74 血の繋がりに非ずとも
「私も、お噂は耳にしていますわ。何でも、紫竜を相手に大変なご活躍をされたそうで」
ベレスフォード侯爵家商都別邸、ダイニングルーム。
真っ白なテーブルクロスの敷かれた長テーブルを挟んで、ホスト側の上座に着いたおっとりとした青髪の女性、侯爵家長女サッチェル・ベレスフォードが嫋やかに会話を投げかける。
「手放しで褒められることではありませんよ。私の行動理念は、常に利己的なものでしかないですから」
サッチェルの話に愛想笑いで受け答えるのは、ゲスト側の上座を宛てがわれたシーカーチームアルゴロイドのリーダー、シン・グラリット。
シン、デオ、フレシュの順に並んだアルゴロイドの面々。人間用の椅子には体格的に座る意味のない妖精フェアの席は、いつも通りシンの肩だ。
ベレスフォード家の末女であるフレシュをチームに迎え、実質彼女を保護下に置いたシン。いつぞやの襲撃から彼女を助けた礼も兼ねて、この日シン達は侯爵家に招かれ一食御馳走になっていた。
「何そのキャラ。ちょっと猫かぶり過ぎてて気持ち悪いんだけど」
「こういった会食の場で猫もかぶれねえような奴は、社会人として生きていけねーんだよ。覚えとけ」
「素が出てるぞ、シン」
「こらー、二人共仲良くしなさーい」
「あらあら、もうすっかり馴染んでるみたいね」
余所行き仕様のシンの対応に、フレシュが苦い表情で憎まれ口を叩いて始まるいつもの光景。それらのやり取りを見て、サッチェルが口元に手を当てくすくすと上品に笑っていた。
「安心したわ。その様子なら、何も問題は無さそうね。フレシュが新しい環境に上手く馴染めるかどうか、それだけが心配だったから」
「サッチェル姉様は、世話焼きが過ぎるのよ」
「姉さんがそうだと、フレシュはいつまでたっても自立出来ないままだよ」
会話に加わってきたのは、サッチェルの隣でここまで物静かに食事を続けていた黒髪の男。侯爵家の次男との紹介があったマーシュ・ベレスフォード。
「そう? フレシュなら、それは無用の先案じでしょう。ねえ?」
「…………」
述べた意見を安楽な笑みで楽天的にサッチェルに流され、マーシュは眉間を揉んで押し黙る。溜息も漏れていたかもしれない。
ホスト側にも三人が座っている。サッチェル、マーシュ、そしてもう一人は赤髪の女――侯爵家の次女、マリアン・ベレスフォード。彼女らの後ろには数名の使用人が控え、そのうちマリアンの後ろにはシンと面識のある人物――リチャード・バレットの姿も見えていた。
「それにしても、フレシュが聖王様のご息女だったなんて、お父様から最初に聞かされた時は本当に驚いたわ」
「その点については、当方の都合を押し付けてしまい多大な迷惑をかけた。シモンに代わって詫びておく。済まなかった」
「いえ、当然の対処です。セト様が謝られることは何も」
頭を下げるデオに恐縮して畏まるマーシュ。
ナインクラックにフレシュの素性が知られ彼女の身の置き所を変える機に、侯爵家でも一部の近しい関係者にフレシュとデオの身の上は明かされた。
その衝撃は大きく、マーシュも表面上は取り繕っているが、未だ戸惑いから抜け切れていない様子。一方サッチェルは泰然と落ち着いて構えている。別邸の代表を務めるだけあって、太い肝と包容力を備えた人物だ。
「……ごちそうさま」
張らず弛まずほどほどの緊張感で会食が進む中、早々に食事を終えたのはマリアンだ。器にはまだ料理が残ったままだが――というより、ほとんど手が付けられていない。
「御免なさい。あたし、ちょっと体調が優れなくて……失礼します」
頭を下げ最小限の詫び断り挨拶をして、退席していくマリアン。会食中ずっと暗い表情をしていた彼女は、部屋の出入口前でふと足を止めると。
「フレシュは……そっち側に座るのね」
その呟きだけを残して、ダイニングルームを後にした。
「マリアン姉様……」
