33 心満たす悪態
偶然と呼ぶにはあまりにも都合の良すぎる展開だった。
デオからフレシュの監視を頼まれたのはつい昨日のこと。それから一日でこの事態である。関連を疑うなという方が無茶な話だ。
デオは確信が無いような口ぶりだったが、彼の持つ情報とその提供元の信憑性は確かなようだ。となれば、その内容が気になるというもので。
「まあ、こいつらに聞けばわかるか」
高重力の魔法の効果で身体の自由を奪った襲撃者達をちらりと見やる。
ただのごろつきとは違う。体捌きや仲間との連携を見ても、明らかに戦い慣れしていた。恐らく戦闘におけるプロだろう。彼らを五人同時に相手取ったリチャードの技量は見上げたもので、侯爵令嬢の懐刀は伊達ではないというところを印象付けられた。
しかし襲撃という点に関して、彼らの手際はお粗末であると言わざるを得ない。
場所、時間、手段いずれにしても、もっと他に選択の余地があっただろうに。何が理由でこんな形の襲撃となったのか。急ぐ必要でもあったのだろうか、それとも――
「救援いただきありがとうございます。おかげで助かりました」
「ああいえ、無事で何よりです」
剣を腰の鞘に収めたリチャードから礼の言葉を貰い、思案を中断する。
戦いに介入したのは丁度彼が劣勢になるところで、手傷を負う前に間を合わせた。
あのまま続けていたら数で押されてジリ貧だったろうから割って入ったが、出来ることならこの襲撃に関わりたくはなかった。何故なら。
「ありがとうございます、このお礼は必ずします。……でも凄いタイミングよね。まるで機会でも窺っていたみたいに。助けてもらっておいてこんなこと聞くのも失礼だけど、どうやってこの襲撃を予測したのかしら?」
関われば、この質問を受けることが火を見るよりも明らかだったからだ。
「ああ……うん、たまたま、ここを通りがかったんだ……っていうのは無理があるか?」
「無理があるわね」
「無理がありますな」
「あはは、シン、それは流石に無理があるでしょー」
「フェアまで言うか……」
フェアまで含めた三者全員からシンの返答は受け入れられずにかぶりを振られ、仕方ないかと嘆息し、誤魔化すことは諦める。
実際に働いた行為へのばつの悪さからシンは目を閉じ、首を少し傾け、頭を掻きながら白状する。
「本当のことを言うとな、頼みを受けて、昨日から君のことを見張っていた」
「はい? ……え、見張って……って、まさか……監視魔法、で……?」
シンの打ち明けた内容に目を丸くするフレシュ。理解することを生理的に拒んでいる。話を咀嚼し、反芻することで徐々に意識へ落とし込み、認識が深まるにつれ顔が紅潮していく。
フレシュはシンが目にしたであろう光景を想像し、にわかに羞恥心が膨れ上がり、耳まで真っ赤に染めて体を隠すように丸め込んだ。
「あー心配するな。俺は子供の体になんて興味ないから、大丈夫だ」
年頃の娘に対し監視していたなどと言えば、こんな反応になるだろうなと得心しつつ、シンは手を振って取り繕うが。
「わ、私はもう十五よ! 子供じゃないわ! ……って、そういう問題じゃないわよ!」
羞恥に怒りも追加でブレンドされたフレシュが、頭から湯気を立ち昇らせてシンに向かって大声で喚き散らす。
彼女を宥めすかすつもりが逆に火に油を注いだ結果となり、シンは何がいけなかったのかと本気で意外そうな表情を浮かべてたじろぐ。子供と言われたことを躍起になって否定するところなどは、青臭さの塊であるのだが。
「フレシュ様、左様な振る舞いは些か品位と礼節に欠けるかと。グラリット殿は我々の窮地を救ってくれたのですよ」
「う……そ、それはわかってるけど……でもリチャード!」
窘められ気勢を殺がれるが、それでも不満は消えずフレシュは口を尖らせる。それとこれとは話が別だと。そんな腹の虫が収まらない様子のフレシュの肩に、フェアがふわりと腰をかけ耳元で囁いた。
「大丈夫、シンはフレシュの着替えもお風呂も見てないよ。ずっと対象監視をかけていたのはわたしだから」
