80 竜の会合
かつてイーリッシュ公国を治めていたオブライエン公爵家。その一族が居住していたダリーボイル宮殿は、現在のこの地の支配者である竜族の長達の居城となっていた。
「こうして直接会うのは久方ぶりじゃのう、デューク」
ファルコに案内された宮殿の一室でデュークを迎えたのは旧知の相手。装いは西洋建築とのギャップが強い和風の着物姿で、碧緑の瞳と同じ色をしたざんばら髪の男――緑竜グラス・グリーン。
この古い宮殿が今も現役でいられるのは定期的な修繕と改修によるが、それらの多くは人間共から『碧緑の賢竜』と呼ばれる、この賢哲の知識を頼りに為されている。
「しかしまあ島の外の連中はどいつもこいつも、儂が声をかけにゃ一向に会えん奴ばかりじゃ。たまには呼ばんでもお主らの方から顔を見せに来んかい」
「ハ、ここじゃうざってえ盟約が足枷になってしょうがねえ。自由を奪われるなんざ、俺は御免だ」
顔を合わせて二言目には愚痴を垂れてくる面倒なグラスを鼻を鳴らして一蹴し、デュークはあてがわれた椅子に腰を下ろす。
「ここで暮らせとまでは言うとらんじゃろうが、仕様のない奴め」
やれやれと溜息を吐き出すグラスの言葉は適当に聞き流して、デュークはどっかりと組んだ足をテーブルに乗せた。
デューク達が寛ぐこの部屋は客間なのだろうが、元々が何に使われていたのかも不明なほど原型無く改装されてしまっている。質の良い多様な家具もそれぞれ世代交代を何度も経ているが、その調達先は意外にもというべきか、自明というべきか、竜族への恐怖感と忌避感の強い人間共からである。
ただ、大っぴらに人間社会と取引が行われているわけではなく、主にグラスが魔王や女神と交渉して仕入れてきているらしい。堅気なことだ、かったるい。
「んで、俺を呼びつけた用件は何だ? グラス」
「そう急くな。お主に用があるのは、儂ではない」
「あん?」
さっさと本題に入ろうとしたところ、グラスに出鼻を挫かれて片眉を上げる。
脊髄反射で声を上げたデュークだが、その疑問は疑問というほどのものでもなく、察しは簡単につけられる。
「んじゃあ、俺を呼びつけたのは……」
「うん、僕だよ」
デュークが視線をグラスからその隣へと移すと、そこにも同じく旧知の男が座していた。
白い男だ。背中まで伸ばした長髪が白亜なら、瞳の虹彩もが同じ白亜で瞳孔の黒がより際立つ。更には纏う衣服すらも白を基調にしたゴシックの衣装で、グラスと並んだ絵面は和と洋対極的だ。
肌の色素も薄く、表情こそ豊かに思えるがその実生気が感じられず、何を考えているのかわからない不気味さが際立つ。
「ダーシーか、碌な話じゃなさそうだな」
白竜ダーシー・ホワイト。過去に犯してきた所業の数々から『白亜の冥竜』と呼ばれ、人間共から最も恐れられている死魔だ。
「酷いなあ、偏見だよデューク。傷つくじゃないか」
「何抜かしてやがる、自覚があるからわざわざグラス経由で呼びつけたんだろうが」
感情の表面に張り付けた極薄の傷心をひけらかすダーシーに、デュークは顔を顰めて吐き捨てる。
デュークも他者のことは言えないが、このダーシーは比ではないほどに著しく自分本位の考え方をする、身勝手で度し難い子供のような奴だ。しかもそれを当人が自覚した上で、矯正する気などまるで無いのだから始末に負えない。歯止め役のグラスの苦労が偲ばれる。
「まあ、来ちまったもんは仕方ねえ。一応話だけは聞いといてやる」
「ああ、やっぱり僕の大好きなデュークだ。優しいなあ」
「うるせえぞ、いいからとっとと用件を言え」
軽々しく親愛を口にするダーシー。薄っぺらくて嘘臭いことこの上ないが、今までの付き合いでそれが一応本心らしいことはわかっている。とはいっても更々肌に合ったものでなく、デュークは雑にあしらって先を促した。
「うん、それなんだけどさあデューク」
すげない態度のデュークにも、ダーシーの調子は変わらない。彼に不穏な気配は今のところない。が、ただ、さっきからグラスがこちらへ目を合わせてこない。
「ちょっと、気になる話を聞いたんだよね」
何だか面倒そうな、嫌な予感がする――最初からしてはいるが。
「話? どんな、誰から」
