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Lv.グラハム数で手探る異世界原理  作者: 赤羽ひでお
2 意識、感覚、哲学的ゾンビ
39/95

38 警護と仕込み

 相識交信での伝達を終え、サイリは冷静に事を運ぶべく一度やや深めに呼吸を取って肩に入った力を抜く。

 これでしばらくこちらに邪魔が入ることはないだろう。もし入ったとしても、待機させている手駒の予備を当てればよい。

 とはいえ、思い描いていたシナリオから大きくプランの変更を強いられ、急遽この状況を作り出さざるを得なくなった元凶への恨めしさに奥歯を噛む。


(ニーズヘッグ……)


 以前の仕込みが活き、手駒を使って襲撃事件を起こし、警護という名目で自然を装いフレシュ・ベレスフォードとの接触は遂げられた。

 欲を言えばベレスフォード家の関係者に仕込みがあればもっと楽だったのだが、それは言っても詮方ない。接触さえ果たせてしまえばこちらのものだ。そう思っていた。

 実際、後はこのまま彼女の傍で着々と仕込みを進めていけば良いだけだった。順調であると言えた。

 そこへ来て、あの宣言だ。


(忌々しい)


 手に負えない気紛れの災厄など御免被る。即今のエプスノームにおいて存在する化物は紫竜だけではないのだ。化物同士の戦闘になって巻き添えを食ってしまう前に、さっさと王都へ戻ろう。

 だが王都へ戻る前に、一つ確実にやっておかなければならない事がある。それが済んだとしても、全ての仕込みを終えるまでフレシュを傍に置いておきたいというのが本音ではあるが、必須というわけでもない以上、それは諦めた方が賢明だろう。

 さておき、その要件を果たすためにこの騒ぎを起こさせたわけだが、我ながら無理矢理な手段に出たものだ。だが紫竜がいつ宣言を実行に移すか知れたものではない――あの様子ならば、明日にでも行動を起こしてしまいかねない。不可欠な仕込みを終えられずに彼女の元を離れるという事態だけは避けなくてはならない。


(最低限は、果たさないと)


 改めて紫竜の横槍に嫌気が差す。

 神経を逆撫でされた一言以降、あの男には負感情しかない。

 フレシュという少女が自分達にとって切り札の一つとなる存在であることをリークしたのも彼なのだが、それは感情を抜きにした取引の対価であり、サイリは感謝の気持ちなど露ほども抱くことはなかった。


(彼が持ち駒の中にあったことは幸いね)


 ちらりと今回のプランの要となる人物を見やる。

 以前仕事にかこつけてルーパス伯爵家の人間と多くの接触を為したことは無駄ではなかった。

 侯爵派閥の関係者が手駒に無い中、派閥で対立しながらもフレシュと近しい間柄にあった彼は都合の良い人材だ。以前は伯爵家の後継という立場に価値を見ていたが、ここに来て特に重要な役割を成す存在となっていた。

 取りとめもなく思考を巡らしているうちに、サイリは裏門の向こう、邸宅の敷地内からこちらへ近づいてくる気配を察する。


(来たわね)


 誘い出した少女の目に触れないよう身を隠す。

 姿を見られたところで大きな問題は無いのだが、彼女に二の足を踏ませるような要素は排除しておくに越したことはない。

 荒い呼吸と共に勢いよく裏門から飛び出してきた少女は、目当ての人物を見つけるとサイリの思惑通りにその人物の元へと向かっていった。

 二人の接触が叶って目的まで半分。まだ油断は出来ない。


(能力の過信は禁物)


 サイリが主人から下賜されたアビリティ『精神簒奪』は汎用性が高く応用に富むが、万能と呼ぶには程遠く却って制約は多い。したがって見極めを誤れば今までの苦労がご破算になりかねない。

 自身の能力については熟知していても、重要なのは能力発動後の影響であり、そこには対象の精神力をはじめ様々な要素が絡んでくるので単純に計算出来るものではない。まあ、そこまで神経質になる必要も無いことだが。


(ラクター……リナン……!)


