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Lv.グラハム数で手探る異世界原理  作者: 赤羽ひでお
2 意識、感覚、哲学的ゾンビ
58/95

57 驚嘆と狂熱と享楽

 ――パタタタタッ。


 飛び散る滴が地面に赤い斑模様を作る。

 塗料の源は己の肉体。大きく裂けた傷口から。

 思わぬところから現れた凶禍の魔槍ブリューナクが、その塗料――ソブリンの血で穂先を赤く染めている。


(……おお)


 訪れた場面に、目にした光景に、湧き上がる感情が心を掴み取る。自らを捉えたデュークに、その得物に、能力に、戦いぶりに、ソブリンは今までに経験したことのない感覚に囚われ、瞳も、身体も、意識すらも、全てを釘付けにされて動けない。動こうとは思えない。

 その隙を逃さず、手の中に戻って来た愛槍をシュルルルと回しながら狙いを定めたデュークが。


 ――ズバッ!


 脇腹から肩口にかけて、ソブリンの身体を大きく斜めに斬り上げた。

 手応えを得たデュークは相手に休む暇など与えない。槍を振り抜いた姿勢を整える間に仕掛けた次なる一手は。


「〈高重力〉〈氷撃〉」


 魔導の妙技、二種同時魔法。

 急激に重くなった身体が地面に打ちつけられ、衝撃と重量で大地がひび割れる。

 間を置かず射出されていくのは無数の氷塊。視界を埋め尽くすほどの広範囲に所狭しと敷き詰められた礫の嵐が、強力な磁石で引っ付いたようにその場に張り付けられたソブリンへ、容赦なく襲いかかり。


〈瞬間移動〉


 その身を撃ち抜くことなく、何もなくなった空間を次々に通り過ぎていった。


「ちっ!」


 この機に乗じて一気呵成に決着までもっていこうという目論見が外れ、デュークは舌打ち。踏み出した足にズザッとブレーキをかける。

 移動先は視線の直線上というその魔法の特性から、デュークは消えたソブリンの位置を推測。振り向き、紅紫の双眸にその姿を捉える。

 上空。夜明けを控えた空は薄雲に覆われて星は見えない。

 月は朧、弓張月。

 僅かな月明かりに照らされて、映し出された紳士ソブリンは。


「ふ――」


 眼下の紅紫の凶竜へ、込み上げる感情を抑えきれず、大仰に両腕を広げ――ようとして右腕が動かず左腕だけを広げ、嗜みを忘れた無遠慮な大声で。


「――ははははははははははははは!!」


 悪夢にうなされそうなほどに怖気をふるう、おぞましい哄笑を轟かせた。


「素晴らしい素晴らしい素晴らしい素晴らしい素晴らしい素晴らしい素晴らしい素晴らしい素晴らしい素晴らしい、素晴らしい! 実に!!」


 空中浮遊の魔法で宙に浮くソブリン。貫かれ、斬り裂かれた傷を癒すことすら頭に無い。大きく開いた傷口からどくどくと生温かい血を流し続ける狂気の男は、感動に溺れ恍惚に我を忘れている。


「想像以上です! 紫竜デューク・マゼンタ!」


 心からの称賛と感謝を相手に贈る。こうまで楽しめるとは正直思っていなかった。

 筋力も、魔力も、敏捷も、技術も、あらゆる戦闘能力においてソブリンから遥かに水をあけられているにも拘らず、一歩も引かないどころではないデュークの戦いぶりは望外のものだ。

 中でも意外だったのは。


「近接戦の最中、二種同時魔法を扱ってのける魔法技術!」


 ただ使うだけなら言うほどのものでもない。が、それは威力や効果を度外視した場合の話であって、常識的にデュークのような戦闘スタイルの者が扱える代物ではない。

 近接戦闘中の魔法行使は魔力を片手間に扱わなければならず、それが同時魔法となれば相乗効果で難度が跳ね上がる。従って実用的な効果を得るには、それなりに技術を備えた魔導士が時間を使って集中するのが常だ。

