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Lv.グラハム数で手探る異世界原理  作者: 赤羽ひでお
3 生命、倫理、テセウスの船
86/95

85 ひと時の休息

 港湾都市ファーストマーケットは、大きく三つの地域に分けられる。

 まずは王国軍が敷地を所有する北部。海軍工廠までをも有する申し分ない施設を備えた、王国最大の軍港として知られる最重要根拠地だ。

 次に大半の住民の主な生活区域となる中部。一般市民の居住地域の上に、政治、生産、商業、教育等々、都市としての様々な機能も集約した、統率と雑多の混在する多様な地域だ。

 最後に富裕層や観光客で賑わう南部。海岸線は美しい砂浜が延々と広がっていて、各種娯楽施設の充実した古都のもう一つの顔、リゾート地である。


「流石にこの時期は、観光客が多いねえ」


 砂浜に立てたパラソルの下で夏の日差しを遮って、寛ぎながらビーチの様子を眺めるくすんだ赤髪の男――デオがそう呟く。

 夏真っ盛りのファーストマーケットの砂浜は、例年に漏れず海水浴客で大いに賑わっていた。家族連れから恋人同士と思しき男女のカップル、気の合う仲間のグループと、様々な層の集団が古都の海を満喫している。

 貴族の別荘や豪華な宿泊施設も立ち並ぶファーストマーケットのリゾート。ベレスフォード家も別荘を所有してはいるが、シンもフレシュも必要以上に侯爵家に厄介になることを嫌い、利用は避けた。


「……ねえ、デオ」

「何だい?」


 躊躇いがちにデオの名を呼んだのは薄萌葱の髪の少女――フレシュ。

 ビーチへ連れられるに当たって水色のセパレートの水着に着替え、白い肌と成熟までの伸びしろを仄かに残した身体のライン――パレオで隠れた腰元以外――を披露した彼女は、複雑そうな心境を湛えた表情で問いかける。


「私、遊んでていいの? ……訓練も、しないで」


 絞り出すようにして口にするその言葉から、彼女の逡巡と葛藤が見て取れる。

 商都から古都への道中でも、デオは時間を見繕ってはフレシュに戦闘訓練を課してきた。それがここへきて観光気分満開のビーチで海水浴となれば、首を傾げたくもなるだろう。

 ただ、直近の訓練は獅子の子落としにも似た手心を加えない苛烈なもので、フレシュが恐怖を覚えるほどのものであった。藪蛇にもなりかねないこの質問は、それでも聞かずにはいられない彼女の真面目な気質を、如実に表すものでもあった。


「本番に向けて、疲労を残すわけにはいかないだろう?」

「それは……そうかもしれないけど」


 魔法では疲労の回復は望めない。外傷治癒の魔法はあくまで傷ついた肉体の再生能力を促進させるだけの魔法であって、失った血液や体力を取り戻す効果は無い。したがって蓄積した身体の疲労は、休養によって自然回復させる以外に回復方法は無い。

 翌日にはもう、合同探索が控えている。目的地のレパード海底神殿到着までまだ日数はあるが、その間の慣れない船旅を考慮すると、現時点で体調は万全にしておくべきであろう。


「今の君なら、六首竜相手でもそう簡単に殺されることはない。勿論過信は禁物だけど、そこまで不安がる必要もないさ」

「……海底神殿で、もし、皆とはぐれちゃっても?」

「ああ、その場合は体力の温存を第一に、戦闘は敵を倒しきることより逃げ延びることをなるべく優先してな」


 素質に恵まれたフレシュの成長速度は目を瞠るものがあり、この短期間で魔法に頼らずともそれなりの戦いが出来るまでになってきた。

 精神面も実戦訓練によって意識の変化が見られ、ネックだった甘えも幾分払拭させられた。その分、デオに対する恐怖心がフレシュの中で芽生えてしまったが、その程度必要経費としてみれば無いに等しい。


