30 感情と思惑と利害
「……どこまで知ってるのかしら? 私達のこと」
「あー、そこそこ興味がわいて探ってみたんだけどよ、思いのほか結果は芳しくなかったな」
多くを知られていては問題だ。自分達の能力は初見殺しとまではいかないが、相手に予備知識があればアドバンテージを大きく損なうものが多い。中でもアファーマーとエクスクルーダーの二人は特に。
その懸念は少なく済みそうな紫竜の返答に、サイリはとりあえず安堵する。
「誇っていいぜ、お前らの情報秘匿性は中々のもんだ」
「それはどーも」
「俺が手に入れた情報は三人だけだ」
デュークは指を三本立て、一つずつ示していく。
「一人目はマニピュレーター、サイリ・キトラス……お前だな。二人目がオブザーバー、ラクター・チェンバレン。そんで最後にお前らナインクラックの頭、クラッカー、アラン・ハサビス。これで三人だ」
その程度ならば想定内と、サイリは内々にほくそ笑む。
オブザーバーはその能力自体が事件の引き金となった。主人の異称はその際に明るみになったが、能力は今も伏せられたままだ――尤も、当事者達は何かしらの知見を深めているようだったが。
自分の能力が漏れ伝わっているのは自分の責任だ。事件の際、自制も仲間を待つことも出来ずに激高した挙句、手の内を晒して返り討ちにあった自分が全て悪いのだ。
過去の愚行の反省は――当時散々したので――そこそこに、幾分緊張を緩めたサイリは、余裕が出来たことで別のことが気にかかっていた。
(ナインクラックね……)
ナインクラックという自分達の呼び名だ。その呼称にサイリは納得しているわけではなかった。
いや、サイリだけではない。仲間達の誰もが思っていることだろう。
敬愛する主人と自らとを一括りにされ、極めて畏れ多く、不相応も甚だしい名称であると。
しかし慈悲深く寛容な主人は「いいじゃないか」と笑って許容された。元より存じてはいたが、その懐の深さに改めて感嘆した一件である。
主人が許容されたことで、この名で呼ばれることに表立って反発する者はいなくなった。とはいえ、身に過ぎるという思いが取り除かれたわけではない。
そして自分達を最初にこの名で呼び、周りに広めた人物が魔王シガーであるということが、サイリ達の不満を増幅させる大きな要因ともなっていた。
なぜなら、ナインクラックという名称を相手側に当て嵌めると、魔王と魔臣達を混同したものと同義になるからだ。悪質だ。器の小さいことだ。故意でないというのであれば、浅慮この上ない話だ。
「けどよ、ナインクラックって呼び方は適切じゃねえよな。エイトクラックの方がしっくりくるだろ?」
そんなサイリの心境など意識してはいないだろうデュークの意外な認識に、多少この男の評価を改めるべきかと好感を持ったのも束の間。
「何せもう、オブザーバーはくたばっちまってて、この世にいねえってんだからなあ?」
「――――ッ!!」
筆舌に尽くし難い陋劣な悪意を詰め込んだ言葉と嗤笑に、刹那でサイリの全身の血液が沸き立つ。
爪が食い込むほどに拳を握りしめ、割れ砕きそうなほどに奥歯を噛みしめ、鬼のような形相で目の前の愚劣という表現すら生温い痴れ者を睨みつける。
「へえ、いい殺気放つじゃねえか。魔臣共にも見劣りしねえぞ」
サイリの威圧を正面から受けても涼しい顔で、余裕たっぷりにコメントする紫竜。
みだりに心に侵入し、嗤って傷を抉って行く紅紫の竜へ、烈火の如き激情が雪崩を打って押し寄せる。
赤竜が死没している彼らへの「それならそっちは七彩竜じゃない」という月並みな返しすら思いつく余裕は失われ、怒りが、苛立ちが、不快感が、サイリの感情を根こそぎ支配していく。
