7 八彩竜・青
世界有数の交易都市エプスノームを抱えるブライトリス王国の南東には、デューロイツ帝国、タリアノイ王国らとの境界となるフレンテの樹海が広がっている。
広大な樹海は、その景色と生息するモンスターによって、訪れた者は方角を見失い、帰還することさえも困難とされる危険地域である。
そのフレンテの樹海の奥地にひっそりと口を開ける更なる秘境。知る者さえ限られる最難関のダンジョン。
ドビル大空洞。
他に類を見ない強大なモンスターの跋扈する広大な地下洞窟。
その洞窟を下層へと、シンは目を瞠る速さで下りて来ていた。
道中ではフェアに今までの経緯を伝え、情報の共有と疑問点の洗い出し、今後の方針などを大雑把に談笑を交えながら進めていた。
「あれから反応あった?」
「ないな……どいつも慎重なことだ。まあ、俺が軽率なだけなんだろうけど」
フェアの問いかけに自嘲で返す。
逆探知に失敗した後、監視を再開する者が現れることを期待して、隠密魔法行使、隠密魔力看破、接続魔力逆探知の魔法を常に展開しているが、いまだ手応えはない。監視は相変わらず最下層からのものだけだ。
当然ながら監視されることは気分のいいものではないので、魔法で障壁を張って遮断したのだが、それでも尚続けているようだ。
フェア曰く、侵入者に自動的にかかるよう設定しているらしい。
「あ、シン! そいつの角、貴重な素材だよ」
「お、そうか。そんじゃあ取っとこう」
今しがた襲われ返り討ちにしたモンスターを指して、フェアが有益な情報を提示する。これだけでもフェアを生み出した意味はあっただろう。
これまでは倒したモンスターは放置してそのまま進んでいたが、フェアを連れてからは彼女が示した素材を剥いできて、もうそこそこの量になってきている。
毛皮が素材になるモンスターの皮を剥ぐ作業は、フェアの的確な指示がなければどう始めたらいいのかすら判らないところだった。
今倒したモンスターは約七百レベル。もしかしたら結構上等な素材が沢山手に入ってるんじゃないか。
特に使うこともないと思われる素材でも、貴重な品ならばこれからの情報収集を行う上で交渉材料にもなるだろうし、持っておいて損はない。
「フェアは有能だな」
「えへへ、もっと褒めてもいいんだよ? あ、ねえねえ! こっちの鉱石も珍しいやつだよ!」
調子のいいやつめ。ありがたく貴重な素材を頂くとする。
鉱石を採掘している最中、今までには感じられなかった雰囲気を醸し出している場所があることに気づく。
その場所は最下層の最奥より若干手前の空間に当たる。まだ少し距離はあるが、強化した感覚にも多少慣れ、大体の位置を把握出来るようになってきた。
異様なのは、その空間にモンスターが全く近寄ろうとしないことだ。そこにいる何者かを恐れて避けているのだろう。
(本命の前の中ボスってとこか)
目的地がはっきりと定まり、その場所へ向けて足を運ぶ。高い能力のおかげで疲労もなく、いいペースで進むことが出来ている。特に何の問題もなく辿り着けそうだ。
一つ気になるのは、その空間の奥から感じられる気配は、壁を隔てたように薄くなっていることだ。何か特殊なフィールドなのだろうか。
目的地に辿り着いたシンは、明白で単純な答えを目にする。
そこにあったものは、この自然の洞窟内では極めて稀有な人工物。
(扉だ)
何も特殊なことはない。物理的に空間を遮られ、気配が伝わりにくくなっていたわけだ。扉の奥には大空洞の主とやらがいるのだろう。
だが今注意を向けるべきは扉の手前だ。
シンの目線の先には、まるで扉を守護するかのように鎮座し、圧倒的な存在感を放つ紺青の竜が、静かにこちらを見据えていた。
「八彩竜、ブルードラゴン!」
フェアが声を上げる。モンスターとの遭遇時に大きな反応を見せるのは初めてのことだ。
「特別なモンスターなのか?」
「この世界で最強クラスの八体のドラゴンのうちの一体だよ!」
「最強クラスだって!?」
確かに今までに遭遇したモンスターとは纏っている空気が異質だ。
距離を詰めても荒ぶることのない悠然とした佇いは、王者の貫禄さえも漂わせるように思えた。
(まずは能力の確認だ)
〈能力看破〉
ドラゴンの戦闘能力を把握するべく魔法をかける。
「総合力は……二千以上か!」
その言葉を口火にドラゴンが行動を起こす。
こちらに向かって大きく開口し、青白い炎を広範囲に吐き出した。
視界を炎に覆われ、回避するスペースが限定される。その僅かな隙間へ飛び込めば、そこを狙い撃たれることは間違いない。
〈突風〉
強烈な気流が目の前に迫る炎を裂き、シンの左右後方へと高熱の奔流が道を作る。
シンの防御力と生命力ならば炎の中を突っ切ることも出来たが、与えられた能力にかまけて戦闘そのものをおざなりにすることには抵抗があった。
初期設定の能力に依存しているのは現時点でもそうなのだが、それとは少し話が違う。
今はまだこの世界がどうなっているのか情報が足りていない。その情報収集のためには不測の事態への対処や、回避不能な強敵との戦闘をこなしていくだけの能力は必須だ。
だが、そういったやむを得ない事情がなければ、能力値は本来あるべき値から修練を重ね、自身の能力に見合ったモンスターから経験を積んでいくべきだ。そうでなければ、この世界で懸命に努力をして力を得てきた人々に対し、申し訳が立たない。