気分の怠さそのままに、耳をほじりながら適当に応対するデューク。それでも気を悪くすることもなく、ダーシーはくいっと顔と手の動きでその答えを示した。
「どうもー、デュークさん」
「……お前か」
ダーシーの示した先。ファルコの隣で気楽にひらひらと手を振っているのは、薄紫の長髪を括った男。
気安い調子で表向きの態度が軽薄な点はダーシーと共通するが、思慮と分別を備えているという決定的な差異によって、彼とはどうあっても似つかない。
「余計なこと喋ってんじゃねえよ、エリック」
地海空六首竜の一匹、紫焔竜エリック・フクシャ。地竜族を束ね、デュークの右腕を務める存在だ。
「いやいや、まだ僕が何を話したか聞いてないじゃないですか」
「ダーシーが俺に用事が出来てる時点で、そいつはもう余計なことなんだよ」
「そんな理不尽な」
無茶苦茶な理屈を押し付けてくるデュークだがエリックにとっては慣れたもので、不憫を演じたお約束のやりとりで場を和ませる。
「んで、何を喋ったんだよ」
「あーえーとですね、こないだ召喚された時のことなんですけど」
ようやく本題に入るが、その第一声に対するデュークの心境は「やっぱりか」の一言に尽きた。そもそもエリックが絡んできた時点で、直近に関わったブライトリスでの件以外に予想のしようがない。
ただ、予想出来るのはそこまでで、その時エリックに何があったかなど知りもしないが。
「まあ、目的にあった仕事はしっかりこなしたんですけどね。その後で僕、誰にやられたと思います?」
「あん? 特異だろ」
「それがですねえ、どうにもすこーし引っかかるんですよ」
あの当時、デュークは『特異』シン・グラリットの足止めを目的に設定してエリックを召喚した。戦えば一瞬で屠られる実力差の相手だが、その達者に回る口を見込んで。
なので当然、エリックは特異相手に可能な限り時間を稼いで、そのままやられたものと思っていたが。
「僕がやられた時、確かに特異は目の前にいたんですけどね。ちょっと状況的に、特異本人にやられたとは思えないんですよねー」
「どういうこったよ、回りくどいこと言ってんじゃねえ」
説明に必要な要素を故意に伏せておくエリックの持って回った言い回しに、気の短いデュークが苛立ちを見せる。
しかしながらエリックにはまるで動じた様子もない。両者の付き合いはその程度で拗れるような浅いものでもなく、デュークの気質などエリックは初めから織り込み済みだ。
「あの時、まだ特異には僕を殺すことへの躊躇いが見て取れたんですよ。これはもう少し時間を稼げそうだなーと。それが突然、前触れもなく意識が飛びまして」
「だから、結局何が言いたいんだよ」
「えーつまりですね、あの場面で僕の召喚異体を殺したのは、その存在を気取られる間もなく一瞬で殺しきれる実力の持ち主ってことです。特異以外で。誰でしょうかねデュークさん、わかります?」
「だったらセトか、ヴィタンか、レプティだろ」
少々凄んでみせたところで変わりのないエリックに、仕方なくデュークは話を合わせてやることにする。
聞いた限りエリック相手にその芸当は、魔臣連中でも難しい。となれば候補は、当時商都にいた七暁神の誰かとなる。幻神ヴィタンは複製体とはいえデュークと相対していたし、女神レプティは本人が前線に出てくるか甚だ疑問だ。消去法からいくと、恐らく破壊神セトだろう。
「そう思いますよねー。ええ、ええ。僕も初めはデュークさんと同じで、特別何も気にしてなかったんですけど……」
「けど、何だ」
「ある日、ツッツェンとの何気なーい日常会話でその話題に触れた際、意外にも別の候補が浮かび上がってきまして」
「……別の候補だあ?」
余計な要素を提示されてデュークは眉を顰める。当たってほしくない心当たりが一つある。
そういう時に限って予感というものは当たるのだと、諦め半分のうんざりした心境で、デュークはエリックから名前を挙げられた者へ視線を向けた。
「ちょりーっす、デュークさんおひさー」
適当に手を上げてひどく軽薄な俗っぽい挨拶を投げてきたのは、薄群青の瞳と同色の髪をツインテールにした少女。
