34 不鮮明な狙い
この襲撃には不可解な点が多い。
当時往来の人通りは多くなかったが、それでも目撃者はしっかりといた。この襲撃が上手くいったものとしても、彼らから話が伝われば、都市公安警察はその威信と面子にかけて、全力で犯人を捕らえにかかったことだろう。昼間の東居住区で襲撃事件を起こすというのはそういうことだ。行動を起こした後のことが考えられていない。
ただ、その無計画な強襲を実行に移すような連中にしては、やけに戦いなれていた。
奇妙な違和が胸につかえ、胃の腑に落ちずに首を捻る。襲撃という手段を取るのであれば、戦闘のみに比重を置いた彼らよりも、他に必要な能力を備えた人材に頼るべきだ。襲撃のプロではなく戦闘のプロを雇った依頼主の意図はどこにあったのだろうか。仮に依頼主がその点を考慮していなかったという考えの浅い人物だとすれば、これ程締まらない話というのもざらにない。
『そこんとこ、どう思うよ?』
薄暗く、外気よりも低く湿った空気の淀む地下。廊下の壁に寄りかかり、シンは魔法を使った通信相手に意見を求める。
『どうだろうな……。依頼の内容次第で変わってくるしな。今の時点ではっきりと言えることは無いかなあ……』
歯切れの悪い答えを返してくる相手――デオ。伝わってくる思案の気配は心当たりを探してか、それともその姿勢を強調するためか。
(後者、だろうな)
証拠も確信も無いが、そうシンは推し量る。
デオは間違いなくこの襲撃に繋がる何かしらの情報を握っている。それは今まで疑念程度のものだったのかもしれないが、事態が表面化したことでより信憑性は深まったはず。少なくともその情報を開示出来る程度には。
それをしないということは、他人に頼らず一人でこの問題を解決しようとしているのか。……いや、シンにフレシュの監視を依頼している時点で今更の話だ。それは考えづらい。となれば、情報元から制約を受けているか、或いは。
(単に、自分の口から言いたくないだけなのかもな)
感情的な理由なのかもしれない。
人が合理性もなく、理屈にも合わない感情に従って行動することなど、珍しくもなんともない。
あれこれと理由を考えはしたが、彼が情報を寄こしてこない以上この件に関与する義理はない。とはいえ、出来ることがあるのに何もせず静観した結果、知人が不幸になったとしたら寝覚めが悪いのもまた事実。
(お人好しだよなあ、俺も)
黙って見過ごすことの出来ない自分の性分に呆れて、苦笑と共に小さく吐息を漏らす。と、正面の扉が蝶番の軋む音を小さくたて、ゆっくりと開けられた。
「どうですか?」
「あー、吐くには吐いたけどな……奴ら尋問官をナメてんのか?」
部屋から出てきたのは一人の男。青髪をオールバックにしていて、目つきは鋭い。というよりこう言っては悪いが、端的に悪人面だ。
ベレスフォード家の尋問官の役割も兼ねた私兵、ワッツ・ポーター。リチャードから報せを受けて、襲撃者から情報を聞き出すために赴いて来た面々の中心的存在だ。
当のリチャードはフレシュと共に現場近くの衛兵詰所で襲撃の聴取を受けている。この短時間で再び襲われることはないだろうが、念のためフェアも同行させた。
襲撃者の身柄は本来公安に引き渡すものだが、侯爵家による落とし前、情報取得の遅延等が理由で、リチャードはこれを拒否した。勿論、それで公安も引くわけにはいかないので、建前として襲撃犯には全て逃げられたということにしてある。尋問が終わり次第身柄を引き渡すことで両者は折り合いがついた――より正確に言うならば、つけさせた。
都市公安警察相手にこんな無茶がまかり通る様はいかにも大貴族といったところだが、正直シンにとってあまり気持ちの良いものではない。まあ、それをわざわざ声高に咎めるほど潔癖症でもないのだが。
