90 分別を欠いた善意
「……それで、アタシんとこ来たわけ?」
フレシュの正面、緑の髪を結ったラルスカヌスのブラスター――アオイ・ヘイカーが、頬杖をついてジト目気味の視線を送りながらそう言ってきた。
戦闘の援護に向かうところをシンに制止され、それに反発したフレシュだがその考え方はセイラに窘められた。そうして戻るに戻れなくなったフレシュが行き場を求めた先は、直近で親しみを覚えたアオイの元だった。
「……ごめん、迷惑よね」
「あっはは、そんなことないわよ」
そのアオイの反応を受けフレシュは気まずそうに目を逸らすが、彼女は全く気にしたそぶりも見せずに笑い飛ばしてくれた。
「ウチ、船室二つ使わせてもらってるしね」
気楽な調子で室内を示しながら、アオイはジャケットのポケットからスキットルを取り出して中身を呷る。
大所帯のラルスカヌスには彼女の言う通り船室が二つあてがわれており、客を一人招き入れるくらいさほど問題にならない。
「でも、モンスターが現れたって聞いてすぐに飛んでいくなんて、フレシュって見かけによらず結構自信家なのね」
「えっ?」
思いもかけていなかった言葉がアオイの口から出て来て、フレシュは目を瞬かせて挙動を止める。
言われてみれば確かに、等級持ちのチームに単身援護に向かうなど、自己の能力評価が高くなければとてもじゃないが行動に移せはしない。
そんな自身の思い上がりに今の今まで全く自覚がなかった粗忽さを恥じ入り、「うぅ……」と呻き声を漏らすと共に額を押さえて反省するフレシュへ。
「ぽっと出の新参が、持て囃されて調子こいてんなよ」
悪意と苛立ちに満ちた台詞が投げつけられる。声の主は黒髪を逆立てた少年、ラルスカヌス最年少のヒーラー――ルーク・ワーレンだ。
「あ、えっと……?」
突然攻撃的な感情と言葉を浴びせられきょとんとするフレシュへ、ルークは険のある表情で続けざまに毒を吐いていく。
「特異だか何だか知んねえけど、俺達で計画した遺跡探索に図々しく後から乗っかってきやがって」
「俺達でって、あんたは計画段階じゃメンバーにいなかったでしょ」
ルークがラルスカヌスに加入したのは春先のことで、海底神殿の探索計画が大方固まった後になる。ついでに言えば計画立案はラルスカヌスではなく、奇石とトリックスターズだ。
そんなルークの自分を棚に上げた発言に、アオイがジト目の呆れ顔で指摘を入れるが。
「どうしてアオイさんもヨハンさんも皆、誰も文句言わないんすか! 不満じゃないんすか!」
「不満なわけないでしょ。力のあるチームが参加してくれれば、それだけ探索が成功する見込みが増えるんだから」
「だけど、その分宝の分け前は減るじゃないすか」
「あ~……そっか、あんたが入ってから、難度の高い依頼なんて受けてなかったから……」
アオイの指摘にも納得がいかない様子のルークは、論点を変え不服を訴えてくる。
二人で喋っているところへいきなり入ってこられ、言いがかりをつけられたフレシュはどう対応したらいいのかわからない様子。困惑する彼女を顧みもせず尚も難癖をつけてきそうなルークへ、アオイは頭を抱え大きく溜息を吐いた。
「海底神殿を軽く見過ぎよ。そんな簡単な仕事じゃないわ」
「…………!」
鋭い視線と重めの口調で諭されたルークが、アオイの雰囲気の変化に気圧されて息を詰める。
当然、ルークにも事前にヨハネスらでレパード海底神殿の危険性を説いてはおいた。しかし魔法主体のヒーラーで待機組であるためか、この少年は今一つその辺りの危機感に乏しいままだ。
「け、けど、それじゃ尚更、こんな新参の奴らには――」
「『竜騒動』の修羅場をくぐった分、少なくとも経験の濃さは、フレシュ達の方があんたより上よ」
紫竜ニーズヘッグが襲来した商都の竜騒動。無数のドラゴンが暴れ回ったその夜の交易都市エプスノームは、多くの人々の血に塗れ惨憺たる悪夢の光景が広がったと聞く。
しかしその場に居合わせなかったアオイには、現場の恐怖も過酷さも絶望感も、わかるだなどとは口が裂けても言えない。ただ、想像するだけだ。
