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Lv.グラハム数で手探る異世界原理  作者: 赤羽ひでお
2 意識、感覚、哲学的ゾンビ
33/95

32 表面化する事態

 交易都市エプスノーム東居住区。

 ブライトリス王国四大都市の一つに数えられるエプスノームにおいて中央区画――情報管理区と並んで貴ばれ、洗練された品格の気配漂う治安と秩序の確立された区画である。

 他都市からの上流階級の来客をもてなす壮麗な景観にも、一目で多額の費用がかけられていることが察せられる。

 道の舗装はサイコロ状の敷石がその配置にも趣向を凝らした石畳となっており、ところどころに植樹された緑が洒落の利いた風情を生み出している。川沿いには等間隔で花壇が備えつけられ、花壇ごとに統一された色の咲く花々が来訪者の目を楽しませる構図を作り出していた。

 道の脇の街灯はディテールにも拘りの見られるアンティーク調のデザインで、夜になれば通りの暗闇を小さな灯りが小粋に照らし出し、一つの芸術作品として生まれ変わる。

 立ち並ぶ住居をはじめとした建築物は、各々が立派なつくりであると同時に周囲との調和も考慮され、外壁の塗装なり、窓の形状なり、屋根の色合いなり、細部に至るまである種の統一性を兼ね備えていた。

 そんな東居住区の美観の一つを担う邸宅の軒先。


「どうもありがとうございました」

「では、その折にはご助力のほど、宜しくお願いいたします」

「ええ。当方としてもとても実りあるお話でした。是非とも協力させていただきます」


 邸宅の主と穏やかに挨拶を交わし、踵を返す一組の男女。

 一人は薄萌葱の髪の少女。薄紺色のローブを翻し胸元のペンダントを揺らして、小気味よい足取りで前を行く。

 少女の後ろをついて歩くもう一人は紺色の髪の男。黒のスーツと薄い青のシャツに身を包み、腰には剣を下げている。平均に届かない程度の身長ではあるが肩幅が広く、重量感のある印象を与えてくる。

 貴族令嬢とその従者。二人の関係性が容易に判別出来る装いである。


「良い返事がいただけましたね」

「本当にね。何度も言ってるけど、リチャードが手伝ってくれているおかげよ。改めて、ありがとう」


 くるりと振り返り感謝の言葉を紡ぐ少女――フレシュの笑顔には、まだ少し陰があった。

 先日、ルーパス伯爵家の友人オームに協力を求め断られた際、その関係を失ってしまったことが尾を引いているというのが明確に見て取れる。

 帰宅時のフレシュは気丈に振る舞っていたが、リチャードにはその姿がとても痛々しく映り、献身する主人から託された大切な家族――リチャードにとっても同様――である彼女に対し、かける言葉が一つとして出て来なかった。


「それにしても順調ね。最初はこんなに上手く事が運べるか、ちょっと不安だったけど。きっとベレスフォードの名前のおかげよね」

「勿論、家柄が大前提にあることは間違いないですが、それだけではありませんよ。フレシュ様の行動あってのこの結果です」


 素直に喜んでよいものかと、フレシュは悩ましげに髪をかき上げる。

 孤児院新設の協力者集めは滞りなく進んでいた。

 今までに協力を求めた人物のうち断られたのはオーム一人で、彼を除く全員から是非にと色よい返事を貰うことが出来た。

 フレシュの手前、彼女を立てたリチャードだったが、事実としてベレスフォード侯爵家という家柄の有する影響力には計り知れないものがある。とはいえ。


(些か、順調すぎますね……)


 望ましい結果ではあるものの、合意に至るまでの過程の希薄さを怪訝に思い、リチャードは眉を寄せる。

 フレシュの申し出は、交渉と呼ぶに値しないただの嘆願だ。根回しと言えばそれらしいこともなくはないが、自分の要望を第一に伝えたがる彼女の対話の姿勢はあまりにも浅はかであり、幼く拙い。

 だが、リチャードはその点について問題視してはいない。この協力者集めはフレシュが初めて臨む他者との交渉であり、それが稚拙になってしまうのは当たり前のことだ。

 今回の一連の交渉は、失敗を経験し、経験から学習することで、ベレスフォード家の息女たる彼女の成長を促す一つの機会と捉えていた――勿論、ただ失敗で終わることのないよう、リチャードは都度フォローを入れていくつもりだったのだが。


(私が口を挟むまでもなく、話がまとまっていくばかりというのは、どうも……)


