84 二人の潜入者
ブライトリス王国四大都市の一つであるファーストマーケットは、言うまでもなく王国最大の港湾都市だ。
その港湾施設は他では見られない充実ぶりで、広大な倉庫や上屋にはひっきりなしに膨大な量の物資と人員とが行き交い、内陸の市場や工場へと種々様々な商品が次々に出荷されていく。
埠頭には漁船や客船、貨物船など各種船舶がそれぞれの係留施設にずらりと停泊し、壮観な光景を作り出して次の航海の時を静かに待っている。
そんな港の一角に停泊する一隻のガレオン船、その船内に潜む人影が二つ。
「こんな大層な船を所有してるなんて、冒険者組合って随分儲かってるのね」
一つは立派な船に対し皮肉を交えて感想を口にする、ふんわりとした栗色の髪の女性。
所属する王国軍に休暇を申請し、王国上位の冒険者達によるレパード海底神殿合同探索への潜入を試みる、ナインクラック、マニピュレーターのサイリ・キトラス。
「良かったー。これだけ大きな船なら、私も結構楽出来そう」
事前に下調べはしておいたとはいえ、実際に乗ってみなければ感覚的なところまでは掴めない。ともすればかなりの神経を使うかもしれないと覚悟していた自分の仕事だが、思っていたよりも軽い負担で済みそうだと、もう一つの影――アリスが安堵の息をつく。
昨日夕刻に合流した二人は、人目につかないその日の深夜にこの船に乗り込んだ。密航を防ぐための見張りはいたが、そんな目など隠密技能に特化したアリスの前では何の意味もなさなかった。
「前日にしては慌ただしさもそこまでだし、搬入する物資の量は大したことなさそうね」
「何か月も航海するわけじゃないからね。神殿の探索時間にもよるけど、往復で一、二週間程度の予定みたいだから」
上――甲板の方では、船乗り達が航海に向けた準備に勤しみ、真夏の日差しの下で汗を流している。
今回この船が臨む航海は大洋を横断するような長期間に及ぶものではなく、ここファーストマーケットから目的地の洋上であるイーリッシュ島沖合の海域までを往復するものだ。なので必要となる物資も比較的少なく済む。
乗組員を含めた乗船者数にも定員から大分余裕があり、二人が身を潜めるのにそう悪い条件ではない。
と、二人で会話を続ける中、不意にアリスの表情がピクリと動き。
「サイリ、誰か来る」
声を潜めてそう伝えてきた後、サイリの耳にも徐々にこちらへと近づいてくる足音が聞こえてきた。
サイリ一人なら、物陰に身を隠すなり面倒な対応をしなければならないところだ。しかし、この場にはアリスがいる。
「そ」
故に、誰かが来たところで何の問題もないと、サイリは全幅の信頼を寄せる仲間に微笑みかけた。
◇◆◇
「と、確かこっちの方に……どこだっけか」
独り言を呟きながら甲板から下りてきたのは、冒険者組合下請けの船乗りの一人。
彼は曖昧になりかけた記憶を辿りつつ、一歩一歩進みながら目当てのものを探して注意深く首を巡らせ。
「おお、こいつだこいつ」
ほどなく隅に置かれた木箱を見つけて口元を綻ばせる。
船乗りは「よっ」と軽く気合を込めて木箱を肩に担ぐと、何の違和感も抱いた様子もなく再び甲板の方へと戻っていった。
◇◆◇
「……行ったわね」
甲板へと戻っていく船乗りの足音が聞こえなくなるのを待って、サイリはアリスへ確認を求める。
「うん、また暫くの間は大丈夫みたい」
周辺に人の気配がなくなったことを慎重に見極めたアリスがそう答えると、背景に溶け込んでいたサイリとアリス二人の姿がスーッとこの場に浮かび上がった。
船乗りをやり過ごしたのは、アリスの使った透明化と認識疎外の二つの魔法だ。サイリも一応使えはするが、透明化の方は空間に歪みが生じたような粗さの残る半端な練度で、とても違和感のない状態に仕上げられる腕ではない。認識疎外も同様に、アリスの磨き上げたそれとは比べるべくもない。
「ここからおおよそ一週間、体力は保ちそう?」
「だいじょぶ、余裕」
長期の能力行使に対する心身の疲労を思い遣るサイリへ、アリスが二ッと笑いかける。
この船に復路まで厄介になる必要はない。海底神殿での目標を達成すれば、サイリ達はそのままホームへ戻ればいいのだから。
とはいえ一週間だ。その間ずっと二人は見つかるわけにはいかず、周囲を警戒し続けなければならない。しかも相手は先程の船乗りのような素人ではなく、埒外の力を有する七暁神に特異、守護妖精だ。加えて優秀な冒険者も多数いる。いくらアリスが隠密能力に長けているとはいえ、とても魔法だけで乗り切れるような面子ではない。
