55 魔導契約の強制力
「あっ、おっきな塔が……」
崩れ落ちる鍾塔を目にして声を漏らしたのは、桃色の髪の小さな妖精――フェア。
建ち並ぶ家屋の殆どが背の低い南西居住区。中央地区との境付近では、都市の中心にそびえ立つその摩天楼の姿を拝める場所も点在していた。
「始まったようですね」
フェアの落とした呟きを拾ったのは金髪の麗人――コヴァ。手にした聖剣で艶やかに竜を斬り裂くと、軽く頭を振って手櫛で乱れた髪を整えた。
多竜召喚の元凶である紫竜デューク・マゼンタと、コヴァの主人にしてドビル大空洞の主ソブリン。二者の戦いの火蓋が派手に切って落とされたようだ。
「んー……大丈夫かな?」
「心配は不要ですよ。紫竜ごときに後れを取るような方ではありません」
「あ、えっと、ソブリンのことじゃなくてね」
コヴァの返しに勘違いがあったらしく、違うよと手を振ったフェアが思ったことを正しく伝えようと改めて言葉を並べてくる。
「マゼンタドラゴンもソブリンもさ、凄い力の持ち主じゃん」
「シン様に比べれば無に等しいですが」
「シンと比べたらダメだよっ!」
比較対象に選んではいけない人物を引き合いに出され、思わず大声でツッコミを入れるフェア。
慌てる様子も愛くるしい妖精に、コヴァは相好を崩してクスクスと笑い声を漏らす。「いえ、失礼しました」と冗談でからかったことを一言詫びて。
「そうですね。衆愚の凡夫共からすれば、両者の力は天上のものと言えるでしょう」
「わー、するっとこき下ろすねー、この街の人達のこと」
他人に対する言葉選びに手心皆無のコヴァ。フェアは表情筋からスッと力が抜けるのを感じて、心の距離を置いて乾いた声を返した。
フェアの返しは聞こえないふりでスルーして、コヴァは言葉を継いで彼女に尋ねる。
「それで、その力がどうしましたか?」
「あ、うん、だからさ、そんな凄い力がぶつかり合ったら、この街どうなっちゃうんだろう……って」
「成程、その種の心配ですか」
街に住む人々を救うべく働いているコヴァだが、それは召喚目的に則った行動であり、半ば強制されたものだ。生来、街や人間のことなど全くもって眼中に無い。それ故、フェアのような発想に至ることもなかった。
コヴァは顎に手を添え、思考を巡らせながら。
「ご主人様のお力をもってすれば、街への被害を抑えて紫竜を討つなど容易いことでしょう。召喚目的にも組み込まれていることですし」
「じゃあじゃあ、大丈夫だね」
懸念を払う好材料となるコヴァの語りに、フェアは声と瞳に安堵の気配を覗かせる。が、早合点を諫めるようにコヴァは視線を送ると。
「ですが、この戦闘はご主人様が何にも増して待ち望まれていたもの。早々に決着をつけられるとは考えづらいですね」
「でもでも、わざとのんびりやって被害を増やしちゃうようなこと、出来ないよ?」
「そうとも限りません。今回私達に課せられた目的は『召喚竜の掃討』です。そこに被害の軽減は含まれど迅速にという指定は無く、その点は私達の匙加減一つとなっています」
召喚主の詰めの甘さが知れる。とはいえ彼は戦闘能力が特異である分、抜けたところは愛嬌にもなる。良し悪しはさておき、それが無ければどんなに穏やかな人柄でも、近寄り難い存在であっただろう。
ともあれ、コヴァは話を脱線させずに続ける。
「ご主人様の中で『戦闘を愉しむ』ことと『被害を抑える』ことの間に矛盾が生じなければ、契約による強制力は働かないのではと」
「あーそっかあ。そうだね、そこはソブリンの受け取り方によるねー」
魔力を媒介して締結した魔導契約。それによる拘束力、強制力の発動判定基準は、当事者がその条件をどう解釈するかに依るところが大きい。
原則として召喚契約であれば召喚目的に準拠するよう働くが、目的の設定が曖昧、大味だとその分抜け道も増える。法と同じだ。悪知恵の働く相手には無力化されやすく、実際シンは召喚の度にソブリンに煮え湯を飲まされていた。
「ですからご主人様にその気はなくとも、戦闘が長引けば知らず被害を生むこともあるでしょう」
「そうだよねー。うーん、ソブリンが街の方にちゃんと気を配ってくれればいいんだけど……」
「では、フェアが自身で街を護りに行ってみては?」
