31 茶番の裏の腸
「もうそろそろ終わりにしてほしいもんだ」
エプスノームでのお気に入り第一号となった食堂で昼食をとりながら、シンは向かいの建物から漏れ伝わる気配にげんなりと愚痴をこぼす。
王国軍からの監視が始まり一週間が経過した。
一週間程度で撤収するような案件でないことはわかっていても、四六時中他人から視線を浴び続ける状況に、精神は徐々に削られ磨り減ってきていた。このままではいずれ忍耐が底をついてしまう。
「んー、一週間じゃまだ終われないんじゃないかな?」
「ですよねー」
シンの認識を後押しするフェアに、諦めと自棄を込めて同意の返事を送る。結果、棒読みとなる。
長期戦を覚悟したものの、予想していたよりも精神への負担は大きかった。正直しんどい。ちょっと甘く見ていた。舐めていた。王都の腕利きが見張り番だった昨日と比べたら、今日はまだマシなのだが。
「落ち着いて飯を食えるようになるのは、いつになることやら……」
「でもでも、あっちは見てるだけだし、ごはんは普通に食べられるよ」
「いや無理。俺はそこ、鈍感になれねえよ」
シンはどちらかといえば繊細な方だ。人並に人目は気にするし、人並に他人にどう思われているかも気になる普通の人間だ。
誰かに必要以上に注視されている状況を意に介さず、普段通り食事をとれるような胆力は持ち合わせていない。
「あはは、シン、それだとまるでわたしが無神経みたいな印象になっちゃうね」
「…………」
「あれ? シン、何でよそ向くの?」
冷や汗を垂らし、無言で顔を背けるシンに、フェアは無邪気に問いかける。
声は聞こえてるはずなのに反応のないシンに対し、首を傾げ、疑問符を浮かべ、「ねえねえ、どうしたのー?」と、フェアは正面に回り込む。が、その都度シンは首を回して小さな妖精と目が合うのを避け続けた。
「そんな風に邪険に扱ってるんなら、フェアは俺が貰っていきますね」
「あん?」
ごく自然に、当たり前のように、馴染んでいるかのように発せられた軽口がした方へ、シンは顔を向ける。
そこに立っていたのは黒髪黒目で整った顔立ちの青年。腰に手を当て、リラックスした佇まいをしている。親しい間柄でなくとも気楽な感覚でフランクに接してくる冒険者だ。
「……お前か。却下だ。帰れ」
「あ、お姉さん、焼き鮭定食一つ!」
「当然のように勝手に相席してくんじゃねえ!」
シンの即答を無視して席に着き、しれっと注文していく男――レイ。店員の女性が注文を受け「はーい」と営業スマイルを返していく。
不都合な言葉は耳に入れない態度のレイに文句――というよりも突っ込みを入れ、シンは諦めたように嘆息する。
「……ったく、何の用だよ?」
「そりゃ勿論フェアに会いに。フェアと戯れに。フェアを愛でに」
「うわあ……」
瞳をギラつかせ、臆面もなく煩悩を曝け出し、ストレートに欲求をぶつけてくるレイ。
身の危険を感じ、ぶるっと体を震わせたフェアがピューっと逃げ出してシンの陰に隠れる。デジャヴ。天丼か。
「ででーん。フェアに拒否られた。選択失敗、ゲームオーバー。うし、帰れ」
「そんなもん秒でリトライだっ!」
「残機がありません。スタート地点へ強制送還」
「行動選択式シナリオ分岐アドベンチャーで残機システム!?」
茶番を演じる二人。
何だかんだでレイの相手をしているシン。その時点でもう相手のペースに嵌ってしまっている事には気づいていない。
「お前今日は仲間は? 一緒じゃないのか?」
以前会った時に一緒だった人物を思い出す。
控えめな少女ネリーと、赤髪の巨漢フェルボート。
彼女らがいてくれれば、レイの暴走も多少なり抑えてくれるんじゃないかと期待するが。
「いーや、今日は俺一人だ。……うわー、すげー嫌そうな顔」
希望は儚く消失。現実は酷である。
「俺達とのイベントには仲間の存在が不可欠です。必須条件です。フラグが立ってません。てなわけで出直して来い」
「フラグってのはへし折るためにあるんだぜ?」
「立ってねえっつってんだろ!」
人差し指を振って、チッチッと得意げに的外れな主張をしてくるレイ。うぜえ。立たせたいはずのフラグをへし折ってどうするつもりなんだこいつ。
「そっか、今日はネリーは一緒じゃないんだねー。残念」
レイに対する免疫を早くも獲得したらしいフェアが、シンの陰からひょこっと姿を見せる。流石はコミュ力モンスター。身の危険を感じた相手にすら親しめるとは恐れ入る。
