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Lv.グラハム数で手探る異世界原理  作者: 赤羽ひでお
2 意識、感覚、哲学的ゾンビ
30/95

29 狂気の悪計

「変わりなしね」


 一日の中、太陽が最も高い位置に陣を取る正午。

 サイリ・キトラスは監視対象が食事をとる光景を眺めながら、頬杖をついて倦怠感を露わに呟く。


「はい。ですが対象が、いつ、どこで、どのような行動に移るかわかりません。もしあの男が本当に異変の術者であれば、我々の想像もつかないような威力の魔法も扱えるわけですし、気を抜くことは出来ません」


 対象のいる食堂から通りを挟んで向かいに位置する喫茶店。サイリと共に監視を遂行する二人の兵士のうちの一人がハキハキとした口調で、客観的に考えれば当然であることを主張する。

 二人の兵士はエプスノームの所属ではなく、王都から派遣された臨時調査隊の一員である。サイリの直接の部下というわけではないが。

 というよりも、サイリ達武傑特務の隊員には直属の部下など存在しない。任務に人手が必要なら、場面に応じて必要な人員を要請することが可能である。部隊外との橋渡し役は隊長であるウォルフ・ハンナバルト大佐が一手に担っている。


「気を張り続けてると集中力がもたないわよ」


 サイリは億劫そうに嘆息して兵士に告げる。

 緊張感を持って監視に臨んでいた実直な兵士はサイリの熱のない態度に釈然としない様子で「はあ……」と生返事を返し、この上官は大丈夫なのかと不安げに視線を送る。されどそれ以上を言葉にすることはなく、仕方なしといった面持ちで再び監視に集中し始めた。

 監視対象の男の名前はシン・グラリット。妖精を連れていること以外には特に目立った特徴もない男だ。

 監視を始めてから一週間になろうとしているが、特段変わった動きは見せない。毎日図書館に入り浸っていることが普通かと問われればそうとは言えないが。

 実際軍の中にはその行動を胡乱に思う者も散在する。一体何を熱心に調べているのかと確認してみれば、歴史であったり地理であったり文化であったり時事であったり魔導であったり仕舞いには観光案内であったりと、その内容にまるで一貫性が無い。

 この男は監視を引き付けるための囮ではないかという意見にも、それなりの説得力が生まれてくる始末である。


(無意義な時間……)


 軍とは別の情報源から男の素性を把握しているサイリは、彼の行動理由も容易に想像出来ていた。この世界についての知識の補充だろう。

 男はこの世界――識世に転移してきたばかりのプレイヤーだ。世情に疎ければ不都合も多くなる。識世に早く馴染むためにも、色々と見識を深めておくべきであろう。

 二人の兵士はそんなことは知る由もない。サイリもこの情報を開示するつもりはない。あくまで異変の当事者である疑いをかけられた人物のうちの一人という扱いだ。

 そのため、サイリにとって意味の薄い男の監視という任務――グレイとサイリも含めた輪番制――も、表向きこなす必要があった。


「大尉はこの男、どう思われます?」


 もう一人の兵士が男についてサイリに意見を求める。こちらの兵士にはさほど緊張はみられず、気負いも少ない様子だ。


「どうって?」


 サイリは兵士の要領を得ない質問に気怠げに問い返す。


「実際のところ、この男が本当に異変の術者なのでしょうか?」

「さあ」


 兵士を見ることすらせずに無愛想な一言でサイリは質問をあしらう。

 邪険に扱われ真面目な回答を諦めた兵士は「そうですか」と一つ嘆息し、別の質問を投げかける。


「では仮に、この男が術者であると実証された場合、どうされますか?」

「それを決めるのは上の連中でしょ」


 求められた類の返答を意図的にかわして煩わしげに兵士を見やり、サイリは当たり前の答えを投げやりに口にする。

 距離を置き、冷淡で、その上無気力なサイリの対応。兵士も気が萎えたようで表情には落胆の気配を覗かせる。問答に対する意欲も削がれた声音となって、兵士は最後にもう一つだけサイリに質問を入れた。