「私一人じゃ大変だろうけど、サイリが一緒だしね」
「! 私は……」
愛らしい屈託のない笑顔で心を預けてくれるアリスに、サイリは言葉を詰まらせる。
この合同探索の潜入においては何よりも、アリスのアビリティが前提にある。彼女の『知覚排斥』は扱いに難はあるが、その分魔法よりも遥かに強力だ。その効果が及んでいるうちは、まず見つかる恐れはないと断言出来る。
「……そうね」
だからといって、それに頼り切っていてはアリスの負担が大きすぎる。四六時中彼女に能力を行使させ続けるわけにはいかない。
よって、サイリの働きもそれなりに重要になってくる。
思っていたより広いとはいえ、隠れるスペースの限定された空間だ。二人の潜む場所に極力他人を寄せ付けないよう、工夫して賄うくらいのことはサイリがやってやらなければ。
「私も出来る限り、アリスのサポートをするわ」
そう様々な場面に対処するために、事前に仕込みを入れて手駒を作っておいたのだから。
◇◆◇
令名を馳せる豪華な顔ぶれが一堂に会する、冒険者組合ファーストマーケット支部の一室。
「遅刻者なし、結構」
合同探索参加チームのリーダーが揃い、その面々を見回して一つ大きく頷いたのは茶髪の男。この合同探索の主催を務める王都の二等級シーカーチーム『奇石』のリーダー、『サー・プロスペクター』クロール・サヴィン。
「まあ大げさに喜ぶことではないが、足並みが揃っているというのは良いことだ」
少々暑苦しいクロールに対し、理性的な言葉で地に足をつけさせたのは落ち着いた雰囲気の青髪の男。合同探索の現場進行を統括していた古都の三等級シーカチーム『ラルスカヌス』のリーダー、ヨハネス・バレンタイン。
「ファーストマーケット組は現場での準備、お疲れ様。おかげで予定通りに本番を迎えられそうだね」
現地組に労いの言葉をかけ爽やかに笑いかけたのは、白い宝石のサークレットをつけた明るい青髪の男。先の竜騒動の際に目覚ましい活躍を見せた商都の三等級シーカーチーム『トリックスターズ』のリーダー、アシュトン・ロメロ。
「計画の概要がはっきりしてたからね。衝突することも迷うことも少なかったわ」
現場の苦労もあったろうにそれを感じさせず、指示を送った相手を立てるのは快活そうな金髪の女。女性のみの五人で構成された古都の三等級シーカーチーム『飛翼』のリーダー、ニーナ・ウィンブレス。
「その辺は主催の手腕だな。よっ、王国一の冒険者!」
ニーナの言葉に悪ノリしてクロールのことを囃し、陽気に笑いを誘うのは赤髪の男。王国史上初となる二人組での等級持ちに認定された古都の三等級シーカーチーム『アノニム』の片割れ、ミロス・ディミニク。
「ミロス、そのノリ僕、ついてけないよ……」
無駄にハイなミロスの言動に嘆息し、諦めた様子で引き気味に見つめるのは小柄な黒髪の少年。どちらがリーダーということもなく、対等な両者共にこの場に参加することとなった『アノニム』の片割れ、グレゴリー・ラオルトフ。
「計画立案と現場、双方の仕事が噛み合った結果ですね。乗っかるだけの身としては、有難い以上に肩身が狭いところですが」
そして新参という立場から空気を読んで低姿勢に徹する、中肉中背黒髪黒目の一見凡庸な男。竜騒動の一件で銀妖と共に紫竜を退け、一躍その名を轟かせた商都の優良シーカーチーム『アルゴロイド』のリーダー、『特異』シン・グラリット。
「そう恐縮されると、アルゴロイドを誘ったこちらとしても肩身が狭いかな」
「今すげー勢いの冒険者とは思えねー物腰だよな。グレゴリーの奴なんか、それをえらい気味悪がって警戒しまくってるし」
「え、ちょ……そ、そんなこと……あぅ……ごめんなさい……」
「あー、新参がでかい顔するのはどうかなと思ってたんですけど、こう畏まる方が却って心証悪くしますかね」
シンの謙虚さの話から突然ミロスに話題の矛先を向けられ、目を泳がせておろおろと慌てるグレゴリーにシンが頭をかいて苦笑する。そこへクロールが「そういえば」と顎に手を添え。
「僕と初めて会ったムーンアップでのシン君は、あまり口調が定まっていなかったね。あれは僕らとの距離感を測っていたのだろう」
「王侯貴族の主導する格式ばった仕事じゃないんだし、楽にしてればいいのよ」
「自然体でいい。今の言動が自然体なら、それを変える必要もない」