 はじめはそれほどにベレスフォードという名家の持つ求心力が大きいのだと思っていた。末女とはいえベレスフォード本家に名を連ねるフレシュに対し、見返りを求めずに頼みを受けることで彼女から好感を得、それを足掛かりに当主へ取り入ろうとしているのだと。

 しかしそんな不確実な対価を理由に協力を約束してくれるようなお人好しなど、派閥内でもほんの一握りであろう。

 経験もなく思慮も浅い幼い少女が交渉事で優位に立てるほど、貴族の社会は甘くない。だからこそ、リチャードが彼女の後ろについていたのだ。


「どうしたのリチャード? 難しい顔をして」

「……いえ、少々考え事を」


 口を閉ざし眉間に皺を寄せるリチャードの様子を気にかけ、フレシュは振り返ったままの姿勢で後ろへと足を運んでいく。

 思案を巡らせていたリチャードは返事が半ば上の空になってしまったことを省みて、無意識に下へ落としていた視線を持ち上げ、しっかりとフレシュの姿を両の眼に収める。瞬間。


「――――!」


 目にした光景に体が即応し、意識が届く前に足が動き出す。

 地面を蹴り、体を前傾させ、風を切って加速する。

 前触れの無いリチャードの動作にフレシュは驚きと疑問で体が硬直する。が、彼の目が自分ではなくその更に奥へ向けられていることに気づき、一拍遅れて体の反応が戻って来ると同時に振り返って視線の先を追う。

 疾駆するリチャードはフレシュの横を通り過ぎ、左手で腰の鞘を固く握りしめ、流れるように右手を柄にかけ、刀身が鞘走る音を短く鳴らして一息に抜き放つ。


 ――キィンッ!


 金属同士がぶつかる甲高い音を響かせ、リチャードの剣に弾かれた物体はくるくると回転し、放物線を描いて石畳に落下した。


「リチャード!」

「フレシュ様、ご用心を」


 互いの名前を呼び合い、唐突の事態に二人は周囲への警戒を強める。

 リチャードはフレシュを庇護すべく、投擲があった方向から彼女の前を覆うように立ち剣を構えた。


(襲撃? 白昼堂々? しかもこの東居住区で?)


 常識から逸脱したまともでない時間と場所での襲撃に困惑を覚えるリチャード。だが抱いた疑問を考察する暇など与えられず、容赦なく事態は動き続ける。

 奇襲に失敗した襲撃者が今度は自ら得物を手に踊りかかってきた。


 一斉に。


 リチャードの双眼は、植樹や建物、オブジェなど通りの様々な物陰から連携を取って複数の人影が向かってくる様子を捉えていた。


(――数が多い!)


 その数五人。

 同時に全てを受けきるのは無理だ。そう判断したリチャードは連携のタイミングを崩すべく前へ出る。

 まだそれぞれ互いに距離のある襲撃者達。向かって左端の一人に狙いを絞り、間合いを詰めつつ上体をねじって攻撃の予備動作とし――


「――ふっ!」


 意識の集中と無駄なく力を伝達させるための呼吸を兼ねた掛け声を発し、勢いよく右腕を横に薙いだ。

 剣撃を刃渡りの短い短剣で受けようとする襲撃者の男だが、守勢に回った体はリチャードの体重と勢いの乗った力に堪えきれず、短い呻き声と共に後方へ大きく弾き飛ばされた。

 攻撃と同時に下半身に溜めを作っておいたリチャードは、そのバネを使って素早くその場を離脱。直後にその空間を二つの影が横切っていく。

 手応えなく空を切った得物を手に渋い表情を浮かべる二人の男を後目に、リチャードは跳躍した先に向かってきた男へ回し蹴りを叩き込む。攻撃の動作に入っていた男に対し、カウンターとなる形で右足が脇腹へめり込み、あばらを砕かれた男が苦悶に顔を歪ませその場にうずくまる。

 一人の体勢を崩し、二人の攻撃を躱し、一人を戦闘不能にさせたが、リチャードの攻勢もここまでであった。

 残る五人目の襲撃者が間合いに入り、得物を振り下ろす。回避も、いなして切り返すにも不充分な体勢。

 目の前に迫る斬撃を剣を振りかざして打ち払う。ガィン! という硬く鈍い音が生じ、衝撃で肘から先に軽い痺れが走る。その場で受ける以外に選択の余地の無かったリチャードは足を止められ、守勢に回ることを余儀なくされる。