普段の明るさからかけ離れた姉の様子に、フレシュが物憂げな視線を送る。
ベレスフォード家の養子であるフレシュだが、この会食の席はゲスト側を希望した。その理由は様々だが、心機一転のためというのが一番大きなところだ。しかし、それをマリアンがどう受け取るかまでは気にしていなかった。
「もう、あの子は……仕方ないわね。リチャード、付いていてあげて」
「畏まりました」
サッチェルの指示を受けたリチャードが一礼をして、マリアンの後を追っていく。
「済みませんね。恩義あるお客様を前にしておきながら」
妹の無作法を代わって詫びる、姉であり責任者であるサッチェル。シンに頭を下げ、続ける。
「ですが、どうかご容赦願います。あの子、今回の件で少し参ってしまってまして。可愛がっていた妹の思いも寄らない事実を、受け止めきれずにどうしたら良いのかわからないのでしょう」
「いえ、お気になさらず」
「それだけ、フレシュのことを思ってくれてるんだね」
構わないと首を振るシンと、あっけらかんと笑うフェア。二人の――特にフェアの反応に、ホスト側の面々が目を瞬かせて一拍、場の空気が和んだ。
「……ええ。マリアンは勿論、私達も」
「家族、ですから」
ふっと息を漏らして微笑み、優しく告げるサッチェル。感慨深く、静かに、穏やかに告げるマーシュ。
二人の温かな言葉に胸が一杯になったのだろう、情緒の溢れかえった様子のフレシュが顔を歪ませて立ち上がり。
「兄様、姉様、えっと……あの、私――」
「駄目よ、フレシュ」
咄嗟に今の感情――自分がどうしたいかを言葉で表すことが出来ず、しかしながら懸命に訴えようとするフレシュを、サッチェルが遮る。
「許可を求める相手が、違うでしょう?」
「…………!」
敏にその意図を察した姉からの指摘に、フレシュは言葉を失う。今、この場で頼み込むべき上役は誰か。振り向き、その相手と視線が交わる。
「そんな目で見なくても、別に駄目だなんて言わねえよ」
「うんうん、行ってきなよフレシュ」
「……ありがとう!」
シンの許可とフェアの後押しを受けたフレシュはパッと表情を輝かせると、マリアンを追って急ぎ足で駆けていく。
「この流れであいつの希望を撥ね除けたら、俺の印象最悪だしな」
「そういった本音は普通、思ってても口にしないもんだけどねえ」
「ふふ、シン様は正直なのですね」
特に言及されてもいないことを無用にこぼすシンに、デオのツッコミが入り、サッチェルが安楽に微笑む。
部屋を出ていくフレシュの姿を見送って、残る面子は和やかな雰囲気の中、会食を再開した。
◇◆◇
「マリアン姉様、入りますよ」
マリアンの部屋の扉をノックして声をかけ、しかしその返事を待たずにフレシュは何の遠慮もなく扉を開ける。
「あ……」
「フレシュ様、不躾ですぞ」
「勝手に部屋に入られる気持ち、少しはわかった? 姉様」
部屋に入ってきたフレシュと目が合い、気まずそうに顔を背けるマリアン。
リチャードから不行儀を非難されるも、フレシュは悪びれもせずに意趣返しだと冗談めかして当て擦る。
「ノックと声かけした分、まだ配慮してるのよ。姉様なんて、私の知らない間に部屋の中にいたりするんだもの」
「……うん、ごめんね、フレシュ」
「別に怒ってるわけじゃないし、謝る必要なんてないわ」
「あ……そう……」
フレシュの返事が謝罪の受け入れ拒否だとでも思ったのか、血の気の引いた顔色となって俯くマリアン。らしくないにもほどがある。
「ただ、今の姉様の態度には、とっても思うところがあるけれど」
「フレシュ様」
活力を失い落ち込んでいるマリアンに対し、遠慮ない言葉を浴びせるフレシュをリチャードか窘める。
「ごめんリチャード。今は私に、全部任せてもらえる?」
「……承知、いたしました」
それまでとは調子を変え、フレシュが真剣な眼差しでリチャードを見据える。