「え、本当? そうなの?」
「そうだよ。俺が見てたら色々とまずいだろ」
「そう、良かったぁ……」
心の底から安心した様子でフレシュは大きく息を吐き出して表情を和ませる。が、それも一時のことで、直後にはキッと眼を吊り上げ、ビシッとシンに指を突きつけた。
「それならそうと先に言っときなさいよ!」
「ちょっとデリカシー無いよねーシン」
「何で怒られてんの、俺……?」
文句を言われる筋合いがあるのかどうか微妙なところだが、フェアも敵に回し相手側に完全にマウントを取られたこの状態は理不尽なのではないか。
この前のソブリンとの件といい、何かこの少女とはえらく相性が悪いような気がしてならない。
「ところで、グラリット殿に監視を依頼された方というのは?」
これらのやり取りをさらりと流してリチャードが話題を変える。質問の中に知らない名前を聞いてシンは眉を寄せるが、すぐにそれが自分の名乗った家名であることを思い出す。
「……ん? ああ、俺のことか。済みません、家名で呼ばれることに慣れていないもので。出来ることなら、なるべく名前の方で呼んでいただけますか?」
「……左様で? 承知しました。失礼に当たらないのであれば」
「ええ、お願いします」
返事に僅かばかり間があった。胡乱に思われたかもしれない。だがリチャードには既にシンが異変の術者であることを知られている。怪しまれたところで特に不利益に繋がることなどないだろう。
(いや、ベレスフォード家所縁の人間に隔意を持たれるのは望ましくないか……)
打算的な思考に脳のリソースを割いていると、焦れた様子のフレシュが仏頂面を下げて口を挟んできた。
「そんなことより、ちゃんとリチャードの質問に答えて。あなたに私の監視を依頼してきた人って、誰なのよ?」
その解答は先程のシンの独白の中にあったのだが、耳を澄まして聴いていたわけでもない呟きだ。その内容までは、二人共把握出来ていなかった。
「んー……本人に直接口止めされているわけじゃないけど、ここでそれを喋るのは流石に口が軽すぎるだろう」
「何よそれ。頼まれてもいないことにまで気を回す必要があるわけ? 義理立てのつもり?」
「これは相手側に配慮してのことじゃなくて、俺自身のためだ。口の軽い浅慮な人間なんて印象を持たれることを避けるためのな」
「ふーん……私からの印象はすっごく悪いんだけど。それは別にどうでもいいのね」
「何か俺に対してやたら突っかかってくるよね、君……」
シンの返答に不満を露わに睨んでくるフレシュ。纏っていた凛とした雰囲気はどこへやら、今までに見せたことのない目つきの悪さは貴族令嬢の気品や気高さ、淑やかさなどとは縁遠く、依頼人との扱いの差に彼女はどうしようもなく拗ねてしまっていた。
「怒ってる? フレシュ」
「怒ってない。全っ然怒ってないわよ。怒ってはいないけど、むうう……納得いかないわ……」
「フレシュ様、その辺りで」
リチャードがぶつくさと文句を垂れるフレシュを諫める。この光景だけを見れば、従者が仕えるお嬢様の行為を正そうと間に入ったように見える。それは間違いではないのだが、リチャードの意図はそれとはまた別にあった。
フレシュの遠慮のない物言いが、シンの不興を買うことを恐れたのだ。
「シン殿、失礼いたしました」
「いえ、この程度気にされずとも」
圧倒的な力を持つ異変の術者。リチャードが抱くシンに対する認識だ。
敵に回すこと。怒りに触れること。それはどうあっても回避しなければならない。これまでの交流では穏やかな人柄で危うい気配は見せなかったが、それでも何がきっかけで豹変するかわからない。
その感情の変化を見極める為に、リチャードは常に神経を尖らせていた。
(まあ、これが普通だよな)
顔色を窺い、心理的に距離を置く。立場が逆ならシンもそうしていただろう。理解は出来る。とはいえ、一線を引かれ、そこから歩み寄られることは決してないという一抹の寂しさが、心に渦を巻いていた。
