだけだ。
「もう他にモンスターの気配は、無いみたいね」
「良かった。これ以上の連戦は流石にちょっと、きついところだったわ」
強敵を下し皆の気が緩んでいるところで、セイラが周囲を見渡して状況を確認。もう大丈夫だと太鼓判を押す。
全力の戦闘で心身共に消耗していたニーナがほっと安堵。もしまだ敵がいるようなら、応援を頼まなければならないところだった。
「それじゃあ、戻りましょう」
「あ~ん、ちょっと船が遠いよう」
「気を抜きすぎて海に落ちないようにね」
「私、おなか減っちゃった~」
「そういえば今日の夕飯って、何だったかしら」
そうして飛翼の五人は魔海獣の討伐に沸き立つ船乗り達の待つ帆船へと、和やかにたわいない会話を交わしながら戻っていった。
◇◆◇
「お、仕留めたか?」
アノニムの船室。飛翼とケートスの戦いをぼーっと眺めていたミロスが、倒れるケートスを目にして声をあげた。
「あ、終わったんだ」
「おーたぶん、そんな雰囲気」
船室の隅に膝を抱えて座っていたグレゴリーが、ミロスの声に反応して顔を上げる。
グレゴリーのこの姿は、別に何か嫌なことがあって落ち込んでいたわけではない。単に彼の気質として、こうしているのが落ち着くのだそうだ。
その証拠として、表情にも声音にも沈んだ暗さは混ざっておらず、平常運転そのものだ。巨大な魔海獣とのエンカウントなど、まるで恐れてもいないように。
「飛翼は、実績があるからね」
「あー確か前にも一匹、討伐してるんだっけか」
飛翼には過去に一度、ケートスを討伐した実績がある。
当時のその戦いは死力を尽くした激闘となったのだが、今回はその経験を活かすことで、彼女らは初めから効果的な戦術を用いて戦いに臨むことが出来ていた。
「飛翼の戦い方からすると、相性も悪くないしね」
「それ、海の上で出くわすモンスターの大抵がそうだろ」
「ああうん、それもそうだね」
グレゴリーがミロスの返しに同調して苦笑する。
海上でも地上に匹敵するパフォーマンスを発揮出来るのが飛翼の強みだ。ほとんどのチームが苦労して対策をしなければならないような海の魔物相手でも、彼女達にかかればその大半は普段の戦い方で片が付く。
「たぶん、ニーナさん達の体感じゃ海上のモンスターの討伐難度って、地上のモンスターより一ランク落ちるんじゃないかな」
冒険者組合の公表するモンスター討伐難度には、絶対的な指標というものが存在しない。また、それらは単純な強さのみで決められるものでもなく、対象の標準レベルに出現地域や種族特性等を加味した、総合的な難易度を感覚的に示したものとなっている。
「お、そりゃ何か? 飛翼にゃ本来B難度は役者不足って言いたいのか?」
「そ、そういう意味じゃないよ!」
何となく口にした考えを故意に曲解されて慌てるグレゴリー。笑うミロスが冗談だと軽く手を振って。
「けどまあ実際、同じレベル帯の地竜と海竜でも、討伐難度は違うもんな」
「ケートスのレベル帯もどっちかっていうと、中位竜より下位竜寄りだしね」
竜族の下位種という同列の括りにある中で、討伐難度は地竜がCであるのに対し海竜はBに設定されている。これが前述の『感覚的な討伐の難しさ』に差がついた顕著な例だ。
「そんでこれから探索しに行く海底神殿にゃあ、B以上のやべえモンスターがわんさかいるってわけだ」
「……そうだね」
合同探索の目標、レパード海底神殿。その広大すぎる古代遺跡に対して、合同チームの持つ情報は入口付近の一部に限られる。モンスターに関してもどこまで危険な相手と遭遇するか、予測などしようもないだろう。
