76 天寿の共通認識
ベレスフォード侯爵領運営の土台を担う一望千里の穀倉地帯を抜け、東西に接するエプスノーム自治領とオブライエン公爵領との中間付近。宿場町ムーンアップを膝元に、丘の上に悠然として構えるは侯爵家の本邸。
充分に立派だった商都の別邸よりも更に二回りほど大きな本館に加え、離れがその周囲に二棟、やや距離を置いた正門付近に一棟建てられている。その上圧巻なのは、視界に収まりきらないほどに広大な庭園だ。池や噴水、人工の小川といった充実した施設の周りには色とりどりの花々が咲き誇り、隅々まで手入れの行き届いたそれらは季節を問わず美しい光景を見せてくれる。これぞまさしく大貴族の豪邸である。
「まずまず、予定通りの到着だな」
「馬車の旅、楽しかったー」
侯爵邸の姿が見えてきて、シンとフェアが思い思いに口を開く。
港湾都市ファーストマーケットまで、馬車で四日の旅を予定している。一日目はここ侯爵家本邸を、二日目はオブライエン公爵領の宿場町を、三日目は公爵領からファーストマーケット自治領への関所を、それぞれ中継していく見込みである。
日の長い夏場ということもあって、一行は夕暮れを迎える前に初日の宿泊地へと辿り着いた。
「よい、しょっと」
「ん~、やっぱ地面はいいな」
「ここまでお疲れ、ありがとさん」
「ゆっくり休んでねー」
馬車を止め、フレシュを先頭に下車していく面々。シンは長時間馬車の中で座りっぱなしだった身体を伸ばしてほぐし、デオは良く働いてくれた馬を撫でてフェアと共に労いの声をかけていた。
「お帰りなさいませ、フレシュお嬢様」
「ただいま、ベデット」
出迎える使用人の中心は白髪の男性。老齢ながら未だ動作の一つ一つにキレを失わずにいる、ベレスフォード家の侍従長を務めるベデット・ヴォルティジュール。
「ようこそ、アルゴロイドの皆様。長旅でお疲れでしょう、お部屋を用意しております。こちらへどうぞ」
彼は折り目正しく一礼して一行を歓迎すると、背筋をピンと張って手慣れた所作と落ち着いた物腰で先導していく。
恭しく頭を垂れる使用人達に恐縮しつつベデットの後について屋敷へと向かうと、玄関先に一人の女性の姿が見えた。バイオレットのドレスに身を包み、長い白髪は加齢によるベデットのそれと違い艶のある生来のものだ。
「スノーファさん! わぁ、来てたんですね」
「お久しぶりですね、フレシュ」
スノーファと呼ばれたその女性はフレシュとは親しい関係のようで、パッと表情を明るくさせ駆け足で寄ってくる彼女に嫣然と微笑みかけた。
「あ、皆、紹介するわ。こちらスノーファさん。オブライエン公爵家の長女で、サイクス兄様の婚約者。将来私の姉様になる人よ」
「初めまして、スノーファ・オブライエンです」
フレシュの紹介を受け、ドレスの裾を持ち上げて軽く膝を折る淑女らしい挨拶をするスノーファ。
「それで、こちらは私が今お世話になってる、シーカーチーム――」
「アルゴロイドのメンバーですね」
フレシュがシン達をスノーファに紹介しようとした矢先、玄関ホールから割って入ってきた声の主は黒髪の女性。夏場にはしんどそうな黒のローブを纏い銀のロザリオを首から提げていて、ベールこそ被っていないが貴族というより教会の修道女といった装いだ。
「銀妖と共に紫竜ニーズヘッグを退けた『特異』シン・グラリット率いる新参の四人組。有名ですよ」
「ラヴィネラ、お知合いですか?」
「いいえ、初対面です」
スノーファの問いに淡白に答える女性。
二人のやり取りに役割を見失ったフレシュが呆気にとられている。それに気づいたスノーファが、手のひらを上に向け淑やかな仕草で修道女然とした女性を示して。
「失礼しました。彼女はラヴィネラ・エクリー。王都のペルサイモン大聖堂でシスターを務めておりますの」
「……ラヴィネラ・エクリーって、あんた『奇石』のプロディジー・ラヴィーか」
「プロ、ディ……? え……?」
スノーファから紹介された名前に、シンが少なくない驚きをもって反応を返す。
一人の女性を表す複数の名前に困惑するフレシュへ、デオが。