 そして、殊に魅せられたのは。


「背後からこの身を穿った魔槍の一撃!」


 命中の瞬間急所は避けたものの、庇い貫かれた右腕の傷は深い。腱が切れているようで動かない。

 あの一撃は、投擲された槍が軌道を変えて戻って来たわけではない。そうであればソブリンはすぐに気付く。あれは命中の直前、唐突にソブリンの死角に現れたのだ。

 それこそが凶禍の魔槍ブリューナクの真価。電撃の魔法ともう一つ、石突の魔鉱石に籠められた投擲必中の能力――空間転移だ。


「ああ、これ程まで私に昂ぶりを与えていただけるとは、この世界を創り給われた創造神には感謝の念に堪えません。勿論デューク、あなたにも」

「担ぎ上げんな。反吐が出る」


 本心からの言葉なのだが、デュークはそれを耳触りがいいだけで舌先三寸の美辞麗句と受け取ったようだ。険悪に目を吊り上げて唾を吐き捨てている。


「攻めて来る気ねえだろてめえ。端っからこっちずっと受けに回りやがって」

「おや、お気に障りましたか。決してあなたを愚弄しているわけではありませんので、どうかご容赦願います」

「こんだけ先手譲っといてか? その上全部空振り取れる気でいたんだろうが。舐めやがって、ムカつく野郎だ」

「とんでもない。ただ私は、この戦いを髄まで堪能するがために、趣向を凝らしているにすぎません」


 この戦いには、シンという力の及ばない相手に対し、頭を捻り、全力を尽くして挑んだ前回とはまた違った醍醐味がある。

 頭を捻り、全力を尽くす相手を迎え撃つという、真逆の趣だ。


「そして今、この身を浸す陶酔感は、高揚感は、充実感は! ああ、ああ、素晴らしい! その甲斐もあったというものです」


 相手の戦術を予備知識無しに真っ向から受けて立った際の興奮は未だ冷めやらない。胸が熱い。心臓が激しく鼓動している。そのせいで出血が酷いが、不快感など意識の外だ。

 再びあの感覚を享受するために、不要なものは削ぎ落とし、不要なことは何一つしない。故に、ソブリンは魔槍の能力への対策をしない。戦術の予測もしない。

 それを正面から受けて驚くために。楽しむために。至高の快楽を得る、そのために。


「さあ紅紫の凶竜よ、次は一体如何なる業を以って私を魅了していただけるのでしょうか」


 新たな快感への期待に口角を吊り上げ、ソブリンはデューク目がけて流れ出る血液を振り撒きながら夜空を滑り降りていった。



  ◇◆◇



(あの野郎、イカレてやがる)


 振るった愛槍からは確かな手応えを感じ取った。まともに入った。右腕は機能を失い、脇腹から肩口にかけて負わせた大きな傷は見るからに重傷だ。

 放っておけば生命に関わるような傷を癒すことも忘れ、唯々この戦いの快感に酔いしれる赤い瞳の魔人。

 狂っている。

 そう嫌悪感に渋面を作るデュークだが、悪魔のような笑みを浮かべて向かってくるソブリンに対し、特に気圧されるということはない。

 精神性が異常な相手というだけで萎縮するような小心者など、気高い八彩竜には存在しない。眉間に皺を寄せたのは、ただ鬱陶しく思っただけのことだ。


「〈衝撃波〉」


 デュークは相手を充分に引きつけたところで魔法を放ち、直後に跳躍。空間障壁で防御したソブリンの頭上を飛び越し、その背中へブリューナクを投げつけた。

 穂の魔鉱石に籠められた電撃の魔法を警戒したのだろう、ソブリンは大きく距離を取って魔槍を回避。その瞬間を狙って。


「〈氷撃〉〈炎撃〉」


 氷塊の弾幕と炎の壁でソブリンを挟み込み、魔槍を転移させた。

 放たれた氷の弾雨を再び障壁で防がれ、炎は烈風に吹き消される。突風の魔法。相手も同時魔法――それも無詠唱の――で凌いでくる。そして転移した魔槍の軌道を見極め、回避に意識を集中させるソブリンを。