「ああ、昨日依頼を終えたばかりでね。今日はそれぞれ自由行動。そうそう、フェアに会いに来たついでに、こないだの返事も貰っておこうか。どうだ?」
返事というのはシーカーチームへの勧誘のことだろう。確かにこの前の別れ際、次会う時に答えをという話だったが。
「お前、俺達の現状知らねえだろ。今抱えてる問題が片付くまでは保留にさせてくれるか?」
異変の当事者である疑いをかけられ監視されている現状では落ち着かない。またこのレイという男の考えも依然把握出来ていない。そして何より仮にチームに加入することになれば、仲間となる者達に迷惑がかかってしまう。それは流石に心苦しい。
「あー、そういや何か見張られてるよな。もしかしてお前さん、異変起こしたことがバレた?」
今までと同様のノリで、世間話を続けるような感覚で、レイは無造作にどかどかと核心へ足を踏み入れてくる。
監視されていることも最初から知っていたようだし、シンが異変の術者であることも当たり前のような物言いだ。
何より異様なのは、異変の術者に対する警戒だとか、気構えなどが全く見られないことだ。今まで接してきた相手が皆少なからず抱いていた術者に対する緊張感が、この男からは欠片ほども伝わってこないのだ。
「何で俺が異変起こしたこと前提の話になってんだよ!」
シンも表向き今まで通りのノリで突っ込みを入れる。
単なるカマかけの可能性もある以上、心の内の疑念や戸惑いを表に出すわけにはいかない。
「だってそうだろう?」
証拠を出してくるでも理屈をこねるでもなく、「何かおかしなこと言ったか?」とでも言いたげな当然感を前面に押し出して確認の言葉を投げてくるレイ。以前偽名を使った時と同様、間違いなく確信を持っている。
一方で、こちらも確信を得たものがある。レイがプレイヤーであることだ。さっきの茶番、現代日本の話題に乗ってきたことで裏付けられた。
そしてそれが不可解であり恐ろしい。
この男は腹芸をしていることは明白なのに、それを全く感じさせることがない。表情も、声も、仕草も、雰囲気に至るまで、全てが自然体。そんな絶妙な演技をしている上で、疑惑を生み出すような話題にまで自ら飛び込んできているのだ。
素性を隠すための演技をしながら、進んで素性を晒そうとしている。最早意味がわからない。
警戒心の無い一見――いや、割と注意深く観察しても無防備に見えるその振る舞いに、こちらの猜疑心まで薄れてしまいそうになる。
まるで眼前に白く立ち込めた霧のように、輪郭を捉えられず掴みどころのない底の知れない不気味さが、このレイという男を覆っていた。
デオや王国軍よりも、本当に注意を払うべきはこの男なのかもしれない。
「よっし、そんじゃあ問題解決のための提案その一、自首からの脅迫。『俺に関わるな』ってな感じで。どうよ?」
「あ、何かそれカッコいい!」
「自首って何だ! 証拠も無しに犯人扱いすんじゃねえ!」
レイはあくまでも調子を変えず、フランクに接してくる。そのマイペースにフェアも取り込まれてしまったようだ。
会話は出来る限り失言を出さないよう気をつける。言質を取られ弱みを握られないように。
「提案その二、侵入からの脅迫。背後をとって『いつでもお前を殺せるんだぜ』のアサシンスタイル」
「おおー! それもカッコいい!」
「脅迫以外に選択肢はねえのか!」
「監視やめさせるのにそれ以上に有効な手ってあるか? 時間がかかるのは無しで。意味ないしな」
目的がシーカーチーム勧誘への返答をもらうことなら、確かに時間がかかる手段は価値が薄いだろう。が、それはあまりにも自分本位過ぎる。
「いや思いつかねえけど、ダメだろ。道徳的にも、倫理的にも」
「倫理観なんてのは、地域や時代と共に変わっていくもんなんだぜ?」
「ほーう、じゃあ今この場でのお前の倫理観なら脅迫はセーフなんだな?」
したり顔で自分の博学多識――だと本人は思っているようだ――ぶりを披露してくるレイ。うぜえ。脅迫が許される倫理観てどんなだ。
「お待ちどうさまでーす」
「あざまーす」
「聞いてねえなこいつ」
シンの指摘は運ばれて来た料理によって、彼方へと流れ去り無かったものとなる。
注文の品は焼き鮭定食。中近世欧風ファンタジーの世界で和定食は何とも浮いた感じが拭えない。この食堂が特別東洋風というわけでもなし。さりとてここ識世は日本人向けのゲームが融合した世界であると思われ、日本人に馴染みの深い料理は多い。箸も常備されている。ある意味和洋折衷。もう慣れた。
