49 釈明不可の不信
人には向き不向きというものがある。
運動、学問、芸術等々、得意な分野は人によってバラつきがある上、それぞれのカテゴリーの中で更に細かく枝分かれしていく。
運動では取り組む競技に求められる能力が筋力、瞬発力、持久力のいずれかによって異なり、学問では思考の系統から理系と文系に大別される。芸術でも絵画、彫刻、音楽ではそもそも向き合う感覚に大きな隔たりがある。
ひいては戦闘もまた同様である。
体格、筋力、魔力、敏捷性、武器の扱い、魔法の扱い、体捌き、立ち回り。何に優れ何が不足しているかで戦い方は大きく変わってくる。
力や魔力に優れていればその威力で相手をねじ伏せ、素早さや技術に優れていれば急所を狙い撃つことも可能になってくる。立ち回りに自信があるのなら長期戦に持ち込むのもいいだろう。
だが時として天に試練を課されたかのような、自身の能力とは相性の悪い、どうしても不利な場面というものに遭遇することもある。
そう、丁度今のサイリのように。
「くっ……!」
四匹の火竜を一手に相手取り、その対応の難しさに苦しみ呻き声が漏れる。
ただ討伐すればいいという話ではない。それで良ければここまで苦戦はしていない。この場から一匹も逃がすことなく、一人で全ての火竜を仕留めなければならないという条件は、サイリにとって痛く難儀な問題であった。
サイリの『精神簒奪』は、予め対象に時間をかけて仕込みを入れておく必要がある。またそれ以前に意思疎通の不可能なモンスター相手には効果を得られない。
手駒としてこの場に連れて来た伯爵家の私兵達は付近の地竜を相手にさせている。こちらへ寄こしてサイリのサポートをさせれば幾分楽にはなるが、彼らの腕では火竜を相手にすれば間違いなく犠牲者が出る。
自らの目的のために他人の命を蔑ろになどするものか。自分は、彼らとは、違うのだ。
意地であり信念である頑強な意思にサイリは心を滾らせる。しかし腹立たしいことに、気概だけではどうにもならないのが現実というもので。
(本当非力ね、私は)
サイリの戦闘スタイルは主に投擲とヒットアンドアウェイにデバフの魔法を絡めたものだ。徐々にだが確実に相手の余力を削いでいくこの戦法は、多対一にも対応出来、しぶとく頑丈な相手も時間をかけてじっくりと攻略していける。
反面、火力に頼った短期戦及び殲滅戦というものには、かねてより苦手意識を持っていた。
特に、多数を相手に取り逃がすことが許されない現在の状況は泣き所を攻められている形で、立たされたその難局にサイリの集中力は着実にすり減らされていた。
「グァアアアア!」
火竜の一匹が雄たけびと共に火炎のブレスを吐き出す。冷たい夜の空気を焼き焦がす紅蓮の炎を横に跳んで躱しつつ、手の中のナイフを投げつける。
放たれた刃は、狙い通り攻撃の動作で隙を作った火竜の腹部に突き立てられた。傷口から血が噴き出し、痛みに呻く火竜の声が鼓膜を揺らす。が、決定打には程遠い。
(何とかして数を減らさないと)
未だ火竜は一匹も仕留められていない。体力低下の魔法を重ねて防御力を衰えさせてはいるが、サイリの力で扱う小さなナイフではその豊富な生命力を削りきるのにどうしたって時間を要する。
また、弱体化の魔法は重ね掛けの回数に対し得られる効果が反比例する。従って魔導力による個人差はあれど大抵の場合デバフの影響は一定の範囲までに留まり、極端な効果を望むことは出来ない。
じりじりと展開する戦局の中、サイリは火竜の一匹が自分ではなく他所へ視線を向けていることを察知する。
(行かせない!)
「〈衝撃波〉」
右手を突き出して魔法を放つと同時に、自分を狙い前脚を振り下ろす火竜の側面を回り込みながら、左手を懐へ潜らせて新たにナイフを取り出す。
大気を伝う波が標的を殴りつけ、対象が注意を魔法の出所に向ける。牽制としての効果は充分だ。振り向いた火竜の視線の先にサイリの姿は既に無い。対象との間の直線上を行かずに迂回したサイリは、合間に繰り出される火竜共の攻撃を掻い潜りつつ間合いを詰めて。
(――ここ!)
