4 洞窟
暗い。
洞窟に入り少し進むとすぐに視界が闇で覆われてくる。
(このまま進むのは危険だな)
当然ながら洞窟の足場が整備されているはずもなく、暗闇の中をこのまま進めばどこで足を踏み外すか知れたものではない。
足を止め、視界を改善するために必要な魔法を探す。光を放出する魔法は目立つので別のものを。
〈視覚強化〉
眼球が捉える光の情報をブーストさせる。暗所で大きく開いた瞳孔の集めた光が水晶体を通り抜け――
「――うおっ!」
膨大な光量に網膜を焼かれそうになり慌てて瞼を閉じる。大分抑えたはずなのだが、それでもまだ魔力が強すぎた。調整が要る。
そうとなると魔力を絞るよりも入力が一定値を越えた場合をなんとかしたい。……いや決して魔力の調整が難しいとか、面倒だとか、そんな理由じゃないよ?
常に魔力の調整に気を使っていたら、何か起きた時に咄嗟の行動が取れなくなるかもしれない。うん、そうだな。
閾値を越えた値をバッサリカットするのでは抑揚が判別つかなくなりそうなので、入力値を圧縮させるコンプレッサー方式で光圧を稼ごう。
視覚強化の魔法にそれら設定を付与する。付与された設定は再び変更を施そうとしない限り自動で働くようセットしたので、意識を向ける必要もない。
「オーケー、視界良好」
外にいた時よりも鮮明に見えるようになった。元より大幅に視力が上がっている。魔法やべえな。
これを体感すると元の視力に戻すのを躊躇われるほどだ。かといってこの視力に慣れてしまうと元の世界に戻った時に支障をきたしかねない。
残念だが必要な時以外は通常の視力でいた方がいいだろう。
視覚を強化したついでに聴覚と触角も強化しておこう。突然死角からモンスターが襲ってこないとも限らない。
先程視覚強化に施した設定を聴覚、触角用にカスタマイズしてセットし、魔法を発動させる。
(……誰かいるな)
強化して鋭敏になった聴覚が捉えたのは人の話し声だ。多少ノイズ交じりだが、内容が判る程度には鮮明に聴こえてくる。
「ここらの階層のモンスターならまだ余裕だな」
「いやまだ潜ったばっかだぞ。こんな上層で苦戦してたらまずいだろ」
「今日の目標は目指せ、より下層だからな」
「漠然としすぎ」
「え、ダメ? じゃあスネアが何か具体的な目標示してくれよ」
「そういうのはピッコロかシタールに言って」
「だとよ、シタール」
「よし、目指せ、より下層!」
「変わってないじゃない!」
男三人女一人、恐らく冒険者のグループだろう。いいなー楽しそうだなー。くそう俺も早くダンジョン探索したい。
それにしても遠くの、張り上げているわけでもない普通の声が大きく聴こえてくるのは変な感じがするものだ。
初めての感覚にまだ慣れていないので、流石にここからどの程度離れているのかはっきりとはわからないが、向こうがこちらに気づいている様子はなさそうだ。
だが相手も魔法で五感を強化している可能性もあるし、別の手段でこちらの所在が判明するかもしれない。油断は禁物だ。
――「くれぐれも一般のプレイヤーに関わらないようにね」
絵里さんの忠告が頭をよぎる。
GM権限で弄られた初期設定でゲームに臨んでいると一般のプレイヤーに知られたら、厄介な問題になるだろうことは容易に想像がつく。
あの冒険者のグループがプレイヤーなのかNPCなのかは判らないが、少し距離を置いた方が無難だろう。
……しかしここがゲームの世界なら、プレイヤーとNPCの区別はどうつけられるのだろう? 何か印となるものがあるのだろうか。
ただあれほどまでに精巧なNPCとなると、少なくともシンには本物の人間との違いは判別できない。もしかしたら今までに遭遇したNPCだと思っていた人物の中に、プレイヤーがいたという可能性もあるのでは。
いや、そもそも区別なんてないのかもしれない。そう思わせられるほどにこの世界はゲーム以上の感触を与えてくる。
しかし、だからといってここが現実の世界だというのも無茶な話ではないか?
現段階で結論の出るはずもない考察は、強化された聴覚が捉えた情報によって遮られる。
足音。
前方から何かが近づいてくる。人のものではない。ならば十中八九モンスターだろう。
初めてとなる敵とのエンカウントに警戒を強め、待ち構える。
やがて姿を見せたのは四足歩行の獣。大きい。体長五メートルはありそうな狼だ。
こちらを認識すると敵意を剥き出しにした眼光を放ち、一直線に突っ込んで来る。が。
(遅いな)
戦闘態勢に入ったシンにとって、相手の動きは脅威とは程遠いものだった。
余裕を持って迎撃用の魔法を放つ。
〈炎撃〉
凄まじい業火が狼の体を包み込む。のたうち回る暇もなく、悲鳴すら上げられずに巨躯のモンスターが一瞬にして灰と化す。
(……威力やべえ)
先程の視覚強化の時と同じように相当魔力は抑えたのだが、それでもこの威力である。
思い通りの威力に調節出来ないようでは後々困る場面に遭遇しかねない。訓練が必要だな。
しかし今のモンスターは外見的に弱い部類に入るとは思えないのだが。自分の能力値が高すぎるせいで敵の強さの感覚が掴めない。次にモンスターに遭遇したら能力看破の魔法でステータスの確認をしておこう。
ただ仮にあの狼が強い部類に入るとすると、さっきの冒険者達の会話の内容からして、下層には更に凶悪なモンスターがいることになるこの洞窟って、かなり危険なのでは?