定食にがっつくレイをジト目で見やってから、シンは手を頭の後ろで組んで体重を椅子の背に預け、ギシリと木製の椅子を軋ませた。
「そもそも俺を勧誘する意味ってあるのか? 何かお前ら等級持ちらしいじゃねえか。要らねえだろ、俺」
「お? 何だ、もしかして調べたのか? 俺達のこと」
「いやまあ結果的にはそうだけど、調べようと思って調べたことじゃねえな。別の調べ物してる時についでに入ってくる情報が多少あったってだけだ。結構有名みたいだな、お前ら」
主にここ最近の識世で起こったこと――時事を漁った時に得られたものだ。
こんな風に話題を振っていける程度には知識を備えられたことにシンは一定の満足を覚える。一週間でそこそこマシにはなってきたようだ。
「へーそうなの? わたしは知らなかったけど」
「そうだな、フェアには言ってなかったな」
当然ながら図書館で調べたことを全てフェアと共有しているわけではない。というより、共有している情報は必要最低限のことが大半を占める。重要度の低い枝葉末節まで共有する必要はない。
「何だよ! 言ってないのかよ! 調べたんならフェアには教えといてくれよ! 輝ける俺の英雄譚を!」
「うるせえ! 知るか! お前個人の情報は何一つねえよ!」
恐らくフェアから憧憬の眼差しを向けられることを期待していたのだろう。身振り手振りで喧しく必死に訴えてくるレイ。食事中に騒ぎ出すんじゃねえよ。
それに大した情報は持ってない。所詮は副次的に拾ったものなので、知っているのは表面的なところだけだ。
「ええっと、シーカーチーム『トリックスターズ』。三等級の四人組。エプスノームに四組しかいない等級持ちの一つで、リーダーの名前はアシュトン・ロメロ。俺が知ってるのはこんなとこだぞ」
こめかみを指でつつきながら記憶を絞り出す。
この短期間で仕入れた情報が多すぎて、緊要でないものをすぐに思い出すことは困難だ。手当たり次第に情報をむさぼるのも考えものだな。記憶の許容量を超えてしまっては元も子もない。
常識的なことであれば生活していく上で自然と入ってくるものだろうし、その都度反復学習して徐々に馴染ませていけばいいかとも思うこの頃である。
「へえー、このおっきな街で四組しかいないんだ。レイって実は凄いんだね」
「だろ? だろ? フェア、見直した? 惚れた?」
「おーいフェア、あんまこいつ調子に乗せるなよー。どうせ凄いのは仲間達ってオチで、お前は一人足引っ張ってたりするんじゃねえのか?」
「そんな! ことは! ない!」
疑いの眼差しを向けるシンに対し、拳を握り、一言ごとにポーズを決め、力強く否定するレイ。
シンが目を通したトリックスターズの記事には、リーダーとチームのメインアタッカーであるネリーのことしか載っていなかった。あのおとなしげな少女が三等級チームのメインアタッカーを張っているという事実には、多少なり驚いたものだ。
「……まあ何にしろ、返答は事が収まった後だ。もうじきに落ち着いてくる頃だろ」
軽く息を吐き、願望も込めてそう伝えるが。
『どうかな。一旦落ち着きかけた頃が、一番危うい時期でもあるんだぜ』
「!」
突然相識交信の魔法を使ってレイが意思を伝えてくる。
真面目な語り口調で今までとは雰囲気も一変し、二人の間の空気を緊張感が支配する。
『……何だ、何か知ってんのか、お前』
『ああ。なるべくこうして他人に聞かれないよう密やかに話をした方が好ましいな。何つっても――』
キラリと眼を光らせて真っ直ぐにシンを見据えてくるレイ。
恐らくシンの知り得ない何らかの情報を持っているのだろうが、どうにもこのレイという男は腹が読めない。
この場に居ない誰かに会話の中身を抜かれないよう、同時に情報遮断系の魔法を複数重ねる用心深さもさることながら、それらの魔法を何の気もなしに全て高等技法である無詠唱でやってのけている。元より警戒はしていたが、改めて侮りがたい人物である。
シンはごくりと喉を鳴らし、気を引き締めてレイを見つめ返し、彼の次の言葉を待つ。
『――重大な秘密をやり取りしてるみたいでカッコいい感じがするだろ?』
「子供のごっこ遊びでもしてんのかてめえは!」
盛大な肩透かしを食らって声を荒らげると同時に、ダァン! と勢いよく拳を机に叩きつけた音が食堂に響き渡る。
「え? 何? どうしたのシン?」
「……この頭の残念なやつに聞いてくれ」