相手の脅威を認識しておきながら、物怖じせずに自分の意見をはっきりと口にする知人の中でも、フレシュは何らかの思惑があって近づいてきたであろうデオやレイとも違った、シンにとって貴重な存在なのかもしれない。
(ありがたいこと、なのかもな)
複雑な心持ちでフレシュを見つめる。憎まれ口を叩かれることに充足感を得られるような環境と自分自身に、シンは思わず苦笑を漏らしていた。
「な、何がおかしいのよ!」
「いや済まない、気を悪くしないでくれ。ただ、そうだな……少しだけ、君に感謝していることに気がついてね」
「感謝? 何をよ? ……ちょっと気持ち悪いんだけど」
「それは流石に酷くないか?」
わけのわからないことを言われて、フレシュは気味悪そうに顔を顰め、身を竦ませて後ずさる。
心の状態に温度差があるだろうことは自覚していたが、あからさまに拒絶を示すフレシュのこの反応。とても嫌そうだ。素直な気持ちを伝えたシンの肺腑を無慈悲に抉っていく。やっぱりこの少女とは相容れない定めにあるらしい。
「話を戻してよろしいですか?」
「あ、ええ。度々横道に逸れてしまって済みません」
リチャードに声をかけられ、シンはさっきから全く話が前に進んでいないことを思い出して詫びる。
ただし一つ、それは自分だけの責任ではないと、横目でジロリとフレシュへ視線を送った。
「わ、私のせいだっていうの!?」
「シーンー、今のはちょっと大人げないんじゃないかなー」
「あーあー、悪かったよ」
話を戻すはずが、またもやいのやいのと騒ぎだす三人。
その様子にリチャードは呆れるでも嘆息するでもなく、微かに表情を和ませた。
幾許か自分に対する緊張も緩めたことを察して、これもフレシュのおかげかとシンは自分の心の内を検分するが、その中でもやはり感謝の割合は大きいのであった。
「いいから話を先に進めるぞ。リチャードさん、構わずにどうぞ」
「はい、では……依頼人に関しては黙されるようですが、この襲撃を予見された理由。そちらについてはお答えいただけますか?」
「ああ、そのことですけど、依頼の理由は聞かされていないんですよね、確証が無いとかで。そちらには何らかの心当たりなど、あったりしませんか?」
「全く無いということもありませんが……ベレスフォード家には敵も多いので。しかし、それらが今回の件に直接絡んでいるかと言われると、疑問符をつけざるを得ませんね」
事あるごとに脱線していた話題がようやく本題へと戻り、今回の襲撃に関する考察と情報交換を始める二人。
置いて行かれた形のフレシュは不満顔だが、これ以上話の腰を折り続けることも憚られたようで、喉元まで出かかっていた愚痴やら文句やらを何とか呑み込んで、フェアと共に話の行方を見守っていた。
「ところで、シン殿は理由を聞かされずに監視の依頼を引き受けられたとのことですが」
「……ええ、まあ、そう言いましたね」
今しがたの話の内容を確認し、手を顎に添え「ふむ……」とリチャードは少しばかり思案を巡らせた後に。
「本日はボレンテ殿は、同行されていないようですね」
「あ、それ私も気になってたのよね。あの人、一緒じゃないの?」
「そうですね、彼とは常に行動を共にしているわけではないので」
「デオ、何かいつも用事があるって忙しそうだよねー」
シンとフェアの返答を受けて「成程そうですか」と何らかの察しをつけたようにリチャードが頷く。
どうやら当たりをつけられたようだが、確信を持つには至らないはずであり、リチャードもそこまで踏み込んでは来なかった。踏み込まれたとしてもシンは明言を避けたのだが、彼もそれを理解していたのだろう。
更に、加えて言うのであれば。
「いずれにしろ、彼らから情報を聞き出すのが先決ですね」
穏やかに言葉を発するリチャード。その口調とは裏腹に、地に伏せたままの六人の襲撃者に向けられた彼の瞳には、暗く、冷たい光が宿っていた。