23 スラムの若草 2
「おや」
シンの悪意に満ちた表情に臆することなく――というか、あえて無視をして――ソブリンは初対面となる人物へ体を向け、一礼する。
「お初にお目にかかります。私、シン様との召喚契約の締結により僕と相成りました、名をソブリンと申します。以後お見知りおきを」
「おい嘘言ってんな。僕じゃねえだろ、主従の契約は断ったんだから」
出て来るなり初見の二人に偽情報を吹聴するソブリン。油断も隙も無い。
「似たようなものでしょう。召喚時には契約者の命に従うほかないのですから」
「おいおい、もしかして自覚無かったのかい?」
「そういうのって、一番タチが悪いのよね」
「……くっ」
ソブリンの主張に二人が同調しシンが言葉に詰まっている間に、デオが爽やかにソブリンへ手を差し出し、がっしりと握手を交わす。
「ご丁寧にどうも。遅れましたが、私はデオ・ボレンテと申します」
(誰だコイツ)
デオの身の変わりようにシンはジト目で見やる。その気配に気づいたのか、デオはシンに向かい肩を竦めた。
「礼を尽くされたのなら礼をもって返すのが常識だろう?」
「俺は何も言ってねえ」
武具工房の店主がデオの礼儀がどうのこうの言っていたような気がする。まあ人によって態度を変えるのは普通だが。しかし普段を知っているだけにどうにも今の対応が胡散臭く感じられてしまう。
「私は、フレシュ。……フレシュ・アンリです」
「デオ・ボレンテ様とフレシュ・アンリ様ですね。ご芳名、伺いました」
「その名前、間違いないんだな?」
「え?」
ソブリンへ挨拶を返す形で名前を告げた少女――フレシュはデオから予想外の質問を受け一瞬狼狽える。が、すぐに逸らした視線を戻し凛然としてデオを見据えた。
「……嘘は言ってないわよ」
「そうかい」
デオは彼女に対して何か思うところでもあるのだろうか。しかしとりあえず今はそんなことはどうでもいい。
「ソブリン、今回召喚した理由はわかってるよな」
「仰られずとも。私の不徳の致すところ、しかと償わせていただきます」
また何かしらの遊び心でこの状況を弄んだりしないかというシンの懸念をよそに、ソブリンは殊勝な対応を見せる。
「フレシュ様、この一夜、幼子達は私にお任せ下さい」
「え? そんな……私の勝手にあなたを巻き込むなんて、悪いですよ」
「いやいや、巻き込んだのはむしろコイツの方だから」
「どういうことかしら?」
ソブリンの申し出に戸惑いを見せるフレシュに、シンが口を添える。
「子供達が怯えてる異変はコイツのせいだってこと。さっきは俺が起こしたって言ったが、正確には俺の召喚魔法で呼び出したソブリンが仕出かしたことだからな」
「さっきの話って……まさか本当なの?」
「ああ。だから遠慮することはない。負い目があるのはこっちの方だ」
「……そうなんですか?」
シンの話を受けてもまだ踏ん切りがつかない様子のフレシュはソブリンに確認の言葉を投げる。
ソブリンの上面の礼節を弁えた振る舞いに騙されているのだろう、この娘はシンよりもソブリンの方を信用しているようだ。
「間違いありません。先の異変が私の行動のもたらした結果であることは、紛うことなき事実です」
ソブリンは前回召喚時の演出が世間にどのような影響を及ぼしているか知らないはずだが、召喚時に召喚目的に連なるある程度の情報は、召喚者の持つものであれば共有、伝達が可能である。
目を閉じ頭を下げ過ちを認め詫びるソブリンの姿は、傍目にはしっかりと反省しているように映ることだろう。
「その行為に至る過程がどのようなものであれ――」
(……ん?)
ソブリンは頭を下げたまま瞼を開け、眼球のみを動かしその先の対象を捉え、またすぐに瞼を閉じた。
「――私の罪が失われることは決して無いでしょう」
フレシュはソブリンの目の動きを追うと、何かを理解したように哀憐の吐息を漏らした。
「そう……あなたも大変なのね」
「いやちょっと、君……何か勘違いしてないか?」
「勘違い、ねえ……。本当にそうなのかしら?」
誤解に対する不安から声を上げたシンに対するフレシュの視線は冷たい。
「だから、あの異変はコイツが自分の意思で勝手に起こしたことだぞ。俺があの異変を起こしたところで何の得も無い。まるで意味が無いんだ」
「シン様がそう仰るのであれば、それが事実でございます」
(こんの野郎っ!)