「全員一致でおんなじこと喋りやがる」
言いながらワッツは懐から拳大の箱を取り出し、中から一つ、刻んだ葉を紙で巻いたもの――煙草を口に咥える。次いで胸ポケットから何やら洒落た模様と文字――何かのロゴだろうか――が刻み込まれた金属板を取り出し、軽く指で弾いて先端に小さな火を灯した。これは確か識世における着火用の魔導具で、名前は用途そのままにライター。
煙草に火を着けたワッツが壁に埋め込まれた木目のパネルをコツンと叩くと、空気の淀む地下で体を撫でていく柔らかな風が生まれた。どうやらこれもただのインテリアではなく、気流を操作する魔導具のようだ。換気用か。こちらの名称は記憶にない。
天井に見える通気口から申し訳程度になされていた空気の循環が、その効果を直に感じ取れるだけの働きへと活性化される。
「口裏を合わせていると?」
「わかり易くな。多少脅しをかけた程度でどいつもこいつも簡単に口を割りやがる。最低限の渋るフリくらいはするが、そんなもんで出し抜けると本気で考えてやがるとしたら、見当違いもいいところだ」
煙草の煙を肺に浸して訪れる一拍の静寂。煙の味をひとしきり堪能してから、ワッツはゆっくりと時間をかけて白い呼気を吐き出す。
口腔から流れ出る呼出煙は気流に乗って手元から伸びる副流煙と合流し、一筋の白い帯となって通気口へと吸い込まれていった。
「ま、ここでなら何をやっても大抵のことは外に伝わりやしねえ。じっくりやるさ。奴らが本当のことを喋りたくなるまでな」
サディスティックに口の端を歪めるワッツ。この後実行されるであろう非道を思い、シンは襲撃者達へ心の中で合掌する。ご愁傷さまです。
今シン達がいるこの建物は、用途としては識世における病院のようなもので療堂と呼ばれ、治癒魔法に秀でた魔導士の待機所も兼ねたものだ。
治癒魔法には外傷治癒と疾病治療とがあるが、平均的な力量の治癒魔導士による疾病治療では施して即完治する病は軽度のものに限られ、大抵の場合は療堂をはじめとした医療施設に通い、繰り返し治療を受けるものである。重度のものともなれば入院――入堂とは言わないらしい――し、それでも治療叶わず生命を終えるということも、ごくありふれた光景。現世と同じである。
しかしながらベレスフォード家の所有するこの療堂には、そうした医療とは別の目的に使用される場所がある。
人目につかない隠し階段を下った先、分厚い防音扉に仕切られたここ地下である。
こんな場所が存在すること自体いかがわしい臭いが漂ってくるもので、実際にワッツ達は人道に反する行為を働いている。現在進行形で。
それに関してシンに思うところは無いこともないが、その被害を受ける手合いに同情してやる筋合いもない。なので結局、特にどうすることもなくワッツらの尋問が終わるのをただ黙って待っていた。
「ちなみに、彼らが喋った内容は?」
「あー、南西居住区の酒場で飲んでたら依頼を受けたっつう、いかにもそれっぽい話だ。依頼人の特徴はフードを目深に被った長身痩躯で中年の男だとよ」
「確かにそれらしいこと言ってますね」
「事実も紛れてるかもしれねえが……ま、どっちにしろ後で裏を取りに行くんだけどな」
携帯用の灰皿に煙草の灰を落とし、今後の行動を見据えるワッツ。段取りはもう手馴れたもので、ルーティンワークとも呼べそうなほどに確立されている。
「そんなわけでこっちはまだまだ時間かかるぜ。それでも待つってんなら別に構わねえけどよ」
「そうですか。では今日のところは一旦戻ります」
「それがいい。何かあったらここの受付に襲撃の件で俺の名前を出せば取り次ぐように言っとくからよ」
「わかりました。一応、お願いします」
