82 最初の市場
馬車が丘を下っていく。
山岳と都市部に挟まれた耕地を通り過ぎ、次第に人の生活する気配が濃くなっていく。
建物も倉庫などの業務用の施設からまばらに民家が目につき始め、徐々にその密度を増し、そうして間もなく。
「らっしゃいらっしゃいらっしゃい!」
「王国最初の市場、古都、港湾都市ファーストマーケットへようこそ!」
「長旅お疲れさまでした、ご宿泊は是非とも当宿へ!」
「今朝方港で揚がった、新鮮な海の幸だよ~!」
「冒険者の皆さん、旅路で消耗した装備、一新してみてはどうでしょう!」
活気溢れる大きな街の喧騒が、アルゴロイド一行を景気よく出迎えた。
街道から直通の大通りは人と荷車でごった返しており、大勢の商人達が競って客を引く声が飛び交っている。決して狭くはない往来だが行き交う通行者の密度の濃さに、馬車を走らせるのも一苦労だ。
「わあ、凄い賑やかだね」
「こりゃあまた、エプスノームとは一味違った賑わいだな」
フェアとシンがそうファーストマーケットの第一印象を口にする。
屋舎内の店舗が主だった商都の大通りに対して、こちらは圧倒的に露店が多い。食品を扱う屋台や移動式の店舗などが多数立ち並び、狭い店の隙間を縫うように雑多な商品が軒を連ねている。
また、関所の通行税が割高な分ほかでの徴収は限定的で、自由にシームレスに移動出来る場所が多いのも古都の特徴の一つだ。商都にあった外壁のように、都市と都市外とを隔てる境界の存在も見られない。
「相変わらずの活気だねえ。で、まずはどうする? 飯か、宿の確保か」
「あ、それなら先に宿でお願い。馬と御者を早めに休ませてあげたいの」
「おう、わかった」
フレシュの意見を受け、一行は宿の確保を優先させる。
ここまでずっと一人で馬車の手綱を取ってくれた侯爵家の御者。何度かシンとデオが「代わろうか」と声をかけたが、その都度「これが自分の仕事ですので」と断られていた。
その御者にまずは宿へとの旨を伝えると、ベテランの彼は何度も訪れ勝手知ったる古都お勧めの宿へと案内してくれた。
受付で手続きをして支払いを済ませると、馬車と馬の手入れに勤しむ御者を一言労って、四人はいよいよファーストマーケットの街並みへと繰り出した。
「宿、街に入って割とすぐのところだと思ったけど、意外と海岸からそんなに離れてなさそうだな」
ここからでは流石にまだ視界には映らないが、肌でその気配が感じられるほどに海が近いのがわかる。
王国四大都市にも数えられるこの街。実際にシンが丘の上から目にした古都の景色は商都にも引けを取らない規模に思えたが、それが今では印象がかなり異なっていた。
「ファーストマーケットは海岸線に接して発展してきた街だからねえ。南北に長く広がっているけれど、東西はさほどでもないんだ」
「へえ、まあ東に行ってもすぐ山脈にぶつかるし、そうなるか」
デオの説明に加え、シンは地理的な特徴も考慮して納得する。
今回の目的、合同探索で海底神殿へ挑むには海へ出る必要があるので、宿から港までそう遠くないというのはむしろ都合が良かった。
「ねえねえシン、おいしそうなお店がたくさんあるよ!」
「ああ、空きっ腹にこの匂いは反則だろ」
通りから漂ってくる香りに食欲を掻き立てられる。港湾都市というだけあって、露店の品はシーフードをメインとしたところが多い。各々が仕入れてきた新鮮な魚介類を調理する様子から見せ、そのまま食べられるように並べて売られている。
「食事、どのお店にするの?」
「別にどこか一か所に拘らず、露店を梯子して食べ歩きでいいんじゃないかい?」
「あ、それいいね! いろんなの食べれるし」
「俺も賛成だけど、良家のお嬢様に屋台で買い食いは抵抗あるんじゃねーか?」
「別にそんなこと……ないわよ」
「間があったな」
「うるさいわね」
実際フレシュには多少の抵抗があるようだったが、シンへの反発心の方がそれより数段勝ったらしい。口を尖らせた彼女は乗り気ではないにしても、渋々といった様子もなく拒否感は些末なもののようだ。
そうして一行は道行く先々の露店を見て回り、気になった皿を物色して腹を満たしていく。
「しっかし今更なんだが、竜の棲む島がすぐ近くにあるとは思えない賑わいっぷりだな」