「フレシュー、泳ぎに行こうよー」


 フレシュを待っていたフェアが、痺れを切らして急かしてくる。

 手のひらサイズの彼女もしっかり水着に着替えている。市販のものとは思えないが、シンが用意したのだろうか。


「今日一日は、気分転換に使えばいい。フェアと一緒に楽しんで来い」

「……それでいいのね」


 何事も純粋に楽しむフェアの、その天真爛漫な気質にフレシュも乗っかればいいとデオが頷く。

 訓練を経た自分の成長に自信を持ち切れていないフレシュだったが、デオがそう言う以上はいいだろうと気分を切り替えて。


「わかった。じゃ、行ってくるわ」

「ほらフレシュ、早く早く~」


 表情から暗さを消し去って、先行くフェアを追い波打ち際へと駆けて行った。

 二人の後姿を目を細めながら見送るデオ。その耳に、ザッザッという砂を踏む足音が近づいてくると。


「意外」


 聞こえるか聞こえないか程度の小さな声量で、声をかけられた。


「あなたが、ここに参加してくるなんて」


 振り向けばそこに佇んでいたのは、黒髪黒目の小柄な少女だ。

 小柄ながら女性らしい起伏もほどほどに備えた身体に黒の水着が良く映える、商都の三等級シーカーチームトリックスターズのアタッカー、ネリー・ウェレット。


「……そうかい?」

「ん。それ以前に、誰かとシーカーチームを組んでることが、既にそう」


 デオがシン達とチームを組んだのは、それなりの理由と打算があってのことだ。なのでその経緯を知らないネリーにとっては、予想だにしていなかったことなのだろう。


「それはお互い様さ。俺だって、お宅がチームを組んだと聞いた時は、随分驚いたもんさ」


 デオの知るネリーは物静かで集中力に富んだ少女だが、一方で使命感に駆られると後先考えず突っ走って行ってしまうという一面もある。しかしながら普段の気質は至って受動的で、何かしら自分の欲求を満たすために主体的に行動を起こしたことは、デオの知る限り一度もない。


「ん、私もそんな気は無かったけど『お前はもっと、自分の頭と足で世界を回ってみろ』って……」

「そうかい」


 彼女にそう助言した人物の気持ちは良くわかる。放っておけば、特に何を目的にするでもなく無為に日々を過ごして時間を浪費するだけ。その身に宿す凄まじい力も、使い道を見出せず宝の持ち腐れとなっていたことであろう。

 要するに彼女は、人生を楽しむことが致命的に下手くそなのだ。


「それで、どうだい? チームを組んでみた、今は」

「……どう?」


 デオが何を問うているのかわからないようで、ネリーがきょとんとして首を傾げる。昔から彼女は、行間や他者の意図を読むのを苦手としていた。

 それでいて、時に想像もし得ないような人の本心や物事の本質といった核心に、誰よりも迫ることがあるのだからこの少女は面白い。

 そんなネリーに苦笑を漏らしながら、デオは言葉足らずになっていた問いの要点を絞ってやって、改めて尋ねた。


「楽しいかい?」

「……ん」


 その問いに、ネリーは一瞬だけ目を丸く見開いた。

 恐らく考えたことも無かったのだろう、真夏の青空を見つめ、一呼吸、二呼吸と、じっくりと己の感情を探るように時間を置いてから。


「とても」


 わかるかわからないか程度のおぼろげな微笑みを浮かべて、満ち足りた穏やかな声音と共に、そうデオへ答えを返した。


「そいつは良かった」


 ネリーの充実している今を知れて、デオもまた満足してふっと笑いかける。

 デオの知人としてはヴィタンと同様、あまり感情が表に出て来ないネリーだが、両者共別に喜怒哀楽に乏しいわけではない。

 ただ、ヴィタンは己の感情を律しているのに対して、ネリーは己の抱いている感情に鈍感なだけという違いはあるが。


「あ、いた! ネリーネリー!」

「レイ」


 和んだ空気の二人の元に、騒がしい空気が手を振って駆け寄ってくる。黒髪黒目で整った顔立ちをしたネリーのチームメイト、レイ・クルツだ。


「誰と話して……お、確かシンとこのチームの。そういや知り合いっつってたっけ」

「ん、そう」

「急ぎの用事かい?」

「おーそりゃもう、ここが天下分け目の天王山! ネリーの力が絶対に必要なんだって」

「何に?」


 デオの問いに気勢を上げて答えるレイ。その言い回しにネリーが首を傾げると、彼はぐっと握った拳を突き出して。


「奇石の連中と、ビーチバレー対決だ!」

「ビーチバレー?」

「こっちはフェルと二人なのに、あっちは四人で悠々とローテ回してきてんだよ。このままじゃ体力に差がついて負けっちまう」

「そう」


 レイが身振り手振りを加えて忙しなく喋り立てる。それに対するネリーの反応は、傍目には些か以上にそっけない。ただそれは、彼女にとってとりわけ興味も関心も無いわけではなく、感情が表に出ていないだけなのだ。


「そんなわけでネリー連れてくけど、何か大事な話とかしてたら申し訳ねえ」

「いいや、問題ないよ」

「サンクス!」


 そういったネリーという少女の性質を良く理解しているのであろう、レイは白い歯を見せてデオに朗らかに礼を言うと、塩対応にも映る態度の水着の少女に構うことなくその手を取った。