「王都の二等級シーカーチーム『奇石』のヒーラーだねえ。幼くして頭角を現した才能に将来を嘱望され、ついた愛称がプロディジー・ラヴィー」
「いつまでも子供の時分につけられた二つ名で呼ばれるのは、成長が無いと言われてるようであまりいい気はしないのですがね」
「そいつは失礼」
初対面にも拘らず不満を隠そうともしないラヴィネラに、デオが肩を竦めて謝意を示す。
「でもでも、何で奇石のメンバーがここにいるの?」
「あなた方と同じですよ。ファーストマーケットへの行きがけです」
「いやまあ、それはわかりますけど……」
フェアの質問にラヴィネラが変わらず淡白に答える。
今回アルゴロイドが参加するレパード海底神殿合同探索。その主催が、サー・プロスペクター率いる二等級シーカーチーム奇石だ。
ただ彼らは本拠が王都のチームなので、主に指針を決めそれに沿った指示を古都の参加チームに与えて、現場での準備は大方彼らに任せている。
なので、彼女らがこの時期に王都から商都を経由して古都へと続く街道に居ることに疑問はない。が、それではフェアの疑問――何故侯爵邸に居るのか――の答えにはならない。
そんなシン達の心持ちを察したスノーファがにこりと微笑んで。
「幼馴染ですのよ」
「そうなんですか!?」
どうということもなく、あっさりと口にしたスノーファの答えにフレシュが驚きの声を上げる。
フレシュが本邸で過ごした時間は侯爵家に引き取られてから最初の一年だけだが、その間だけでもスノーファはサイクスに会いに割と頻繁に侯爵邸を訪れていた。しかしながら、彼女に幼馴染がいたなど初耳である。
「ああそうでした。ラヴィネラが私を置いて王都へ行ってからは会う機会も随分と減ってしまったので、フレシュにはお話ししておりませんのでしたね」
「そうした言い回しは私が薄情な人間だという誤解を与えかねないので、なるべく控えてほしいものです、スノーファ」
「ラヴィネラは薄情ではありませんが、人間関係は私を含めドライですのよ。とても」
「ああ、うん、何かわかる気がします」
「そ、そうみたいですね……」
戯れじみた二人のやり取りから、互いに気の置けない間柄であることと同時に何とも言えない独特の距離感が窺え、シンは乾いた納得の声を、フレシュは引きつった相槌をそれぞれ返してその話題を打ち切った。
「ところで、特異シン・グラリット」
「……何でしょう?」
ここでの立ち話ももう終わりだろうと再び屋敷へ足を向けようとしたところ、ラヴィネラから改めて呼び止められシンは僅かに緊張を湛えて応じる。
「あなた方は何を目的に、合同探索への参加を決めたのでしょう?」
「あれ、聞いてません? トリックスターズのレイ・クルツに誘われて――」
「それはただのきっかけでしょう。私が問うているのは動機である目的です」
己の意に反する趣旨の返答をピシャリと遮るラヴィネラに、シンは思考を止められて閉口する。
「古代遺跡レパード海底神殿。まさか純粋に未知の遺跡の攻略に貢献したい、などと嘯くのではないでしょうね。そうした輩は信用ならない上に、鼻につきますよ」
眼力をやや強めてシンを見据えるラヴィネラ。語り口に変化は無いが、まるで詰問されているような構図である。
「彼の地の険しさは然ることながら、一方で多くの希少な宝が眠っているという噂もご存じでしょう。金運をもたらすアンクレットに知性を高める香料、更にはあらゆる病魔を退ける万能薬等々。あなたの狙いは――」
「ソーマだ」
ラヴィネラがどんな意図でこの質問をしてきているのかは知らないが、はぐらかせばえらく面倒になりそうなのでシンは彼女の欲する答えをくれてやる。ついでに、たった今言葉を遮られた意趣返しも兼ねてという器の狭さも晒して。
「長寿の霊薬ソーマ。海底神殿にあるって噂を小耳に挟んだもんでね、丁度いい機会だと思ったんだよ」
「ソーマ……成程、そうですか」
シンの回答にラヴィネラは一瞬目を丸くすると、何かを理解したように一度瞑目してからスッと目を開き。
「特異だ新星だ何だと持て囃されてはいても、所詮は粗忽で不見識な俗物でしかないようですね」