「じゃあお言葉に甘えて、好きにさせてもらいます」
シンの物腰の低さは相手への配慮というのも勿論あるが、それ以上に相手との心の距離という理由の方が大きい。
まだ知り合って間もない相手と親しい友人のように言葉を交わすには抵抗が大きく、そちらへと断りづらい善意の誘導をしてこないヨハネスのスタンスは、シンにとって有難かった。
「はは、レイから聞いてはいたけど、確かに自分を主張するタイプじゃなさそうだね」
「……レイの奴、俺のことをなんて?」
アシュトンの口からレイによる評が出て来て、どうにも気になったシンは一歩踏み込んで尋ねる。あいつが仲間達にシンのことをどんなふうに伝えていたのか。一部の事実を基に極端なバイアスをかけた、酷く偏向したものになってそうでちょっと怖い。
「ん? そうだね……場の空気に合わせた言動をとりがちな事なかれ主義者、てとこかな」
「……それだけじゃないですよね」
「さて、どうだったかな」
追求するシンをアシュトンが片目を瞑って煙に巻く。あ、これ、絶対他にも何かあるやつだ。
そんな両者のやり取りに違和感を抱いたようで、クロールが「うん?」と眉根を寄せた。
「君達、顔見知りではないのか? 今のはまるで初対面のように見えるが」
「ん? ああ、その通りだよ」
「ええそりゃまあ、初対面ですから」
あっさりと肯定するシンとアシュトン。それが思ってもいなかったことというのは残る四人も同じようで、それぞれささやかながら意外そうな反応を示す中、ニーナが疑問を口に出してきた。
「でも、アルゴロイドを誘ったのはトリックスターズのレイ・クルツなんでしょ?」
「というか面識が無かったのって、チームで俺だけなんだよね」
「エプスノームでは結局、顔を合わせる機会が無かったもんで」
優良に昇級するまでの依頼をこなしている間に一度くらいは行き合うだろうと思っていたが、結局そんな機会は訪れなかった。
商都で先んじて彼に会っていなくとも特別困ることもないだろうから、積極的に会いに行こうとしなかったものぐさの結果である。
「そういえば、うちのデオがそっちに知り合いがいるって言ってましたけど」
「ああ、うん、それは俺とネリーのことだね」
「んん? そいつは同じチーム同士で、別々のルートの交友関係があるってことか?」
シンとレイ、デオとアシュトン、ネリーという、チームを挟んだ二組の交友関係の存在にミロスが声を上げる。
交流のあるチーム同士でなら別に珍しくもないことだが、両者の会話からアルゴロイドとトリックスターズの間で、チームとしての交流は今まで無かったことが判明した。その上での前述だ、問いたくなるのも無理はない。
「俺とレイの方は知り合って間もない浅い関係ですけど、まあ確かに出来た偶然だとは思いますね」
「そんじゃあ、そっちの関係は?」
ミロスはシンの答えを聞くと、その流れでアシュトンにも同様の問いを投げる。彼としては何とはなしに聞いてみた他愛もないことだろうが、それはシンとしても気になるところだった。
以前デオとその話題になった時は軽く流してしまったが、改めて思えば破壊神セト・クレタリアの知人だ。もしかしたら二人は七暁神や他のプレイヤー、更には現世と識世の根幹についても関連があるかもしれない。
そう仄かに期待を寄せるシンの瞳に映された、トリックスターズのリーダーアシュトン・ロメロは。
「まあ、昔ちょっとね」
肩を竦めて曖昧に言葉を濁し、ミロスの質問を受け流した。
何かしら具体的な答えを返す気のないアシュトンにも、ミロスは特に食い下がることもなく「ふーん」と大して興味もなさそうに話を流す。
シンとしては肩透かしだったが、仮にアシュトンが七暁神と何かしらの繋がりがあるとして、とてもこの場で話せるようなことではない。それにどの道、後でデオに聞いてみればいいことだ。
「個人的な話は後でいいだろう。そろそろ本題に入らせてもらえるか」
「おお、わりーわりー。横道に逸れちまってたな」
「すいません、貴重な時間を無駄にしてましたね」
「そうだね、いい加減今日の本筋に移るとしようか」
無駄話にうつつを抜かす面々にヨハネスが口を挟むことで、ようやくこの面子が集まった本来の目的へと場の空気が切り替わる。
そうして各々の準備が整ったことを確認して、主催のクロールが高らかに音頭を取った。
「ではこれより、レパード海底神殿合同探索の最終ミーティングを開始する」