慌てて弁明するシンの後から、ソブリンが思わせぶりな言動で裏にある真意を仄めかす。嘘ではないところが殊更に嫌らしい。その害意に満ちた科白にシンは憤怒の形相で睨みつけるが、ソブリンはシンを視界に入れず、フレシュを真っ直ぐに見つめ続けている。
「……そう、わかったわ。あなたがそれで良いと言うのなら、私もこれ以上訊くことはありません」
(いや絶対わかってないだろ!)
完全にソブリンに騙されてしまっている。こうなっては最早フレシュはシンの言うことに耳を貸すことなどないだろう。
「慈悲深きお言葉、感謝の念に堪えません」
再度頭を下げるソブリン。だがシンから見える角度でだけ、その口元を綻ばせていた。
「わらっ……ちょ、てめ……おい! 今、コイツ笑ってたぞ!」
やたらと挑発的なソブリンに憤慨し、シンは必死に今の光景をアピールするが、フレシュから送られてきたのは冷ややかな軽蔑の視線と言葉であった。
「ソブリンさんがああ言った手前、私はこの件に関してこれ以上深追いはしないわ。でも、これだけは言っておくわね。……最低ね、あなた」
「ああ、最低だな」
「デオ! てめえ!」
デオがしれっとした口調でフレシュに続く。
昨日の出来事を説明してあるデオには、どちらがどんな思惑でいるのか理解しているはずなのに。
(この状況に付け込んで遊んでやがる……!)
「フェア! フェアは俺の味方だよな!」
三人を敵に回したシンは、唯一自分を庇ってくれるであろう妖精へ救援を求む。
「シン、ドンマイ!」
「あああああ」
ぐっと親指を立てお気楽な笑顔を見せるフェア。最後の望みを絶たれたシンが両手で頭を抱え、呻き声を上げて膝から崩れ落ちる。
そういえばフェアはソブリンの演出に対して好感を寄せていた。最初からシンに味方などいなかったのである。
「えっと……それで、この子達のことを一晩見ていてくれるって話だけど……」
絶望に打ちひしがれるシンを無視して、フレシュは話を先程までのものに戻す。
「はい、それが此度私の召喚目的として定められた務めとなっております」
「だけど……」
「フレシュ様が固辞されたところで覆るものでもありません。召喚目的として命じられた以上、私は務めを果たさなければなりません。それが世界の理なのです」
「そんな……」
フレシュは自分の浅慮の巻き添えで、この篤実な紳士に迷惑をかけてしまうことへの心苦しさに奥歯を噛みしめる。
「あの人がやればいいじゃない! あなただけに責任を押し付けようとするあの人がやるべきなのよ!」
胸に燻る自責の念の捌け口――当人にその自覚は無いが――に指を突きつけ、フレシュは思いの丈をぶちまける。
「……お心遣い感謝致します。ですが先程も申し上げた通り、これは私の責務なのです」
「だから、ソブリンに任せときゃいいんだよ。その為に召喚したんだから」
「あなたは黙ってて」
「はい……」
不屈の精神で復活したシンだったが、フレシュの凍てつくような視線と非情でドスの利いた一言にすぐまたそのメンタルをへし折られ、すごすごと引き下がっていく。
「それで、どうするんだい?」
「どうって……?」
「子供達。彼に任せるのでなければ、何か対案でもあるのかい?」
「それは……」
デオの指摘に対する返答に窮し、フレシュの視線が中空を彷徨う。
「彼の言った通り、被召喚者は召喚目的に沿った行動しか取ることが出来ない。それはわかるな?」
「ええ、でもそれは私のせいで……」
「納得しろとは言わない。ただ、今の状況を整理して折り合いをつけろ。現状俺には君が感情が先に立っているように映る。少し冷静になって考えてみてくれ」
「…………」
デオの忠言をしっかりと意識の中へ取り込み考えを巡らせ、フレシュは自分の取るべき行動に葛藤し渋面する。
「……わかったわ」
やがてフレシュは苦虫を噛み潰したような顔で了解の意を示すと、ソブリンに向き頭を下げた。
「ごめんなさい。私の不手際の後始末を任せるような形になってしまって……」
「お気になさらず。元よりこの件は私の不徳の致すところ。フレシュ様が気に病むことはありません」