判断に少し考えを巡らせるも、すんなりと融通を利かせるリチャード。この辺りは長くフレシュ専属の侍従として勤め、築いてきた二人の信頼あってこそ。
意思疎通の図れたリチャードが身を引いて、フレシュは再びマリアンに顔を向ける。
「マリアン姉様、今、絶対に何か勘違いしてる」
「……勘違い?」
姉妹の対話の本題として最初に投げかけた言葉に、マリアンが背けていた顔をゆっくりと振り向かせる。
「あたしは、フレシュが聖王様の実の子で、女神様の計らいでうちに預けられたって話をパパから聞いたのよ。それを、一体どう勘違いするっていうの?」
「勘違い要素てんこ盛りじゃない。姉様は、私が今まで侯爵家を腰かけに上辺だけ家族として振る舞ってたんじゃないかって疑ってるから、そんなによそよそしいんでしょ?」
「あぅ……」
図星を突かれたのだろう、言葉を詰まらせ何も言い返せなくなるマリアンに、フレシュは大きく溜息を吐く。
「……もう。義父様からどんなふうに話を聞いたのか知らないけど、私はこの家を出たくて出ていくわけじゃないのに。止むに止まれぬ事情があるの」
「それは……聞いたから、一応知ってるけど」
「え? 事情を聞いてないわけじゃないの? じゃあ何で変な勘違い起こすのよ。姉様の馬鹿!」
「あー、馬鹿って言った! フレシュが、あたしのこと馬鹿って言ったー!」
妹のストレートな罵倒に、愕然としたマリアンが指を突き付けて責め咎める。
子供の言い合いと化した目の前の姉妹に、端に控えるリチャードの表情から強張りが抜けていく。もう、何も案ずることは無いと。
「だってそうでしょ。事情を全部知っておいて、根拠のない思い込みで勝手に落ち込んで。私がどれだけ姉様や、この家の皆のことが大好きなのかも知らないで」
「えっ?」
まくし立ててくるフレシュだが、非難するような語気とは裏腹に、その言わんとしている要旨が全く違うことに気づいたか、頭の中が真っ白になったようにマリアンが挙動を止める。
「フレシュ、今……何て?」
「だから、私は姉様もリチャードも、この家の皆、大好きなの!」
復唱を求められ、何の迷いもなくきっぱりと言い切るフレシュ。しかし、それを聞いたマリアンは顔を伏せ気味にしていて、表情が窺えない。
「……フレシュ」
「何よ。姉様、まさか疑ってるの?」
肩と声を震わせて呼びかけてくる姉。その不可解な様子にフレシュは怪訝に眉を寄せ、顔を覗きこもうとした瞬間。
「もう一回」
「ひぁっ!?」
がばっと勢いよく顔を上げたマリアンが、ギラギラと輝かせた瞳で至近距離にあるフレシュのブラウンの双眸を見つめ、ねだるように懇願してきた。
「今の、もう一回言って!」
「? …………!」
一瞬、姉がどうしてそんな要求をしてくるのか理解出来ずにきょとんとするフレシュだが、すぐに気がつく。
「なっ……べ、別にそんな必要なんてないでしょ!」
先程の自分が、どれだけ大胆な告白をしていたのかということに。
「あー、やっぱり嘘なんだー。今まで一緒に暮らしてきたのも、本当は上辺だけの付き合いでしかなかったんだー」
「う……ぐ……」
照れ隠しにプイッと顔を背けるフレシュに、今までの落ち込みようが嘘のようにマリアンがわざとらしくいじけたふりをして煽ってくる。
「あーあ、お姉ちゃん悲しー。もうフレシュのことなんてなぁーんにも信じられなーい」
「そんな見え透いた演技で……。ねえ、リチャードからも何か言ってちょうだい!」
「この件に関しましては、マリアン様の主張に筋が立つかと」
「何でよーっ!?」
「よく言ったわ、リチャード!」
完全に問答の攻守が入れ替わり、頼みにしたリチャードからも梯子を外され、悲鳴じみた声を上げて不当を嘆くフレシュ。
一方味方を得、数的優位に立ったマリアンは笑顔でサムズアップ。ご機嫌だ。
「ほらほらフレシュ、もう一回♪」
「フレシュ様」
「あ……う……」
要求の正当性はどうあれ、二対一となってしまった構図にフレシュはたじたじと押し込まれていく。
