3 違和感
この事態を想定していなかったわけではない。
現に最初に確認もした。その結果問題がないことも判明した。
だが実際の状況は、その結果とは異なるものだ。
ゲームからのログアウト不可という現状。
外部との連絡手段も今のところ皆無だ。
落ち着きを取り戻し、現在の状況整理を済ます。
「まさかな。冗談だったんだけどな」
先の絵里さんとのやり取りを皮肉交じりに思い出す。どうやら必要な心配だったらしい。
BMIVRから帰還出来なくなったこの現況、企業側の早急な対応が迫られるだろう。
原因の解明にどれだけの時間がかかるかはわからないが、それまではこのゲームの中で過ごすしかない。
勿論まだ気づけていない方法もあるかもしれないので、それも縁と併せて探していく。
「どうせならゲームを楽しむか」
気持ちの切り替えは大事だ。今思いつくことは試したのだから、これ以上無理にアイデアを捻り出すこともないだろう。
正直不安は拭い切れないが、自分にそう言い聞かせ次に取るべき行動に思案を巡らせる。
チュートリアルを受けていないので、ゲームの概要となる知識や自分が出来ることなど、諸々の情報がまるでない。
まずは情報収集と休息出来る場所の確保だ。
「町に行ってみよう」
とりあえずは新規プレイヤーが最初に立ち寄るべきであろう近場の町へ足を運んでみることにする。宿もあるはずだ。
ここから町までは少し距離がある。本来なら恐らくそこまでの過程でチュートリアルが行われるのだろう。
ならば自分はわざわざ歩いて行く必要はない――戦闘を経験出来たりもするだろうし全くの無意味というわけではないだろうが――ので、移動用の魔法を使う。
〈瞬間移動〉
魔法の発動と共に目の前の景色が入れ替わる。目的の場所に無事移動出来たようだ。
振り向くと高さ三、四メートルほどの石垣が視界を覆う。遠目に見えていた建物群はここからでは確認出来ない。大きな町だ。
少し先の町の入口であろう門が見える方へ歩を進める。やがて衛兵が数人で町の出入りの管理を行っているのが見えてきた。
「エプスノームへようこそ。通行税として五ハロン徴収致します。それから目的と滞在期間をお伝え下さい」
衛兵が爽やかに応対する。町の名前やら通行税やらスルーしてはいけない単語が飛んでくる。
しかしそれらが頭に入らないほどにシンは驚きを感じていた。
(何だこのNPCの完成度……もう本物と見分けつかないじゃねえか)
外見、仕草から漂う雰囲気まで。
シンが今までのゲームで触れてきたNPCは、不気味の谷は越えつつあるものの、それでもどこかに本物との決定的な差異を感じていた。
それがこの衛兵には感じられない。人間だ。この衛兵は……いや、ここの者達は皆本物の人間だ。少なくともシンにはそう感じられた。
「……どうかされましたか?」
呆けて固まっているシンを怪訝に思ったか、衛兵が声をかけてくる。
「……あ、いえ、え……と……五ハロンと、目的と滞在期間でしたか?」
傾いた思考を揺り戻し意識を衛兵に向ける。通行税ね。……通行税だと!?
(最初の町に入るのに金が必要なのかよ! いや俺は別に構わないけど、それってゲーム的にどうなんだ?)
あまり無駄に現実っぽくしなくても。まあこれが現実に即した再現なのかを判断出来る知識はシンにはないのだが。
中世辺りではこんな感じの応対が普通だったのだろうか。
「はい、お願いします」
明らかに挙動が怪しい相手にも爽やかな態度を崩すことなく応対する衛兵。この男、なかなか出来るな。
情報収集が目的と言えばこのAIはどんな反応をするだろうか。怪しまれるのだろうか。何事もなくすんなり通されるのだろうか。
少々興味をそそられるところではあるが、それよりも優先すべきことがあるので面倒事にならないよう無難に答えておく。
「観光で一週間ほど。まず先に宿を探しておきたいのですが」
「それでしたら正門の先の大通りに何軒か。案内が必要でしょうか?」
「いえ、それには及びません。ありがとうございます」
手続きが必要だったわりには、身分証の提示を求められたり滞在許可証の発行などはなく、そのまま通された。
無駄に現実っぽいくせに随分ザルだな。手続きが形式だけのものになっている。嘘をついても簡単に入れてしまう。
金さえ徴収出来ればいいのか。問題のある人物ならば魔法か何かでアラームが反応するようにでもなっているのか。それともこの周辺が平和なだけか。
(まあ現実でも適当なところは適当だしな)
どうでもいい疑問を頭の隅に追いやり正門を潜る。すぐ横には衛兵の詰所であろう建物が備え付けられている。
そして先へ進むと瞬く間に大きく視界が開けた。
大通りは人の流れが多く活気に溢れていた。
店の呼び込みと買い物に来た客、遊び場の移動に全力疾走する子供、作業着で大きな荷物を担いで運ぶ若者、知人と談笑しながら散歩する老人、仲間と戦術の確認をする冒険者のグループ、馬車で遠出の支度をする商人、不審者に目を光らせる警備兵などなど……。
RPG最初の町。隅々まで探索して回りたいという衝動が襲ってくるが、今はまだ他にやるべきことがある。大丈夫だ、探索ならまた後でいくらでも出来る。
