24 目標と来客
「昨日は失礼なことを言って済みませんでした」
昼前。ソブリンと子供達の様子を見にスラムを訪れたシンは、既に来ていたフレシュから開口一番、謝罪を受ける。昨日フェアが誤解を解いてくれたらしい。シンがそれと知った時には目の前の小さな救世主に両手を合わせて拝み崇め、彼女の望んだ品――当時訪れていた食事処における最高級の甘味――を即座に貢納したことは言うまでもない。
「あー、わかってくれたならいいよ。悪いのは全部コイツだ」
シンが謝罪を受け入れたことで、フレシュはほっと安堵の表情を見せる。戯れとも呼べるソブリンの茶番に対して多少なりとも思い悩んだようだ。真面目な娘だ。
「ソブリン、何か言いたいことはあるか?」
「いえ、何一つ御座いません」
シンは何かしらの反論を期待したが、ソブリンからは何も無かった。自分が不利な時は黙して控える。憎らしい奴だ。
フレシュはソブリンに複雑な顔を向けている。ソブリンの言葉を自分が勝手に解釈したので騙されたというわけでもなく、恣意的だと感じてはいてもその証拠となるものは存在しない。その上一晩子供達の面倒を見てもらった恩もあり、怒るに怒れないといったところだろう。
「一晩過ごして何かあったか?」
「特にこれといったことは。幾度か金品狙いの賊を返り討ちにした程度です」
「いやそれ普通に重要伝達事項だろ」
「おや、左様で。些末な事例と捉えておりましたが、今後は認識を改めることに致します」
本気で意外そうなソブリンにシンは不安を覚える。
「まさかお前……殺したのか?」
賊に襲われたことを些末と言う男だ。ならば襲ってきた賊の生死など些末なものと切って捨てるかもしれない。
「ご命令とあらば」
「しねえよ!」
突っ込みを入れつつも命までは取っていなかったことにシンは安堵する。
「今日も食料を持って来たのかい?」
シンとソブリンが騒ぐのを横目に見ながら、デオがフレシュへと歩み寄り声をかける。
「ええ、そうよ」
「そうかい、それでこれはいつから始めたことなんだ?」
「そうね……もう三か月くらい経つかしら」
「ふうん……今後も続けていくつもりなのかい?」
「勿論よ」
「いつまでだ?」
「え?」
デオの口調が変わる。昨日ほどではないが、強いものへと。
「まさかこの先も際限無くずっと続けるつもりなのか?」
「それは……」
「当然の指摘ですね」
デオに同調したのはフレシュと共にスラムを訪れた、リチャード・バレットという名の男だ。上背はなくともがっしりとした体格で、腰には剣を下げている。チンピラ程度の相手なら、そこに居るだけで十二分に威嚇になる風貌だ。
昨日の出来事について、フレシュを窘めてくれたとデオに感謝していた。
「フレシュ様、御父君ならばある程度のことはお許しになられましょう。とはいえ、私としましては見過ごすにしても限界というものがあります」
「リチャード……」
「ボレンテ殿の指摘は私も以前から申していたこと。どうかご一考願います」
「うん……」
弱々しい返事と共に俯くフレシュ。先行きに思い詰めているようだ。
「何かしらのビジョンは無いのかい? 今後について、こうしたいってことは」
「え、と、それは……無いことはないけど……」
「何でもいいさ。目標としての終着点があるんなら、今から少しずつでもそこを目指して行けばいい。まずはそれに向けて今自分に何が出来るかを考えるところからだな」
デオの言葉を受け、フレシュは顔を上げる。
「そうね……今私に出来ることを、少しずつでもやっていくべきよね」
「私も力添えしますよフレシュ様。微力ではありますが」
「ありがとう、リチャード」
フレシュの感謝の言葉にリチャードが微笑む。
「ふう、ソブリンの奴ようやく消えてくれたか。そっちは何の話だ?」
「これからどうしようかっていう話じゃないの?」
召喚目的を果たし、お役御免となったソブリンの消滅を見届けたシンとフェアが、デオ達の方へ寄ってきた。