「……喧嘩を売りに来たのなら、そう言いなさい」
一つ大きく息を吐き、怒りに震える自らを制し、斬りかかりたくなる衝動を辛うじて堪え、紙一重のところで冷静さを保つ。
今の状態で戦闘になれば、サイリに勝ち目は露ほどもない。
いずれ必ずこの慮外の代償は払わせると胸に誓い、低く圧し殺した声で喉を震わせる。
「いやそんなつもりはねえよ? けどわりいな、こいつは俺の性分なもんでよ。改めるってのはどうにも出来そうにねえ」
肩を竦め、一応詫びとなる言葉を使うものの、無反省をこれ見よがしにひけらかすデューク。
「だから許せと?」
「別に許して貰おうなんて思ってねえよ。お前が俺をどう思おうと勝手だ。どうだっていい」
心の底から興味なさげに顎をしゃくってサイリを軽侮し、「それよりも」とデュークは話を移す。
「話の続きだ。お前の『精神簒奪』なら、お前の存在を術者に気取られることなく突っかけることも楽に出来んだろ?」
「……協力すると、思ってるの?」
耳を疑う。思考を疑う。感覚を疑う。この流れを作っておきながら、まだ話し合いに応じると思っているその神経を。
図太いどころの話ではない。狂っている。破綻している。そう思わなければサイリの理性は爆ぜてしまう。
人をここまで嘲弄しておいて。人をここまで不快にしておいて。
「――馬鹿にするのも大概にしなさい!」
無礼で、不遜で、厚かましいマゼンタドラゴンに、猛り燃え盛る感情を乗せ、鋭く尖らせた怒声を叩きつける。
腹立たしい。実に不愉快だ。この男が口を開く度に、一つ言葉を紡ぐ度に、サイリの苛立ちは加速度的に増していく。
「そう言うと思ってよ、一つ手土産を持ってきてんだよ」
「知らないわね」
もう遅い。もう手遅れだ。
もうこの男と交わす言葉などありはしない。
手土産などという甘言でサイリの気を惹くことは最早敵わない。
鼻を鳴らし、会話を断ち切って踵を返し、不快な紫竜のにやけ面を視界から払いのける。
「いいのか? こいつはお前らの悲願に大層役立つと思うんだけどな」
「!」
踏み出した足が止まる。
一刻も早くこの場から、この男の前から立ち去ろうと心に決めた直後だというのに。
こうまで弄ばれておきながら、その言葉を無視することの出来ない屈辱に歯を軋らせる。
「……聞いてあげるから、言いなさい」
せめてもの抵抗として、不愉快な紫竜の面を視界に入れてなるものかと、振り返ることはせずにサイリは背を向けたまま応じる。
「こいつが誰だか、知ってるか?」
空間投影の魔法を唱え、設問するデューク。
振り返らざるを得ない状況を作り出したのは、デュークからしてみれば特に意識してのことではないだろう。
だが、ささやかな反抗すら挫かれた形となったサイリにとって、鬱積する感情は言葉に余るものであった。
(いちいち気に障る……)
不承不承振り返り、空間上の静止画へ視線を飛ばす。
映し出されていたのは一人の少女。装いからして身分の高さを窺わせる。
ゆったりと纏った薄紺色のローブは着慣れた感じがするにも関わらず、目立った皺や汚れも無く卸したてのような清潔さが保たれている。胸元のペンダントに嵌められた宝石は透明度の高い青と緑が絡み合い、陽の光を受けてその存在を強くアピールするように煌びやかな輝きを見せる。
セミロングの髪は新緑の若葉を彷彿とさせる薄萌葱で、意志の強そうなブラウンの瞳とも相まって凛とした空気を生み出していた。
(この子は、確か……)
見覚えはあったがすぐには思い出せない。
サイリのエプスノームの知人は、同業以外だと数える程度しかいない。見覚えがあるということは、覚えておくに値する都市におけるそれなりの重要人物又はその関係者ということになる。
