22 スラムの若草
(やっぱり明日にしとくべきだったかな……)
シン達が目的地最寄りの停留所で乗合馬車を降りたころには、もう西の空は茜色に染まり始めていた。
「こっちだ。少し歩くから急いだほうがいいな。日暮れには間に合うだろうけど」
「頼むぞ」
若干歩幅を広げ、歩行速度を上げたデオに案内を任せ、シンはその後ろを付いて歩く。停留所のあった大きな通りを一つ外れると、そこはもう舗装が粗雑な路地となっていた。
先へ進むにつれ環境は劣悪になっていく。舗装が剥げ土砂が露出し風が吹けば砂塵が舞う。辺りにはゴミや汚物が散乱し衛生面も気になるところだ。
(スラムか)
交易都市エプスノーム南西居住区――貧民街。
街の規模が大きくなればほぼ例外なく存在するであろう負の側面、弱者の溜まり場である。
「当たり前だけど、それなりに発展した技術があっても、万人がその恩恵を受けられるわけじゃないんだな」
魔法による技術――魔導科学技術によって、生活の一部は現代レベルの水準に達しているという先程の話を思い出す。
現世では海外の一部地域にはまだここと似たような環境も存在することは常識の範疇だ。日本でもベーシックインカムが普及する以前は、宿無しの生活を送っていた者がいたことも良く知られている。
「そうだな。だけどこれでもここの連中も技術の恩恵を受けられてはいるんだ。富裕層や一般層と比べると僅かではあるけどな」
「……そうは見えないんだが」
シンはあまり露骨にならないよう注意して周囲を観察する。
薄い布にくるまって座り込んでいる者や、空を見上げ血の気の引いた顔でブツブツと独り言――昨日の異変で悲観的になっているようでシンは心の中で謝罪する――を続ける者などが目に映った。
「彼らにはまだ命がある。技術の水準が今より低ければ、ここの連中の何割かは野垂れ死んでいるだろうさ」
「生きていけるだけまだマシってことか……」
会話もほどほどにスラム街を進んで行くシンの目に、一際見るに忍びない光景が映りこむ。
路地の傍らに身を寄せ合う、小さな体に幼い顔つきの集団。
(……子供まで)
子供達は皆一様に痩せており、その瞳には不安が色濃く映し出されていた。
「昨日のは何だったの? 何があったの?」
「僕たちこれからどうなるの?」
「怖いよ、お姉ちゃん……」
やはり昨日の異変に怯えているようで、シンは今日何度目になるかもわからない罪悪感に苛まれた。
「大丈夫、心配ないから。皆、私に任せておいて」
子供達の不安を取り除くために発せられた言葉は、この場にはそぐわない上質なローブを身に纏った少女のものだった。
「あれは……?」
シンは微かに聞こえてきたうわごとのように呟かれた声の出所に目を向けると、デオが足を止め、ローブの少女へ視線を送っていた。
「どうした、知り合いか?」
「……いや、そういうわけじゃないが」
シンの問いをそう否定するが、デオはまだ少女から視線を外そうとはしない。
「はい、皆、仲良く分けて食べるのよ」
「わぁ、ありがとう!」
「やったー! お姉ちゃん大好き!」
少女はローブの裾が汚れるのも厭わず子供達と目線が等しくなるように屈みこみ、腕に下げたバスケットから包みを取り出して配っていく。食料だろう。
さっきまで不安一色だった子供達の瞳は、一転して歓喜に輝いていた。
「優しいコだね」
「そうだな……」
フェアの表情は何かを訴えかけているようだったが、シンは同意するだけに留める。子供達に同情はするが、何かを施すつもりはなかった。
「あなた達、私に何か用があるのかしら?」
デオの視線に気づいたのだろう、包みを配り終えた少女がこちらを向き、引き締まった表情を携え凛とした声を発する。
セミロングの薄萌葱の髪が砂塵と共に風になびく様は、荒野に芽生えた一房の若草を思わせた。
(気の強い娘だな)
スラムの中、見知らぬ複数の男からの視線に対し、毅然とした態度を取る少女。
治安の悪い地域だということを歯牙にもかけず、仲間も連れず単独でこのような対応に出ることには、例え腕に自信があるにしても危ういものが感じられた。
「いや済まない、特に――」
「ここで何をしている?」
シンの発言を遮ってデオが問いただす。今までのデオとはかけ離れたその強い口調に、シンとフェアは挙動を止める。
「見てわからない? 子供達が明日を生き抜くために必要なものを与えに来たのよ」
「そのなりでか。自分がどれだけ危険な場所にいるのかわかってないのか?」
デオが指摘した少女の装い。上等なものはローブだけでなく、胸元のペンダントには高価そうな宝石が輝いていた。
「服装なら、あなた達だってここの人達のものより大分良さそうに見えるけれど?」
「あのな、俺が言いたいのは、もう日も暮れる時間に身なりの良い若い娘がたった一人で貧民街に来ていることに対して、何の対策も施していないってことだ。不用心にも程がある」
少女へそう忠告するデオの様子からシンはその心情を悟り、弾かれたように声を上げる。
「心配してるのか」
「悪いか」
「……いや」
意外だった。その思いがそのまま声に表れたシンに対し、デオが短く言い捨てる。