「ありがとうございます。この子達のこと、よろしくお願いします」
「畏まりました」
ようやく話が結論に達し、フレシュはソブリンを連れ、子供達に事情を説明し始めた。
「おーう、話はついたぞ」
「お前……覚えとけよ」
デオが隅で縮こまっているシン――よしよしとフェアに頭を撫でられ慰められている――に声をかけると、ジロリと怨嗟の視線が返ってきた。
「まあそう小さいことを気にしなさんな」
「おい勝手に些事にするんじゃねえよ。小さくねえよ」
全く悪びれず反省した様子を見せないデオに対し、シンは恨みがましく文句を垂れる。
「で、この後どうするんだ? 大分日も落ちてきたぞ」
話をしているうちにそこそこ時間も経過し、辺りは薄暗くなってきていた。
当初の予定通り情報屋の元へ向かうのか。だがフレシュをこのまま一人で帰すのには気が咎める。
「ああ、彼女を送って行こうと思う」
「まあそんな気はしてたけど。けど男連中……特に俺に送られるとなると迷惑がられないか?」
デオがフレシュを送ることになればこの先の道案内が無くなり、必然的にシンも途中まで一緒に送って行くということになる。
「そうかもしれないが、一人で帰すわけにもいかないだろう。それに送ると言ってもスラムの入口までだ」
「いや、そう答えを急ぐなよ。俺やお前より適任がいるって話だ。フェア」
「はいはーい、わたしがあのコを家まで送って行けばいいのね」
フレシュをフェアに任せれば、シンとデオはこのまま目的地へ向かうことが可能となる。
「ああ、頼めるか?」
「もっちろん! 任せて」
防御と支援に特化したフェアであれば、ボディーガードにうってつけだ。
「そんなわけだ」
「成程ねえ」
そして子供達への説明を終えたフレシュにこのことを伝えると、彼女は遠慮がちに感謝を示し、フェアを連れて家路についた。
「……あの娘」
「うん?」
「何か……あるのか?」
デオのフレシュへの接し方に何かを感じていたシンがそう尋ねる。
「……いや……」
デオはその問いに少しだけ逡巡したが、ぽつりと出てきたのは否定の言葉だった。
◇◆◇
交易都市エプスノーム南西居住区入口付近の停留所で乗合馬車を待ちながら、フレシュはさっきの出来事について考えていた。
(あの人……私のこと知ってたのかしら)
デオ・ボレンテと名乗った男性。フレシュは初対面だと思っていたが、なんとなく相手は自分のことを既に認識していたように感じられた。
(もしかして、いつかの社交の場にでも居合わせたのかなあ……思い出せないけれど)
彼の言動や物腰からは相手を気遣う余裕が感じられ、貴族又はその関係者であってもおかしくない雰囲気を纏っていた。スラムに居た理由はわからないが。
「フレシュ、どうかした?」
「ん? ちょっとね、考え事」
帰路の護衛にとあてがわれた可愛らしい妖精がフレシュの様子を窺う。どうやらボーっとしていたらしい。
こんな小さな妖精が護衛など見た目からはとても想像つかないが、彼女を預けた男からするとその点における信頼は厚いようだった。
幸いスラムを抜けるまで何事も無く、彼女の護衛としての姿を拝むことは無かったが、そのかわりに道中は二人で話をして仲を深めていった。
「なになに? 何を考えてたの?」
「んー、秘密」
「ええー」
フレシュの返答に不満げに頬を膨らませるフェア。その姿も愛らしくて、フレシュはクスクスと笑いを漏らす。
(名前に反応してたわよね)
今度はフェアをおざなりにしないよう、あまり集中しすぎないように考え事を再開する。
デオは名前に間違いないかと聞いてきた。それは確信があるような印象だった。
(嘘は……言ってはいないわ)
嘘は言ってない。それは事実だ。
ただ、不充分ではあったが。
エプスノーム近隣地域において無二の影響力を有するベレスフォード侯爵の令嬢、フレシュ・アンリ・ベレスフォードは、恣意的な言動に対する自己嫌悪を抱えつつ、迎えた馬車に乗り込み都市東部の邸宅へと、夜闇に染まりゆく馬車通りを揺られて行った。