「よっしゃ行くぞネリー! 負けられない戦いが、そこにある!」

「ん、わかった」


 大袈裟に意気込んで宣言したレイが、ネリーの手を引いて駆け出していく。

 遠慮や気兼ねといったものが欠片も見られないレイだが、ネリーは何の不満もないどころか――はっきりと表には出していないが――むしろ好意的なようで、素直に手を引かれるままレイと二人古都の砂浜を駆けて行った。


「あいつには、ああやって引っ張っていく相手がいてくれた方が、いいんだろうねえ」


 走り去る二人の、小さくなっていく後姿を見つめるデオ。その口元から零れた呟きは、ビーチの喧騒と波の音に混じって溶けていった。



  ◇◆◇



「――以上だ。何か質問がある者はいるか?」


 合同探索におけるプランと段取り、及びその注意点などの詳細な説明を一通り終え、ヨハネスがミーティング参加者を見渡してその認識具合を確認する。

 特に誰からの声も上がることなく、質疑応答は不要と判じたヨハネスがクロールへ目配せすると。


「では、以上をもって最終ミーティングを終了する。明日からいよいよ本番だ、それぞれ仲間達の間でしっかり情報を共有してくれたまえ」


 最後にクロールがそう締めくくった。

 そうしてこの場は解散という空気になるその前に、ニーナが「ちょっといいかしら」と手を上げて注目を集めると。


「この後なんだけど、参加者皆で集まって食事会なんてどうかしら。チーム同士の親睦を深める意味でも、前夜祭みたいな感じで」

「お、いいねー賛成。お前は? グレゴリー」

「え? ぼ、僕は……」

「勿論、無理にとは言わないわ」


 ニーナの提案にミロスは即決で乗っかるが、グレゴリーの方はやはりと言うべきか、気後れしている様子。

 それを察したニーナが気遣って助け舟を出すと、グレゴリーはいつものおどおどした表情にぐっと気を入れて。


「い、いえ、僕も参加します」

「本当? 嬉しいわ」


 ニーナが胸の前で手を合わせぱっと表情を輝かせる。

 引っ込み思案で人と接するのを避けがちなグレゴリーの、珍しく意欲的な返答が本当に嬉しかったようだ。


「そっちは? ヨハン、サーピー」


 次いでニーナはヨハネスとクロールを愛称で呼んで返答を求める。

 付き合いの長いヨハネスはともかく、クロールの方は彼女と特に親しい仲というわけでもない。彼を愛称で呼ぶのは、それが冒険者達の中で浸透した呼び名だからだ。

 ちなみにその由来は彼の二つ名『サー・プロスペクター』からで、口にする上で長ったらしく『サー・P』と略されたのが広まって定着したものである。


「参加しよう。親睦を深めることは得てして些か以上に有意義だ」

「うむ、断る道理が無い」


 そう二人からも色よい返事を貰うと、ニーナはくるりと振り返って最後にシンとアシュトンの二人へ同じ問いを瞳で問いかけた。


「うん、参加させてもらうよ」

「こちらとしても有難いです、是非」

「ん、全チーム参加ね。じゃ、お店の手配はしておくから、後で連絡するわね」


 この場の全員が参加の意思を示したことにニーナが満足げに頷いて、今度こそ解散の流れとなる。

 そんな中でシンは、ちらちらとこちらを窺うような視線を送られていることに気がついた。


「えっと、俺に何か用事ですか?」

「あ、いえ、えーと……」


 視線の主はアノニムのグレゴリー。前述の通り内向的な気質の彼が、積極的に他人と関わろうとするのは稀だ。なので彼がこうしてシンへ視線を送っていたのには、それなりの理由があるのだろう。


「あーこいつな、お前さんとこのフェアと、もっかい話をしたがってたんだよ」

「わ、ちょ、ミロス!」

「あー……」


 しどろもどろになるグレゴリーの後ろからミロスがシンへ解説を入れると、グレゴリーは顔を紅潮させて抗議の声を上げた。


「勿論、フェアも一緒ですんで。ならそうした機会も、それとなく作りましょうか」

「え? あ、いや、その……」


 ミロスの解説でグレゴリーの視線の意図を察したシンがそう告げると、内気な少年は目を泳がせながら発した尻すぼみになっていく声の、その最後に。


「よ、よろしくお願いします……」


 気恥ずかしさで真っ赤になった顔を伏せて、そう小さく呟いた。


「ええ、わかりました」


 全く、フェアも罪な妖精である。

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