「あん? 一応?」
連絡に必要な計らいに対し、ともすれば不要であるとも取れる発言をしたシンにワッツは眉を寄せる。
彼の疑問を解消するべく、シンは柔らかな笑みと共に、その答えとなる魔法を発動させる。
『連絡手段は、これがありますから』
『! そういうことか……。しかし相識交信を無詠唱で使いこなすたあ、おめえ、堅気じゃねえだろ』
『それは偏見ですよ』
シンの魔法に驚きと感心の混ざった表情で納得したという反応を取り、ニヤリと笑うワッツの憶測を苦笑して否定する。
相識交信は決して難度の高い魔法ではないが、離れた相手とクリアに交信を保つには相応の魔導力が求められる。世間話程度に利用するには労力に見合わず、機密をやり取りするにはジャミングや盗聴への対策も必須ということもあり、その利便性に反して意外なほどに使い手は少ない。遠距離通信には専ら魔導具が利用されている。
そういった特性を持つこの魔法を無詠唱で扱えるまでに練度を高めたのであれば、その使い道は限られてくると考えるのが大方である。
「でなきゃ元国家情報機関員か? よくまだ命があるもんだ」
魔法を解除し口頭での会話に戻す。
ワッツの物騒な推測を受けて監視されていた王国軍のことを思う。襲撃時に空間転移で跳んだのだ。彼らは今頃血眼だろう。疑惑は一層深まり、次に見つかった時の立場もより好ましくないものとなるはず。
憂鬱である。
「それも先入観ですよ。では、また」
「おう、フレシュのお嬢を助けてくれてありがとな。俺からも礼を言っとくぜ」
ワッツの礼に手を挙げて応え、目礼を退出の挨拶に、シンは分厚い防音扉を開けて地下を後にした。
『で、どうだ? 俺達の会話で何か気がつくこととかあったか?』
ワッツとの会話中も交信を切らずにいたデオに話を振る。
相識交信の魔法はそれ単体でその場の音声を通信に乗せることは出来ないが、同時に感覚共有の魔法を利用することにより、聴覚に限り伝達が可能となる。相識交信使用時に伝播する魔力に感覚共有の魔法を相乗りさせる形となるこの手法は、恐ろしく調整が困難な上、他人との感覚共有は脳がその情報量を捌くのに手一杯となり、意識が乱れがちになるので並行作業に向かず、まずこのような使い方はされないが。
『いや、まだ出てきた情報が無いに等しいからなあ……お宅はこれからどうするつもりなんだい?』
『そうだな。前に紹介された情報屋にでも行って、この件に関連することを聞いてみるかな』
『そうかい。それなら俺も欲しい情報があるんだけど、ついでに頼めるか? 代金は後で払う』
『ああ、構わない』
カツン、カツンと靴音を響かせて地上へ続く階段を昇りながら、シンはデオの頼みを快諾する。そこには手間がかからないからという理由のほかにも一つ、意図したことがあった。
デオの求める情報から、彼の思惑や、握っている情報に少しでも近づけるのではという狙いである。
『悪いな。知りたいのはルーパス伯爵家の次期当主、オーム・グローヴナー・ベルグレイヴ。この男の動向についてだ。宜しく頼む』
◇◆◇
――カチ、コチ、カチ、コチ。
壁掛け時計の振り子が一定のリズムを刻んで揺れる。時刻を指し示す針は昼下がり。
灰青の制服を着用した衛兵が調書に走らせていたペンを置き、対面に座る侯爵令嬢フレシュ・ベレスフォードと傍らの妖精フェア、従者リチャードへと視線を向ける。
「では、この事件に関しての質問は以上です。ご協力、ありがとうございました」
「お勤めご苦労様です」
「お疲れ様でした」
「お疲れさまー」
衛兵詰所での聴取は一区切りを迎え、四人はそれぞれ息をつく。