「え……と……ごめんなさい。そんなふうに考えてくれているなんて思わなくて……」
少女は少しばかり戸惑った様子で態度を改める。気が強いだけでなく、相手側の主張を認められるだけの柔軟さも持ち合わせているようだ。
「別にいい。それよりも、自覚があるならさっさとこの区画を離れることだ」
「あなたの言っていることは尤もよ。でも、私の言い分も聞いてもらえるかしら。昨日の異変で子供達がひどく怯えているの。勿論私に異変の原因なんてわからないし、解決なんて出来そうにないけど……私が今日ここに来た時、子供達はとても不安そうな顔をしていたの。だから私は、少しでも傍にいてあげたい。皆を元気づけたい」
(う……)
少女の無自覚な言葉がシンの良心を穿つ。
「いつまでだ。日が落ちた後もか。明日また信頼のおける人物と共に出直すという選択肢は無いのか」
「そもそも、どうして一人で来たんだ? 一緒に来てくれる人はいなかったのか?」
まだ強めの口調を緩めないデオに対する牽制の意味合いも含め、横から割って入ったシンが少女に問いかける。
「いつもなら一人で来たりなんてしないんだけど、今日私がここに行くって言ったら皆に止められて……昨日の異変で何があるかわからないから危険だって。でも私はこの子達が気になって仕方なくて。だから一人で家を抜け出して来たの」
「なら尚更だ。家族も心配してるんじゃないか?」
「うん……きっと心配してる。それでも、この子達を放ってなんておけない」
平行線を辿る両者の主張。特に少女の方はデオの意見に同調した上でのことだ。譲れないところなのだろう。
「ねえねえ、子供達と一緒にいてあげたいのって、昨日の異変で怯えてるからなんだよね?」
「え? うん、そうだけど……」
「シン、教えてあげたら? そしたら安心出来るんじゃないかな」
「んー……」
フェアの提案にシンは首を捻る。事実を話したところで信じてもらうには実演が必要だろう。しかしもう一度あの演出を起こせば今度こそ街はパニックに陥るだろう上に、この場では目撃者も多く、異変を起こした張本人として特定されることは不可避だ。かといって演出の規模を縮小させてしまっては実演の意味が無くなってしまう。だが。
「そうだな、話だけはしておこうか」
信じてもらえずとも、話をするのとしないのとでは子供達の精神衛生も大分違ってくるだろう。
「? 何の話かしら」
「昨日の異変の話さ。あれを引き起こしたのは俺なんだよ」
「……はい?」
シンの告白を受け少女は目を丸くして固まる。
「えっと……どういうことかしら?」
少女は平静を繕っているが、その表情には内心が隠しきれずに滲み出ていた――「何言ってんだコイツ」。
「……言葉の通りだ」
「え……突然そんなこと言われても……」
シンの言葉を受け入れて良いものかと、困惑した少女が目を泳がせる。
「ホントだよ。だから皆怖がらなくても大丈夫だよ」
「偶然にしては出来すぎているからねえ……でもまあ嘘じゃあないんだな」
フェアといつもの口調に戻ったデオがシンの話を後押しする。
「そんなの、信じろって言われても無理よ! それに一体どうしてあの異変を起こしたのよ!」
「ま、信じてもらえるとは思ってないさ。大体あの異変を起こしたのだって……あ」
シンは受け答えの途中で解決策――になるかどうかはわからないが――を閃く。
「どうしたの? シン」
「ああ、この異変で街の空気が重くなってることに関して罪の意識を背負うのは、俺だけの役目じゃあないよな……って思ってよ」
ニタリ、とシンが哂う。
「顔」
「ちょっと……あなた怖いわよ……」
その表情にデオからは突っ込みが入り少女は身を竦ませているが、知ったことではない。
「そうだよ、何で俺だけがこんな思いしなけりゃならねえんだよ。元はと言えばあの野郎が余計な真似をしてくれたからじゃねえか……」
「えええ……」
くつくつと哂いながら独りごちるシン。それに対して少女はちょっとやばい奴を見る目で後ずさる。
「大丈夫なの? この人」
「さあ、俺も昨日会ったばかりだからねえ」
「えっ……」
「大丈夫だよ! シンは悪い人じゃないよ! ホントだよ! …………たぶん」
「ちょっと! そこまで言ったなら最後までしっかり弁護してあげてよ!」
横で騒ぎ立てる連中を意識の隅に追いやり、シンはあの男に先日散々人を玩弄してくれた報い――もとい、異変を起こし、人々を不安に陥れた報いを受けさせるべく魔法を発動させる。
〈召喚〉
召喚魔法には同一契約者を二十四時間以内に二度召喚することは出来ないという制約があるが、昨日の召喚からもうそれだけの時間は経過している。
今回は昨日のような演出は無く、シンの傍らに消滅したときの映像を逆再生するようにして一人の紳士の姿が形作られた。
「契約者シン様の魔力を以って、この身、召喚魔法に応じ拝趨いたしました」
当人は召喚時の作法としているのだろう、昨日と同様左胸に右手を当て優雅に一礼する。
そんな礼儀正しさは表面上のものでしかないと昨日しっかりと学習したシンは、毒気に塗れた表情でゆっくりと紳士の顔を覗き込んだ。
「いよーう、ソォブリィイン」




