75 手元の敵方能力情報2/7
「これで、本格的にフレシュとはお別れね」
「いちいち大げさなのよ、マリアン姉様は」
早朝、ベレスフォード侯爵家商都別邸玄関前。
本格的に夏を迎え、照り付ける日差しが一段と厳しくなってきた頃合い。西へと向かう馬車を待たせ、フレシュは家族達と出発の挨拶を交わしていた。
「だってえ~、暫く会えないことに変わりはないでしょ? お姉ちゃん寂しい」
「はいはい」
甘えた声を出して絡んでくる赤毛の姉を適当にあしらって、フレシュはその隣の人物へと目を向ける。
「忘れ物はない? 装備は整えた? 毎日ちゃんと食べて、しっかり寝て、体の調子には気を付けるのよ。いい? 無理しちゃ駄目よ」
「姉さん……」
「そんな子供じゃないんだから大丈夫よ、サッチェル姉様」
出発前の確認は大事だが、些か程度を超えている過保護なサッチェルに、またかと呆れたように呟くマーシュ。
お節介な気質の長女による過干渉を退け、フレシュは最後にマーシュとリチャードの二人へ顔を向ける。
「しっかりな」
「旅のご無事を、お祈りしております」
「マーシュ兄様、リチャード、ありがとう」
兄からは簡素な、されど思いやりの込められた力づけられる一言を。長い間世話を焼いてくれた専属の侍従からは、主を労わる心からの言葉を。それぞれ受け取って、フレシュは微笑みを返す。
「道中お気をつけて。フレシュのこと、宜しくお願いします」
「ええ、わかりました」
「大丈夫、シンもデオも強いから。わたしもいるしね」
大切な家族の身柄を預け、サッチェルがシンとフェア、デオへ深々とお辞儀する。
ベレスフォード家には既に、この旅の目的地が危険極まるA難度の遺跡であると伝えてある。フレシュは余計な心配をかけたくないと渋ったが、動向を追う限りどの道耳に入る情報だ、今伏せておくと後々より強く不安を煽ることになると説き伏せられた。
「とはいえ、フレシュにとって楽な探索にはならないでしょうがね」
「脅かさないでよ、もう」
脅しをかけるデオの口調が冗談とも本気ともつかず、フレシュは茶化して慄きを拭い去る。
見送りに集まった面々と一通り言葉を交わし終え、身も心も準備を整えたフレシュは、最後に家族へ向けて。
「それじゃあ、行ってきます」
明るく元気な笑顔で告げると、大きく手を振って馬車へと乗り込んでいく。
そしてアルゴロイドの四人を乗せた馬車はベレスフォード邸を発って、夏の日差しの下遥か西を目指して走り出した。
◇◆◇
北正門から都市外へ出、馬車はエプスノーム自治領の街道を進んでいく。
整備された街道と性能の確かな馬車で揺れも小さく快適に、一行は進行方向の右手、北側のウェルウッズの森林、左手、南側の広大な草原といった景色を堪能。
ほどなく関所を迎え半額免除された通行税を払い通り抜ける。というのも、その先はベレスフォード侯爵領。養子といえど領主の娘を乗せた馬車に税は課すまい。なので徴税は商都側からのみであった。
「都市の復興も大分進んでたな。思ったよりずっと早い」
ベレスフォード領に入り、延々と広がる穀倉地帯の風景に飽きたシンが仲間に話題を振る。
紫竜による竜騒動からひと月余り。大きな損害を受けた交易都市エプスノームだが、その復興の速度には目を瞠るものがあった。現世との技術的な格差の観点から、シンはもっと時間を要するだろうと思っていた。
「それだけに俄然、識世の魔導科学ってのに興味が湧いてきた」
「まあ、復興に魔導科学が寄与しているのは確かだけど、通例ならそこまでのペースにはならなかったろうさ。今回は少しばかり、イレギュラーが絡んでるからねえ」
現世では原理的に存在し得ない技術に好奇心を刺激されるシンに、デオが冷や水とはいかないまでも冷静に自身の見解を差し挟む。
それにシンは興を削がれるでもなく、むしろ彼がそう述べる根拠は何なのかに興味が向いた。
「てーと?」
「どこかの気前のいい大物が、復興資金の一部を賄えるほど大層貴重で高価な代物を寄付してくれたんだとさ。おかげで都市の予算も、当初懸念されたほど逼迫せずに済みそうだとか」
「……ほーん、そりゃまた結構な話で」
「んふふ、いい人がいるんだね」
考えるまでもなく紫竜の鱗だ。どうやら銀妖少佐が上手く事を運んでくれたらしい。
フェアはともかくデオの語り口にも明らかに含みがあり、その様子から間違いなく事情を把握している。どこで知った。
「つっても、無償の善意ほど胡散臭いもんもねえ。絶対何かしらの裏があるから、そいつ」
「どうしてシンはそういつも穿った見方しか出来ないのよ」
何かを語りかけてくるデオの視線が気恥ずかしくなって自嘲気味に誤魔化すシンに、四人の中で唯一何も知らないフレシュが素直な反応を見せてくれる。