東居住区の衛兵詰所は他地区のそれとは異なりそれなりの広さを備え、奥には簡易的な給湯設備も設けられている。業務に必要なだけの備品ばかりで殺風景になりがちな内装も、気持ちばかりではあるが飾り付けがなされていた。
壁に掛けられた絵画はその存在を主張しすぎないものが選択され、窓際にはワンポイント程度に観葉植物が置かれている。
貴族の関係者が訪れることも多いが故の、最低限の配慮といったところか。
「それでは、もう到着なさると思いますので。それまでこんな場所ではありますが、ゆっくりお寛ぎ下さい。珈琲と紅茶、どちらになさいます?」
「じゃあ紅茶をお願いします」
「わたしもー」
「リチャードも一緒に頂きなさい。命令ね」
「では、私は珈琲を」
主と一緒の場において、従者が同様の扱いを受けることは固辞するのが通例だが、主に命令されては仕方ないとリチャードも衛兵の言葉に甘える。フレシュもその辺りの機微に理解が及ぶようになり、こうしたやり取りも慣れたものである。
三人の答えに衛兵が「わかりました。安物ですのでお口に合わずともご勘弁を」と笑いかけて席を立つのを見送り、肩の力を抜いてフェアと談笑を始めるフレシュ。彼女を見つめるリチャードは実のところ、驚きを禁じ得ない心境にあった。
いつもと変わらないその様子の異常さに。
つい先程、彼女を標的にした襲撃があった。彼女は命を脅かされたのだ。標準的な貴族の少女であれば、恐怖と不安から混乱に陥り思考もままならなくなって、ヒステリーを起こしてもおかしくない状況である。武術と魔法を嗜んでいる事を考慮に入れたとしても、肝の据わり方が普通ではない。
「どうかした? リチャード」
「いえ、フレシュ様の心の強靭さに感嘆していたもので」
「……何を言い出すのよ」
「いえいえ、実際驚きものですよ」
フレシュがジト目になって返すリチャードの感想に、奥で珈琲紅茶を淹れている衛兵が同意する。
「襲撃の被害を受けて間もないというのに、この落ち着きようは」
「フレシュ、強いんだね」
「そう、なのね……」
呟き、ぼんやりと遠くを見つめるフレシュ。その心の内を読み取ることはリチャードには出来ない。
彼女のこの危地へ身を置いた際の胆力が天性のものか、過去の経験に因るものかはわからない。だが少なくとも、そんな条件を満たすようなエピソードはリチャードの記憶にない。リチャードはベレスフォード家に来てからの彼女しか知らない。
フレシュは自分の過去を語ろうとしない。
関心はある。知りたいと思う。しかし彼女の心の過敏であると思われるその場所へ軽率に足を踏み入れようとするほど、リチャードは無粋ではなかった。
そんな思いに傾けられていたリチャードの意識は、コン、コン、コン、という表からの扉を叩く音によって引き戻される。
「ああ、来られたようですね」
茶を配り、衛兵が入口へと足を運び扉を開けると、姿を見せたのは軍服を着た一人の女だった。
「彼女がしばらくの間、警護に当たってくれます。実力は王国軍のお墨付きですので、ご安心ください」
今回の事件を受けて、襲撃が繰り返されることへの懸念からその対策として、王国軍から手練れが警護の任につくという話を受けていた。彼女が当該の人物らしい。
栗色の髪はふんわりとしたボブカットで、その小さな顔に良く似合っている。背丈はフレシュよりも頭半分ほど高く、佇まいからは意識的に自らの無精を隠そうというような気配が感じられた。
こちらへ笑みを向けているが目に見えて薄っぺらく、十人に聞けば十人共が作り笑いであると答えるような笑顔だ。愛想良く振る舞うことは不得手らしい。
そんな「面倒だが仕事だから仕方ない」というオーラを滲み出す女――一応隠す努力はしている――が自己紹介に口を開く。
「ブライトリス王国軍ロイスコット第一師団所属、サイリ・キトラス大尉よ」