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Lv.グラハム数で手探る異世界原理  作者: 赤羽ひでお
2 意識、感覚、哲学的ゾンビ
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67 大商人邸座談

 交易都市エプスノームにおいて、東居住区は貴族の居住地として知られるが、貴族以外が住居を構えてはならないという決まりがあるわけではない。

 しかしながら大きな財力と権力、又はコネクション等それらに準ずる繋がりが無ければ基本的に申請が通ることはないので、そう易々と平民がその地区に家を建てられるものではないが。

 そんな東居住区で最も立派な豪邸は、地区の西側に構えられている。

 広大な庭園は数名の専属庭師による手入れが行き届き、綺麗に刈り込まれた芝と色とりどりの花壇が洒落た配置で見る者の目を楽しませる。正門をくぐって真っ直ぐに進むと噴水と彫刻が存在を主張し、その先にある短い石階段を上れば館の入口だ。

 三階建ての館は西棟と東棟があり、西棟一階は全て書庫となっている。二階は使用人の部屋で三階は空き部屋。東棟は一、二階が来客用、三階が家族と側近の部屋という割り当てだ。

 大商人ギルピン・ローダー卿の邸宅。叙勲を受け爵位を賜った平民出である彼の屋敷は、この都市の別称である『商都』の象徴として、商人をはじめとした一般市民の憧れと目標にされている。


「私が屋敷を空けてる間、商都は大変だったようですね。力になれず申し訳ない」


 応接室のソファに腰かけて頭を下げるのは三十路を過ぎたあたりの男。黒髪に赤のメッシュを入れオールバックにしている。謝罪の声は穏やかで落ち着きを感じさせるこの館の主、大商人ギルピン・ローダー。

 異変を受けて招集がかかり、出先の王都からエプスノームへ帰ってきたのは昨日のことだ。


「謝ることはないさ。旦那に落ち度のあるようなことじゃない」


 社交辞令のやり取りを挨拶の延長として済ませたのは対面のくすんだ赤髪の男。現在はデオ・ボレンテという名で活動している七暁神の一人、破壊神セト・クレタリア。


「そうね。それともあなたが居たら、都市の被害を軽減出来たのかしら、ギル?」

「意地の悪いことを言わないでくれよ」


 ローダー卿の隣で彼に悪戯っぽく微笑みかけるのは黒髪の貴婦人。座っているのでわかりにくいが、うなじの辺りで括った艶やかな髪は腰にまで届く長髪だ。ローダー卿夫人ピアレスこと、七暁神、女神レプティ・ポリー。

 言葉尻を捉えて弄ってくる彼女にローダー卿が苦笑する。


「それはそうと、思ったより滞在期間が長かったねえ。今回の異変は王都にとってもそれだけ衝撃が大きかったってことかな」

「違うわね。この子に限ってわざわざ王都まで出向いたのに、ただ話をして帰ってくるだけなんてこと、あるわけがないわ。どうせ呼び出しの件はさっさと片付けて、好き勝手遊び歩いてたんでしょ」

「いやいや、いつまでもやんちゃ坊主扱いはよしてくれないか、ピアレス」


 当たりのきつい戯れで執拗に弄り続ける夫人から、ローダー卿は顔を引きつらせて否み逃げる。普段は強面の部類に入る顔も、彼女の前では形無しだ。

 千年を生きる七暁神のレプティにとって、現代に暮らす人々は皆子供も同然だ。長い付き合いでその少年時代を知るローダー卿などは尚更である。

 「それじゃあ、何をしていたのかしら?」と瞳で問いかけてくる彼女に、ローダー卿は一つ一つ指を折りながら。


「得意先の挨拶回りに新規の顧客探し。新しい魔導技術の開拓と参入の見込めそうな事業の探りも兼ねた新刊書巡り。それから、研究の進捗を見にデヴィアスのところにも顔を出して来た」