 今一度、忌まわしい事件で犠牲になり、もう戻らぬ仲間を想う。

 今一度、忌まわしい事件で心を砕かれ、塞ぎ込んだ仲間を想う。


 許せるものか。


 その行いを省みず「必要だった」とのたまうような奴らなど。

 その行いを正当化し、正義を謳い、それに留まらず「同様の状況に陥れば、同様の行動に出る」と言ってのけるような奴らなど。


 だから奴らにその行いの報いを受けさせる。

 仲間と共に構想を練り進めている。

 そしてここで思いがけずにまた一つ、大きな手札の入手に向けた大事な仕込みを控え、サイリは雑念を払い拳を握りしめた。

 意識して抜いたはずの肩の力は、無意識のうちにいつしかまた入っていた。



  ◇◆◇



 南西居住区の宿は北商業区で宿泊したコフラーの宿と比べると、どう贔屓目に見ても格落ち感が否めない。

 建物自体元々の建材が良質とは言い難く、老朽化も進んでいて床板はところどころに継ぎはぎが見られ、腐食の具合が心配される。壁は薄く防音も断熱も気休め程度。寝具はそれなりだが、肌触りまで求めるのは酷か。

 厳しめな評価をしたものの、決して劣悪であるというわけではない。部屋は清潔で広さもまずまず、窮屈さは感じられない。従業員も気立て良く接してくれる。客から金を徴収する宿泊施設として充分に成り立っていた。


『いい加減、少しくらいそっちの持ってる情報を寄こしてくれてもいいんじゃないか?』


 夜半、宿客室。

 シンは今までの遠慮に見切りをつけ、燻っていた思いを交信相手であるデオにぶつける。遠回しに聞き出そうとしても毎度のごとく躱される、つまるところ相手は話すつもりのないことだろうが、今回は直接的な物言いで要求を示した。


『ああ、その様子だとやっぱり何かしらの動きがあったみたいだねえ』


 言葉の背景を読み取って、デオは話を都合良く誘導しようとする。彼の言う通り、件の人物の動向を情報屋に求めたところ、大きな収穫があった。

 シンがストレートに要求をぶつけた理由はそこにある。デオの頼みは的を捉えすぎている。一度ならたまたまということも考えられるが、これで二度目。彼の持つ情報の正確性は際立っており、無視出来るものではない。


『だから、一人で納得してんじゃねえって話だよ』


 直球勝負に出ても尚のらりくらりと躱そうとするデオの姿勢に流石に苛立たしさを覚え、思念に乗せた言葉に若干毒を含んだ棘が混じる。


『ん……そうだな、悪かった。あの娘――フレシュ・アンリ・ベレスフォードは今、孤児院を新設しようと行動を始めていてね。だけど、それを達成するには当然幾つも越えていかなきゃならない壁がある』

『……その壁の一つが、動向を確認したルーパス伯爵家の跡取りってわけか?』

『いや、個人の問題じゃない。壁になるのは伯爵家を筆頭とした貴族社会の派閥だ。以前からベレスフォード侯爵派閥とは対立関係にあって、あの娘の動きを坐視する理由もないってわけだ』

『うわ、派閥争いとか生々しいな。そういう世界には首を突っ込みたくないもんだ。……でも何で当主じゃなくて跡取りなんだ?』


 陰謀渦巻く伏魔殿の一端に触れた気がして、シンは嫌悪で口をひん曲げる。その表情を見て「あはは、シン、ヘンな顔ー」と指を差してお気楽に笑うフェアのことは「うるせー」と一言であしらって仕舞い。魔法の会話に加わっていないので暇なのだろう。


『対立しているのはあくまでも派閥であって、個人の間には例外的に良好な関係も築かれてたケースがあるんだ。で、それがその二人』

『へえ、色々と複雑なもんなんだな。……でも跡取りが友好的ならやっぱり当主の動向を気にした方がいいんじゃないのか?』

『それがなあ、友好関係はもう過去のものなんだ。孤児院の件を巡った結果、二人の関係は破綻したんだそうだ。派閥の方針からどうしても受け入れられるものじゃなかったんだろうねえ』

『個人の間の友情は貴族社会のしがらみに引き裂かれたってか。世知辛いな』


 年端もいかない少女が世間の荒波に揉まれる語りには同情を禁じ得ない。

 とはいえ他人事であることに変わりはない。特別感傷的になることもなく、シンは状況を俯瞰して分析していく。


『成程な。それで昼間に襲撃っていう強硬手段に出た自派に対し、跡取りがどういった行動に出るか予測が難しかったってわけか』


 ベレスフォード家の尋問官ワッツ・ポーターが引き出した情報では、ユーゴ・ブリッジマンという伯爵家お抱えの剣士が関係しているとのことだった。

 話が繋がって納得するシンだが、それに対して返って来たデオの反応は予想から外れたものだった。


『んー……いや、そういうわけでもないんだ』

『……何だ? 違うのか?』

『ここから先の話は、お宅の手元にある情報を交えた方が、し易いかな』


 まだ出せる情報を出し渋っているんじゃないかと疑い返答に間が空く。

 しかし相手が手持ちの情報を必要分開示したことは確かだし、腹を探ることに深い意義を見出すことも出来なかったので、ここは素直に従っておく。


『……わかったよ、伯爵家の跡取りオーム・ベルグレイヴの動向だな。あの情報屋に聞いてみたところ、最近急に私兵団とのやり取りが増えたそうだ。十中八九、襲撃に関係してるだろうな』