そしてアオイとルークとでその想像の絵面に大きな差があることは、アオイには容易に知れた。
「……俺は、認めてねえからな」
叱責するようなアオイの弁に反論を失ったルークは、キッとフレシュを睨みつけると捨て台詞を吐いて足早に船室を出て行った。
「ごめんねー。あれでもあいつ、ウチに入るために本気で努力して頑張ってきたの。だからその分、結成してすぐヨハンやニーナから対等の扱いを受けてるアルゴロイドが、妬ましくて憎らしくて仕方ないのよ」
チームメイトの非礼を詫びるアオイだが、誹りを受けた当のフレシュは特に気を悪くした様子もない。ただ何かを思うように、彼女はルークの出て行った船室の出入り口をじっと見つめていた。
「どしたの?」
「あ、うん、ちょっとね、あの人の言ってたことが、あんまりにもシンの心配してたことそのまんまだったから……」
フレシュから返ってきたその答えがあまりにも不意打ちすぎて、目を丸くしたアオイは堪えきれずに「ぷっ」と吹き出した。
「あっははははは!」
「え? 私、何か変なこと言った?」
「……ごめんごめん、フレシュがおかしいわけじゃなくてね」
大口を開け腹を抱えて笑い出すアオイ。戸惑うフレシュに「違うの」と手を振って、目尻に浮いた涙を指先で拭いつつ。
「あいつ、一言も喋ったことすらない相手に、心理を見抜かれちゃってるって……」
口に出すことで再び笑いがこみ上げ、口元を手で押さえて必死に堪えようとするアオイだが、その努力も空しく発する言葉には聞くからに笑い声が混じる。
「えっとアオイ、別に誰か個人にってわけじゃないんだけど……」
「大丈夫、そこは一応、ちゃんとわかってる」
どこか誤解しているんじゃないかと説明を補うフレシュに、アオイは手を上げてそれを制する。
彼女の言う『シンの心配』が、不特定多数に向けられたものだということは理解出来ている。アルゴロイドに向けられる悪感情を想定した結果だろう。
要するにこの話は、ルークの思考回路がシンにとって。
「単純すぎるってことでしょ」
「もう、あんまり笑うと可哀そうよ」
感情を先取りされる形で把握されてしまっているルークがおかしくて仕方なく、ツボに入ってしまったアオイがくつくつと肩を震わせて笑い続ける。
しかもそれを不憫に思い窘めるのが、悪意を向けられた当人であるフレシュというのが、滑稽さに拍車をかける。
毒を吐きかけた相手から同情されたと知れば、ルークはどんな顔をするだろうか。それを想像するのは流石に趣味が悪いか。
「でも、特異って随分心配性っていうか慎重っていうか、用心深い考え方するのね。何か意外」
「面倒くさいだけよ」
今の話で書き換えられたシンの印象をそう述べるアオイに、フレシュがふんと鼻を鳴らして一言で返す。
元々はフレシュのシン評もアオイ寄りのものだったが、こう変わったのは十割デオの影響である。
そんな調子でチームリーダーを粗雑に扱うフレシュに、スキットルから酒をもう一口くいっと喉に流し込んだアオイが「ふーん」と相槌を打って。
「ま、実際、それくらい慎重でいた方がいいかもしれないわね」
「えー、そうかしら?」
アオイの意見に共感出来ないフレシュが、顰め面をして異存ありと声を上げる。
フレシュにしてみれば、何かにつけ穿った見方をするシンの偏屈さは、改善した方がいいと思っている短所の一つなのだが。
「ルークを見たのに暢気なものね。フレシュこそ、ちょっとは意識した方がいいわ」
アルゴロイドに悪感情を持つ冒険者は、合同探索参加者という小さな枠に限定しても、ルークという具体例が存在する。その枠を冒険者全体にまで広げれば、相応の数になるだろう。
その辺りの感覚が鈍いフレシュへ、アオイは蓋を閉めたスキットルを懐へ戻し。
「今回のことだって、フレシュは良かれと思ってのことでも、たぶんルークはファーストマーケットのチームが舐められてると受け取っただろうし」
「そんな!」
そんなつもりなんてないと、そんなことは思っていないと、抗議に口を開こうとするフレシュを視線で制し、アオイは肩を竦めて続ける。