「えっ?」
頬に指をあて首を傾げる憂い顔のフェア。そこへ考えもしなかったコヴァの提案が舞い込んできて目を丸くする。
「フェアが直接その場へ赴けば、如何に戦いの余波が激しくとも無理なく街を護れるでしょう。こちらは私一人で充分手が回ります」
「……そっか、そうだね、そうすればいいんだ!」
目から鱗の落ちる解決案にフェアは表情をぱぁっと輝かせると、晴れた気分を表現するように軽妙に空を飛び回る。と。
「守護妖精様、あちらへ向かわれるので?」
声をかけてきたのは二人によって命を救われた住民の一人、初老の男性だ。
街を踏みにじる竜共から颯爽と人々を救い出し、フェアは守護妖精、コヴァは妖精の騎士と、彼らからその勇姿を称える二つ名で――勝手に――呼ばれるようになっていた。
余談としてこの場面において、コヴァの召喚目的に組み込まれた『目立たずに』は、フェアとの連携による『被害の軽減』を優先する形で差し置かれている。
「そうだよ。ちょっと危なそうだからね」
「そうですか。……複雑な気持ちですな」
「? 何で?」
目を逸らし、表情に幾分影が差す初老の男。彼の抱いている気持ちがよくわからず、フェアは疑問符を浮かべる。
「中央のお役人様に対しちゃ、ここの奴らはいい感情なんて持ってないからな。だからって死んでくれとまで思ってるわけでもないし」
「本当は、わざわざ助けになんて行ってほしくないよ。でもここで妖精さんを止めたら、それで助かるはずだった人達を私達が殺すようなもんだよね……」
フェアの疑問に答えたのは一組の年若い男女。二人の発言に周囲の人々は頷いて同調を見せる。彼らの意見も代弁しているようだ。
「身勝手な考え方ですね。今自分達に命があるだけでは満足出来ないのですか。狭量な凡愚共が、弁えなさい」
コヴァの歯に衣など微塵も着せる気のない言葉と、体感温度を氷点下にまで落としこむような凍てついた視線が、容赦なく住民達を撫で切っていく。
いつもの彼らであれば、反射的に反論が出て来そうな高圧的なコヴァの態度。しかしたった今命を救われた事実と、何より竜族を軽々と屠る彼女の実力に鮮烈な畏怖を覚え、住民達は「そうですね」と苦笑いを浮かべるか、口を噤んで俯くしかなかった。
「まあまあコヴァ、そう思っちゃうのはどうにもならないじゃん。それにここのみんなに止められても、わたしはわたしのしたいようにするだけだよ」
「甘いですね。己の身を守ることすら他人任せな畜生共が、命の恩人であるフェアに対し感謝以外の感情など抱くべきではありません。増してその行動に意見しようなど言語道断、鉄面皮にも程があります。恥を知りなさい」
「わー、辛辣ー」
気に留めてないよとコヴァを宥めるフェアだが、彼女の住民達に対する姿勢は変わらず冷徹だ。
一般の人々が竜族に襲われて逃げ惑うしかなくなるのは仕方のないことなのだが、コヴァにそんな理屈はまかり通らないようだ。無力は悪――とまでは言わなくとも、それに近しいものが感じられる。神話の怪物と普通の人間とでは、どうにも感覚の隔たりが大きすぎた。
「いえ、守護妖精様に意見など恐れ多い。ご無礼をお許し下さい」
コヴァの散々な物言いに唇を噛む若者達。不満に目つきが険しくなる彼らを制して、初老の男性が無難に言葉を選ぶ。
「別にいいよー。それじゃあ、わたしはもう行くね。コヴァ、あとはよろしくー」
「はい」
変わらない様子で陽気に笑い、手を振ってこの場を飛び去って行くフェアに、コヴァは。
「行ってらっしゃい、フェア」
先程までの冷たさが嘘のように暖かく微笑んで、穏やかに彼女を送り出した。
◇◆◇
「紫焔……竜って、お前、竜なのか!?」
「そうですよお、意外でした?」
エリックの告げた事実に面食らい、動揺で声をどもらせる異変の術者、シン・グラリット。
その驚きの表情を肴に、エリックは力関係において自分を遥かに凌駕する存在を手玉に取った快感に酔いしれる。
「……っ、何で……いや待て、それだけじゃなくて、俺のことまで……マジか……」
「おーやー、随分と混乱されてるみたいですねえ。じゃああれだ、違います冗談です。僕は普通の人間でーす」
「てめえ……」