「そうだねえ。実際、軍関係者でもなければイーリッシュの竜のことなんて、普段から意識してはいないだろうよ」
熱々のホタテの串焼きにかぶりつき、口に広がる旨味を堪能しある程度満足したシンが、ふと思ったことを言葉にする。
エプスノームでの竜騒動が記憶に新しく、その脅威から程近い立地にあるはずのこの街の住民達だが、そうした意識は大分薄そうである。
ただ、そこでシンが抱いたのは危機感が足りないなどのネガティブな印象ではなく、その逆だ。
「それだけ、治安が安定してるってことか」
竜の棲む島がすぐ近くにあろうと日頃からそれを意識する必要に迫られない、剣呑さとは無縁の平和な街の雰囲気に感心する。
とはいえそれも当然か。そうでなければ今頃この街は、王国四大都市の一つには数えられなくなっていたであろうし。
「まあ、女神の盟約が結ばれた直後は流石に客足が遠のいて、それに引っ張られるように住民の多くも街を離れていったんだけどねえ」
「あー、そりゃまあそうなるだろ。普通に考えて」
「それでも、今のファーストマーケットがあるんだから、それも一時的なことだったんでしょ?」
ここから西の海峡を越えた先の島、イーリッシュ島を竜族に明け渡すことで結ばれた女神の盟約。
当時を思えば、デオの言ったように過疎化が進んでいった方が理屈には合っている。しかしながら今の賑わいを見れば、フレシュの言う通りであるのも明白だ。
「一時的ねえ。まあ、百年を一時と括るんなら、その通りか」
「百年……」
話の流れで何となく触れた古都の歴史。その衰退期が一言で表すにはあまりにも軽々しい時間であったことを察し、フレシュは言葉を詰まらせる。
「落ちぶれて百年も寂れ続けた街が、良くここまで持ち直したもんだ」
「ああ、確かに当初は復興なんて望めないと思われていたんだ。イーリッシュとの貿易を失って、市場としての役割も半減したからねえ」
「それって確か、ファーストマーケットが王国最初の市場って呼ばれる由縁だろ?」
大昔――ブライトリス半島もイーリッシュ島も、国家という機構が形を成してまだ間もない頃。そんな時代に、ファーストマーケットはイーリッシュ島との取引の窓口になることで、王国で初めて国外相手の大きな市場を形作った。
イーリッシュ島との取引が安定して落ち着いてくると、今度は海路からフレンテの樹海を迂回し、タリアノイ王国やエスパルト連合王国などを取引相手に加えていった。そうして市場は規模を増し更なる発展を遂げ、港湾都市ファーストマーケットは大都市としての地位を確固たるものとした。
そんな故事来歴がある街だからこそ。
「そいつを失っちまったら、もう復興も何も無いんじゃないか?」
最初の取引相手であったイーリッシュ島の住民が一人残らずいなくなってしまった以上、再び市場としてかつての栄華を取り戻すことは不可能なのではないか。
そう頭をかきながら疑問を呈するシンに、正面に回り込んできたフェアが小さな身体を丸ごと使って賑わう街並みを示して。
「でもでも、復興したのは事実だもんね」
「まあそうなんだけどな……」
「衰退したファーストマーケットが活気を取り戻せた裏には、大きく三つの理由があるって言われてる」
「三つ?」
前述の貿易相手の喪失に加え、百年もの月日が流れたのだ。街を離れた人々は寿命を迎え、彼らの子孫も新天地に腰を据えているだろう。三つくらいは条件が重ならないと、そう簡単に活気は取り戻せないというのは想像に難くない。
その条件として、シンにも思いついたのは。
「盟約の効果が実証されたってこととか?」
「ああ、それが一つ」
必須条件だ。まずはここが証明されなければ話にならない。
いかに七暁神の結んだ盟約といえど、その効果も見えてこないうちから一切合切信じ切るなど、土台無茶な話だ。
逆を言えば百年間竜族が盟約を守り通したことで、その効果に偽りなしという事実が王国中に広まれば、古都復興に向けた最初の一歩を踏み出せる。
「二つ目は、王国軍の存在だ」
「軍?」
「ああ。島から最寄りのこの街には盟約の不備や破棄に備え、常時竜族に対抗するための戦力を置いておく必要があるだろう?」
仮に竜族が襲ってきた場合、実際に対抗出来るかどうかは別として、戦力の配備は当然の措置だ。