〈瞬間移動〉


 無詠唱魔法で瞬時に間合いの中に現れた、デュークの拳が捉えた。


「うらァッ!」


 強烈な右フックがソブリンの頬骨を打ち抜き、その身を錐揉み回転させながら凄まじい勢いで吹き飛んでいく。

 転移した愛槍を受け取ったデュークが追撃の予備動作に入る中、どんな平衡感覚をしているのか、ソブリンは完璧に己の身体を制御してくるりと一回転。叩きつけられるはずだった瓦礫の山にしっかりと足をつけて衝撃を殺し、その反動を利用して弾力に富むゴムボールのように跳ね返って来た。


「ははははははははは!!」


 耳にしただけで身が竦み上がる呪詛のような哄笑を上げながら。

 足場にした瓦礫の山は大量の火薬でも投じられたかのように爆砕し、ソブリンが飛んでくるその猛然たる勢いを物語っている。

 標的目がけて弾丸の如く飛んでいく狂気の魔人。それに対し、デュークは腰と肩を一杯まで捻り、手にした愛槍を大きく振りかぶって。


「消し飛べえっ!!」


 全霊の力を込めて、凶禍の魔槍ブリューナクを突き出した。

 周辺の建物の残骸が衝撃で粉々になるほどの余波を伴うデューク渾身の一撃。烈しい雷を纏った凶禍の一撃に直線上の物質は悉く蒸発し、瞬間的に真空の空間を作り上げる。


「〈衝撃波〉〈電撃〉」


 凶禍の衝撃を繰り出したデュークに哂う魔人が応える。

 これまで一貫して無詠唱で扱ってきた魔法だが、ここにきて初めて詠唱による恩恵――効果上昇の利用に踏み切らせた。

 放たれた魔法はデュークの一撃と瓜二つ。ぶつかればこんな街一つあっさりと消えてなくなるだろう、何もかもを消し飛ばす雷と衝撃。その二つの凶禍が重なり合う。


 寸前。


「すとおーーーっぷ!」


 空耳か幻聴か、この熾烈な戦いの場に存在するはずのない、まだ幼さの残る少女のような甲高い声が響いた気がした。

 同時に世界を分断するかと思わせる巨大な障壁が二枚出現し、双方向からの衝撃を覆い呑みこむように変形して一対の球体へと為り変わる。

 瞬間、球体内部が発光。夜闇に染められていたこの場一帯を、目が眩むほどの強烈な白光が支配して、一拍。


 ――ドオォォォォォォォン!!


 都市全域にまで轟く凄烈な爆発音が、両球体の内部から発せられた。

 爆風が一瞬にして中心から放射状に吹きすさび、瓦礫と砂煙を巻き上げて周囲を石ころ一つない更地へと変えていく。

 大音響の余韻でビリビリと震える大気。発光が収まり夜の暗闇が静寂と共に戻ってくる。そして二つの球体状の障壁が消失して、そこに残ったのは。


「この戦い、ちょっと中断!」


 手のひらに収まるほどに小さな体躯の、宙に浮いた一人の少女だった。

 桃色の髪、尖った耳、ドレスを纏い、背中には二対の羽。普段は愛嬌に溢れているであろうくりくりと大きな橙の瞳は、今は真剣味を帯びて鋭く眼光を飛ばしている。

 腕を組み、小さな胸を反らして威を張る少女。都市部ではまずその姿を拝めることのない希少種で、一度見かけただけのデュークでもしっかりと記憶に残っていた。


「……フェア様」


 ソブリンの呟きを耳が拾う。

 フェア。それが彼女の名前のようだ。異変の術者シン・グラリット――定義が複雑化したが、便宜上これまで同様この男としておく――が傍らに連れていた妖精である。

 連れが連れなので只者であるはずがないとは思っていたが、それを加味しても尚、たった今デュークの目の前でやってみせた芸当は驚異というほかにない。

 彼女は、この都市を跡形もなく吹き飛ばす破滅的な威力の衝撃波を二つ、障壁の硬度でその内側へ強引に抑え込んだのだ。障壁を一瞬で変形させる技術などもののついでで、怖ろしいことに魔力に任せた力技だったのである。