自らの好奇心という名の強敵と格闘を続けながら歩いて行くと、やがて目的の建物が見つかった。看板に大きくINNという文字が書かれている。
扉を開け中に入るとまず綺麗に片づけられたテーブルが数卓目に入った。一階は食堂になっているようだ。手前の席に掛けた客に従業員の少年が注文品を届けに行くのが見える。
奥にカウンターがあり、その裏が厨房へと続いているのだろう。
「いらっしゃいませ。ご宿泊ですか?」
カウンターの女性が愛想よく出迎える。
「ええ」
「でしたら一泊五十ハロンになります。お食事は別途ここ食堂にてお求め下さい」
この世界の通貨となる硬貨を取り出し手渡す。しばらく滞在するには充分すぎるほどの所持金を初期設定で与えられている。
「ご宿泊部屋はニ〇三号室になります。ごゆっくりお寛ぎ下さい」
受け取った部屋番号のついた鍵を使い部屋に入りベッドに腰掛ける。考えていたのは通貨のことだ。
正門でお金を取り出した時に気づいたのだが、この世界では硬貨だけでなく紙幣も流通している。金や銀への引き換えが保証される兌換紙幣だろう。
……では信用を担保する発行者はどうなっているのか。普通に考えるのならば各国の政府又は中央銀行だ。
とすればこの世界に通貨単位が一種類しか存在しないということは考えにくい。いや、それは現実では当たり前のことなのだが。
しかしここがゲームの世界であることを考慮すれば、プレイヤーが戸惑うであろう通貨の種類が複数存在するという設定は避けるべきではないのか。
時代設定が現代ならば紙幣がなければ違和感も覚えるのだろうが、この世界は中世風の時代に設定されている。
であれば金本位、銀本位の硬貨のみが流通する形であった方が都合がいいはず。時代設定が中世付近のゲーム開発において紙幣を扱うメリットがわからない。
(……何か……おかしい? ……いや、神経質になりすぎか)
一方でそんな経済方面の観点など一切無視した上で設定を取り決めたという可能性もある。所持している通貨は一種類だけだし考えすぎかもしれない。
そう、いつもならゲームで紙幣が使われていることくらい気になったりはしないはずだ。それが頭に引っかかるのは、このゲームが今までになく現実感の強い世界だからだ。
言うならば……何だかこの世界が、現実とゲームの齟齬に苛まれているような、そんな印象をシンは受けた。
思えばゲームを開始してから大した時間も経過していないのに、抱いた違和感が多すぎる気がする。
スキルの仕様、風景やNPCの完成度の高さ、無駄に現実感のある設定、そして一度は可能だったログアウトが一変不可となったシステム。
これらの事象がもしかしたら一つの答えに繋がっているのではないか。だとしたらその意味するところは――
――ここはゲームの世界ではなく、現実の世界なのではないか。
(いやありえない。もしそうだとしたら魔法やアイテムなどのゲームのシステムがそのまま存在する理由はどう説明出来る?)
まだゲームに何らかの異常が生じたと言われた方が納得出来る。……ん? 異常なのに世界の完成度が高くなっているっていうのはどういうことだ?
わけがわからない。
わからないからと言って放置するにはあまりにも危険すぎる。この世界における自身とその意識の存在理由にも繋がりかねない問題なのだから。
早急に確認が必要だ――それは当初の予定通りなのだが、根本的な理由が変わり、より緊急性を増した。
(まずは出来ることの確認をしよう。ゲームの仕様自体把握していないけど、出来ればそこからどう変わっているのかも併せて)
ログイン時の初期設定は生きているのだから、ステータスは軒並みグラハム数のはずだ。戦闘能力の確認をするなら人気がなく広い場所がいい。魔法を使って探そう。
〈目的地探知〉
脳内で定めた条件を満たすロケーションの情報が頭に流れ込んでくる。
(……ここがいいかな。広いし、目立ちもしない)
いくつかの候補の中から選んだ場所は、地底に広がる並外れて巨大な洞窟だ。ここでなら人目につかずある程度までの力を振るえるだろう。
早速目的地の座標を確認し、移動の魔法を使う。瞬間移動は目に見える範囲までしか効果が及ばないが、それとは別にもっと広範囲への移動が可能となるものがあった。
〈空間転移〉
一瞬で元いた場所から遥か遠く離れた地点まで飛ぶ。魔法って便利だな。
縁を探していた時にはかけらも感じられなかった有用性にようやくありつけた気がする。
「ここだな」
森の中。木々に囲まれひっそりと開けられた洞窟への入口。
内部は信じ難いほど広大なのに入口は随分と見つけづらい恰好になっている。好都合ではあるが。
これから行うのは確認作業だ。自分の持っている力がどんなものか見極めるための作業だ。
だが目の前の洞窟に対すると、どうにも別の方向に気が向いてしまう。
ダンジョン探索。
その魅惑的な響きに高まる興奮を抑えつける。今は探索をしている場合ではないのだ。
後ろ髪を引かれる思いを少しばかり抱きながら、探求心を強く刺激する大空洞の内部へと、シンは足を踏み入れた。