 剣士ユーゴも私兵団の一員だ。戦闘能力は随一で、特に魔導士のスミュー・ブロードと組んだ時は脅威に値するという話だ。


『そうかい。良くも悪くも、こちらの推測を固める材料だねえ。今はどんな様子だい?』

『今?』

『あの娘の様子。この時間だ、もしかしてもう寝てるか』

『ああ、今はもう監視はしてないぞ。これからは侯爵家も相当警戒に力を入れるだろうし、必要ないだろ?』


 監視を打ち切った一番の理由は彼女に監視がバレたからなのだが、それは伝えず心にしまっておく。当時のやり取りを思い出し、変な声が出そうになるのを必死に抑えながら。

 うげぇ、という表情のシンを指差して「シン、またヘンな顔ー」と絡んでくるフェアのことは適当にあしらっておく。


『ん、そうだな、ありがとさん』


 依頼主に無断で監視を終わらせていたことに今更気づいて少々ばつが悪くなるが、当人は特に問題にせず理解を示してくれた。


『それにしても、警護に王国の精鋭を引っ張って来るとか、侯爵家の権力は大概だな。丁度この街に来てたからっつっても元々の任務とは無関係だろうに。まあ俺としては神経磨り減らす相手が片方減って、その分気が楽になったけどよ』


 念話を送りながら窓の外を窺う。

 視線の先には腕を組み建物に背中から体重を預ける銀髪の男――王国軍の少佐グレイ・バンダービルト。

 空間転移で監視の目を逃れてから半日待たずに捕捉された時には堪らず「ヒィッ」という冗談みたいな悲鳴を漏らして戦慄した。探知魔法を受けた感覚は無かった。この広いエプスノームで魔法に頼らずどうやって探し出したのか。王国の精鋭半端ない。やばい。心の安寧は遥かに遠い。


『……何?』


 思念による会話で独り言などしようがないのだが、デオの反応は思わず漏れた呟きのようだった。

 その反応には、それまでの悠揚迫らぬ気配とは異なる緊張が含まれていたのだが、銀髪の軍人に意識が逸れていたシンは次の言葉までデオの変化に気付くことはなかった。


『誰を、警護に引っ張って来たって?』

『……ん? どうした?』


 低い声音と硬い語調。思念であるにも拘らず感情表現が発声時と全く変わりないのは、身に脳に癖として刷り込まれてしまっているからだろうか。

 気配の変わりように少しばかり戸惑い、質問の内容が頭に入って来ずにもう一度と聞き返すシンへ、ゆっくりと、一言一言をしっかりと思念に乗せ、デオは再度同じ質問を投げかけた。


『……侯爵家が引っ張って来たっていう警護の人物。誰だ』

『だから……王都から異変調査に派遣されて来た精鋭の片割れ。サイリ・キトラス』

『――――!』


 名前を伝えた直後、デオから言葉にならない反応が返ってきて交信が切られた。

 彼らしからぬ一方的な態度に面食らい「あ、おい!」と無意味に呼びかけて再度交信を図るが、魔法の接続は拒否され相識交信に注いだシンの魔力は都市の夜気に霧散した。


「急にどうしたんだ、あいつ……?」


 急変したデオの様子に、あの女軍人に何があるのか、もう一度フレシュの様子を確認しておいた方がいいんじゃないかという思いも浮かぶが、それらシンの思考は外部からの刺激によって強制的に停止させられる。


 外が明るい。


 昼間のような明るさはないが、夜中とは無縁の光量が窓から差し込んできている。

 それはこの識世に来てから久しく触れることのなかった、現代日本の都市部の夜を思い起こさせるような光だった。


「……何だ?」

「わー! 見てみて、シン、凄いよ!」


 外の光景に目を奪われ、興奮して窓際でぶんぶんと腕を振るフェアに呼ばれるまでもなく、シンも窓の外に目を移す。


「……おいおいおいおい、こりゃ一体どこのどいつの仕業だよ?」


 目にしたそれは、自身と無関係で傍観出来る立場だったなら息を呑んだであろう、ファンタジー感溢れる絶景。

 都市の夜空に浮かび上がった幾何学模様を備えた円盤。以前自身――じゃない、ソブリンが創り出した巨大な単一と対を成すような派手な演出。

 数十にも及ぶ大量の魔法陣から燦然と放たれる青白い光の描き出す幻想だった。

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