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Lv.グラハム数で手探る異世界原理  作者: 赤羽ひでお
2 意識、感覚、哲学的ゾンビ
57/95

56 凶禍の魔槍

 大地が揺れる。

 視界に獲物を捉えた火竜が、その巨体で地面を踏み鳴らし襲い来る。

 そうなれば、大抵の獲物は背を向けて必死に逃げ出すものだが、その男は違った。それどころか逆に、火竜に向かい駆けて行ったのだ。

 速い。獲物の予想外の動きに驚き、火竜の行動がワンテンポ遅れる。攻撃の動作に移る頃には、男はもう火竜の懐にまで入り込んでいた。

 男は振り下ろされた前脚を難なく躱してジャンプ。手にした剣――軍からの支給品――を火竜の下顎に深々と突き立てた。

 下から頭を串刺しにされ、白目を剥いた火竜が地響きと共に倒れて塵へと変わっていく。

 決着の手応えに男は早々と火竜から目を切って次へと意識を向ける。と、注意を引く小さなシルエットが視界の端に映りこんだ。

 桃色の髪に長い耳、橙色の瞳。ライムグリーンのドレスを纏った空を泳ぐ幻想。


「シン・グラリットの妖精」

「あー、シンを見張ってた軍人さん」


 相手も男――ヴィタンの存在に気づき同時に声を上げると、ひらひらと背中の羽を操ってスィーッと近寄って来た。


「ねえねえ、ここら辺って、まだまだ竜はいっぱいいるの?」


 彼女も召喚竜掃討に動いているようだ。

 思い返せばシン・グラリットに取引を持ち掛けた時、ヴィタンは彼女の姿を見ていない。恐らく既に別行動をとっていたのだろうが、彼から連絡があったか、或いは初めからそのつもりで動いていたか。

 後者であれば取引はシンの一人勝ちに思えるが、王国軍にとってもそれは決して無意味なものではない。

 遺恨なく、あの男への監視を終わらせることが出来るのだから。

 冤罪などではなく、事実として異変を起こした術者はシン・グラリットで間違いない。だがそれでも、この監視は速やかに打ち切るべきだ。

 互いに様子を窺っている現状はまだいい。ところがここで万一証拠が挙がってしまえば、王国軍は彼に対して何らかのアクションを起こす必要に迫られる。

 その際に上が適切な判断を下せればいいが、様々な思惑が絡み合う軍上層部、事の運びには常に危うさが付きまとう。最悪の場合、武力行使だ。衝突すれば敗北は必至。その後のことは想像もつかない。

 紫竜を術者に仕立て上げれば丸く収まる話だ。手に余る個人との間に危険な火種を抱えるのは、とうの昔に表舞台から退いた自分達だけでいい。

 ヴィタンはそう現状を振り返ると、変わらず機械的な抑揚のない口調で妖精フェアの質問に答える。


「この区画は今しがた討伐を始めたばかりだからな。数えて相対的に多いはずだ」

「ふうん、それじゃあわたしもそっちの対応した方がいいのかな? 今のところは」

「援護してもらえるのは有難いが、私の方はまだ余裕がある。他に目的があるのならそちらを優先して構わない」


 紫竜相手に複製体で時間を稼いでいた先程までならその言葉に甘えただろうが、意識の大半を割いていたその場での役目は終えた。枷の無くなった今、下位、中位程度の竜など本体でなくとも討ち取るのに何の不都合も無い。


「わ、凄い。よくわたしに別の用事があるってわかったね」

「状況と言葉付きからおおよそな。大方あちらの二人に関わるものだろう?」


 そうヴィタンが顔を向け示したのは、この都市の中心方面。つい先刻崩落した大きな鍾塔のあった場所だ。

 そこではデュークとソブリン、二人の男による戦いが始まっている。それを追いかけるようにして現れたフェア。結びつける推測は慧眼というより安直だ。


「そうそう。二人の勝負で周りが巻き添えになったら大変だからねー」


 レプティによると、この妖精は従者創造の魔法によって創り出されたキャラクターらしい。能力的には防御特化という話で、それに適した役回りを務めているようだ。


「そうか、戦闘の煽りによる被害抑制のために来たわけだな。願ってもない」


 つい先程、破壊の衝撃が轟音と共に街の西側へと走って行った。このまま放っておけば決着を迎える前に街が壊滅しかけない――紫竜襲来による被害が街一つで済めば安いものなのだが、それはこの際関係無い。


「ならば早く行くといい。現時点で既に大きな被害が生じている。近場の竜は私が責任をもって殲滅しておこう」

「うん、わかった。じゃあねー」


 ヴィタンに手を振り背を向けるフェア。

 王国軍少佐グレイ・バンダービルトとして、ヴィタンはシンを監視していた。気取られた上でだ。その為――職務上の成り行きとはいえ――両者の関係は良好なものではない。それでありながらフェアの振る舞いには敵意が全く感じられず、無邪気そのものだ。