合理性のかけらもない、単なる自己満足だ。
だがシンは、現在の能力のままでいれば、いずれ努力に対する見返りが微々たるものに思えて来るだろうことを危惧していた。
人がひたむきに鍛錬し獲得した力に対して敬意を払えなくなることが、シンはとても嫌だった。
「フェア、大丈夫か?」
「わたしは平気、自分の身は自分で守るよ。シンがそう創ってくれたからね」
今まで受けてきたものとは――シンにとっては誤差以下だが普通なら間違いなく――比較にならない威力の攻撃だったが、フェアの返答には余裕があった。防御特化は伊達ではない。この様子なら心配はなさそうだ。
身の確認をしている間にドラゴンは次の行動に移っていた。再びシンに灼熱のブレスを見舞うのと同時に衝撃波の魔法で畳みかけてくる。
〈瞬間移動〉
ブレスと魔法で回避出来るはずのない同時攻撃だが、命中の瞬間にはシンの姿はドラゴンの死角へ移動していた。
間髪入れず硬い鱗に覆われたドラゴンの背に勢いよく拳を振り当てる。
驚きか痛みか、ドラゴンは短く声を上げ、瑠璃色の竜鱗を巻き散らし間合いを取るべく後退した。
(おお、硬てえ)
加減したとはいえ、まともに攻撃を受けてもさほどダメージのない様子のドラゴンに対し、今まで全てのモンスターを一撃で屠ってきたシンは少し感動を覚えた。
しかし頑丈なことだ。ドラゴンではなく自分のことである。
あの硬度の体に見舞った今の攻撃では、通常ならばこちらの拳の方がひしゃげてしまうはず。それが皮すら剥げず、打ち身どころか痺れも一切ない。自身の異常性の確認はこれで何度目になるだろう。
「グォオ……」
シンに視線を固定したドラゴンが低く唸り声をあげる。一度ならずニ度までも攻撃を外し、しかもニ度目はカウンターを喰らった。警戒しているのだろう。
向こうが動かないのであれば、こちらから仕掛けよう。
ドラゴンに対し半身に構え、地面を蹴る。
瞬く間にドラゴンの懐へ入り込み、左拳で腹部に一撃、上へ跳び右拳で顎へ一撃、そして跳躍した体を回転させ遠心力の乗った踵を頭へ叩き込む。
刹那の三連撃に牙と角をへし折られ、悲鳴を上げドラゴンの巨体が地響きを立てて崩れ落ちる。勝負あった。だが。
(殺してしまっていいのだろうか……)
倒れたドラゴンを前に、ふとした思いが頭をよぎる。
このドラゴンは世界の中でも特殊な存在なのだろう。それをイレギュラーな存在である自分が、特に大した意味もなく、遭遇したからという理由で存在を消してしまってもいいのか、と。
ゲームであれば討伐後に再び出現することも考えられるが、ここは現実でもある。それに魔法には生命を蘇生させるものは存在しない。
「……どうした、止めを……刺さないのか」
声は地面に伏したままのドラゴンのものだった。
「喋ったあ!?」
「八彩竜は知能も高いよ」
予想外の出来事に素っ頓狂な声を上げるシンに、フェアが一言補足する。
意思疎通が可能なほどの知能を有しているのなら、尚更命を奪うことは躊躇われる。
「慈悲をかけているのか?」
「いや、慈悲でも情けでもないよ。何ていうか……んー、俺の心持ちの問題だ」
「どういう意味だ」
「あんたは、一度死んだら蘇ったりするのか?」
「……? 生命は一度朽ちればニ度と芽吹きはしない。自然の理だ」
たった今抱いた疑念が解消されるが、予想通りだったのはこれが初めてかもしれない。
「だろうな。だったら殺せねえよ」
「何故だ。貴様はここへ来るまでに多くのモンスターを殺して来ただろう」
ドラゴンは腑に落ちないという声音だ。それは尤もなのだが。
「いやまあそうだけど……あんた、知能は高くても人間の心情の機微までは掴めないみたいだな」
「当然だろう、我は人ではない。竜なのだから」
会話まで可能な人間以外の種族だが、やはり考え方は人とは異なるのだろうか。
フェアは妖精だが、今のところ種族の違いが原因で考えが合わないということはないが。
「まあいい。貴様の心情がどうであれ、殺さないというのであれば、我も死を望んでいるわけではないからな」
「ああ。悪いな、それで済ませてくれ」
納得した様子はないが、これ以上深入りはしてこないようだ。
「一つ借りだな。いつか返そう」
「別に構わねえよ。俺は貸しだとか思わないから」
そう言ってひらひらと手を振り、ドラゴンの後ろにある扉の方へ向かう。
「あ、待ってシン! 八彩竜の素材はとっても貴重なんだよ! 落ちてる鱗と牙と角、持って行こう!」
「うお、危ねえ! 忘れるとこだった」
世界でも有数の強者の素材を忘れて行くわけにはいかない。引き留めてくれたフェアに感謝する。
「三つも素材があるとか、流石は世界最強クラスだな」
「四つだよ。あと一つ爪も」
「……そうか」
フェアの言葉に反応したドラゴンが自らの爪を剥ぎ取る。
「おい、何やってんだ! 貸しとか思ってねえっつったろ!」
「ああ、こんなことで借りを返したなどとは思わん。これは戦闘に勝利した貴様の当然の権利だ」
相手の思惑など無視して、青竜の爪をシンに放る。
「いいじゃんシン、貰っとこうよ」
「……まあせっかくだから、貰っておくけどよ」
爪を受け取ったシンは渋々道具収納空間へ仕舞い込む。不本意だが拒んだところで意味がない。
そして扉の前に立つと、静かにドラゴンは最後の言葉をかけてきた。
「我が主は強者を好む。貴様は初めての客人だ。喜ばれよう」