8 大空洞の主
半楕円形状で左右対称に鮮やかな細工の施された観音開きの豪奢な扉。
この扉をこんな地下深くにどう設えたのだろう。地上から運んできたのか、魔法でどうにかしたのか。
「フェアはどう思う?」
「んー、魔法じゃないかな? たぶん」
「私が据え付けました」
内側からの言葉に続き扉が開く。久方ぶりとなる照明の灯りと共に姿を見せたのは金髪の女性。服装からして侍女だろう。
「ようこそお越し下さいました。ご主人様がお会いになられます、こちらへ」
深々と頭を下げ、シン達を招き入れる。
「わぁ、すごーい」
扉の内側へ進み、周りを見渡したフェアが感嘆の吐息を漏らす。
そこは、ここが洞窟内だということを忘れさせるような内装だった。
足場は当然整備されており、床には上品な絨毯が敷かれ、天井には洒落た照明が煌々と輝き、壁や棚には様々な芸術品が飾られ、その光景はさながら貴族の館を彷彿とさせられた。
「随分丁重だな。俺達は客じゃなく侵入者だろう?」
場所に不釣り合いな華美な装飾に目を奪われつつ、侍女に問いかける。
懇切丁寧な扱いを受ける道理などないはずだ。にも拘らずのこの対応。主の器が大きいのか、それとも何か企みでもあるのか。緊張を解かずについて行く。
「ご主人様の意向にございます」
侍女は表情を変えずに質問に答え、奥の部屋の扉をノックする。
「お連れしました」
「ご苦労様です」
扉が開けられ、整った服装の紳士然とした男が、丁寧な所作で二人を出迎える。この男が、大空洞の主。
「初めまして。私はこの洞窟で暇を持て余す者、ロードと申します。初めに私の大切な友、ガウンの命を奪わないでくれたこと、感謝致します」
ガウンというのはさっきのブルードラゴンのことだろう。
「俺はシンという」
「わたしの名前はフェアだよ。シンがつけてくれたの」
シンは淡々と、フェアは人懐っこい笑顔で自己紹介をする。
「それで、せっかくだが謝意は無用だ。ドラゴンを殺さなかった理由は利己的なものだ」
「あなたのその人間性に対するものも含めて、です」
「……俺が殺すつもりだったらどうしていたんだ?」
「その時はその時です」
その言葉は恐らく本心なのだろう。実際戦闘時のシンは相手の生死に頓着があったわけではない。ドラゴンに命があったのは彼自身の防御力と生命力に起因する。
ロードに促され高級そうなソファに腰を沈める。大空洞の主はテーブルを挟んで対面に座り、話を続けた。
「それで、こちらへはどのような目的があって来られたのでしょうか?」
「それはもう察しているのでは?」
中層まで監視していたのなら、シンの目的は判っているはずだ。
「……そうですね。魔法で監視を行っていたこと、お詫び致します。どうかご容赦下さい」
「それを言うのなら、俺もそちらの領域に勝手に踏み入っているのでお互い様でしょう。むしろ先に咎められるようなことをしたのはこちらの方だ」
頭を下げるロードに対しばつが悪くなるが、本人は全く気に留めた様子もなく、自嘲めいた笑みを浮かべる。
「私はこの地を支配しているわけではありませんよ。二人の友は、私を樹海を統べる王と慕ってくれてはいますがね」
「ご主人様には支配欲がなさすぎます」
割り込んできた言葉は、ティーセットを運んで来た金髪の侍女のものだ。
「別に悪いことではないでしょう? コヴァ。君だって力はあるものの私の元を離れようとしないではありませんか」
「……離れてほしいのですか?」
「まさか」
苦笑する主人を横目に手際良く侍女――コヴァがカップに紅茶を注いでいく。フェア用であろう極小サイズのカップにも零すことなく器用に。
「どうも」
「ありがとう」
ニ人のお礼の言葉に対し微笑みが返ってくる。無表情のタイプかと思っていたので意外だった。
「それで話の続きだが、俺はこの世界に関する情報が欲しい。今自分がどんな状況に置かれているのか、まだ把握しきれていない」
「ふむ、失礼ですが、初対面の相手にその要求は些か浅慮では。私が提供するものは虚偽の情報かもしれませんよ?」
「親切にどうも。だがこちらも取捨選択くらいはするさ。情報の真偽を確認する術は――」
ちらりと視線をフェアに送る。
「――皆無というわけでもない」
「……そうでしたね」
紅茶を啜り、両者は僅かに口角を上げる。
ブラフだ。全くの嘘ではないが、フェアの知識に偏りがあることくらい互いにわかっているはず。今はまだ情報の擦り合わせすら行えない。
すなわちこの言葉の意味するところは、虚偽の情報でも構わないという意思表示である。
何らかの意図があって嘘を教えるにしても、全てが嘘では思惑通りに相手を操作することは難しい。従って供与されるのは真偽を織り交ぜた情報となるはず。
