2 探し人
目の前に広がる新しい世界。
BMIVRMMO〈SEEKERS' FANTASY〉の世界。
その世界で縁を探し始める前に、一つ確認したいことがある。
頭の中にコマンドを呼び出し選択する。『ログアウト』。
ログインした時と同様の感覚を覚え、現実世界に帰還する。
「……お早いお帰りで」
絵里さんが冷ややかに出迎える。視線が痛い。
「いやほら、ログインしたまま戻れなくなっても困るし……一応、ね、確認を、ね」
「何その小心者みたいな発想。それ『この飛行機墜落しないよな』って警戒してるのと同じよ」
BMIVRに接続したまま現実世界に帰還出来なくなった事例は実際に存在する。
そのほとんどが黎明期のもので、当時は批判も多く、開発は安全性を最優先に進められた。
それら先人達の苦労の甲斐もあって、現在では人々のBMIVRへの接続に対する抵抗はほぼ失われている。
「余計な心配してないで、さっさと縁を見つけてきてねー」
「へーい」
再びサイバー空間に接続する。
オートセーブされたデータを読み込み、ロードが始まる。
そして意識が撹拌され――眼を開ける。
草原。
草の葉の一つ一つがリアルに作りこまれ、風にそよぐ様子は現実そのものである。
大地を踏みしめる感触も、風が頬を撫でる感覚も、草花の淡い芳香も、虚構とは思えないほど自然だ。
「……凄え……」
シンがBMIVRに最後に接続したのはもうニ年近く前だ。その間も技術開発は行われており、開発側の誇大とも思われる宣伝文句に対し過度な期待は控えていたが、この進化は予想をはるかに上回っていた。
目の前の現実には存在しないはずの全てのものが、五感に強く訴えかける。世界を感じろ、と。
――「凄いんだから!」
縁が興奮して話していたのを思い出す。そりゃあこれだけの世界を作り出したのならば、我を忘れてはしゃぐだろうさ。
(……後で縁に謝っとかないとな)
適当に相槌を打っていただけというわけではないが、それでも話半分程度にしか気に留めていなかったことを後ろめたく思う。
「お、あっちに町が見えるな。通常なら初めはあの町を目指すことになるのかな」
辺りを見回すと立ち並ぶ建物の数々が視界に入ってきた。今いる場所からはそれなりに距離があるのだが、その重厚な存在感にここまで町の喧騒が響いてくるように思えた。
「さて、感心ばかりしてないでやることやるか」
絵里さんは捜索方法には魔法、スキル、アイテムがあると言っていた。まずは魔法から試してみよう。
初期設定でゲーム内の全ての魔法は習得済みにしてあるはずだ。
「……ん?」
魔法の行使を試みて挙動を止める。頭の中にシステムウインドウを開けない。空間にも。
だが感覚で魔法の使用が可能であることはわかる。ウインドウからの選択など必要ない。そんな仕様のゲームは初めてなので少し戸惑う。
「おお……もしかしてこれが第六感てやつか?」
新しい感覚にちょっとした感動を覚えつつ、目的の魔法を発動させる。術者が思い描いた人物の居場所を探知する魔法だ。
〈人物探知〉
魔法を使用するのに発声は必要としない。意識を向け魔力を注ぐことで可能だと感覚でわかる。
発動と共に探知の効果を纏った魔力の流れが世界を駆け巡り、やがて霧散する。どうやら空振りに終わったらしい。これも感覚として伝わってきた。
「……まあ、他にも色々魔法はあるけど、幸先悪いな」
最初の魔法で見つけられるかどうか。これは大きなポイントだとシンは考えていた。
探知魔法が失敗する条件は、対象が魔法などにより拒絶の対応をとっているか、姿及び名前を変更している場合となる。
魔力不足であれば効果範囲の問題もあったが、その心配は無用だ。
後者ならば問題はないが、前者であれば――縁の対応の度合いにも依るが、厄介なことになりそうだ。
「次は……こいつと合わせて使うか」
選んだ魔法は対象の変装などを見破るもの。
〈擬装看破〉〈人物探知〉
内心これで探知出来てくれと願うシンだったが、無情にも先刻と同様の感覚が返ってくる――失敗。
(縁のやつ、探知障壁をかけてやがるのか?)
それならば。
〈障害効果抹消〉〈擬装看破〉〈人物探知〉
これでどうだ――失敗。くそ、じゃあ次だ。
〈隠密魔法行使〉――失敗。次。
〈逆探知切断〉――失敗。次。
〈偽装魔力〉――失敗。次。
――失敗。次。
――次。
……駄目だ見つからん。どうやら魔法では無理のようだ。しまったな、初めから探知阻害対策用の魔法も一緒に使うべきだったか。
というか、魔法で無理だったら他の方法でも無理なような気もするが。縁が完全に防御態勢に入ってるってことじゃないのか?