「やっぱり遊び歩いてたんじゃない」

「どうしてそんな解釈になるんだ」


 後ろ暗さなど何も無いとローダー卿は王都での行動を説明するが、夫人の反応はにべもない。

 額を抑えて半眼になる大商人の後ろから、ふぅ、とため息が一つ吐き出される。


「いつもながら、お戯れが過ぎますよ、ピアレス様」

「あら、この程度、まだまだ序の口よ」


 夫人の言動を聞き咎めて口を挟んできたのはこちらも長髪の女性。ソファに座る三人とは一線を引き、青紫の髪を揺らすことなく人形のように夫人の斜め後ろに立ち控えている。

 主君の命で女神レプティに付き従い奉仕している、魔王シガーの忠臣。魔煙十二臣ビュテラ・マーカム。


「いいぞビュテラ、もっと言ってやってくれ」

「調子に乗るな、ギル坊」

「うえぇっ!? 一応俺、雇い主って立場で、今の君のご主人様なんだけど!?」


 援護を得て意気を揚げるローダー卿に、ビュテラの必要以上に冷たい目と声での一喝。すぐさま梯子を外され感情がつんのめるローダー卿。


「たわけ、私が主君と仰ぐお方は後にも先にも魔王シガー様唯一人だ。貴様のような小僧風情がおこがましいぞ」

「はいはい、さいですか」

「そう思うのは別にいいけど、公の場ではきちんと弁えるのよ」

「無論、心得ております」


 扱いの改善を諦めて適当な相槌で話を流すローダー卿。最初の折り目正しい姿はどこへやら、客人であるセトを前にすっかり素が出てしまっている。

 一方他人、特に貴族相手には見せられないやり取りに夫人が釘を刺すが、そこは流石にビュテラも分別を失うことはないだろう。全員が素性を知るこの場にあって、夫人をレプティではなくピアレスと呼んでいるのがその意識の表れだ。


「賑やかだねえ」


 即興の漫才のような軽口を交わす彼らが微笑ましく、セトが目を細める。と、コン、コン、と応接室の扉がノックされた。

 会話を止めたローダー卿が「どうぞ」と告げると扉が開けられ、姿を見せたのは初老の執事ダニエル・ディロン。


「お見えになられました」


 彼の案内で部屋に通されたのは五十手前ほどの男性。ダービーハットを被った面長の顔は、眼鏡の奥の瞳が知的な印象を与えてくる。ワンポイントの金糸の刺繍が入った黒いジャケットを纏った、エプスノーム地方で最も大きな力を持つ貴族。

 マルコス・ベレスフォード侯爵。


「お久しぶりですローダー卿、息災で何より」

「ようこそ。お待ちしていました、ベレスフォード候」


 帽子を取って柔和に笑いかけるベレスフォード候に、ローダー卿がソファから腰を上げて挨拶を交わす。

 両者が握手を交わす間にセトとレプティも立ち上がって挨拶に向かうが、先にベレスフォード候が二人を前に跪いて頭を垂れた。


「レプティ様、セト様、お変わりなく」

「何もそこまで畏まる必要はないさ」

「もう、会う度に。面倒臭いのよ、あなた」


 最敬礼で二人へ恭順の意を示すベレスフォード候に、セトは苦笑して、レプティは嘆息してそれぞれ告げる。

 二人の反応にも侯爵は頭を垂れた姿勢のまま「いえ」と首を振って。


「私共が今日の人生を謳歌出来ているのは、七暁神の皆様のお力添えあってのこと。畏敬の念は常に抱いて然るべきでしょう」

「その心がけは良いが、今はお二方が迷惑しておられる。敬意を示したいのであれば尚のこと、御方々の望まれる態度を意識することだ」

「……仰る通りですね」


 ビュテラの指摘に同意し、侯爵が面を上げる。表情は納得というより尊重の色合いが濃いが、妥協というほど譲歩した感もない。単に特別なこだわりがないだけだろう。


「あら、たまにはいい働きするじゃない」

「たま、に、は……?」


 レプティの評価に言葉を失うビュテラ。誉め言葉には違いないが、そこに込められている意味合いは普段の働きは粗末なものという真逆のものだ。

 口が半開きの呆けた面から窺える心情は「え、冗談ですよね?」といった受け入れの拒否。しかし残念ながらそれはレプティの本心であり、ついでにいうと戯れの一環だ。


「では、皆さん揃ったところで、始めるとしましょう」


 呆然と立ち尽くすビュテラを放置して、四人はそれぞれ腰を落ち着けるとローダー卿の音頭で会合が始められる。

 議題は。


「聖王様の娘さん、フレシュ嬢の今後の身の振りについて、でしたね」

「今までフレシュの面倒を見てくれたこと、シモンに代わって感謝するわ」

「多感な時期を六年か、立派に育っていたよ」

「勿体ないお言葉です」


 本来であれば頭を下げ態度でしっかりと謝意を示したいところだろうが、それをするとまた面倒なやり取りを挟むことになる。なのでレプティの労いは口頭のみ。

 セトからも好感触な言葉を貰った侯爵は、慎み深さ変わらずに。


「聖王様の御子の身柄をお預かりする大役、務めさせていただくことはこの身に余る光栄でございました」

「やっぱり面倒臭いわ、あなた」

「その喋り方は互いに窮屈なだけだからやめようか」


 無礼にはならずとも過度に慇懃な言動に、レプティだけでなくセトからも苦情が入る。それを見越していたのだろう、侯爵は「では、お言葉に甘えまして」とあっさりと口調を変え。