 レプティから聞いた従者創造の仕様から、シン・グラリットの人柄を思いなす。案外、彼女の言う通りなのかもしれない。と。


「あ、そうだ、一個だけいいかな?」


 飛び去ろうとしていたフェアが、空中で急旋回して戻って来た。

 ヴィタンが無言のまま目で続きを促すと、フェアは手を後ろに組んで腰を曲げ、上目遣いで相手の顔色を窺うように。


「シンはね、悪い人じゃないから、あんまり意地悪しないであげてね」

「……気に留めておく」

「ありがと」


 ヴィタンの答えにフェアは笑顔で返すと、今度は振り返ることなくこの場を後にした。



  ◇◆◇



「〈高重力〉」


 倒壊する鍾塔にデュークの魔法が作用する。

 衝撃波によって無数の瓦礫と化した石、鉄らの重力加速度が増大し、突如不自然な速度を伴って落下していく。


「〈衝撃波〉」


 落下の最中、更に魔法を重ねて畳みかける。原形を保っていた巨大な瓦礫を破壊の奔流が丸ごと呑みこんで砕き、大きさとは見合わぬ重さの破片の山が雨となって波動と共に大地に降り注ぐ。

 轟く地響き。抉られた地面から立ち昇る土煙は遥か見上げる夜空にまで達し、辺り一帯を広く濛々と覆い尽くした。

 先制攻撃を終えて地上に降りてきたデュークは道具出入の魔法で愛槍を取り出すと、一度クルリと回して手に馴染ませてから柄を握る。

 構えは楽に。但し隙なく、油断なく。張りすぎず、緩すぎず、どんな動きにも対応出来るように。そう戦闘態勢を整えるデュークの背後から。


「良いですね」


 声がかけられた。

 その可能性が頭に無いわけではなかったが、注意を向けていた場所と逆側からの声に、ぞくりと背筋に悪寒が走る。

 即座に振り返ると、先程までと変わらず皺、汚れ一切無い装いの紳士ソブリンが、何事も無かったかのように落ち着いた表情で佇んでいた。


「威力、精度、速射、いずれも高水準の連続魔法でした。思い切りの良さも流石です」

「そういう割に涼しい面してんじゃねえか、嫌味か」


 放った魔法は三発全て直撃していたはずだ。それが無傷とは、どう耐えた。空間障壁で凌いだか、瞬間移動で抜け出したか。どちらにしろ簡単なものではない。

 片足を引き、腰を落とす。武器を構え、相手を見据える。改めて感じ取った桁外れの力量に、得物を握る手に知らず力が込められる。と。


「その槍」


 ソブリンがその得物を指し示した。

 穂と呼ばれる刀身は左右対称、紫がかった黒の刃。長い柄の底――石突には紅紫の魔鉱石が埋め込まれている。

 催し事は派手好きだが、私物は逆に機能美を活かしたシンプルな装飾を好む、デュークの愛槍。


「話に聞く凶禍の魔槍、ブリューナクですね」

「ち、知ってやがったか。まあ、あいつらが黙ってる理由も別にねえからな」


 千年もの時間があったのだ、暇を持て余す彼らがその話題に触れることもあったろう。それを理由にコヴァとガウンを責める気など微塵も無いが。

 槍の魔鉱石――オリハルコンに籠められた能力。知られて無意味になるほど極端に尖ったものではないが、未知と既知では優位性も半減する。対策の有無が戦闘のウエイトを占める割合は決して小さくない。

 想定はしていたものの、確定したマイナス要素にデュークは舌打ちする。そこへソブリンが「いえ」と首を振って。


「気落ちされる必要はありません。私がコヴァとガウンから話を伺った際、その能力までは聞き及んでおりませんので」

「あん? 何だそりゃ、おかしくねえか?」


 魔導武具の話になればむしろ中心となる題目だろう。あの二人と話をしておきながら一番肝心な点を聞いていないというのは、不自然が過ぎる。


「勿論話題はそちらへ傾きました。ですが中核に触れる前に、私が話を止めましたので」

「…………!」


 ソブリンの返答は普段なら何故と疑問符がつくようなものだが、この時のデュークはその理由を察した。腹立たしくもわかってしまった。


「いずれ相対した時の楽しみを減らされてしまうのは、本意ではありませんからね」


 屈辱である。

 その理由の裏にある意味、相手の思惑などにも思うところはあるが二の次だ。そんなことよりも、説明されるより先にその答えに辿り着けてしまったことの方が問題なのだ。

 何故なら、それは自身が抱く劣等意識の証明に他ならないからだ。知らぬ間に、無意識のうちに、そのような負け犬根性を植え付けられていたわけだ。これを屈辱と言わずして何と言う。