「ごっそさまでーす」
「聞いてねえなこいつ」
魔法での会話に参加していなかったフェアが、シンの突然の挙動にビクッと驚いて慌てふためく。
気力をなくし、無意味な疲労感に額を抑え、力なく嘆息してシンはレイを指し示すが、当人は手を合わせて食事終了の挨拶を気持ちよく済ませているところだ。
「ま、返事が聞けないんじゃ仕方ないな。全部収まったらもう一回聞きに来るとするか。んじゃまた」
「またねー」
軽い挨拶の後「あ、これ飯代な」と定食の代金を置いてレイは店を出ていく。
この接触でも彼が何を考えているのか、何が目的なのか、シンには一つとして理解はおろか推測することすら出来なかった。
「何なんだあいつは……」
「それでシン、その話どうするつもりなの?」
レイという人間の理解に苦しみ呻いているシンに、宙を舞うフェアが後ろ手を組んで腰を折り、下から顔を覗き込み質問する。
「そうだな……今のところだとどうにもリスクが気になるからなあ……」
「じゃあ、断っちゃうの?」
「まあ、そうなるかなあ……」
心底残念そうなフェアの表情に心が痛む。
以前からフェアはシーカーチームで探索したいと熱望していた。彼女の願いを無下にしたくはないが、レイという得体の知れない男に対するリスクを考えると、とてもではないがチームを一緒にする気にはなれなかった。
フェアの要望に応えられない後ろめたさに、シンは大きく溜息を吐く。と。
「何だい、長いこと監視されて、流石に気が滅入ったか?」
声をかけられ顔を上げた先にはこちらを見下ろす長身の男。くすんだ赤髪と眠そうな目で気だるげな雰囲気だが、反して中身は意外としっかりしていることをシンは知っている。
彼――デオ・ボレンテは、レイに比べ数段与しやすい相手なだけに、気も楽になるというものである。
そろそろ馴染んできた知り合いの登場に、フェアが「やっほー、デオ」と愛嬌たっぷりの笑顔で陽気に迎える。
「ああいや、そうじゃないんだが……そうでもあるか。……くっそあんにゃろ、人の疲労感を倍増させていきやがって」
「ん? 何を言ってるんだ?」
「こっちの話だ」
「デオ、今日は用事は無いの? もう終わったの?」
デオとは毎日のように顔を合わせてはいるが、常に一緒にいるわけでもない。というのも、毎日何かしらの用事で都市内を飛び回っているらしい。忙しないことだ。
「ああ、その途中でちょっと気になる情報を仕入れてな……一つ頼みを聞いてくれるかい?」
「気になる情報?」
「確定事項じゃないから内容は伏せる。もう少しきっちりと裏を取りたい。頼みってのはその間の保険的な意味合いだ」
少しばかり剣呑な気配を漂わせ、ゆったりとした動作で席へつくデオ。
中身の見えない話題ながらも、真っ当に話が出来ることへのありがたさに心が落ち着く。レイとはえらい違いだ。
「その頼みっていうのは?」
デオには色々と世話になっている。邪険には出来ない――たとえそう思わせることが今までの厚遇の理由であったとしても。
「前に南西居住区で会った娘、憶えてるか?」
「ああ、あの子か」
「フレシュのこと?」
間を置かずにポンと出て来る程度にはインパクトのあった少女だ。
凛とした空気を纏い、行き場のない子供達を案じていた少女。確かにデオが気にかけていたな。
「ああ。あの娘、実は侯爵令嬢でね。ベレスフォード家の末子っていう身の上なんだが……」
「おいベレスフォードって……マジかよ、折り紙付きの大物じゃねえか」
まだ識世について齧った程度の知識しか持ち合わせのないシンだが、知識補充の最中、政治と経済の分野において多大な影響力を持つ由緒正しき侯爵家に関連した文書は、枚挙に暇がなかった。
デオが名前を確認した時、挙動が怪しかった理由はそれか。ただそれは仕方のないところだ。治安の悪いスラムで初対面の連中相手に、自分はベレスフォード家の娘だと馬鹿正直に名乗るほど、頭がお花畑ではなかったというだけの話だ。
「綺麗だったもんねー。フレシュがどうかしたの?」
華美というには程遠いが、清楚で気品溢れる彼女の装いを思い浮かべたフェアが、憧れに目を輝かせながら尋ねる。
「まあ、さっきも言ったように詳細は伏せるが、後手に回りたくはないんでね」
デオはそこで一つ呼吸を置き、真剣な面持ちでテーブルに身を寄せ、シンとフェアそれぞれと視線を交わした後、声を潜めてその要望を伝えてきた。
「しばらく、彼女を監視してもらいたい」