「しかし、ナインクラックという名の一団は私共の手には余りますか。その脅威度は具体的に如何ほどでしょう」

「戦闘能力でいうと魔臣や六首竜と同程度かしら。そこのビュテラとどっこいね」


 レプティの目算にビュテラがピクリと反応する。不服な評価に異を唱えたいところなのだろうが、そこは堪え感情を殺して話の腰を折ることはせずに談義を見守り続けている。


「彼らが脅威になる理由はそこじゃないけどねえ」


 ナインクラックにフレシュの血縁関係を知られ、彼らはそれを利用しようと行動を起こした。

 侯爵家の力は並ではないが、それでも彼らに対抗し得るほどではない。フレシュの身を庇護するにはより強力な存在が必要となる。


「アビリティ、と言いましたか。昔日の概念を模倣した特殊能力だとか」


 談義を続ける中、ダニエルの運んできた紅茶と茶菓子に手をつけながら、ローダー卿がセトの言葉に補足をつける。

 そこに甘党のレプティが好物の角砂糖を多めに溶かしながら。


「そうね。実際厄介だけど、尖った性能のものはその分制約も厳しくなるわ」

「むう、魔臣の方々に比肩する実力に加え、そのような力まで。確かに、私共には荷が重いでしょう。歯痒いものです」

「相手が悪いだけさ。気にしなさんな」


 顎に手を当て対抗力を試算し、その結果に曇る侯爵にセトのフォローが入る。

 彼の表情には多少の暗さはあるものの、皺を刻み込むような深い感情は見受けられない。初めから割り切ってはいたようだ。


「それでその子の身の置き所を、デオさんが用意してくれたそうですね」

「苦労をかけるわね」

「そう思ってくれてるなら、あまり頻繁にこき使わないでもらえるかい?」

「ええ、シモンにそう伝えておくわ」

「…………」


 悪びれもせずいけしゃあしゃあと宣うレプティに、最早何も告げられなくなるセト。

 図太い神経と厚い面の皮と真っ黒な腸という精神力三種の神器を備えた彼女には、生半可な皮肉などまるで通じない。下手な口撃はカウンターの餌食となって、こちらの心の方がダメージを負いかねない。


「痛み入ります、セト様」

「それはこっちの……というか、シモンの台詞だろう。フレシュに関してお宅は感謝される立場であって、その逆は無いさ」

「こっちの都合で勝手させてもらって悪いわね。不満もあるでしょうけれど、何なら全部シモンに伝えておくわよ」


 現状をどう脚色して美化しようとも、実態は侯爵の七暁神への敬意を利用して、体よく彼の権力を使わせてもらっていることに帰結する。

 セトはそこに引け目を感じるが、レプティは慣れているのか元々の気質か、悪いと言いつつも恬然として恥じる素振りなど一切見られない。真似たいとは思わないが、こういう時は羨ましいものである。