今でさえこの街は竜族の脅威に備え、商都以上に広大な軍の施設を運用しているのだ。当時の緊張感は生半可なものでなかっただろう。
「だから衰退していた期間も、この街には常に多くの軍関係者が暮らしていてねえ。彼らの需要を足掛かりに商人の出入りが増え始めると、そのまま腰を落ち着けて定住する人々もちらほらと出てきたんだ」
「軍の影響って、戦力面じゃなくて経済面かよ」
「住民の身の安全の保障っていう点なら、軍より盟約の効果の方に焦点があったからねえ」
万が一の事態に対する備えである王国軍の戦力は、効果が実証された女神の盟約に比べるとおまけのような扱いとなってしまうのは、致し方ないところか。
一方で、その存在が長年に亘って古都のゴーストタウン化をある程度防いでくれたおかげで、定住へのハードルが極端に上がらずに済み復興の基盤は保たれたわけだ。
「そして三つ目が、この街が王国最初の市場だってことだ」
「……んん? そりゃどういう意味だ?」
「それがどうして、理由になるの?」
デオの挙げた最後の理由に今一つ関連性を見出せず、シンとフレシュがそれぞれ疑問符を浮かべ、首を傾げる。
するとデオは二人の疑問に直接答えることはせずに、一つ質問を投げかけてきた。
「王国最初の市場。古都。そんな呼ばれ方をする街に、二人ならどんなイメージを持つかい?」
「そりゃまあ、歴史深い伝統的な街ってとこだろ」
「えっと……うん、私もシンと……同、じ……でいいわ」
「……お前、俺と意見が一致するのがそんなに嫌か」
「別にそんなこと……どうでもいいでしょ」
苦虫を噛み潰したような表情で口にしたくない言葉を捻り出すようにして答えるフレシュに、シンがジト目でぼやく。
否定しきれずプイと顔を背ける嘘をつけないフレシュ。見慣れた二人のやり取りに、隣でフェアがけらけらとお気楽に笑っている。
「まあ、そのイメージで間違いないだろうよ。で、そんな歴史ある街が寂れたままになっていたら、どう思う?」
「ん……それはちょっと、寂しいわね」
「あー、そういうことか」
「なになに、シン、どういうこと?」
ここまでの問答で、デオの誘導しようとしている解答に当たりがついたシン。上目遣いで聞いてくるフェアへ向け。
「要するに、この街が多くの王国民にとって、活気のある街であってほしかったってことだろ?」
「そう。大勢の王国民の、歴史と伝統のあるこの街を寂れたままにしておくのは忍びないっていう思いが、復興の原動力になったわけだ」
「……わかる気がするわ」
デオの説明を受け取り、呑みこんだフレシュが、感慨深げにしみじみと呟く。
とはいえ活気のあった古都のことなど、当時は話でしか知らない層が大半を占めたはずだ。
それでも王国に住まう人間にとって、復興させたい、活気を取り戻させたいと思わせる、特別な魅力を感じさせるのが、港湾都市ファーストマーケットという街なのだろう。
「日本で言えば京都が過疎ったって感じか。そりゃ確かに寂しいわな」
伝統ある街の衰退も時代の変化だと諦めるには、衰退した理由が不条理でやるせない。その理由となった問題が取り除かれれば、復興に協力したいと思うのも人情だろう。
「キョート? 現世の街? 私の知らない固有名詞を、わざわざ会話に使ってこないでほしいんだけど」
「うるせー、感覚的に落とし込むにゃ仕方ねーだろ。お前は俺と違って今の王国での暮らしが長いから、そうした機微もわかってるんだろうけどよ」
シン相手に少しでも引っかかる言動があれば、臆面もなく突っかかってくるフレシュ。
いい加減慣れた反応ではあるが、彼女のシンに対する認識の改善は恐らくもう望めないだろう。そうした関係に、両者は既に落ち着いてしまった。
そうして騒がしく話を続けながら、通りを進んでいくと。
「お、見えてきた。寄っていくんだろう? シン」
「ん? ああ、そうだな」
デオが示した先に目を向けて、シンが頷く。
シンが目に映したのは、通りにある中でも一際立派な建物。敷地に掲げられた看板や旗には、大きく目立つように七角形の中に鷹をあしらったロゴが描かれている。
「ファーストマーケットの先輩方に、挨拶しておこうか」
そうシンが促すと共にシーカーチームアルゴロイドの四人は、ブライトリス王国冒険者組合ファーストマーケット支部へと足を運んで行った。