ミロスの言葉から改めてそういった危うさを嚥下して胃の腑に収め、グレゴリーの声から緩さが抜ける。
「何だ、緊張してんのか?」
「そりゃあするよ」
途端に気配が変わって口数の減ったグレゴリーを、ミロスがからかい半分に茶化す。しかしそれでグレゴリーの情緒が揺さぶられることは一切なく、返ってきた声は至って真面目なものだ。
「絶対にここで、手がかりを掴まなくちゃいけないんだから」
「…………」
アノニムの二人、ミロスとグレゴリーは明確な目的を持ってこの合同探索に臨んでいる。
ある日を境に消息の途絶えた恩人、その足取りを掴むことを可能とする古代の魔導具――『導きの羅針盤』を手に入れるためだ。
今、間近にまで手繰り寄せた大きな望み。それの眠る地への期待と警戒に、グレゴリーは瞳を閉じ組んだ手を額に当てると、祈るように呟く。
「……待ってて、ケリー」
そうして間もなく合同チームを乗せた大型帆船は、古代遺跡レパード海底神殿の沈む海域へと辿り着いた。
◇◆◇
膝の上を我が物顔で占拠して寛ぐ、王様気分の家猫。そのキジトラの毛並みを優しく撫でつけながら、もう片方の手で開いた本のページを一枚、ぺらりと器用に捲る。
整えた緑髪に黒い瞳、白いシャツが清潔感のある印象を与える男だ。
男は同居人に淹れてもらった珈琲を啜り、穏やかな読書の時間をゆるりと過ごしていた。
「!」
不意に、膝上のキジトラ猫が耳をピンと立て、おもむろに頭を上げるとくりんと首を巡らせた。
ほどなく、その瞳の見つめる先のドアがガチャリと音を立てて開き、とてとてと一匹の白黒猫が部屋の中へと入ってきた。キジトラ猫が男の膝上からぴょんと飛び降り白黒猫へじゃれつきに行くと、今度はゆるい女の声が部屋の中に届けられる。
「でぃすくりーと、ただいまぁ」
姿を見せたのはたれ目の女。ウエーブがかった黒髪を揺らして二匹の猫の前で腹ばいになると、両手に顎を乗せじゃれ合う様子を幸せそうに眺め始めた。
「おぉい、猫だけじゃなくてエフの奴にも声かけてやれよ、エム」
続いて入ってきたのは茶髪を逆立てた男。彼は手近な椅子に身を投げ出すようにどかっと荒く座ると、正面の読書を続ける男――エフを示して呆れ顔。
「あ~、エフ、居たんだね。ただいま」
「部屋入りゃ真っ先に目につくとこ居んのに、何で気づかねえんだ」
愛猫のことしか目に入らず、それ以外の認識機能が残念なことになってしまったエムに、茶髪の男――エルが嘆息。
「おかえり」
「お前もお前で、他に何か反応ねえのか」
更にはそんな扱いを受けても素知らぬ顔で、マイペースに本を読み進めながら挨拶を返すエフへジト目でぼやく。それに対し、エフは一瞬ちらりと目をエルに向けただけで、何も言わず再び手元の本へと視線を落とした。
「変わってないねえ、エフも、ここも」
そしてここを訪れたもう一人、癖毛と無精ひげの男ブレイン・クローナ―が、エフと部屋を見渡して呟く。
「結構久しぶりのはずなのに、感慨もクソもあったもんじゃねえな」
「お、意外だねえ。エフに感慨なんてものを期待してたのか、エル」
「言葉の綾だ、まんま受け取んな」
本気とも冗談ともつかないブレインの口調。十中八九戯れだろうが、エルは念のため指摘だけは入れておいた。
ここはブライトリス王国のあるロディーナ大陸から西の海を跨いだ先、ヌーニア大陸一の大国――アルメルウィーカ共和国。その首都ケントチャーチル郊外に構えられた、一軒の家。
彼ら『カーネルアドミニストレータ』――通称『KA』の、拠点の一つである。
元々はブレインが個人で立ち上げたこの組織。現在は各地に拠点を置いて、集めたエージェント『アベセダリウム』に任を振って運営されている。