「お、用事は済んだのかい?」
「おう、アイツ何か色々と芸を披露してたみたいで、子供達に異様に慕われてたな」
「エンターテインメントに免疫なんて無いだろうからねえ。新鮮だったんじゃないかな」
「結構なことではありませんか」
「それは有難いのだけれど、素直に感謝していいのかしら……」
「ソブリンが調子に乗るだけだから感謝しなくていいぞ」
悩ましげに小さく嘆息するフレシュに、シンが平坦な口調で告げる。
「それじゃ、俺達はこれで」
「バイバイ、フレシュ」
「あら、もう行っちゃうの? フェア。残念ね」
「君はまだ残るのかい?」
「ええ、もう少しこの子達の様子を見ていくわ。今日はリチャードもいるし」
「そうかい」
デオはそれだけ言ってフレシュに背を向け、シンとフェアと共に歩き出す。と――
「あの」
「ん?」
直後にフレシュから呼び止められ振り返る。
「ありがとうございました」
「……礼を言われるようなことをした覚えなんてないけどねえ」
「あなたのおかげで気持ちを固められたわ。私、行き場のない子供達のために孤児院を建てたいと思うの」
「孤児院とは、大層な目標を掲げられましたな」
「わぁ、実現出来たらいいね!」
エプスノームに孤児院が無いわけではないが、今ある施設だけでは足りていないことは明白だ。
しかしそれがわかっているからと言って、小娘一人の力でどうにか出来ることではないと、これまでは気後れしていたのだろう。
「大変だけど、少しずつでもそれを成し遂げるために行動してみるわ。リチャード、手伝ってくれるんでしょう?」
「勿論です」
「目標が定まったのは良いことだ。応援するよ」
デオは心を決め晴れやかな表情のフレシュに笑いかけ、ひらひらと手を振りその場を後にした。
「昼飯はコフラーの食堂でいいか?」
昨日シン達は南西居住区で宿を取っていた。
商業区、居住区などと区分けされてはいるが、そこまできっちり住み分けされているわけでもなく、商業区に民家があれば居住区に商店もざらにある。
一行はこれから北商業区へ戻るところだ。到着は昼時になるだろう。
「いいよー。あそこのごはんもおいしいよねー」
「好きにしたらいいさ。俺は今日は別で取るんでね」
「何だ嫌か? 仕方ねえな、今日はお前に合わせてやるよ」
提案を拒否されるとは思っていなかったシンが、意外そうに片眉を上げる。
「いやすまん、そういうわけじゃないんだ」
デオは誤解を招いた発言を詫びると、ゆっくりと空を見上げ呟くようにシンに告げた。
「ちょっとな、用事が出来た」
◇◆◇
馬車を使い北正門前大通りまで戻ってきたシンとフェアは、昼食を取るためコフラーの宿へと歩を進めていく。
「デオの用事って何だろうね? 急に思い出したみたいだったけど」
「さあなー。考えられるところはあの娘関連じゃないか?」
デオは東居住区方面行の馬車に乗って行った。東居住区は貴族をはじめとした富裕層が主だった生活区域だ。
「フレシュのこと?」
「ああ、明らかに何かあるだろ。あの様子だと」
フレシュは東居住区に住まいがあるらしい。昨日フェアが一緒だったのは治安の良い東居住区に入ったところまでで、邸宅までは送って行かなかったとのこと。
「フレシュ、いいとこのお嬢様みたいだしねー」
「そうだな」
フレシュの姿を思い出しているのだろう、虚空を見つめるフェアにシンが相槌をうつ。彼女の装いの中でも、特に胸に下げたペンダントには目を惹くものがあった。また、リチャードという従者――私兵だろう――の存在からも、彼女の身分は容易に窺えるものであった。
そう話をしているうちに目的地に辿り着いたシンは扉を開け中に入り、カウンターで佇む女将さんの方へ足を運ぶ。
「どうも、今日はここでお昼いただきますね」
「ごはん食べに来たよー」
「シンさん、良かった」
挨拶の前に女将さんは安堵の声を発する。何が良かったのかさっぱりわからないシンとフェアが顔を見合わせていると、女将さんが客席の一つへ目くばせする。