情報の真偽の見極めは確かに困難だが、それでも今は何もないよりは少しでもこの世界に関する見分を広めておきたかった。
それに加え、シンには一つ目算があった。
この大空洞の主はフェアの知識にあった、つまりはゲームから踏襲されたキャラクターだ。
メタ的な考えになるが、最強クラスのドラゴンを従え、広大な洞窟の最下層で暮らすという設定を施されたNPCが、シンに対して悪意のある情報を与える可能性は低いと見込んでいた。
ただ、この世界はゲームの世界から大きく変化しているので、想定外の事柄も当然あるだろうし、気を緩めることは出来ないが。
「それに元より只で情報を貰おうとは思っていない。何か要望があれば対価として支払おう」
こんな洞窟地下深くの住人が欲するものなど普通なら見当もつかないが。
「その顔は、こちらの要求するものに何か目星がついているようですね」
ニ人の視線が交差する。ロードはシンの無言を肯定と捉えたようで、言葉を続けた。
「それでは恐れ入りますが、場所の移動をお願いします」
「わかった」
立ち上がり、ロードはニ人について来るよう促す。シンも言葉に倣い席を立ち、後に続いた。
部屋を出てエントランスを抜け、玄関口の豪奢な扉を開ける。
「〈照明灯〉」
ロードの館を出ると、コヴァが魔法で一帯の暗闇に光を照らした。
「やはりこちらへ来られましたか、ご主人様」
深く鮮やかな青い髪が光に照らされ、一人の男がロードに跪く。……男?
「え、さっきのドラゴン? ……人じゃん!」
「非戦闘時はいつも人型ですよ、ガウンも」
人型になれること自体は別にいい。変身効果のアイテムか魔法でも使ったのだろう。だが、今の発言には気になることがニつあるぞ。
「いつも? 今は巨体が邪魔になるから姿を変えているというわけではなく、常時? 何か理由でもあるのか?」
「従者が主を模した姿でいることに、何の疑問がある」
ガウンが当然だという顔でシンを睨む。
「え、そういうもんなの?」
「そういうものだ」
「私は別に気を遣う必要はないと言っているのですがね。己の過ごしやすい姿で構わないと」
ロードは言葉とは裏腹に、まんざらでもない表情を見せる。
「それから、ガウン『も』って、もしかして……」
「ええ、紹介しましょう。彼女も八彩竜の一、黄竜、コヴァ・イエローです」
紹介を受け、コヴァが嫋やかにお辞儀をする。
「マジかよ。フェア、もしかして知ってた?」
「コヴァがイエロードラゴンだってこと? うん、知ってたよ」
思いがけない事実に若干の驚きを見せるシンに、いつもの調子でフェアが答える。
(どんだけ大物なんだ)
改めてロードに視線を移す。この男は、世界最強クラスの八体の竜のうちのニ体を従えているということになる。
「そして彼の方はもうご存知でしょう。青竜、ガウン・ブルーです」
ガウンは先程の戦闘のダメージが残っているらしく、頭を下げる際僅かに表情を歪めた。
「ふふ、ガウン、見事にやられましたね。コヴァ」
「〈外傷治癒〉」
主の言葉を受け、コヴァが癒しの魔法をガウンに施す。
「ガウンに対しこれほどまでに完璧な勝利を収めるとは、いやはや素晴らしい。破格の力量をお持ちですね」
「やめてくれ。俺がこの力を有しているのは卑怯とも言える理由からだ。とても誇れるものじゃない」
世辞ではない、ロードの心からの称賛だが、シンは吐き捨てた。
心底うんざりする。こんな力に頼らなければならない現状に、そして自分に。
「理由など、どうでも良いのです」
ロードの声のトーンが、変わる。
それと同時にその場の空気が今までの和やかなものから、緊張を含んだものへと一変した。
「私にとって、今、あなたが絶大な力を所持している。その事実が全てなのです」
笑みが浮かび上がる。
それは今までの来客に対する愛想笑いとは一線を画すものだった。そこにある感情は、相手の持つ力に対する純粋で冷酷な好奇心。
この表情を向けられた相手がシンでなければ、対象者は夥しい恐怖に襲われ、迷うことなくその場から逃げ出したことだろう。
(やっぱりそうか)
こんな洞窟地下深くの住人が欲するものなど普通なら見当もつかないが、シンは想像出来ていた。
館に入る前にかけられた、ガウンの言葉で。
「では先程までの話の続きと参りましょう。私の求める対価は、あなたの力の証明です」
「そうか、どうすればいい?」
質問をするが、答えはわかりきっていた。
「簡単なことです」
言葉の後、ロードは跳躍してシンと距離を取る。
そして大仰に両手を広げ、悪夢に出てきそうな笑みを携え、シンに告げた。
「私と戦い、あなたのその力で以って、私を打ち負かして見せて下さい」
「わかった」
予想通りの返答を受け、シンは大空洞の主に相対した。