「やあやあブレイン、エル、エム。帰ってきたね、嬉しいよ。私から歓迎のダンスを贈ろう」
賑やかな気配を察して顔を出してきたのは小柄な男。黒髪に青と黄のメッシュを入れたカラフルな頭をかき上げる、言動がいちいち陶酔的に芝居がかった人物だ。
「エヌ、元気そうだね」
アベセダリウムの一人、エヌ。当然エフも、そしてエルとエムも同じく、KAのエージェントである。
再会に頬を緩めるブレインと、床に腹ばいになったまま小さく手を振るエム。二人にウインクで応えたエヌが定位置に着いて恭しく一礼すると、楽曲も抜きに自作のダンスを瀟洒に披露し始めた。
「お前が踊りたいだけだろ」
げんなりした顔でエルがそうこぼすが、エヌは気持ちよさそうに淀みなくステップを踏み続けている。聞こえなかったのかスルースキルが高いのか。
この大部屋の一角には、エヌが日頃からダンスを嗜むため大きなスペースを取ってある。なので、邪魔にはならないのが一応救いではある。
「出来たぞ~」
そうした中、スパイスと焼きたてのパンの香ばしい匂いを引きつれて、家の住人最後の一人が部屋へと入ってくる。エプロン姿で料理の載った皿を両手に持った、黒髪青目の男だ。
「や、ケイ。久しぶり」
「わ~、何かいい匂いがすると思った」
アベセダリウムの一人、ケイ。器用で世話焼きな気質をしているため、マイペースな同居人二人の分まで自ら進んで家事に勤しんでいる。
一応、エフもエヌも言えば手伝うだけの甲斐性はある。しかし、これはケイが好き好んでやっていることなので、基本的に二人に家事を頼むことはないが。
「おーありがてえ。丁度俺、腹減ってたんだ」
「お前達が到着する頃に仕上がるよう作ってたから、時間通りに来てくれて良かったよ」
「毎度いい仕事するぜ、ケイは」
テーブルに並べられていくケイの腕によりをかけた料理を前に、エルがご満悦な様子で労う。
ブレインが席に着き、エフは読んでいた本を閉じ、踊るエヌを後目に食事の準備が整っていく一方で、エムは。
「ケイ~、ないちんげーるとでぃすくりーとの分も、おねがい」
「おお、ちゃんとあるぞ」
エムにそう頼まれたケイは一旦部屋を出ると、すぐに猫用餌入れのボウルを用意してきて二匹の前にすっと置いた。
「ナイチンゲールも、久しぶりだな」
「ありがと~」
白黒猫ナイチンゲールの毛並みを撫でるケイにエムが礼を言って、二人も食卓の席に着く。
最後にダンスを踊りきって満足したエヌが席について、準備は完了。
「それじゃあ三人との再会を祝して」
「乾杯!」
グラスを掲げたケイの音頭に続いて五人も同じようにグラスを掲げ、ブレイン、エム、エルを歓迎する食事会が始まった。
早速料理にがっつきにいくエル、大皿から皆の分を取り分けるケイ、静かに料理を口に運ぶエフなど、食事におけるそれぞれの個性が出る中で。
「それでブレイン、君がケントチャーチルに帰ってきたということは、久々に私達にも仕事を振ってもらえるのかな?」
上品にナイフで料理を切り分けつつ、エヌがブレインに問いを投げた。
「……うーん、そうだね。まあ一応、やれるだけのことはやっておこうか」
「歯切れが悪いな。何か問題でも起きたか」
困ったように眉尻を下げ返答に言葉を選ぶブレインに、ケイが怪訝な目を向ける。加えてエフも無言のまま視線を寄越し、その返答を待っている。
「あーうん、えーと、非常に申し上げにくいことなんだけど……」
彼らの視線に気まずそうに言い淀むブレインは一旦間を置くと、五人を見渡して苦笑いし、重々しくその口を開いた。
「この世界の終末が確定した」