リチャードなど名前を呼んでいるだけで、しかも先程のそれと大して口調に変化もない。なのにそこに含まれる訴えが別物なのは明らかで、圧迫感が異常だ。
「フ・レ・シュ♪ もう一回♪」
「観念なさるべきでしょう」
「~~~~っ!」
満面の笑みを浮かべリズムに乗って催促する姉と、その横で冷静に追い詰める侍従。じりじりと迫る二人にフレシュはとうとう壁際まで追いやられ、退路が塞がれる。もう逃げ場はない。
「わかった、わかったわよ! 言えばいいんでしょ、もうっ!」
「ぃやったあ~~~っ!」
状況的に詰まされ、仕方なくフレシュは腹を括って要求をのむ。ヤケになったともいう。それを聞いたマリアンが飛び跳ねて喜び、リチャードは収まり良しと頷いている。裏切者め。
「さあさあフレシュ、早く聞かせて」
「…………」
わくわくと期待に胸を膨らませて、落ち着きなく待機するマリアン。
大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせるフレシュだが、一旦冷静に立ち返ったことで逆に今の状況を強く意識してしまい、その異様さに顔を引きつらせると同時に再び混乱の波が押し寄せてくる。どうしてこうなった。
(何で、どうして私がこんな……変よおかしい絶対何か間違ってるそもそも姉様が落ち込んでて心配だっただけなのにもうそんなことする必要ないでしょ意味ないじゃないだってもう姉様元気になってるしじゃあ何で今私がこんな目に嘘よおかしい馬鹿げてるおかしいどうしておかしいおかしいおかしいおかしい)
ぐるぐると、頭の中を割り切ることの出来ない、どうしようもない思いの連鎖が駆け巡る。
しかし何をどう考えようとも今更意味は無い。現実逃避にしかならない。目の前には変わらずそわそわと待機する姉と、静かに控える従者の二人。承諾してしまった事実は変わらない。
もう、他に選択肢は無い。
「マリアン、姉様……」
意を決して絞り出した声は消え入るほどに小さく、しかしその言葉を聞き逃すまいとする姉の部屋は物音一つなく静まり返っていて、思いの外大きく響く。
伏せたままの顔が紅潮していく。求められた言葉を告げるだけの茶番だが、その思いが本心であることに変わりはないのだ。意識して伝えるとなると恥ずかしくてたまらない。恥ずかしくて恥ずかしくて、それはもうこの場から消え去ってしましたいほどに。
フレシュの次に発せられる本命の台詞。瞬きを惜しみ、耳を澄ませ、呼吸すらも止めて、全神経を目の前の妹に集中させてマリアンはその瞬間を待ち望んでいる。顔を伏せたままでは「聞こえない」と繰り返しを要求されかねない。
だから、両手でローブの裾をぎゅっと掴んで、火照って耳まで真っ赤に染まった顔を恐る恐る上げ、開けば震えそうになる唇を、勇気を振り絞って動かした。
「…………だいすき」
瞬間。
「――――っ!!」
心臓を銃で撃ち抜かれたかのような衝撃を受け仰け反ったマリアンが、よろめく身体を踏鞴を踏んでどうにか持ちこたえる。
辛うじて姉と目が合うギリギリのラインに顔を上げたことで、図らずも上目遣いとなったフレシュ。恥じらう表情との相乗効果によって、その告白は凄まじい破壊力となってマリアンを襲ったのである。
そして。
「フレシューーッ!」
「きゃあああっ!」
理性のタガが外れたのかと疑うほど、猛烈な勢いでマリアンが飛びついてきた。
「やーっぱり、フレシュは私の天使!」
抱きついて、遠慮なくぐりぐりと頬ずりしてくるマリアン。
隠されていた妹の秘密を知って落ち込んでいた姉は、すっかり元の調子を取り戻した。憐れなフレシュの羞恥心を生贄にして。
「もう! いいから、早く離れなさーーい!」
過剰な愛情表現を押し付けてくるマリアンに、未だ羞恥が収まらず顔を紅潮させたままのフレシュが抗議する。
そうして普段と同じくじゃれ合う姉妹の声が、久しぶりに邸宅内へ響き渡っていった。