 この男の力は確かに特筆に値するものだ。ああ、全くもって大層なことだ。だがしかし、それでも己の力が格下であるなど、断じて認めるわけにはいかないのだ。

 ざわつくデュークの心情に反して、ソブリンの言葉の響きには蔑みや侮辱は一切無い。表情は不敵で余裕のある穏やかなものだが、同時に真摯さも感じられる。

 そこに湛えられている感情を一言で表すとしたら、それは、期待だ。


(ふざけやがって)


 彼は、ソブリンは、期待しているのだ。デュークに。デュークの力に。ブリューナクの力に。ブリューナクを操る、デュークとのこの戦闘に。


「そうか――」


 逆巻く怒りがデュークの闘志を熱く燃え上がらせる。身体を捻り、さながら投球フォームのようにダイナミックに四肢を躍動させて。


「――よっ!」


 言葉の終わりに裂帛の気合いを乗せ、標的の肉体に風穴をあけるべく豪快に凶禍の魔槍を突き出した。


 ――ゴッ!


 尋常ならざる爆発的な勢いで繰り出された一撃。風を穿ち、空間を貫き、夜を抉り取っていく。

 都市の西部を中心から外壁まで円柱状に消し飛ばす激烈な一撃。だが、手応えは無い。

 予備動作の大きな一撃だ。相手の力量を考えれば命中する方がどうかしている。


「〈炎撃〉」


 瞬時に魔法を唱えると同時に槍を薙ぐ。

 先の一撃を躱したソブリンの背後に炎の柱を立て、後方への回避という選択肢を潰す。薙ぎ払いを伏せて躱せば突き下ろしを、跳んで躱せば――


 ――ヒュヒュンヒュンヒュヒュン!


 目にも止まらぬ超高速の連続突きで空中のソブリンへ攻めかける。

 自由に動けないはずの宙にいながら、ソブリンは顔色一つ変えずに紙一重で次々に槍を躱していく。最小限の動作で。完全に見切られている。

 しかし、空中では来ることがわかっていても回避のしようがないポイントがある。回転させる身体の縦軸と横軸が交わる点だ。

 デュークの放つ数多の突きは、本命の木を隠す森の役割も兼ねたものだ。そしてその急所を狙った穂先が標的を捉える――目前で、その軌道が逸れた。

 ソブリンは回避不能なその刃を引きつけると、先端が身体に届く前に手の甲で柄をいなし、槍を受け流したのだ。

 穂先が虚しく空を切る。

 身のこなしは無駄なく、刺突の嵐を見極め、次々に捌いていくソブリン。当たらない。当てられない。

 点、線の攻撃では手数を増やしたところでこの男を捉えることは出来ない。ならば。


「〈衝撃波〉」


 効果範囲を広くとった魔法で面攻撃を仕掛ける。多少威力は落ちるが、これで少しでも動きを鈍らせれば槍の連撃で蜂の巣だ。とはいえ、そう思い通りにいく相手でないこともわかっている。

 案の定、デュークの魔法は目の前に現れた障壁によってあっけなく弾かれた。

 防御魔法の鉄板、空間障壁。息詰まる攻防の最中、未だ詠唱無しで使ってのける余裕を保たれている。

 ソブリンは半透明の障壁を足場にしてトーンと大きく飛び退っていく。一旦大きく間合いを空けてインターバルをという腹積もりだろうが、デュークはそれを許さない。


「らぁっ!」


 ――ブンッ!


 逃げるソブリン目がけ迅速果敢に愛槍を投げつけた。

 得物を手元から放すとは思っていなかったのだろう、ソブリンが一瞬意外そうに眉を動かすが、虚を突いたというほどでもない。

 避けることも何ら難しいこともないと、先程までと同様最小限の動作で身を捻り――


 ――バリッ!


「――――!」


 今度こそ驚きで両の眼を見開いた。

 投擲されたデュークの愛槍ブリューナク。それが帯電、発光し、雷の矢へと姿を変えていた。

 槍本体は躱せどそれを際どいところまで引きつけていたことが仇になり、至近距離から放たれたブリューナクの電撃がソブリンの身体を打つ。


「〈衝撃波〉」


 遂に相手を捉えたデュークの気迫と敵愾心。すかさず追撃の魔法を放つと同時に自身も間合いを詰めに行く。この機は逃さない。

 破壊の奔流が電撃を受け麻痺しているソブリンを呑みこむ――ことなく、信じ難いことにその身を翻し、回避した。

 何の冗談か、あの至近距離にあってソブリンは電撃の直撃を免れていたのだ。痺れは軽度で体も動くのは目にした通り。余勢を駆って間合いに飛び込んできたデュークへ、カウンターに拳を合わせ――


 ――ドッ!


 背後から飛来してきた凶禍の魔槍が、夜闇に赤く鮮血を散らした。

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