「万一術者が我々に対し敵意をもってその力を行使した場合、どう対処しましょう?」

「どうにもならないわね」


 頬杖をついたまますげなく答えるサイリに、質問した兵士だけでなくもう一人の方も凍りつく。二人の瞳は明瞭にサイリに対する幻滅を湛えていた。

 しかしサイリはそんな二人の視線を意に介すことはない。彼らに見限られたところでサイリの知ったことではない。

 事実どうしようもないのだ。異変の術者がその気になって力を振るえば、エプスノームという一都市などひとたまりもない。そういう相手だ。

 あの異変を目の当たりにしてまだ術者への対抗を企てるような者は、相手の力量を把握出来ていない無知蒙昧な輩か、現実を受け入れることの出来ない愚者のどちらかだ――極一部の例外を除いて。

 押し黙り、沈鬱な雰囲気の二人を一切顧みることなく、サイリは腰を上げる。


「気分転換してくるわ」


 一方的にそう告げて、サイリは喫茶店を出ていった。


(対象が穏健なら、放っておくべきなのよ)


 異変の調査を始めてから今まで、こちらに何の被害も出ていないことは、ひとえに術者が穏健であることに因る。

 術者が身辺を詮索される厭わしさから暴力に訴えるような気質の人間であったならば、こちらの被害は推して知るべしである。

 そして術者が穏健であるということは、決して確約された事実ではない。

 つまりは今穏健であるというだけで、いつ心変わりがあるかもわからない状況なのだ。

 有意義に時間を使うことの出来ない歯痒さにうんざりして、サイリは足早に通りを抜けていく。

 人混みを好まないサイリはすぐに大通りから人気の少ない路地へ足を向ける。

 一つ、二つと道を曲がる。ざわめきが隔てられた北商業区の路地裏。次第に商店の数は減っていき、民家が目につき始める。

 大通りの喧騒を遠ざけてサイリはそぞろ歩く。閑散とした空気が心地よい。気分も良くなってきたところで散策しながら考えを巡らせる。

 時間を無意味に費やしたが、そもそもエプスノームは仲間から構想において重要な都市ではないと聞いている。

 とはいえ、下準備をしておくことは利に繋がる可能性も増すというものだ。意外なところで効果が出たりもする。異変の術者を監視することなどよりも遥かに有益だ。

 実際以前エプスノームを訪れた際には、ある程度の仕込みをしておいた。

 仕込みの量を増やしておくに越したことはない。最終的にそれらを使わなかったとしても、何の問題もないのだから。


(……何?)