「何か別の意図があったとしても、その人がエプスノームの復興に大きく貢献してくれたことに違いはないじゃない。私はとっても感謝してるわ。出来るなら、直接お礼を言いたいくらい」
「お、おう、そうか……」
「? 何よ、その反応」
「んふふー、まあまあ、シンにもフレシュの気持ちは伝わったみたいだから」
真っ直ぐで純粋なフレシュが眩しくて、照れ臭さとのダブルパンチでシンは彼女の顔を直視出来ずにしどろもどろになる。
いつもと違うぎこちない様子のシンに怪訝な視線を送るフレシュを見て、フェアが可笑しげに笑って取り成した。
「んなことより、現状の確認だ。今ある情報整理しとくぞ」
「自分で振った話のくせに」
「うるせ」
都合が悪くなって話題を逸らすシンに、フレシュが呆れて当て擦る。
とはいえ、これまでの雑談と違ってこちらはある程度必要な話だ。元々この移動時間を使って纏めておくつもりではあった。出足は挫かれても咳払いで切り替えて続ける。
「当面の脅威、能力者の集団ナインクラックについて。話に入る前にもっぺん確認しとくけど、こっちからの先制攻撃は無しなんだな?」
「ああ、シモンからそう頼まれてる。勿論強制はしないし、出来る立場にない。俺もお宅に同じように頼むだけだ」
「まあ、別に断りゃしねえけどよ。降りかかる火の粉を払うだけの、専守防衛ねえ……」
連中にとってフレシュは手札であって直接的な標的でないとはいえ、悠長なものである。
両者の遺恨は一応ざっくりと聞いたが、一度は示談となった話らしいしそこまで下手に出て後手に回るほどのことだろうか。
「やっぱり納得はいかないかい? それとも、他に思うところでも?」
「いーや、べーつにいー」
はっきりと言葉にはしないが、皮肉をたっぷり含んだ口調で今の心中を表しておく。まだ能力が不明な相手も多い中、随分と余裕があるものだ。
「そんでまず連中の能力だけど、現時点で判明してるのは三人だったな」
「オブザーバーも含めれば、そうなるねえ」
名前が示す通り九人で構成されていたナインクラック。彼らはそれぞれの特殊能力に由来する異称を持ち、うち一人『情報俯瞰』のオブザーバー、ラクター・チェンバレンは既に故人となっている。というより、彼の死が事の発端なのだが。
「あーそうか、別にアビリティについて考察するわけじゃないから、オブザーバーは除外してもいいか」
この場の主題は相手の戦力確認だ、対象外として構わないだろう。同様の理由で、能力は不明だが戦意を喪失しているらしいリナン・ボイツという名の人物も除外。
「それじゃあ、わかってるのは七分の二ってことね」
「絶妙に少ねえな……」
「奴さんらにとって、それだけ対外秘の重要項目になるわけだ」
「それはまあ、そうだろうよ」
実際、手前の優位性が大きく損なわれるため、ナインクラックはアビリティの情報が外部に漏れないよう神経を尖らせている。故に、彼らが自身や仲間の能力を口外することはほぼ皆無だ。
今シン達が握っているナインクラックに関する情報は、そのほぼ全てが聖王らとオブザーバーの間で起きた事件の際に判明したものらしい。
「その二つのうち一つが、サイリさ……マニピュレーターの『精神簒奪』ね」
「ああ、事前に仕込みを入れた対象に、任意のタイミングで発動させてその感情を操る能力だ」
「最初聞いた時も思ったけど、えげつねえよなあ……」
「怖い力だねー」
結局シンと直接顔を合わせることはなかった、異変調査で王都から派遣されてきた王国軍の精鋭の片割れ――サイリ・キトラス。彼女にそんな裏の顔があったと知った時は、驚きはしたが楽に呑みこむことも出来た。さもありなんと。
精神を支配されてしまえば、どれだけレベルや能力値に差があろうと意味が無い。その時点で詰みだと当時は怖気立ったが。
「精神力が高けりゃ無効化出来るって聞いて、心底ほっとしたよ」
「正確には、精神力の高い相手にはその分仕込みにかかる時間が長くなるってだけで、必ずしも効果が得られないわけじゃないらしいけどねえ」
そうデオは一応注釈をつけるが、サイリがシンやデオに仕込みを入れにこようとしない以上、現実的な選択肢ではないのだろう。
ただ今回その可能性は低くとも、自身の特異な力を他者に悪用される危険性は、常に頭に入れておく必要がある。相手がどんな手段を用いてくるかわからないのだと、彼らの存在でシンはそれを思い知った。
「それって、フレシュは大丈夫じゃないんだよね、どうするの?」
「どう、って……」
「どうにも出来ねえから、侯爵家を出て俺のチームに入ったんだ」
フェアの純粋な疑問にフレシュが言葉を詰まらせ、シンが冷淡に事実を告げる。
自身がチームの重荷であることを意識して俯くフレシュだが、それは初めからわかっていたことでそう肩身を狭くする必要もない。そういったフレシュ関連の問題は、基本的にデオが担うという条件でアルゴロイドは結成されたのだから。それで、当のデオの考えは。