逆手に持ったナイフを根元まで突き刺して勢いよく上方へ跳躍し、火竜の身体を大きく斬り上げた。
得物の刃渡りは短いといえどもつけられた傷は決して浅いものではなく、大地を割るようなけたたましい悲鳴を上げながら血飛沫を撒き散らす火竜。
確たる手応えに満足感を覚えたのも束の間。瞬間、サイリの視界に影がかかる。
(しまっ――)
直後、咄嗟に急所を庇った両腕を大質量の物体が強打した。
中空での激烈な衝撃に方向感覚を奪われ前後左右上下を見失った一瞬の後、身体が跳ねて眼の奥に火花が散った。
「かっ……」
次いで骨の髄から全身を駆け巡る痺れと痛み。喉から漏れる声と共に、肺に取り込んだ空気を残らず絞り出される。
吹き飛ばされて壁に背中から叩きつけられた。そう感覚で判断したサイリの瞳に石畳が迫る。思考が覚束ない中、強引に身体を回して何とか地面に打ちつけられる勢いを四肢のバネで吸収する。ほぼ同時に手元を離れたナイフが落下するカランという音を耳が拾った――音源が判然としない。
意識が濁っている。壁に激突した際に後頭部も強打したのだ、途切れずに保たれているだけでも御の字といえよう。
息、出来る。目、見える。手、握れる。足、踏ん張れる。魔力、御せる。大丈夫だ。自分の身体に調子を尋ね、戦闘続行のゴーサインが出たことを確認し、手負いの獲物を捕食せんと迫る火竜の顎から横っ飛びに転がって逃れる。
分厚く頑丈な貴族の館の外壁は火竜の頭からの突進によって容易く破壊され、瓦礫と化した石材がガラガラと音を立ててその巨体に積み重ねられていく。
(仕切り直しを……)
素早さならこちらに分がある。火竜共から距離をとることは訳ない。ノイズのかかる意識と残響する背中の痛みを抱えながらも俊敏に駆け出し、一匹ずつ相手の現在の状態の把握に努める。
突っ込んで来た火竜は瓦礫に埋もれ体勢を直すまで若干の猶予がある。深手を負わせた火竜は痛みによる怒りを向けてきているがここまでは距離がある。差し当たって注意を向けるべきは残る二匹――特に間合いの近い一匹。もう一匹は離れている上にこちらに背を向けている。直接的な危険度は低い。
……背を、向けている?
(まずい!)
今の攻防で立ち位置が入れ替わっている。その方角は駄目だ。その方角に行かせてはいけない。それまでサイリが壁となって立ち塞がっていたその方角は、フレシュとオームの二人が逃げていった方角だ。
サイリの心に焦りが生じ、万全から程遠い思考力も相まって咄嗟の判断に冷静さを欠く。
「待ちなさい!」
標的をロックして周囲に目もくれず一直線に距離を詰めるサイリ。突如、その目の前の景色が赤く揺らいだ。
唐突な世界の変化に驚きも疑問も差し挟む間もなく、視覚の次に温覚が異常を訴える。
熱い。
身体の表面から伝えられる高熱はたちどころに痛覚を刺激し、燃え盛る火炎に炙られる激痛がサイリを襲う。
「ああっ!」
苦悶に喘ぎながら皮膚を焼き血肉を焦がす火竜のブレスから身体を投げ出して抜け出す。
地面を転がりながら目に捉えたのは大口を開けた深手の火竜。心なしか、その表情に愉悦のようなものが浮かんでいる気がした。
だがサイリにはもうそんなことに気を取られている暇も余裕もない。ひどく痛み動きの鈍る身体に鞭打って無理矢理に素早く立ち上がりながら、歩みを妨げるべき標的を視界に収めようとして、叶わず苛立ちがこみ上げる。
「どきなさい!」
目の前にはサイリの進路を遮る火竜。業を煮やして圧を放ちながら声を尖らせるも、相手がそれを聞き入れるわけなどなく、弱らせた獲物を仕留めるための攻撃――前脚を振るってくる。
反応の鈍った身体は回避の行動に間に合わず、やむを得ず防御の姿勢をとった両腕に強烈な一撃が叩きつけられた。
「ぐっ……!」
皮が剥げ、骨が軋む。地面を滑る靴底が摩擦の熱で煙を上げる。受けたダメージは無視出来ない。
だがサイリが焦慮に駆られるのは、確実に体力を削られる威力の攻撃を受けたことではない。標的との距離を広げられたこと、そして何より、思い通りの展開に持ち込むことの出来ない己の不甲斐なさにだ。
ふざけるな。こんな相手に手間取るな。これ以上、自分自身を失望させるな。
「どけえっ!!」
喉が裂けんばかりの怒号を飛ばして踊りかかるサイリの視線のその向こうで、この場から興味を移した火竜の姿が、暗闇の中へと溶け込んだ。
◇◆◇
「離してっ!」
荒立つ感情のままに喚き声をあげ、フレシュは自分を引くオームの手を力任せに振りほどく。