「そういう行動を取ったってことが自覚出来てなきゃ、今後も知らないところで敵を作りかねないわよ」
「…………」
アオイの指摘に口を噤むフレシュ。ただ、話の中身は説教でも、素振りと口調が世間話の体を保ったままでいてくれるのは有難かった。それが気遣いか素なのかはわからないが。
「少なくとも海に関する知見の深さは、古都組に一日の長があるわけだし」
港湾都市を本拠とするチームは当然、こなしてきた依頼に海関連の割合が多く含まれ、他所のチームとで海での経験は比較にもならない。
それを鑑みれば、フレシュのような別都市の冒険者が無用に出しゃばって来たら、それが善意のものでも好意的に受け取るのは感情的に難しくなるだろう。
特に――
「特に海上の戦闘ってなると、『飛翼』の得意分野だからね」
◇◆◇
青白い凶悪な魚が続々と海面から飛び出し、標的を喰い殺さんと襲い来る。
船も大砲で応戦しそれなりの効果は出しているものの、如何せん敵の数が多く圧倒的に手数が足りていない。
体長は小さいが群れを成して船を襲い、その進行を妨げる怪魚族のモンスター――レモラ。
このまま大砲だけではジリ貧になる。厄介な相手に遭遇したと、船乗り達はいつもなら頭を抱えたくなるところだが。
「せいっ!」
鋭い掛け声と共に振り抜いた刃でレモラの群れを斬り払う、心強い味方がここにはいる。
優雅に空を舞い、艶やかに海の魔物を仕留めていく金髪の戦乙女。ニーナ・ウィンブレスが海面すれすれを飛行し、手にした剣を振るって正面に飛び出てくる怪魚共を次々に斬り捨てていく。
だが画になる華麗な彼女の剣も、届く範囲は前方だけに限られる。範囲外の左右後方から、追ってきたレモラの群れが大挙してニーナの背に襲い掛かり。
「〈衝撃波〉」
「〈衝撃波〉」
放たれた二つの波動が重なって膨れ上がり、一息に怪魚共を呑みこんだ。
ぴったり呼吸の合ったユニゾンの詠唱。双子の魔導士、リンとフィーネの魔法だ。
一人が囮となって敵を引き寄せ、一か所に集まったところを仲間が纏めて叩く。群れを成すモンスター相手の常套手段だが、海の上でこれを実行出来るチームは非常に貴重だ。
「ユティ!」
「はーい」
更には滑空してきたセイラとユティアの二人が、衝撃波で撃ち漏らした残りのレモラを狩っていく。
メンバー全員が高い練度で空中浮遊の魔法を操り、自在に天を駆け回る蒼穹の狩人。彼女ら五人が古都の誇る等級持ちの一角――『飛翼』だ。
「シッ!」
「たああっ!」
空中での鮮やかな連携が冴えわたり、レモラはその数を確実に減らしていく。
戦闘において足場を必要としない彼女らは、魔物を船まで引きつけずとも自分達から打って出ていける。そのおかげで、いつもなら計算に入れるべき船の被害も皆無だ。
「ありがてえ」
「流石は海上戦闘に長けた飛翼」
船の上。甲板から砲撃での援護に努めていた船乗り達が、海の上で繰り広げられる戦いに感嘆する。
発見時は大群だった怪魚共だが、飛翼の五人にあっという間に蹴散らされ、力の差と劣勢を悟ったのか相次いで海中へと逃げていく。
形勢は決まった。間もなく勝負はつき、一仕事終えるという気分に彼らの緊張が緩みかけたところで。
「…………おい、あれ」
何かに気づいた船乗りの一人が、何やら恐々とした様子で指を差した。
周囲の船乗り達も彼の示した先を視線で追いかける。飛翼の戦闘海域から更に奥の、海面。
「皆」
戦闘を終えそうな雰囲気になりつつある飛翼の中で、高所から周囲を見渡したリンがいち早く異常を察し、締まった声でメンバーに注意を促す。
「まだ、終わってないみたいね」
リンの見据える先に顔を向け、それを瞳に映したニーナが一度鞘に納めた剣を再び抜きながら呟く。
海を漂う巨大な影。それが徐々に近づいてきたかと思うと、急激に海面が大きく膨れ上がり、特大の水柱が天に突き立った。
「来るわ!」
身構えたニーナがそう叫ぶと同時、海を割って姿を現したクジラに似た巨大な怪物が、飛翼の五人へと襲い掛かってきた。