「おいおい、初対面の相手にひどい言い草だな」
あまりにも嫌悪感露わなラヴィネラに、シンは頭をかいて苦笑する以外にない。
無欲を臭わせれば鼻につくと毒づかれ、宝が目的だと言えば俗物と罵られる。とどのつまり、初めからこちらのことを疎ましく思っていた手合いなのだろう。と、そうシンには映ったが。
「人としての在り方を、歩むべき道を外れ、歪に長命な身体を手にした輩などおぞましいだけです。それはもう人間とは呼べません」
嫌悪と忌避感に加え、敵意すらも孕んだようなラヴィネラの瞳。どうやら元から嫌われていたわけではなく、ソーマが目的なのが特別お気に召さないようだ。
「言われてんぞ、デオ」
「耳が痛いねえ」
茶化してデオに水を向けるシン。事実、七暁神の彼はソーマによって長寿を手にしている。ちなみに詳細については聖王から貰ったとのことで、シンにとって他に有益な情報は無かった。
そしてまた当然ながら、それを知らないラヴィネラはシンの態度を不快に感じたようで、目つきにより険しさを増した。
「人を辞める気ですか、あなた」
間接的に父親とデオが人外扱いされた形となってフレシュがむっと顔をむくれさせるが、それにはデオとベデットしか気づいていない。
「ラヴィネラ、その辺りでもうお控えなさい、失礼ですよ」
「あ、いえ、お気遣いなく。彼女の主張も、尤もではありますから」
無遠慮な言動を続けるラヴィネラに、見かねたスノーファが割って入り彼女を諫める。しかし特に気にした様子もなく涼しい顔で応じるシンに、スノーファは意外そうに眉を上げ、ラヴィネラは訝しむように眉を寄せた。
「どういう意味ですか、それは」
「どうもこうも、あんたの感覚はまともだって話だ」
そう返答を寄越しても変わらず眉を寄せたまま無理解を示すラヴィネラに、シンは「んー」と一度言葉を継いでから。
「魔王や魔臣みたいに実際に千年以上も生きる人間がいるような世界でも、いたずらに寿命を延ばす試みってのはやっぱり倫理に反するんだなって、そう思ったんだよ」
補足するシンの言葉のチョイスが腑に落ちないのだろう「世界?」とぼそりと零しながらも、ラヴィネラは一旦それを意識の隅に追いやって。
「そのように極めて稀な例外を引き合いに出して何の意味がありますか。それに暁の神々も、現代まで永らえておられるのは魔王シガー様のみでしょう」
魔王以外の七暁神が名を変えて現代に暮らしていることを知らず、シンの発言に食って掛かる。が、シンは何も彼女の弁に異を唱えているわけではない。要は論点の食い違ったラヴィネラの独り相撲と化したわけだが、彼女はシンを――というよりソーマを忌避するあまり、視野を狭めてしまっているように思える。
「何より、そのような自然の理に反する俗悪な薬の服用など、主、聖王シモン様の教えに反します」
「っ! お父さんは――」
「フレシュ」
ラヴィネラの都合で勝手に使われた父親の名前に、思わす口を挟もうとしたフレシュを、デオが制す。
「? ベレスフォード候が、どうなされました?」
「……いえ、済みません、何でもありません」
当然、フレシュと聖王の関係を知る由もないラヴィネラが、彼女の口から出た父=ベレスフォード候という脈絡を欠いた人物に疑問符を浮かべる。
一方、少しずつ溜めこまれたラヴィネラへの反感が表出しそうになったところ、デオのおかげで我に返ったフレシュは、一度奥歯を噛んでから仕方なしに頭を下げて引き下がった。
「そろそろ、よろしいですかな。何分、老体にこの炎天下は堪えるもので」
「ああ御免なさいベデット、ラヴィネラが引き留めてしまってましたね」
そうは言いつつもベデットの顔色は至って健康的だ。推すに、両者の関係がこれ以上悪化しないよう、頃合いを見計らって止めてくれたのだろう。とはいえ、単純に表には出していないだけで無理をしているのかもしれないが。
いずれにしろ、これ以上この場で話し込むのは憚られる。シンもスノーファに続いて白髪の老執事に謝意を示すと、案内を再開した彼を追って屋敷の中へと足を進めていった。
背中に、神童と呼ばれた女の非友好的な鋭い視線を感じながら。