「どうするかと言われれば、地道に精神力を鍛えて抵抗値を上げていくほかにないねえ」
「それで、間に合うの?」
緊張感に欠けるデオの返答に、フレシュが尋ねる。不安と焦りと無力感と申し訳なさの入り混じった、ブラウンの瞳を揺らして。
「私は、皆に迷惑かけずに、済むの?」
その問いかけに、デオからいつもの気怠げな雰囲気が失せる。かといって特に強張るわけでもなく、落ち着きはそのままにフレシュの瞳を見返して数拍、告げる。
「君、次第だ」
嘘だ。と、シンは察する。
フレシュがどれだけ必死に鍛錬に打ち込もうとも、その成長が間に合うかどうかはナインクラックがいつ事を起こすかに依る。勿論、連中の行動が遅くなればなるほどフレシュの頑張る意味合いも増してくるが、それを当てにするのは空頼みというものだ。
しかしながら、それをそのまま伝えてもフレシュのやる気を削ぐだけで何の利も無い。つまりこの嘘は、彼女に発破をかけるための方便だ。
そして実際、フレシュは。
「…………!」
感化されて表情には気合が入り、瞳には活力とやる気がみるみる補充されていった。
幼く単純で、扱い易い少女だ。
(いや、ここは素直と言っとくべきか)
斜に構えて偏屈なシンと違って、彼女の純粋さと柔軟性は美徳でもある。経験の浅さ故の気質だろうが、失ってほしくないものだ。
と、一つ結論に至ったところで、話を元に戻して続きを整理していく。
「そんで連中の能力二つ目。レトリビューター、エリザ・ワイゼンバーンの『因果応報』」
「ああ、精神簒奪と違ってこっちはパッシブ――常時発動型の能力だな」
「しかも厄介なことに防御不能だって言うじゃねえか。どう対処すりゃいいんだ……」
かつてのスキルの話になるが、デオによると自分の意志で発動させるアクティブスキルと常時発動するパッシブスキルとがあり、後者はそのほとんどが防御不能の能力だったらしい。
アビリティとスキルで名称こそ違うが、その特性に違いは無いようだ。
「レトリビューターについては、レプティから助言を貰ってる」
「お、何て?」
「どう仕掛けても無駄だから、相手にするな。だとさ」
「……いや、助言か? それ」
ナインクラックと実際に相対した女神の助言と聞いて期待を寄せたシンだが、そのベクトルの違いに肩を落とす。解決策になってない。
渋面を作ってあからさまに不服を訴えるシンに、デオが説明を付け足していく。
「因果応報は完全受動型のカウンター能力らしくてねえ。レトリビューターはその特性を生かして、常にクラッカーを護衛しているそうだ」
「だったら、尚更無視するわけにいかねえだろ」
クラッカー、アラン・ハサビスはナインクラックの頭だ。その護衛役となれば、攻略は必須のはず。
「まあ、レプティの底意地が悪いのは今に始まったことじゃないが、流石に向こうの都合で頼みごとをしておいて無意味な助言をするほど捻じ曲がってはいないさ……ないよな?」
「おい、お前が不安になってんじゃねえよ」
「大丈夫よ。確かにレプティは人をからかって遊ぶのが大好きな困った人だけど、いつだって大事なことはちゃんと教えてくれたわ」
疑心が拭いきれず先行きを案じる二人に、フレシュがそう確信を持って言い切る。
それを聞いてフェアが思い出したように。
「そういえば、フレシュは女神様のこと知ってるんだったね」
「レプティの人間性が、フレシュの印象通りならいいんだけどねえ」
「お前、仲間だったんじゃねえのか。フレシュよりよっぽど女神との付き合いは長いだろ」
「生憎、彼女の内面を窺うには、俺の洞察力じゃ不充分なもんでね」
デオが肩を竦めて自嘲する。
ここまで二人から聞いた話では、女神レプティの印象大分悪いのだが。恐らく偏見も入っていると思うので、話そのままの人となりではないだろうが。いずれにしろ、そのうち直接会って……いや、やっぱりちょっと会いたくない。
「まあいいや。で、残りの五人で顔と名前が割れてるのが二人だったな」
「ああ、アラン・ハサビスとパリー・コルビネスの二人だ」
後者はそれ以外に何の情報もない人物で、前者は先程ちらっと触れられている。
「ナインクラックの頭、アラン・ハサビス。異称がクラッカー、ねえ」
「それがどうしたの?」
「あーいやな、見当違いかもしれないけど、俺の勘だとそいつ、すげえ面倒臭そうで――」
クラッカー。お菓子やパーティーグッズなど複数の意味を持つ単語だが、その一つにコンピュータネットワーク及びそのシステムへの不正侵入、破壊、改竄を行う者を示すものがある。
その異称が同様の意味だとしたら、その人物はこの世界の元となったゲームに外部から干渉し得る技術を持った存在であり。
「――すげえ大事なことを知ってそうだ」
現世と識世を繋ぎ得る、ゲームマスターと並んでシンが求める大変重要な人物なのかもしれない。