そうなると、この階層は余裕だと言っていたあの冒険者達もかなりの手練れなのかもしれない。
まあさっきの狼が見かけ倒しの可能性もあるし、まだ決めつけるには早いか。
(まずは下層へ向かうか)
入り口付近ではまた別の侵入者と鉢合わせしてしまう可能性もある。確認作業はもっと下層で始めた方が無難だ。
先程の冒険者達と出くわさないよう注意しつつ進んで行く。モンスターはあの程度なら脅威にはならない。警戒はそこそこでいいだろう。
などと考えている間にもモンスターの気配を察知する。丁度いい。
〈能力看破〉
相対した人型で尻尾の生えた悪魔のようなモンスターの能力を確認する。感じ取った力量の感覚はそのままでは少し曖昧なので、数値化してより明確にする。
攻撃力、防御力、行動力、持久力、命中力、回避力、魔導力、精神防御力、生命力、魔法力、体力回復力、魔力回復力。
看破するのは出力能力に絞ったが、それでも種類が多い。基礎能力を看破しなくてよかった。
ちょっと覚えられそうにないので、次からは総合力だけ見ることにしよう。
ところで看破したはいいが、この洞窟以外のモンスターとの比較が出来ないので基準が測れないのだが。
(あー、外で一度戦闘をしておくべきだったか)
まあそれでもこの洞窟内の上層と下層との比較は可能だし、無駄にはなるまい。
さっきのモンスターは魔法で倒したから、今度は直接攻撃がどんなものか確認しとくべきだな。武器は何もないから徒手空拳になるけど。
悪魔に向かって跳躍し一気に間合いを詰め、そのままの勢いで蹴りを浴びせる。
驚異的な速度に戸惑いを見せた悪魔は成す術なくまともに蹴りを受け、洞窟を破壊しながら視界の外へ飛んで行った。
(……この洞窟崩落しないよな?)
生き埋めとか勘弁願いたい。しかし格闘能力もとんでもねえな。無闇に敵をふっ飛ばさないよう気をつけねば。
それからも襲ってくるモンスターを個別に確認するが、確かに下層へ進むに従い、より強力になってきている。
それにしても広い。探知魔法を使用した際にこの洞窟のおおよその規模は把握していたが、実際に訪れてみるとその広大さは圧巻であった。
発見しづらい小さな入口から想像するには困難であろう壮大なダンジョン。モンスターも恐らく手強い。難度は相当高いと見た。
「よし、この辺りまで来ればいいだろ」
随分と下層まで下りてきた。とはいっても恐らくまだ中層辺りなのだろうが。
だがこの洞窟の規模からして、ここまで来れば他の侵入者と遭遇することもまずないだろう。
(さて何から始めようか。改めてスキルが使用出来ないかどうか調べてみるか)
以前と同様にスキル使用のため意識を向ける。が、やはり手応えはない。
(……やっぱり無理か)
期待はしていなかったがそれでも失望感は拭えない。気を取り直して次だ、魔法の確認をしよう。
とはいえ魔法の種類は大量だ。手当たり次第に使用していくか、それとも似た性能ごとに抜粋して確認していくか。
しかし魔法の属性って物理と精神の二種類しかないのか。もっとこう、エレメントとか、聖魔や時空とか、色々あったりしないのか。
そんなふうに魔法の一覧を探っていると、ある一つの魔法に意識が向いた。
それは己の魔力で使役する供を創り出す、というものだった。シンが目をつけたのはその供の性能のうちの一つ、この世界の解説役というところだ。
(おお! これ使えばチュートリアル受けられるじゃん)
早速その魔法を使用するために魔力を注ぎ込むが、何やら色々と設定項目があるようだ。
(筋力、敏捷、体力……ステータスの振り分けか?)
しかしこの振り分け、魔力だけでなく自らのステータスからそれぞれ能力値を差し引いて与える仕組みのようだ。
しかも与えられる値は差し引いた値の三分の一でその上不可逆ときた。レベルの上限がないとはいえ、多人数が極めて有利な場面でもない限り進んで使いたがるプレイヤーは多くはなさそうだ。
シンにとってステータスから能力値を差し引かれることは痛手にはならないが、戦闘要員を必要としてはいないので攻撃能力はゼロで構わない。
そのかわりというわけでもないが、防御、支援特化で簡単には死なないようにと能力値を割り振る。
〈従者創造〉
注ぎ込んだ魔力と能力値が正面の空間に渦を巻き、その中心へと流れ込んでいく。そして。
「やーっほーーっ!」
洞窟の奥までこだましそうなほど元気な声を上げて生み出されたのは、背中に羽の生えた小さな人型のフォルムをしたファンタジー定番の種族。
手のひらサイズの妖精だった。