見た目の雰囲気からして有力貴族の娘だろうと当たりをつけ、埋もれてしまった記憶を掘り進める。
いくらか記憶の海を潜り続け、条件に合う情報を探り当て、引き上げる。
「……ベレスフォード家の、末女……フレシュ・ベレスフォード?」
エプスノーム地方から西方一帯を領地に持つ大貴族ベレスフォード候。自らが筆頭となる派閥を持つ彼は、確かに交易都市エプスノームの最重要人物の一人――都市内に住んでいるわけではないが――だ。が、末女ともなれば重要性の割合はたかが知れたものである。
「お、知ってたか」
「この子が何なのよ」
一秒たりとも長くこの男と会話をしていたくないサイリは、苛立ちを露わに、刺々しく先を急かす。
「こいつはベレスフォード本家の人間なんだが、ハーシュの名を持ってねえ。これも知ってたか?」
「ハーシュ?」
中間名だろう。
貴族というのは、洗礼名やら母方の性やら先祖の名やら、何かにつけ名前に組み込みたがる。サイリには全く関心のない慣例だ。
「ベレスフォード家の習わしってやつだ。本家と分家の区別を明確にするために、本家の人間にだけハーシュってえ名前を名乗らせてんだよ」
「あっそ。どうでもいいことを知ってるのね」
回りくどい話の展開が意図的に思えて神経に障る――いや、神経に障るのはそれ以前の問題だ。
最早デュークという男の一挙手一投足、発言の一つ一つが、サイリの感情をかき乱すものとなっていた。
その都度悪態をついて毒を抜いていかなければ差し支えるほどに。
「長く生きてりゃあどうでもいい知識だろうが興味ねえことだろうが、外から勝手に入って来てそれなりに蓄積されてくんだよ、小娘」
サイリの苛立つ姿など寸分たりとも気に留めず、今まで通りのにやけ面で上から目線の煽りを入れてくる、千年の歳月を生きてきた八彩竜の紫。
「……話を続けなさい」
腕を組み、目を閉じ、顎を引いて、サイリは何とか憤りを抑え込む。
「で、この娘がハーシュの名を持ってねえ理由、わかるか?」
「いちいち話を振って来ないでさっさと続きを言いなさい」
目を吊り上げ、タンタンと爪先を鳴らして更なる苛立ちを発露するサイリ。
「つまんねえ奴だな……まあいい。フレシュ・ベレスフォードがハーシュの名を持ってねえ理由は、こいつが養子だからだ」
(養子?)
怪訝に思い眉根を寄せる。
ベレスフォード家が養子を育てる必要性がわからない。子供が少ないわけでもなし。本家であれば尚のこと。
だが貴族が養子を迎える理由は多岐にわたる。サイリの想像の及ばないところで何かしらの思惑があったのだろうと、深く考えることは放棄する。興味もない。
「養子ってことはつまり、こいつの血縁関係はまた別にあるってわけになる」
「当たり前のことを言って逐一話を区切るんじゃないわよ」
「わかってねえな。当たり前でも、ここが重要なとこなんだぜ……この娘には、養子に引き取られる前から持っていた家名があってな」
紫竜の雰囲気が気持ち変化する。
相変わらずの不快なにやけ面ではあるが、その内面の方向性が違う。この場の何かを楽しんでいる。
何を楽しんでいるのか――それはサイリの反応だった。
次に与える情報で、サイリがどんなリアクションをするか。デュークはその一点のみに、邪な好奇の欲求を向けていた。
「フルネームを教えてやるよ」
そんなデュークの心の内を見透かし、思惑をふいにしてやろうという腹積もりであったサイリは。
「フレシュ・アンリ・ベレスフォードだ」
聴覚が受けた情報を脳が解析し、それの意味するところを理解した瞬間――
全ての思考が活動を止め、目を見開いて絶句した。