後ろ向きのソファの背に腕を置き顎を乗せ、だらしなく体重を前方に預けて足を投げ出している。これでも一応海竜族の頭目を務めている六首竜の一匹、青渦竜ツッツェン・ネイビー。
「わわわ、ツッちゃん、そんな口の利き方しちゃダメだよ」
あたふたと慌ててツッツェンの態度を窘めるのは、黄檗色の瞳と同色の髪をポニーテールにした少女。
ツッツェンの隣でおずおずと気後れがちにこちらの様子を窺っている。内気な性格をしているものの、彼女もファルコと並ぶ空竜族の頭目であり六首竜の一匹、黄嵐竜テラ・オリーブ。
「別に口の利き方なんぞどうでもいい。んなことよりエリックと何を話した、ツッツェン」
「それなー。ウチもマジウケたわー。そんなことあるー? って」
「ツッちゃんツッちゃん、それじゃ答えになってないよ」
デュークの質問にもマイペースを崩さず、キャハハと笑って返すツッツェン。
目上の八彩竜相手だろうとテンションと奔放さの変わらない彼女に、指摘をしたところで根本的な改善の見込めないテラの心労はいかばかりか。
「確か、丁度エリックが召喚されてた時間帯に、ツッツェンに交信が来たんだよね」
グラスからダーシー、エリック、ツッツェンと、用件の聞き取り相手をたらい回しにされ辟易する中、ようやく話を一歩進めてくれたのはファルコだ。
癖の強い六首竜達の中にあって、比較的まともに空気を読んでくれる貴重な存在である――あくまで相対的な話だが。
「そーそー。ひっさびさにガウンさんから交信来てさー、ウチもー超嬉しかったんだけど」
「ガウンが……?」
出てきた名前は懸念していた心当たりとは別だが、デュークの嫌な予感は一向に薄れる気配がない。それどころか、逆に増したまである。
「そう、ガウンだ」
デュークやダーシー、グラスらと同じく神話の怪物八彩竜、青竜ガウン・ブルー。ツッツェンの上長というか主というか、そんな間柄の男だ。
その名前を再度繰り返して念を押したダーシーが、おもむろに椅子から立ち上がってツッツェンへ向くと、穏やかな口調で確認を求めた。
「ツッツェン、もう一度僕達に、その交信の内容を教えてくれるかな」
「おけおけー。ゆーて、今エリックってどこいるんー? って聞かれただけだけどー」
ツッツェンが答えると同時に、場の空気が一変する。
グラスは依然余所を向いたまま、ファルコは黙して瞳を閉じ、テラはあわあわと気まずさに落ち着けず、エリックはこちらへ意味深な視線を送ってきている。
彼らは皆、そのガウンとツッツェンの交信が意味するところを理解しているからだ。
「島の宮殿にいるよー、てったらすぐ切れちゃってさー。せっかく久々だったんだからもっと色々話したいじゃん? でもウチがもっかい交信かけても出てくんなくてさー、マジガウンさんいけずーって」
一人、その意味も空気の変化にも気づかないツッツェンだけは、トークに夢中になっているが。
「どういうことだろうね」
コツ、コツ、と、足音を立ててゆっくりと部屋の中を歩き出すダーシー。
変わらず奔放に喋り続ける浮いたツッツェンのことは放って、彼女とは対照的に落ち着いた調子の声音で。
「普段のガウンならエリックの居場所くらい、わざわざツッツェンに聞かなくても探知魔法ですぐにわかるはずだよね。しかもおかしなことに、居場所を聞いておきながらその後の接触は何も無かったんだって。ね、エリック」
「ええ、ガウンさんとは僕、もうずーっと音沙汰ないですよ」
「うん、そうだろうね。だってガウンは――」
そこで初めて、穏やかに言葉を続けるダーシーの白亜の瞳が、デュークへと向いた。
「ガウンにとって、意味のあることしかしないからね」
「…………」
話を整理すると、当時のガウンは何らかの理由でエリックの居場所を知る必要があり、その手段に探知魔法ではなくツッツェンを頼るという選択を取った。しかしながら居場所を知ったその後、肝心のエリック当人への接触は何故か無かったということになる。
「これって、偶然かなあ?」
まるで意図の不明なガウンの行動だが、その解を推し測れる通常とは異なる特殊な条件が、その時分に発生していた。
デュークの召喚魔法である。