 一瞬、思考の流れを断ち切る閃きが全身を駆け抜けた。ぞわっと体を震わせサイリは足を止める。これは危機管理のアラームだ。

 得体の知れない脅威が、悪意が、自分に意識を向けている。

 気配は背後。

 咄嗟に振り返ると同時に、それの声がサイリの鼓膜を打った。


「お前がサイリ・キトラスか」


 最初に目についたのは明るく派手な紅紫の頭髪。次いで他者を蔑むようなにやけ面。佇まいからして不躾で粗暴な雰囲気を醸し出している。

 三白眼の小さな紅紫の瞳はサイリの全身に纏わりつくように這いずり回り、狼狽を覆い隠さんとする彼女を嘲るように酷薄に揺れる。

 傲岸不遜が服を着て歩いているようなこの男。重要警戒者として記憶に刻み込まれた名前が、サイリの口から反射的に飛び出す。


「デューク・マゼンタ・ニーズヘッグ!」


 識世において最悪と呼ぶに相応しい存在の一つ。神話の怪物、八彩竜の紫――マゼンタドラゴン。

 忌々しいあの男――銀妖からエプスノームにやって来ていることを告げ知らされた不可測の災厄だ。


「最後のは余計だ。が、別にお前が俺をどう呼ぼうと知ったこっちゃねえ」


 がしがしと後頭部を掻きむしりながら指摘をするが、訂正は求めてこないデューク。

 一般的に紫竜はニーズヘッグの名で知られている。神話で語られることのない八彩竜の実の名を知る者は多くない。

 サイリは慄然とした心を落ち着かせ、眼光鋭く相手を見据える。この僅かな時間で平常心を取り戻せる精神力がサイリの強みの一つだ。


「……私に何の用?」

「なあに、ちょっとした相談さ」


 ざりっという足音と共にデュークが距離を詰めてくる。

 サイリは後ずさりして必要な間合いを保つよう努める。惰弱な対応で自身への不快感が募るが、プライドを優先して危機を迎えることは愚かしい。割り切ることも必要だ。

 サイリのそんな様子にデュークは足を止め、肩を竦める。「そう怖がるなよ、敵意は無い」と言わんばかりに。


「せっかくのイベントが、何の面白みも無いまま収束しちまいそうな雰囲気だからよ」

「そうね、収束したらいいわ」

「いやいやいやいや、それじゃつまんねえだろ。わざわざ俺が足を運んで来たってのによ」

「知らないわよ。帝国に帰って小さな皇帝と遊んでたらいいじゃない」


 サイリは冷めた口調で切り捨てる。碌な話にならないと察するには充分なデュークの前置きに眉間に皺を寄せて。

 最近の動向として、紫竜はデューロイツ帝国に居つき、世界で唯一の一等級(ファーストグレード)シーカーチーム『絵画の旋律』のピッコロ・テシオに、度々ちょっかいを出してはあしらわれている、という話を仲間から伺っている。


「あの野郎はまともに相手をしやがらねえ。ドビル大空洞にご執心だ」


 唾を吐いて毒づくデュークに、不似合いにも意中の相手に構ってもらえない癇癪を垣間見て、サイリは「妬いてるの?」と口にしかけるが、それを呑みこむ。往々にして皮肉を交えて煽るサイリだが、流石に神経を逆撫でするような言動は場と相手を選ぶ。

 声にはしなかったが表情には漏れ出ていたらしく、デュークが不愉快そうに顔を顰める。


「何だ?」

「何も」


 目を逸らし、栗色の髪を梳いてしらを切るサイリ。

 些か癇に障ったようでデュークはチッと舌打ちしてサイリを睨む。が、すぐにその憤りを制し、表情からは毒気が抜けていった。


「……まあいい。んで、本題だ。術者に突っかけて、もう一回異変直後の空気を持ってこれたら面白くなりそうじゃねえか?」

「冗談でしょ!? あの異変の術者に突っかけるなんて、正気の沙汰じゃないわ!」


 本気で言っているのだとしたら頭がおかしいとしか言いようがない。

 サイリは八彩竜の力はある程度認識している。それぞれが単騎で国を滅ぼし得る正真正銘の化物だ。しかしそんな彼らをもってしても、異変の術者に戦いを挑んで勝利を収められるとは到底思えなかった。

 サイリに自殺願望は無い。死にたいのなら一人で殺されに行ってほしいものだ。


「私を巻き込まないでほしいわね」

「何言ってやがる、お前が直接術者に突っかける必要なんてねえだろ」


 デュークの表情が醜悪に歪む。それはどれだけ非道で下劣であろうと、目的のためなら手段を選ばない残忍で悪辣な笑みであった。

 サイリはデュークの言わんとしていることを察し、フイと顔を背けて嘯く。


「そ。なら私は必要ないわね」

「おいおい、とぼけても無駄だってことくらいわかってんだろ? お前の力があれば造作もないことだってな」


 サイリは嫌悪感に眉を曇らす。

 紫竜が接触してきた理由は始めから当たりがついていた。

 サイリが有する力を見込んで来たのだろう。

 八彩竜や七暁神といった、識世における超凡な存在すら持ち合わせることのない、特有の力を。


「なあ? ナインクラック、マニピュレーターのサイリ・キトラス」

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