戸惑う様子を嘲りからかうようなエリックの態度に、シンが瞳と声に毒気を混ぜる。放たれた圧は一般人相手を想定していた先程のものとは比較にならない。
「おー怖あ、そんな怒んないで下さいよ。ちょっと茶目っ気出しただけじゃないですかー」
重厚な威圧に曝されて総毛立ち冷や汗をかいたものの、エリックは虚勢を張ることをやめず肩を竦めて軽口で返した。
「フクシャ・ブレイズドラゴン……地竜族の特殊個体か。レベルからして間違いなさそうだな」
「おおっと『能力看破』。冷静さを取り戻しちゃいましたかね」
能力値と種族名は改竄、偽装してあったのだが、あっさりと見破られた。この男はこの世界に来てまだ間もないという話だが、偽装看破の魔法も同時に使用するだけの知恵は既に身につけてあるようだ。
相手に冷静な判断力が戻るとまずい状況だ。召喚目的に指定された最低限の仕事はこなしたが、諦めるには勿体ない。まだ付け入る余地がある。
「それじゃあ、話の続きと行きますか」
機先を制する。シンが何かを発言する前に、行動に移る前に、こちらの言葉を意識させる。選択肢を削る。この場の主導権は渡さない。
「はあ? お前、何言って――」
「いやね、僕はドラゴンですけど、別にあなたと敵対する気なんてありゃしませんよ。戦いを挑んだところで即お陀仏なんですから、当たり前でしょう?」
神仏から顰蹙を買いそうな軽い口調で瞑目、合掌の慰霊のジェスチャー。相手の言葉に被せる形で会話のスピードを上げ思考力を奪う。
シンが眉間に皺を寄せる。胡乱だが合点もいくと、相反する感情がせめぎ合っているようだ。が、そんなことで信用出来るものでもないだろうと、エリックは結論を先取りする。
相手の心理を推し量る。思考を読む。欲するものは何か。乗ってくる話題は何か。手堅く確実なところならば、まずはこちらの真意だろう。
プレイヤーを装っていた理由は簡単に察しがつけられる。その方が気を引きやすいからだ。ならば気を引きたい理由は何か、焦点はここだ。
「僕はね、あなたに恩を売っときたいんですよ。どえらい実力者の異変の術者に貸しを作っておくことは、この上ない切り札になり得ますんでね」
主であるデュークはそんなつもりでエリックを召喚してなどいないし、シンを呼び止めた最初の口実は助けてもらった礼で、これでは貸し借りの構図が逆転してしまっている。
かといって、これが嘘というわけでもない。
初めの振る舞いが演技であり、助けてもらう必要などなかったことはもう知れている。それに実際、この男に貸しを作るということには、何物にも代え難い計り知れない価値がある。
「……お前、紫竜の手下だろ。それじゃ奴の指示に背くことになるんじゃねえか?」
「僕は他の竜とは違いますからね。自分のやり方で自由にやってますんで」
返答に虚実を織り交ぜる。相手は訝しんでいるようだが、エリックはその問いで自分の予想が的外れではないことを悟った。
「それで話を戻しますけど、プレイヤーとNPCの混血に興味を持たれてましたよね?」
「! 何か知ってんのか?」
「あーいや、僕は何も知りませんけどね、その手の話に造詣の深いお方が知り合いにいましてね」
未だこうして話を続けられていることがその証拠だ。
エリックが竜族だと判明したこの状況、問答無用で殺されても何ら不思議はない。しかしこの男は攻撃には移らない。
その気配が皆無というわけではない。瞳の敵意は隠していないし拳は握りこまれている。体勢は片足に体重を乗せ予備動作を意識したものとなっている。その気になればすぐにでも飛びかかってこられるだろう。
しかし、その先に踏み込んでは来ない。迷っているのとも違う。本人も気付いているのかわからないが。
「僕の口添えで紹介すれば、意義深い話も出来るでしょう。どうですか?」
恐れているのだ。
「お前の知り合い……っていうと、まさか七暁神やらのプレイヤーじゃねえよな。竜族か?」
「ええまあ、人間共の間でもあの方の聡明さは有名ですからね、予想はついてるんじゃないですか?」
今まで会ってきたプレイヤーの中には、そういう人間も時折あった。
エリックは確信する。この男は――
「緑竜グラス・グリーンさんのことです」
――人の姿をした生物を、殺すことが出来ないのだ。