立て続けに変化し襲いくる状況に捨て置かれ、周辺で竜が暴れているという自他の生命の危機すらなおざりにして立ち止まり、鬱積した思いを目の前の金髪の青年に激しく浴びせかけた。
「これは何なの!? オームは一体何をしてるの!?」
自分の心の最も過敏なところに土足で踏み込んで荒らしに荒らしていったことも含め、語気を荒げて噛みつくように問いただす。
「違う! これは違うんだフレシュ!」
「何が違うのよ!」
「竜は違う! この竜は僕じゃない! 本当だ! だから逃げないと!」
フレシュの非難に切迫した表情で違うと否定するオーム。先刻までの不気味な気配は消え失せたが、それまでの彼の陰惨な仕打ちにフレシュはかつてないほどの忌避感を抱いていた。
「じゃあ誰の仕業だっていうのよ!? オームじゃないなら証拠を見せてよ!」
「証明なんて出来ない! けど! 立ち止まってる暇なんてない! 早く!」
両者ともに余裕なく口角泡を飛ばして衝突する。が、言い合っている時間すらも惜しいと、オームは足を止めたまま動こうとしないフレシュに手を伸ばした。
「触らないでっ!」
バシッ! という音を出して乱暴に手をはたき、強く明確に拒絶を示すフレシュ。猶予のない状況で彼女を説得出来る材料もなく、オームは表情に苦渋の色を浮かべる。
「フレシュ、頼むから言うことを聞いてくれ! 言い争ってる場合じゃないんだ! 今だけでいいから、僕のことを信じてくれ!」
「信じてくれ……って、何……?」
オームのその発言に愕然とするフレシュ。何を言っているのかと耳を疑う。まともな感覚じゃない。冗談にすらなっていない。
そんな彼女の様子に、オームは自分が口にしてはならない言葉を発してしまったことに気がつく。同時に取り繕うことさえも不可能なほどに彼女の心が離れてしまったことも。
「自分から、進んで、あんなにひどいことをしておいて……信じられると思うの? 信じてもらえると、本気で思ってるの!?」
つい今しがたの行いすら忘れたのかと、面の皮の厚い言い草に冷え切った笑いさえこみあげてくる。馬鹿にしている。侮辱している。
「……わかってる、謝って済むことじゃない。さっきまでの僕はどうかしてた。上手く説明出来ないけれど、あれは僕であって、僕じゃなかった」
「何それ……?」
沈鬱、悲哀、失意。困惑と共にそれまでフレシュの心を占めていたのはそれらの落ち込み、悲しみの感情。だが、オームの今の言葉に、自分のしたことから顔を背けるような弁明に、今まで鳴りを潜めていた感情が一気に膨れ上がる。
怒りだ。
「そんなわけのわからない言い逃れで、無かったことにしようとするわけ?」
「……い、いや、違う、そんなつもりじゃ……」
静かな怒りを湛えるフレシュの言葉に口ごもるオーム。最早申し開きに意味は無い。むしろ逆効果だ。
「さっきのオームがオームじゃないなら、あれは一体誰だっていうの?」
「…………」
落ち着いた、穏やかですらある口調は嵐の前の静けさだ。凪に扮するその激情は、矢を番え、ぎりぎりまで引き絞られた弓のように張り詰めて、そして。
「ふざけないでっ!!」
限界を超えて、破裂した。
耳をつんざく雷のような怒声を響かせ、握った拳を小刻みに震わせる。
「ふざけないでよ! 何なのよ! やめてって言っても聞かなかったくせに! 都合に合わせてはぐらかして! 言ったことに向き合うことすらしないなんて!」
一言ずつ、怒鳴り声を上げる度、はじめにあった爆発したような勢いは萎み、表情が歪んでいく。
それに伴い、拳の震えはその源を怒りからやるせなさへと換えていった。
「友達だって……思ってたのに……」
嵐のような激情が鎮まり、掠れた声で秘めていた願いを、求めていた想いを紡ぐ。
きっと、もう、二度と、叶うことのない想いを。
オームの表情が痛切に歪む。けれどそれが彼の真意を映したものなのか、それとも偽りのものなのか、わからない。本物だと信じたいのに、どうしても信じきれない。
「また、友達に……なれるって、きっと、そうだって……それなのに……」
落胆し、消沈し、声も、身体からも力が抜けていく。
オームは意を決したのか、顔を強張らせ、息詰まるような気配を放ってフレシュに飛びかかってきた。実力行使に出るようだ。
フレシュはもう何もしない。抵抗する気力もない。ただ悲しい。ただ寂しい。
そうして、何もかもを諦めきって脱力したフレシュの身体を、必死の形相で突き飛ばしたオームの、その姿が――
深緋の炎に、呑まれて消えた。