「でしたら、不満とは違いますが一つだけ」


 二人の返しに侯爵は意外にも差し控えることなく願い出る。礼節を尊び敬するのは良くとも、へりくだる姿勢までは望まない二人の意を汲んだのだろう。


「あの子は、フレシュは、僭越ながらもう私共の家族の一員です。子供達――特に次女のマリアンなどは、別離となると深く悲しむでしょう」


 穏やかに語る侯爵は、慈愛に満ちた眼差しで「ですので」と前置きを終えて。


「今ある脅威が去った暁には、再びあの子を家族として、我が家に迎えさせてはいただけないでしょうか」

「何言ってるんだ。少しの間ベレスフォード家を離れるだけで、フレシュとお宅らはずっと家族のままさ」

「ええ、そうね」


 侯爵の訴えに、頼みに、確かな愛情を感じ取って、その温かみにセトは目を細める。

 レプティもその意見に頷いて、感慨深げに言葉を継いだ。


「あなたに、フレシュを任せて……良かった」


 瞳を閉じ、彼女にしては珍しく安らぎを感じさせる声で感嘆を表すと、ゆっくり瞼を開け侯爵の瞳を見つめて。


「ありがとう」


 微笑んだ。

 それは、その微笑みは、女神の名に相応しい、魅力溢れる微笑みだった。


「――――!」


 まるで一枚の名画のように心を惹きつける女神の微笑みに、侯爵は息を呑み釘付けにされるところを振り切って、再度頭を垂れた。


「……冥加に余る、至上の褒辞にこざいます」

「だから、面倒臭いのよ」

「まあ、今のは仕方ないんじゃないか?」


 初めの堅苦しさが顔を覗かせる侯爵にレプティが半眼になり、セトは苦笑する。と、ローダー卿が軽く咳払いをして逸れた話の軌道修正に乗り出す。


「えー、それで今度は『特異』の異名を持つ男を頼ると聞いてますが、失礼ですがその男、信用に足るのでしょうか?」

「そうだねえ、接して得た印象はそう悪いもんじゃなかったけど、本質まで見極めるにはちょっとばかり時間が足りてないかな」

「……セト様?」


 セトの返答に侯爵が疑念の目を向ける。当然だろう。家族を預けるに当たって不安を残すようなことを言われては、たとえ敬意を払う相手であっても心中穏やかではいられまい。

 セトもそれはわかっているので、不安に抗するだけの弁明はきちんとしておく。


「とはいえ、特異シン・グラリットがフレシュに危害を加えるようなことは九分九厘無いと思うし、万が一そうなった場合は……その時は、俺が盾になるさ」

「セト様……」

「特異がその気になったら、あなたが盾になったところでどうにもならないけれどね」

「ここで冷や水を浴びせるのは勘弁してくれないか?」


 和んだ空気をぶち破る、槌を振り下ろしたようなレプティの毒舌鋒に顔を引きつらせるセト。侯爵も苦笑以外にリアクションの取りようがない模様である。

 澄まし顔で紅茶を啜る彼女は、すっかり普段通りの性悪腹黒女狐へ逆戻り。さっきの微笑みは幻か何かか。きっとそうだ。


「大体、最初にフレシュの保護先としてシンを推したのはレプティじゃないか」

「あら、そうだったかしら?」

「そこをとぼけられると、話を進める上で支障が出て来るんだけどねえ」

「別にそんなことないでしょ」


 そんなことある。レプティにはなくともセトには大いに。そう抗議の視線を送り続けるがレプティは洟も引っかけずに「あ、そういえば」と、どうでもいいような話題を振ってくる。


「シーカーチーム組むようなこと言ってたわよね。いいじゃない、チーム名はもう決めたのかしら?」

「いや知らないけど、まだじゃないか? そのうちシンが決めるだろうさ」

「決まってないの? なら『辛酸舐め放題摂取多量糖分過多肥満隊』なんてどうかしら?」

「ツッコミに困るボケは控えてくれないか?」


 脈絡なく意味のわからないボケをぶっこんでくるレプティに苦言を呈するが、セトの反応に彼女はやれやれと頭を振って羽虫でも見るかのような目で呟く。


「ふぅ……つまらない男ね、セト」

「今の、俺が悪いのか!?」


 理不尽かつ不当な言いがかりに物申すセトだが、レプティに取り合う様子は毛ほどもない。後ろに控えるビュテラの気の毒そうな眼差しがどうにもいたたまれない。

 そんなふうに七暁神二人と商都を牛耳る大商人、そしてこの地方一帯に影響を轟かせる大貴族という錚々たる顔ぶれによる談義は、騒々しく続けられていくのであった。



  ◇◆◇



 談義が終わり、錚々たる面子は皆この場を離れ、応接室に残るは一人、長い黒髪の女。

 議題には真剣に取り組むべきだが、場の空気を支配する彼女が厳粛な雰囲気をあまり好まないこともあって、話し合いは賑やかに楽しく行われていた。つい先程まで。

 冷めた紅茶に口をつけ、語らいの時間に別れを告げる。通り過ぎた賑わいの余韻というのは、何とも寂しさを掻きたてるものである。


「シンさんもこっちに来たことだし、そろそろあなたも動きを見せたらどうかしら?」


 そんな祭りのあとの空気に浸りつつ、女神レプティことローダー卿夫人ピアレス・エリ・ローダーは。


「……ねえ、ユカリ?」


 現世時代からの付き合いである友人へ向け、しかしその耳には届くことのない独り言を、無人の空間にそっと投げかけた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 ローダー卿夫人ピアレスか。これは単なる偽装身分か、又は本当に結婚しているのか。子供はいるのか。色々と気になるところです。 まあでも、「現代に暮らす人々は皆子供も同然だ…
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