「お客さんがいらしてるわよ。昨日から」
「客……?」
「誰だろうね?」
女将さんが示した先へ目を向けると、そこには黒緑の衣装にきっちりと身を包んだ男が一人、静かにこちらのやりとりを眺めていた。規律正しそうな銀髪のこの男、見覚えは無い。
(……やな予感)
この世界、識世での知り合いはまだ少ない。知人を伝った客という可能性は極めて低い。自分への客ということで思い当たる節は、監視者の手の者か、若しくは――
「妖精を連れた男……シンという名で間違い無いな?」
フェアを見て待ち人が来たことを確信した男が確認の言葉を投げてきた。シンは男の対面に腰を下ろし、しげしげとその居住まいを観察する。
「ああそうだ。……あんたは? 聞くところによると、昨日から俺を待ってたみたいだな」
「失礼、申し遅れた。私はブライトリス王国軍ロイスコット第ニ師団所属、グレイ・バンダービルト少佐だ」
男の肩書を聞いたシンは、不安から僅かに顔を強張らせる。
(軍の少佐……? 確かに軍服っぽいな。てことは国家レベルで動いてるってことか)
銀髪の軍人――グレイは、作業をこなすように淡々と続ける。
「今回そちらを訪ねたのは他でもない、先日の異変に関することだ」
(うげ……)
悪い予感が的中し、シンは心の中で渋面する。
現在の状況を受け入れてついて行くのに精一杯なシンをよそに、グレイは尚も淡々と続ける。機械的であるようで重厚感も併せ持つ独特の雰囲気を醸し出して。
「先日起きたエプスノームの異変、巨大魔法陣について、貴方に調査の協力を要請する」
◇◆◇
優雅で格調高いエプスノーム東居住区の街並みにおいても、一際壮観な屋敷がある。広々とした庭の中央には石畳が敷かれ、その先には噴水と大理石のオブジェが、左右には一面緑の芝と色とりどりの花壇が来客を出迎える。
デオ・ボレンテは庭を抜けた先にどっしりと構えられた館の前で足を止めると、備えつけられたノッカーを数度叩き、物静かな屋内に乾いた音を響かせた。
ほどなくして扉が開かれると、屋敷の執事であろう整った口髭を蓄えた初老の男性が姿を見せた。
「これはボレンテ殿、お久しゅうございます」
「ああ、久しぶりだねえ、ダニエル。旦那はいるかい?」
「お話を伺う前に、まずはお上がり下さい」
「ん、そうさせてもらうよ」
顔見知りの初老の執事ダニエル・ディロンに迎え入れられ、デオは屋敷の応接間へと通される。
「事前に連絡も入れずに訪ねて悪いな」
「ボレンテ殿にも事情というものがございましょう。とはいえ、アポイントメントを取っていただかなければ、こちらの対応に不備が生じる可能性も高まりますので、今後は気にかけていただけると幸いです」
「重ねて済まない、留意する」
デオは不手際を謝罪し、あてがわれた濃紺で革製の椅子に腰を下ろす。
「それでお屋形様ですが、間の悪いことに今朝方王都へ発たれたところでして」
「王都か……この間の異変を受けて呼び出しでもかかったのかい?」
「ご明察で」
客人の要望に応えられないことを理解しているダニエルが申し訳なさそうな微笑みを浮かべ、デオの推察を首肯する。
そんなダニエルにデオは問題ないと手を振る。屋敷の主人が不在でも、代わりに用件を伝えられる人物がいるからだ――というよりもむしろ、デオにとってはその人物の方が本命であった。
「あら、珍しい来客ね」
不意にそう言葉をかけてきたのは眉目秀麗な貴婦人。応接間の気配を感じ取って様子を見に来たのであろうその貴婦人こそ、デオの目的の人物。
「これは、奥方様」
「下がっていいわよ、ダニエル。先方の目当ては私のようだから。……そうでしょう?」
全てを見通しているかのような眼差しで微笑みかけるこの屋敷の主人、大商人ギルピン・ローダー卿の令室――ピアレス・E・ローダーを視界の中心に迎え入れ、デオは含みのある笑みを返した。
「ああ、相変わらず話が早いねえ、お宅は」