 攻防があった間に体勢を整え攻勢に入る襲撃者達。彼らの猛攻を凌ぐべく、リチャードは感覚を研ぎ澄ませる。その刹那。


「!」


 視界の端に一筋の光が走る。

 銀色に光る鋭利な刃。投擲されたナイフが空気を切り裂いて一直線に突き抜けていく。その先には――


「フレシュ様!」


 連携に加わらずに身を潜めていた六人目の襲撃者が放った凶刃。

 四人の相手に囲まれたリチャードに止める術は無い。

 ただ叫ぶ。叫んだところで何が変わるでもないが、それ以外リチャードに出来ることはなかった。

 リチャードの叫びが無情に響く中、投げられた凶器は軌道を狂わすことなく瞬く間に標的となった少女へと迫り、彼女の白い肌を鮮血で赤く染めるべくその先端を突き立てる。


 寸前。


 突如として空間に現れた光の障壁によって、銀色の刃はフレシュへ届くことなく弾き返された。

 予想外の光景に襲撃者達は目を見開いて驚きの声を上げる。


「何!?」

「魔法!?」


 動揺し動きが固くなる男達だが、その隙を突けるほどリチャードに落ち着きも余裕もない。

 瞬間的に激しい焦燥に駆られ血の気の引いた身体は、驚きと安堵と疑問をないまぜにした心境に囚われ、即座に適切な行動をとるよう脳が命令を下せる状態にはなかった。

 その場の時間の流れが鈍化していく中、変化はフレシュの上空から訪れた。


「やっほー、フレシュ」


 緊迫し、殺伐とした空気を吹き飛ばすように、呆れるほど場に不相応な陽気な声がこだまする。

 フレシュ、リチャード、そして六人の襲撃者全員の視線が集まる先。そこに宙を舞う小さな姿があった。

 淡い桃色の髪から突き出した耳は先端を尖らせた特有の形をしており、橙色の大きな瞳は不純物の濁りのない無邪気な輝きに満ちている。

 背中から生えた二対の羽はうっすらと青みがかって透きとおり、手のひらサイズの小ぶりな体を重力に逆らって中空に留めておくために、ひらひらと動いて空気を撹拌していく。

 装いはライムグリーンを基調としたドレス。薄手で丈は短いが肌の露出は控えめな衣装に身を包んだその姿は、あどけない幼さと神秘的な清澄さが同居し、まるで幻想を具現化したような魅力を湛えていた。


「久しぶり♪」

「フェア!」


 物騒な事件など何も無かったかのように、満面の笑みでフレシュとの再会の喜びを表現する妖精――フェア。

 異変のあった翌日にスラムからの帰路で護衛をしてくれたという話をフレシュから聞かされてはいたリチャードだが、その時には何事もなかったらしく、特に意識することもなかった。

 だが実際にその実力を目の当たりにして瞠目する。無詠唱で座標照準も正確に硬度の優れた空間障壁の魔法。それを児戯にも等しい手軽さで扱ってのけていた。一瞬だけではあるが、垣間見えた彼女のその手腕は、低く見積もっても熟達した魔導士の域に相応していた。


(流石に異変の術者のパートナー。並大抵ではないですね)


 ふと頭をよぎった感想に、はたと気づかされる。

 そうだ、彼女がこの場にいるということは、その連れであるあの男も――


「――おいおい、このタイミングで襲撃とか、マジか」


 誰に向けたわけでもない呟きが、リチャードの意識を引き寄せる。

 目を向けた先には黒髪黒目の凡庸な男。ただしそれは外見に限った話であり、男の身に備わる力は凡庸という言葉とはかけ離れたところにある。

 男に目を向けたところでリチャードは周囲の状況の変化にようやく気がつく。今まさにリチャードと刃を交えていた襲撃者達だ。彼らは一人残らず目に見えない強い力によって体を押さえつけられ、地に伏していた。

 高難度魔法、高重力。男はそれを六人の襲撃者それぞれピンポイントに範囲制御まで賄った上で行使していた。至近距離にいたリチャードに気取られることなく――そしてその隠密性は特に意識されていたわけでもなく。

 尋常でない。

 とはいえ、それは男の仕出かしたことを思えば今更な話というものだ。

 ブライトリス王国及びその周辺国を震撼させた巨大魔法陣、エプスノームの異変。その当事者――シン・グラリットは、周囲の意識を一身に集めながらも、何かを訝しむように片眉を上げ、独白を続けた。


「デオの奴、何を知ってやがるんだ?」

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