69 古い石造りの住処
人里から遠く離れた場所にある石造りの巨大な建造物。
竜と神の戦いが記された神話の時代。それより以前から存在するその古びた建物が、永くサビレドが過ごしてきた住処である。
「やあおはよう、君は見ない顔だな。ここへは塒を探しに? それともただの通りがかりか」
散歩は日課だ。一日のルーティンというものにこだわりなどあまりないサビレドだが、起床から就寝までの活動時の行動にはある程度傾向が出てくるものだ。
広大な屋内を行き交う見知った顔と見知らぬ顔はおよそ半々といった割合。長く住まう者、遠方からやってきた者、道すがら偶然通りがかった者、はたまた意図せず迷い込んでしまった者、等々。
余所者が訪れようと彼らを特別どうしようということもない。居つくも去るも彼らの自由だ、サビレドの関心事ではない。
「なに、私はただの気まぐれだ。この階層を取り仕切る者はいない。下層へ降りさえしなければ、誰を気にかけることなく好きに振る舞えばいい。じゃあな」
すれ違いざま、ふと何気なく声をかけた相手が委縮してしまったが、それは本意ではないのでさっさと立ち去ることにする。相手もそう脆弱な存在ではないのだが、サビレドを前にしては身が本能的に警鐘を鳴らしてしまうのだろう。
サビレドをはじめこの場所に住まう者共には一つの共通項がある。それは彼らが皆、この世界における強者という立ち位置の存在であることだ。
この近場に生息する弱者は一切ここへ近寄ろうとしない。彼らにとって、ここが命を脅かすほどに危うい場所であると認知されているからだ。
その裏付けとして実際、何も知らずに訪れたであろう憐れな躯が上層に転がっていたりする。サビレドの関心事ではないが、見かけて気分の良いものでもない。そのため上層は散歩のコースからは除外されている。
散歩のコースも特に決めてはいないが、意識的に不規則にしているわけでもない。結果として幾つかのパターンに収束されるが、最後に向かう先は昔から変わることなく一貫していた。
――カツーン、カツーン。
賑やかな上階から隔離されたように他者の気配が消え失せた最下層。四方を静寂と石壁に囲まれた大部屋に、サビレドの足音がやたら大きく響いていく。
他と比べ頻繁に手入れがされ、良質な状態の保たれた特別な部屋だ。照明の僅かな薄暗い部屋には、正方形を描くよう等間隔に均質的な置物が四つ並んでいる。
表面に彫刻で抽象的な模様が描かれたアンティーク調のオブジェ。箱型のそれは人間が一人収まって尚余裕がある大きさだ。
置物にはそれぞれ中央に大きく目立つよう文字が刻まれていた。
『マノウ』
『カナロ』
『メルモワ』
『――――』
サビレドは『マノウ』の置物の傍まで来ると、そこへ腰を掛けた。
在りし日に思いを馳せるなど柄でもないが、暇を持て余すサビレドにはそうして過ごすのも時間を消費する手段の一つだ。逆を言えば、それ以上の意味はない。
目を閉じのんびりと浸ること暫く、上階から足音が一つ近づいてくるのを察してサビレドはゆっくりと目を開けた。
「サビレド、ここに居たか」
声をかけ大部屋に入ってきたのは大柄な男。黒から少し色素の抜けた濃鼠の髪は逆立てられる程度の短髪だが、後ろ髪から括られた一束だけを長く伸ばしている。
鋭い赤茶の瞳に強めの口調も相まって非情な印象を持たれることが多いが、当人の気質は至って穏やかで特に初対面の相手には誤解されがちな男である。
「ダビドフか、探させたか?」
「それなりにな」
ダビドフ・ハラデイ。サビレドがここを住処とするより以前の旧識の間柄だ。
大国の王城にも引けを取らない広大なこの建物の中で、特定の目標を探し出すのは些か骨が折れる。魔法や魔導具を用いれば楽に連絡を取れそうなものだが、この場所の特性がそれをさせてくれない。
加えてここでは時刻を知る術が内部には存在せず、外からの訪問者に教えてもらう以外にない。
サビレドは起床から就寝までを自身の一日と定義している。しかしそれは二十四時間という日の巡る外の一日とは違い、サビレドの一日は日によってその時間にばらつきがある。
つまり外部の者であろうと、時刻でサビレドの居場所に目星を付けることは出来ないのである。
サビレドがここを住処として間もない頃にはダビドフが時計を設置していたのだが、時間を気にせず過ごすここの住民達には無用の長物だ。ただのオブジェと化した時計は、やがて朽ちて時間を刻む動きを止めた。
「そうか、それはご苦労なことだ」
「今更なことを」
ダビドフの返答に対しサビレドの反応は何の感情もこもっていない。ただ自分の元を訪れた知人へ何となく聞いてみただけで、どんな答えが返ってこようとサビレドにとってはどうでもいいことだ。
二人は旧知だがそれだけの間柄でしかなく、どれだけ付き合いが長くなろうと友人のような親しい関係にはなりえない。
「まあ、そんな面倒もじきに不要となるがな」
「用件はそれか」
「ああ、聞けサビレド」
珍しく。無味乾燥で血の通った感じのしない両者の会話にしては実に珍しく、ダビドフの声に感慨がこもる。
それはサビレドにとっても同様で、もうずっと長いこと忘れていた高揚感という感覚を少なからず抱いている自分に気が付いていた。
ただここでダビドフが「喜べ」とは言わず、サビレドも高ぶりを一切表に出さず、事務的に続けるところがこの二人のらしいところである。
たとえ今交わされている話の題目が、世界を揺るがす大事であろうと。
「日取りが決まった」