いや待て。まだ諦めるな。一応全部試してみるんだ。望み薄いけど。
「今度はスキルを試してみるか」
魔法と同様にスキルを発動するべく感覚を探る。が。
「……あれ?」
魔法の時には意識を向ければすぐに捉えられた感覚が、今度は全く何も掴めない。勿論システムウインドウも開けない。
何かスキルを使用するのに必要な条件を満たしていないのか。
そういえば常時発動型のスキルも存在するらしいが、自身が発動中だという感覚もない――これは絵里さんが軒並みオフ設定にした可能性もあるか。それにしても発動/停止の切換すらままならないのは困るのだが。
「絵里さんにスキルの使い方聞いときゃよかったな……」
どういう仕様なのだろうか。何でこんな形にした。
一旦ログアウトして絵里さんに使用法を聞いてみようかとも思ったが、その前にまだ出来ることがある。
「仕方ない。先にアイテムの方だな」
人探しに有効なアイテムを色々と持たされているはずだ。
「アイテムボックスは……え、魔法使うの? 何だこのシステム?」
所持アイテムを確認しようとしたところで、収納先が魔法を使用して接続する異空間であることがわかる。
必要な魔法力は微々たるものだが、通常アイテムの使用に魔法が必要とされるとは思いもしなかった。
「魔法力ゼロならアイテム使えないってことじゃねえか」
実際は時間経過と共に徐々に魔法力は回復していくので、アイテムを使用する上で大きな問題とはならないが。
ともあれ一先ず所持品確認のために魔法を発動させる。
〈道具出入〉
目の前の空間が歪み、穴が空く。それと同時に所持アイテムの一覧が頭に流れ込んでくる。
(おー、色々ある、けど、も……)
アイテムの効果が判らない。
効果を確認するには、アイテムを手に取り、鑑定魔法を逐一使用していく必要がある。
(め、面倒くせえ……)
仕方ないので、取りあえず適当に取り出して調べてみることに。
〈道具鑑定〉
どうやら今取り出した『千里鏡』という名のアイテムは、探知の魔法を代替する品のようだ。それではさっきと同じように失敗するのでは。
(……いや、魔法は防御されても、道具の効果なら探知阻害を掻い潜れる可能性もあるかもしれない)
あまり期待はせずに、鏡を手に持ち捜索する対象を思い浮かべる。するとシンの望みに応えるように、鏡に波紋が広がり出した。
しかし、しばらくすると波紋は収まりただの鏡に戻ってしまった。どうやら対象の捕捉には失敗したらしい。
(……やっぱり無理だったか。次はどうするか)
鑑定前でも名称はわかるので、そこである程度効果の予想をして取り出すものを選んでいくことにする。
次に取り出したのは『導きの羅針盤』というアイテム。細かい模様の描かれたレトロチックで金属製のコンパスだ。
鑑定の結果は予想通り、探し物のある方角を示すアイテムだった。
「縁はどこだ?」
先の鏡と同じ要領でアイテムを使用すると、羅針盤の針がくるくると回りだした。
方角が特定出来ればあとはその直線上を探せばいいだけだ。大分楽になる。
しかし針が回転したまま停止する素振りを見せない。対象が見つからないということか。
「これも駄目。他には――」
再び使えそうなアイテムを探す。今度は『神占術の水晶』という水晶玉を手に取った。使用者の要求に応じて様々なものを映し出す効果のアイテムだ。
期待はしすぎずに効果を発動させるべく集中する。シンの意思に水晶が反応し、内部に光がうねり迸る。
しばらく光が水晶内を駆け巡り、やがて消えていった――失敗。
「うーん……」
それからもいくつかのアイテムを使用してみたが、反応を示すものはなかった。
絵里さんが難しいんじゃないかとは言っていたが、ここまで全く手掛かりすら掴めないとは。
後はスキルに頼るしかないが、使用法は依然不明なままだ。
「はぁ、一旦戻るか」
大きくため息をつきログアウトするべくコマンドを呼び出す。
「…………?」
コマンドが呼び出せない。
「……は?」
思いも寄らない事態に眉を顰める。
そんなバカな。さっきは呼び出せたじゃないか。
「おい、嘘だろ……どうなってんだ?」
しかし何度試みても前のように頭の中にコマンドを呼び出すことが出来ない。それではさっきは何故出来たのか。
(何とか絵里さんと連絡を取れないか?)
だがシンの記憶では、外部との通信手段はログアウトをしたときに呼び出したコマンドの中にあった。それでは使えない。
「……くそっ!」
他に何か手段はないか。
そうだ、もしかしたら魔法やアイテムを使用した時のように感覚で操作出来るかもしれない。
思いついたことを片っ端から試してみるが、現状を変えるには至らない。
じわりじわりと焦燥感が胸に湧いてくる。このままでは――
「――ゲームから抜け出せねえ!」