つまり、ダーシーはこう言いたいのだ。ガウンの目的はエリックの本体ではなく、デュークによって召喚された召喚異体の方にあったのではないか、と。
それ即ち、先の話で上がった『意外な別の候補』の結論である。
「ねえデューク」
ゆっくりと部屋を歩くダーシー。その足はデュークの傍まで来るとピタリと止まり、直後に。
「何か、心当たりとかないかな?」
鼻先が触れそうなほど、間近に顔を覗きこんだ。
問いを発したその声は、荒れてもなければドスを利かせてすらもいない。にも拘らず、身体が竦みあがるほどに異常な凄みを孕んだ、対象に甚大な圧をかける声だ。
加えて、無感情で無機質で不気味な白亜の瞳によって鳥籠に囚われたような錯覚を与えられ、込み上げる恐怖により一層拍車をかける。
「……ねえよ」
但しそれは、常人であればの話だ。
デュークほどのレベルにもなればその程度の圧など、頬を撫でるそよ風と何ら変わらない。
なので、デュークが返答でダーシーから目を逸らした理由は、圧を受けたからではなく、別にある。
「本当に?」
ぬるり、と。
そんな生理的嫌悪感を催す気味の悪い音が聞こえてきそうな挙動で、瞳を背けたデュークの視界に再び映り込んでくるダーシー。
「だから、ねえよ」
旧知の相手に嘘を吐く後ろめたさに、再度目を逸らすデューク。
これは懸念していた心当たり――黄竜コヴァ・イエロー以上に頭の痛くなる結果だ。
デュークが王国の交易都市エプスノームで暴れた、人間共の間で『竜騒動』と呼ばれている一件。その際に、コヴァはまず間違いなく特異によって召喚されていた。彼女の主人である大空洞の引きこもり――ソブリンと共に。
そうであるならば、同じくソブリンを主人と仰ぐガウンも、あの場に召喚されていた可能性を考慮して然るべきだった。
(クソが、こういう面倒くせえ予感ばっか当たりやがる)
しかも、斜め上に厄介さを増して。
デュークがガウンの気質を良く知っているからこそ、人間と召喚契約を結ぶなどという発想が浮かんでこなかった。怠すぎる誤算だ。
「本当に、本当に?」
「ねえ、うぜえ、下がれ」
執拗に問い続けるダーシー。ガウンに対する疑念は相当だ。
それはそうだろう。気まぐれとは縁遠い気質のガウンが、折しも竜騒動の日、何故かツッツェン経由で、何用かでエリックの居場所を聞き、そしてあたかもなタイミングでエリックの召喚異体が殺され、極めつけに本体のエリックには何の接触も無かった。
これらを全て偶然で片づけるには、いくらなんでも流石に無理がある。
それでもデュークはしらを切り続ける。それが命を救ってもらったコヴァに対する、最低限の義理立てだ。勿論そんな事情などダーシーには知る由もないし、知られてはならないが。
「本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に、本当に?」
或いはデュークにも同様の疑念を抱いたか、瞬きもせずに至近距離で紅紫の瞳を覗きこみ、口早に同じ問いを発し続けるダーシーのその姿は、最早狂気に染まっている。
「うるっせえ! しつけえぞ! ねえっつってんだろ!」
だがいくら圧をかけられようと、デュークも口を割る気は毛頭ない。
額を突き合わせて白亜の瞳を睨みつけ、凄み利かせた苛立ちを演じて怒鳴りつける。
「…………」
静まり返る室内――いや、空気の読めないツッツェンだけが一人「え、どったの?」と、軽い調子で首を傾げているが。
そうして両者威迫するような視線を交えたまま、数呼吸分の時間をおいて。
「……そっかあ、心当たりがないんじゃあ、仕方ないね」
デュークへ寄せていた顔を離し、ようやくダーシーは引き下がった。
而して。
「直接、聞きに行くかあ」
そう零して踏み出す足までを、止める口実はデュークにない。
元よりデュークの対応がどうであれ、その後ダーシーが直接確かめに行くつもりだったなら、どうしようもないことではあった。
「デュークも、ここで待っていてね」
最後にそう言い残して、ダーシーが部屋を出ていく。
気疎い成り行きに舌打ちする一方、最初からこうなることが予想出来ていたのだろう、グラスのついた深いため息が、デュークの耳にやけに尾を引いて残った。