 化物だ。

 その小さな身体からは想像もつかない桁外れの力量に圧倒されるデュークだが、動揺も一時ですぐに己を取り戻す。それと同時に。


(エリックの奴は……)


 シンに対する時間稼ぎを命じた右腕のことを思い浮かべた。

 連れである妖精がこの場に現れたということは、エリックは限界を迎えたか。いや、シン本人の姿がない以上そうとは限らない。妖精だけ別行動に移っただけなのかもしれない。

 どちらにせよ、あれから大分時間も経った。もう猶予は残されていないと考えた方がいいだろう。


「此度は一体、どういったご用向きで?」

「わ、ソブリン、凄い怪我!」


 ソブリンの意識は割って入って来た妖精の方へ向けられている。

 チャンスだ。

 邪魔が入りはしたが、今が戦闘中であることに変わりはない。

 邪道だとは思うが、デュークに戦いは正面から正々堂々となどという矜持は無い。隙を見せた相手が悪いのだ。

 好機をものにするべく素早くソブリンの死角へと回りこんだデュークは、愛槍ブリューナクを構え。


「ちょっと待っててね」


 振り向いた妖精の視線が射抜くと同時、障壁がドーム状に覆い閉じ込められ、一瞬にして動きを封じられた。


「――な……!」


 あっさりと囚われてしまったことへの驚きと狼狽に、思わず呻き声が漏れる。

 彼女の扱う空間障壁の硬度は先程目にした通り、とてもデュークの力で破れる代物ではない。ドームの底面も障壁となっていて、地面を掘って脱出することも不可能だ。

 周囲が目視可能な半透明の障壁のままであれば瞬間移動の魔法で抜け出せたのだが、それをさせないためだろう、同時魔法の空間投影によって視界は僅かな光も存在しない本物の暗闇に閉ざされている。


(だったら、仕方ねえ!)


 こんな場面で使うつもりはなかったが、こうまで簡単にあしらわれては癪に障る。幸い集中もしやすい環境だ。

 効果的な使い方とはとてもいえないが、このまま引き下がってはプライドが許さない。一泡吹かせてやらなければ気が収まらない。

 切り札を、切る。


「〈空間転移〉」


 数ある魔法の中でも最高難度の一つ、空間転移。

 この世界のありとあらゆる座標へ術者を転移させるこの魔法は、現在地と指定座標との距離が離れているほど転移の誤差が大きくなる。

 また転移先が流体、或いは質量の小さな固体であれば干渉時に弾くので問題無いのだが、大きく重い固体と干渉してしまうと――詳しい説明は省くが――少々、場合によっては致命的に面倒なことになる。

 元々の扱いの難しさに加え、上記の理由から現在におけるこの魔法の使い手は超常的な存在として扱われ、果ては空想の産物となってしまっている。

 転移先は二人から確実に死角となる座標――頭上だ。

 ソブリンの真上に転移したデュークが、そのまま愛槍を突き下ろして脳天から串刺しに――


「あ、こらあ!」


 ――するよりも早く、妖精の魔法によって再び漆黒の檻の中へ幽閉された。

 ガギン! と穂が硬い障壁を叩いて弾かれる。


「――――ッ!!」


 馬鹿な。

 何だ、今のは。

 デュークは転移前から攻撃の予備動作に入っていたのだ。転移と同時に、タイムラグ無しで放たれるはずだった攻撃だ。

 いや、攻撃は放たれていた。既に放たれていた攻撃が、目と鼻の先の標的を捉えるまでの無きに等しい時間、その刹那に無効化されたのだ。

 冗談じゃない。

 何なのだ、その超反応は。

 そんなものがあってたまるか。そんなことが可能な存在があってたまるか。

 だがしかし、どれだけ否定したくとも、この身で経験した事実は変わらない。どれだけ拒絶したくとも、この目で見た存在も変わらない。


「…………クソがぁぁッ!」


 打つ手なし。

 文字通り手も足も出ない相手への敗北感に夥しい悲憤が沸き上がり、デュークは叫んで、思い切り拳を打ちつけた。

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